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3月3日追記:件の退職者がお礼に尋ねてきたが、その時カーネルは3人組のスリが逮捕されたと話をしてくれた。彼らは南墓地(SM Jazzの裏手)をねぐらにして活動を続けているらしいが、お金は戻ってこなかったらしい。犯人の家族は18万円という思いがけないお金を手にして、さっさと田舎に戻って、そのお金を元手に新生活を始めたそうだ。同席したジェーンはすられた18万円が貧困にあえぐ一家族を救ったのだから、よい行いをしたと喜んでも良いのではないかと、感想を漏らしていた。 先日SRRVをお世話した方から、下記のメールが舞い込んできた。最近別のかたからもサルセドビレッジを歩いていて財布を抜き取られて現金、ATMカードをなくして往生したとの話があったばかりだ。どうもマカティにも詐欺集団が暗躍しているらく、くれぐれも注意するようにしてほしい。フィリピンでは幸か不幸か日本人はお金持ちということになっているので、ターゲットになっているようだ。 SRRV申請の件ではお世話になりました。本日、別件でご相談があり、メールさせて頂きました。 恥ずかしい話ですが、タイトルの通り、スリ被害に合いました。 今日の夕方くらいです。マカティ・アベニュー(センチュリーシティーの近く)を、マンダルヨンの自宅に向かって歩いていました。物乞いっぽい少年が近づいてきて、Tシャツを捲り上げて、自分の腕を隠しながら接近してきました。それで、気付かないうちにウエストポシェットから財布を抜き取られました。何かおかしなやつだなと思って、数秒後に、財布を抜かれたことには気付いたのですが、犯人は逃走してました。 財布から札束だけ抜き取って、財布はすぐに放り投げたようで、通行人のおじさんが、財布は拾ってくれていました。なので、不幸中の幸いで、クレジットカードや身分証は戻ってきました。被害は現金のみです。(ただ、金額は結構大きく、18万円持って行かれました)すぐに警察に行きました。どうやら常習犯らしく、警察も犯人の写真を持っていて、一応、犯人の特定はできています。しかし本日、身柄の確保には至りませんでした。後日、逮捕されて罰せられることを淡く期待してはいますが、警察が親身になって動いてくれるのかという点には疑問を感じます。お金が戻ってくることは諦めていますが、犯人に一泡吹かせたい気持ちはあります。警察にしっかり動いてもらいたいのですが、何か働きかけをすることはできないでしょうか?例えば、弁護士さんに口利きをしてもらうとか。日本人の友達に相談していますが、逆恨みも怖いので、あまり深追いしない方がいいのでは、という意見も頂いています。これについても一定の理解です。志賀さんからも何かアドバイスをいただけないでしょうか。お忙しいところ、申し訳ありません。フィリピンも昔より治安が良くなってきていると油断していましたが、気を引き締めて生活しなければなりませんね。色々と甘い部分がありました。勉強になりました。 「退職者のための何でも相談所」を標榜している私としては、一肌脱ぐしかない。そして下記の回答を送った。 それは災難でしたね。腕を隠すのはピストルを持っているフリをしているらしいのですが、日本人には通用しないですよね。そんな大金を持って歩くのはちょっと不用意でしたね。誰かに通報されたのかもしれませんが心当たりはありませんんか、両替所や銀行など。警察には私から話をしておきます。私と同居している人が国家警察の幹部なんです。警察はどこですか。マカティ警察ですか。担当の名前はわかりますか。 他にもごく最近、スリにあった人がいて、マカティにスリ集団が暗躍しているようですね。注意喚起の観点で、このメールをブログに載せてもいいですか。勿論名前は伏せておきます。 早速カーネルに話をすると、あっという間にアクションを取ってくれて、「マカティ警察署長に善処するよう話をしおいた。コマンダーが動くように手配済みだ」なんとも頼もしい限りだが、因みにカーネルの現在の地位は、まにら首都圏警察のNo.3で、首都圏の警察署長の直接の上司に当たる役割も持っていて多忙の限りだ。近いうちにジェネラル昇進が期待されている。 何年か前に私もグリーンヒルでスリにあって、ポシェットから財布を抜かれてしまったことがある。私が前のおばさんと押しくら饅頭をしている間に、グルの別のおばさんに横からポシェットのファスナーを開けられて、現金と銀行カードなどを財布ごとすられてしまったのだ。 この反省から、スービックのデューティーフリーショップで買ったのが、Pacsafeというブランドのポシェットだ。これが優れもので、ファスナーはフックで止めることができて、スリにファスナーを開けられる心配は皆無だ。さらにベルトにはワイヤーが入っていて、フックでつながっているため、ベルトを切ってポシェットごと持って行かれてしまうこともあり得ない。 NAIAターミナル3の3階 にあるデューティーフリーショップ […]

スリにご用心 2019年2月25日


札幌からバスで小一時間の定山渓温泉は、札幌郊外の温泉リゾートだ。専用のバスで向かうキアンは毎日の未体験ゾーンの探訪に疲れ気味だ。 山あいの定山渓は、札幌とは打って変わってまさに雪の世界だ。外に歩いている人はおらず、バスはここが「定山渓グランドホテル瑞苑」だと下ろしてもらったものの、ホテルの位置がわからない。ガソリンスタンドに人に聞いたら、目の前のだという。なにもかも白一色でまさにホワイトアウトだった。 チェックインを終えると、早速腹ごしらえ、朝夕はビュッフェスタイルの食べ放題なのでレストランはない。唯一営業しているのが「こばら亭」という小腹がすいたときにどうぞというもので、意外とラーメンがうまかった。 ひとしきりして、いよいよFace Book用の撮影開始だ。今回の旅行のまさにクライマックスだ。 定山渓を散歩しようと計画して地図まで用意していたのだが、この雪の中をあることは自殺行為なので、もっぱら屋内ですごし、6時ごろ、いよいよ目玉の夕食バイキングに臨んだ。昼間は客は、まばらだったが、夕方になってバイキングェ目当ての客が大量に到着したようで、広大な食堂は満員だった。 夕食の後は、いよいよ未体験ゾーンの温泉だ。特にプールのように大きい露天風呂は圧巻だった。降りしきる雪の中、熱めのお湯に使って顔は氷点下というにキアンは大はしゃぎだった。しかし浴場は撮影禁止なのが残念だった。 翌日は夜の間に降った雪のせいで外の景色はまさに水墨画の世界だ。したがって子供達は屋内の大きなロビーで戯れるしかない。 ロビーには赤いピアノが置いてあって、キアンが自慢のピアノ演奏をしていると姉妹が寄ってきた。週末を親子で過ごしに来たそうだが、札幌から小一時間でこんなところに来れるなんて、うらやましい限りだ。 団子3兄弟とはよく言ったのもので、7才、9才、11才の仲の良い兄弟でほのぼのとした仲の良い兄弟で、是非フィリピンで再会したいものだ。 子供達には言葉の壁は無い。時たま「これは英語でなんて言うの」聞いてくるがそれだけで十分会話になっているようだ。 そして夜になって待望の食事とお風呂、この二つの行動だけで十分夜がすごせる、テレビを見る暇などないが、もっともキアンの見れるテレビはない。 翌朝、定山渓を後にして札幌に帰還。団子3兄弟ともお別れだ。

カーネル一家念願の札幌旅行に同行(その6、定山渓で温泉三昧)2019年2月17日)



札幌二日目は苫小牧にアイスホッケーと介護施設の見学にでかけた。アイスホッケーは学生選手権が開催されるというので是非というお勧めだった。介護施設はオーナーがフィリピンから介護士を呼び寄せたいということで顔合わせといったところだ。苫小牧は千歳の少し先の港町だが、40年位前、苫東の石油備蓄基地の計画で、室蘭と並んで名前だけは馴染みのあるところだ。この辺は雪が少なくて工業地帯や空港も出来ているとのことだが、先日、千歳空港が大雪で閉鎖されたとのニュースが流れていた。そんなことになっていたら、年内にフィリピンにもどれないところだった。 アイスホッケーとはなにかも知らないキアンは、そのぶつかり合いで選手がフェンスに激突してくるのを喜んでいた。しかし、トーナメントの緒戦ということで、優勝候補の明治大学と九州の大学の試合で、30対0というような一方的な試合で、ちょっと興味を失しなってしまった。後で聞くとやはり明治大学が優勝したそうだ。 その後、いかにも港町の水産物の販売所とめし屋といったところで食事を取った。店の雰囲気は築地などの場外市場といった感じでムードがある。さらに野菜類もスーパーに比べて大雑把な感じがして好ましい。旅行をするとかならず、市場と称するところを覗いてみるのだが、そこにはまさに市場の雰囲気があった。 市場に混ざってレストラン、というよりも飯屋がある。いくら丼やうに丼、ホッき丼など、北海道らしい庶民の食事が取れる。問題は、キアンのお好みのエビフライが無かったことだ。しかし、店の人がとなりに聞いてくれて何とかしのぐことができたが、メニューの交換もするというのはいかにも庶民的だ。 次に向かったのが苫小牧郊外のウトナイ湖、白鳥の渡ってくるということで有名な湖だそうだ。しかしながら湖畔には一羽の鳥もいなくて、案内してくれた方も一体どうなっているのかと首をかしげたいた

カーネル一家念願の札幌旅行に同行(その5苫小牧観光)2019年2月10日


翌24日、ホテルはビュッフェ(バイキング)スタイルの朝食付きで、和食、洋食が食べ放題ということで、キアンの目が輝いた。最近のNHKの番組によると、バイキングにすると人件費が半分程度で済んで、しかも土日、休日のピーク時でも同じスタッフでこなせるため、返って原価が安上がりで済むという。その分、材料費にお金をかけるとアラカルト(メニュー)の倍くらいの料理が食べられて、大いに客が喜び、バイキング目当てに客がやってくるという好循環で、ほとんどのホテルはバイキングになっているという。ただ朝食なのであまり量は食べられないのが残念だったが、カーネル夫妻は至極ご満悦のようだった。キアンも食べ放題の味付け海苔が気に入って少々失敬して部屋に持って返っていたようだ。 外へ出てみると夕べの雪で、雪をかぶった車で出迎えてくれた。車に雪というのもキアンにとっては初体験の光景で、早速雪をかき集めて雪合戦を始めていた。 今日の予定は円山動物園、大倉山ジャンプ場、札幌ビール園など札幌市内の見所を回る予定だ。札幌市の繁華街は雪かきや融雪が行き届いていて路面に雪はないが、気温はマイナス2度といてつく寒さだ。もっとも最近のニュースでは前代未聞の寒波がやってきて、北海道中がマイナス20~30度、札幌も昼間でもマイナス10度と、とんでもない寒さとなっていて、この程度でラッキーだったのかもしれない。 円山動物園は丘の中腹ということで繁華街とはうって変わって一面の銀世界だった。動物たちはガラス張りの部屋の中で暖房を享受していて心地良さそうだったがカーネル一行は、その寒さと雪に返って興奮気味だった。 動物園から大倉山ジャンプ競技場に向う道は、雪が車で踏み固められたアイスバーンになっていた。へたにブレーキを踏むとすべってしまうので、雪国ならでの運転テクニックが必要とのことだ。いつも零度以下なので、雪や氷が融けることが無いので、全てが白くて大変美しい。住宅も心なしかしゃれていて北海道は豊かという印象をもった。もちろん昨年の地震の跡形などは全くない。 大倉山ジャンプ競技場はちょっと奥まったところにあるので外気温はマイナス4.2度、さすがキアンも震え上がっていた。 今日の目玉は北海道名物のジンギスカン料理、サッポロビール園は博物館というよりはジンギスカン料理目当ての客でにぎわっていた。しかもこの日はクリスマスイブとあっていやがうえにもムードは盛り上がった。 本日のとりは札幌テレビ塔。大通り公園のクリスマスのイルミネーションを期待したのだが、案外地味でマカティのアヤラトライアングルの方が印象が強い。もっとも先の地震のため、自粛したのかもしれないが。

カーネル一家念願の札幌旅行に同行(その4札幌市内観光)2019年2月10日



東京(駅)見物を終えていよいよ本命の札幌に向う。羽田空港から千歳空港への空の旅は私にとっても初めてのような気がする。学生時代の旅行あるいは出張で北海道や九州、あるいは四国にも足は延ばしたことはあるものの、当時は夜行列車が主体だったような気がする。なにしろ40~50年も前のことなのですっかり忘れてしまった。 瞬く間に千歳空港に到着して期待に胸を膨らませる彼らは、荷物を待っている間、まずは北海道到着の証拠をFace Bookに載せるため、写真撮影だ。 千歳から札幌まで電車で約40分、札幌到着でまずはFace Book用の写真撮影。ママ・ジェーンに仕込まれて久しいキアンは素直にポーズを取っているが、まだまだ赤ん坊気分のクッキーは知らん顔だ。一方、カーネルは荷物と格闘中で姿が見えない。 札幌在住の知り合いの方の出迎えでホットする一行。特に一人増えると運び手が荷物の数と一致するので大いに助かる。このときばかりはキアンも一丁前だ。 駅からさほど遠くないホテルモントレエーデルホフ札幌という長ったらしい名前のホテルに泊まった。普通に歩けば駅から10分もかからないはずなのだが、いてつく寒さの夜の札幌で一人あたり20kgの荷物での移動は苦行に近いものがあった。それでも無事にチェックインを終えて、いよいよ札幌の夜の探索だ。と言っても子連れで長旅で、すすき野というわけにもいかず、駅の近くのラーメン共和国に連れて行ってもらった。 どこも行列ができていたが、やっと待望のラーメンにありついてご満悦のキアンとクッキーだ。 ホテルに帰る道すがら降り出した雪を両手を広げて喜ぶキアン。雪降りに遭遇するなんてもちろん生涯初めての経験だ。

カーネル一家念願の札幌旅行に同行(その3札幌到着)2019年2月10日


早朝、成田空港から成田エクスプレスで東京に到着して、まず探したのは大量の荷物を預けるところだ。ロッカーのありかを聞いて行ってみても、全て使用済みのランプがついている。さらに地下にいくとびっくりするほど量のロッカー地帯を発見した。奥のほうにはまだ空きが大分あったので、ややこしい操作で戸惑ったが、 係の人に教わりながら なんとか三つの大型ロッカーに荷物をおさめることができた。これで身軽になっていよいよ東京見物だ。 東京駅と皇居か、あるいは原宿と明治神宮かと決めていなかったのだが、この日は日曜なのに人が多い、さらに日の丸が掲揚されている。しばらく考えてみて気がついたのが、今日は天皇誕生日だったのだ。恥ずかしながらこのことを失念していた。 これは、皇居に入ることが出来る滅多に無いチャンスで、原宿/明治神宮の線は消えた。カーネル一家も天皇を拝めるということは大変な名誉だろう。私自身も始めての経験になる。 東京駅の写真撮影が一段落して皇居の方向に進むと、大勢の人が行列をなしていたが、どうやらが天皇の参詣のために皇居に向う人の列のようだ。沢山の警官も交通整理に余念がない。 しばらく進んで小雨が降り始めたが、列は一向に進まない。このままでは札幌行きの便に間に合わないと察して行列を離脱することにして、丸の内をぶらぶらして東京駅に戻った。 東京駅のロッカー地帯に行って、再び大量の荷物を引き取って、これから山手線で浜松町、そして東京モノレールで羽田に向った。ロッカーはすでに使用済みで多くの人が列をなしていた。昼から東京見物の予定だったとしたらどうしようもないところだった。 大量の荷物を格闘しながら電車の乗り換えは容易ではない。最近でこそエレベーターやエスカレーターのない駅はないが、それがなかったらとっくにギブアップだった。クッキーも疲れてしっかりとお荷物となっている。 カーネル念願の東京見物も東京駅と皇居前で終わってしまったが、帰りの上野、秋葉原、アメヤ横丁などの下町見物に期待して欲しいところだ。

カーネル一家念願の札幌旅行に同行(その2東京見物)2019年1月20日



昨年7月(2018年)、札幌から来客を迎え、皆でドーシットホテルで食事を取った際、客から札幌の話を聞いて、にわかに札幌旅行の話が持ち上がった。フィリピン航空の札幌直行便の運航開始、さらには北海道地震がらみの復興割りなどのニュースもはっぱをかけた。せっかく行くのだから一週間くらいは滞在したい、北海道といえば雪、大通り公園の雪祭りも欠かせない、などと話は盛り上がった。カーネルもまだ見ぬ雪景色に思いを馳せた。 まずは、いつ行くのかが問題だが、カーネルはクリスマスあたりしか休暇を取ることができない。キアンの学校もクリスマス前から休みになる。そうなると12月23日の週しかないことになるが、 年末年始は航空券が高いので悩ましいところだ。 札幌直行便はまだないので、韓国あるいは東京経由とするかだが、結論としてはカーネルは日本に行ったことがないというので、東京経由、しかも行きと帰りに一泊して半日程度の東京観光を含めることにした。どこかの国の空港で数時間の乗り換え時間を過ごすよりもその方が私にとっても楽だろうという目論見だった。したがって、往復に4日かけて、札幌滞在はネット5日、合計9日、22日(土)出発、30日(日)帰還の日程を組んだ。 早速航空券を当たってみると、EXPEDIAのサイトで、マニラー成田/羽田ー札幌の往復で一番安いのが一人6万円足らず、5人で28万円程度と、年末にしては意外にもまともな値段だった。しかもLCCではなくてJALという豪華版だ。 東京見物は、成田と羽田を移動する際の空き時間を利用するので、行きは山手線一周と東京駅/皇居、あるいは原宿/明治神宮、帰りは秋葉原/アメヤ横丁を候補とした。行きも帰りも日曜でしかもアメ横見物はみそかとあって、大混雑が予想され、2歳のクッキー連れでいかがなものかと危惧された。一方、最終日の夜には、ジェーンの念願の”のぶ子さんとの会食”が実現できることになりそうだ。翌朝はスカイライナーの一番列車で成田に向かうので上野駅前のホテルに泊まることにしたが、年末のせいか安ホテルが一泊一室28000円もした。予算は10,000円なので大幅な超過だ。 札幌見物は件の客のアドバイスで、札幌に3泊(円山動物園、大倉山ジャンプ競技場、サッポロビール園、もいわ山ロープウエイ、小樽または苫小牧日帰り)、そして定山渓温泉に2泊して、最終日は翌朝、朝の便なので千歳に泊まることにした。宿の予算は朝食付きであらかた一泊一万円の予算に収まった。 東京は自分の生まれ故郷なのであらかた見当はつくものの、札幌は出張で2~3度行っただけで、観光地など、どこに行ったらいいのか、見当もつかない。私の役割は案内役だから、知らないでは済まされないので、インターネットを駆使して観光案内や地図を集め、一冊のファイルにまでなってしまった。 しかし、いざ旅行が始まると、飛行機の予約表と東京ー成田間の時刻表(行きは成田エクスプレス、帰りは京成スカイライナー)それにホテルの予約票以外は一切見ることは無かった。それでも旅行というものは事前の準備が楽しいもので、始まったら、必死でスケジュールをこなし、あっという間に終わってしまうものだ。しかし、旅行というものはチケットと宿さえ用意しておけば、後は、ぶっつけ本番で何とかなるものだとこの年になって悟った。 大量の荷物とクッキーというお荷物を抱えての日本旅行はさぞかし辛いだろう、とクッキーのヤヤ(子守)の同行を提案したのが10月だった。それから1ヶ月ほどして、にわかに現実味を帯びて、まずはヤヤのパスポートを手配することになった。しかし、身分証明書等の書類入手に手間取って、12月に入ってもパスポート発行の目処がたたず、ヤヤの同行の中止宣言をした。 しかし、12月の半ば、出発まで一週間を残すという段階で、パスポートが発行されてしまったのだ。ヤヤにとっては一生にあるかないかのチャンスで、彼女の期待が半端でないことはひしひしと感じる。そこでママ・ジェーンから、日本行きのビザは2~3日でなんとかするから緊急にチケットを手配せよとの号令がかかった。 早速、EXPEDIAのサイトにアクセスしてチケットを探してみたが、同じ日にJALでマニラー札幌を往復する便はあるものの、便が違う。クッキーのお守りをするのに同じ日といえども便が違うのでは意味がない。そこで行き帰りの便を個別に当たってみたが、ジェーン一家が予約した便はすべて満席で、ギブアップ。ママ・ジェーンもヤヤに対して、いい訳ができたので一件落着だ。 12月に入って荷物の準備にいそしんでいるジェーンに忠告をした。荷物は最小限にして、大型トランク一個、その他一人につき一つの手荷物とすること。成田ー羽田ー札幌ー羽田ー成田の移動にあたってクッキーを荷物とみなすと、大型の荷物は一個が限界で、指の痛みの持病をもつ私を期待してはならないと。 ジェーンはその指示に大いに反発して大型とランク3個が限界と耳を貸さない。ベッドの上に山のように積まれた衣類を全部持っていく気だ。どっかの有名女優でもあるまいに、毎日服を替えるつもりでいるらしい。それには防寒具まで含まれるからたまったものではない。 前日荷物の重さを調べてみると、それぞれ、20、25、30kgで、調べてみると国際線が25kg、国内線が20kgが限度だ。それぞれを20kgに押さえるように指示したら、量は減らさず、はみ出た分を別のカバンにいれて持っていくことにしたので、総数で10個を越える荷物になってしまった。 […]

カーネル一家念願の札幌旅行に同行(その1出発)2019年1月20日


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いよいよ12月に突入し、街は俄然、にぎわしくなっている。デパートは買い物客でごった返し、道路は車で埋まっている。こんな時は家でじっとしているのが一番なのだが、どうしても外出せざるをえないのがクリスマス・パーティだ。 PRAとしてもこの行事は、GMの晴れ舞台なので欠かすことができない。今年もいつものPhilippine International Convention Center(PICC)で、12月14日(金)午後6時から開催されるとの通知が今日、パーティの一週間前にやっと手に入れることができた。 我が家としてはジェーン一家総出で参加することなるが、2歳を迎えたクッキーのはしゃぎようが今から目に浮かぶ。キアンとしても若い退職者のお子さんたちに会うのが楽しみだ。 一歳を迎えたばかりのクッキーはよちよち歩きで舞台に立った。 昨年の300~400名規模のパーティはなかなか豪勢だった 先日行なわれたマーケッター感謝パーティで舞台に上がって踊る2歳のクッキー 昨年のパーティの様子は下記のブログ参照。 PRAクリスマスパーティ開催 2017年12月16日  

2018年PRAクリスマスパーティへの招待2018年12月7日



肺炎を患って入院して以来半年を経過して、体力もおおかた元へ戻った。そして、去年古希を迎えた今、いつまでも現役でいたいという願いをかなえるために良いものを選んで口にするうちにたどりついた自己流精進料理を紹介したい。 毎朝の食事は体に良いものを求めている間にかなりボリュームのあるものになってしまった 上段左から順に 1.味噌汁:発酵食品の味噌は日本食材の傑作で欠かすわけにはいかない。味噌はなるべく高い本物志向のものを買うようにしている。具はわかめと椎茸で日本食材店で乾燥したものを買いだめしているが、椎茸やわかめが癌予防になるのではないかと期待している。 2.ご飯:ライスは極めて少量で生卵と納豆をかけて食べるが、卵は日本食材店で通常の倍の値段のものを買っている。フィリピン人は卵は生で食べないので、スーパーで売っているものは衛生管理が行き届いていない恐れがある。出来れば自家製の地鶏の卵を食べたいが、それは引退して農場で暮らすようになってからの楽しみにとってある。卵は完全食品の優れものだが、一昔前はコレステロールが多いから一日一個までなどという濡れ衣を着せられていた。ライスは生卵と納豆を食べるためのおかずのような位置づけだ。 3.ダランダン生ジュース:一年中飲めるわけではないが、すっぱいみかんの原種ようなダランダンはフィリピン産で農薬の心配もない。認知症予防に効果があるのではないかと期待して飲んでいる。 みかんの原種のようなダランダンはフィリピン産。そのまま食べるには今一だが、ジュースはすっぱみがあっておいしい 4.豆乳:しばらく忘れかけていたがふと思いついて飲み始めた。ローカル製もあるが甘みや味がついていて飲む気になれず、わざわざ日本製を買っている。いずれは大豆を買ってきて自家製の豆乳を飲もうと思っているが、農場では残念ながら大豆ができない。豆乳を飲み始めてから便通が劇的に改善して、毎朝、欠かさず大量の便が出るようになった。三食欠かさず飲んでいたら、少し腹が出てきたので朝食に限って飲むようにした。 5.日本茶:水代わりにいつも飲んでいるのが日本茶だ。テーブルにはポットにいれていつでも飲めるようにしている。 外で食事を取る時は、定食を取って、数人分の野菜や味噌汁、漬物を一手に引き受ける 下段左から順に 6.粉末ウコン:知り合いから自家製のウコンをいただいて小さじ一杯程度飲んでいるが、今のところこれといった効果は出ていない。個人差があるようで、息子は数日で劇的な効果が出たが、末期癌まで治してしまうというので根気よく飲み続けている。 農場で育ち始めた春ウコンと紫ウコン、約400坪の家庭菜園はウコンで埋め尽くすつもりだ 7.漬物:梅干とたくあん、それに最近はキムチも加えた。日本食の原点の発酵食品で胃腸を整えるという算段だが、梅干とたくあんは日本食材店でも欠かせない人気商品のようだ。梅干のすっぱさに顔をしかめるたびにクエン酸の効果を実感する。 8.納豆:いわずもがなの日本食の傑作だ。納豆の効果を記述すると1ページにもなってしまうが、日本食びいきのフィリピン人も納豆だけは手が出ない。納豆が大好きだったキアンも最近は手が出なくなった。問題は、日本食材店でよく品切れを起こすことだが、それだけ納豆は日本人の食卓には欠かせないということだ。 […]

自己流精進料理(朝食)の紹介 2018年9月2日


しばらくブログを休んでいる間に、退職ビザの発行が遅れに遅れ、2ヶ月近くかかるというていたらくだった。申請時にいつ発行されるかとPRAに聞くと20ー30営業日(4週~6週)と答えるが、それもうつろに響いた。要は時間無制限の完全な退職者でなければ申請できない状況になっていた。そのせいか、PRAで日本人を見かけることは、めったになくて、日本人申請者は激減している。実際問題、当社のとり扱い日本人は年初からたったの6人で、2010~2014年は40~50人で推移していたものが2015年から減り始め、半減、半減を繰り返している。 その原因は、 1.円安:一時1ドル80円が、現在の110円となると、2万ドルの預託金は160万円から220万円に跳ね上がって、40%近く増加してしまった 2.物価差:フィリピン経済は順調で、毎年6%程度の経済成長と供に物価の上昇に見舞われている。これが10年も続けば物価は1.8倍になる。一方、日本の物価はあいかわらず平坦で、これに円安110/80を掛け合わせると、なんと円換算のフィリピンの物価は3.3倍に跳ね上がって、10年前に5倍の物価差と言われていたものがせいぜい1.5倍にしかならない。これでは年金暮らしの退職者にとってわざわざフィリピンくんだりまで来て暮らすメリットがなくなってしまう。ただし唯一の救いは人件費は相変わらず業種によるが5分の一から10分の一を維持していることで日本の人手不足を考えると天国の様ではある。 3.発行期間:私がPRAで働いていた2004~2006年には5営業日で発行するとPRAは豪語していた。それが、2週間になって、しばらくして3週間、ここいらあたりが現役組の滞在の限度だった。それが昨年あたりから4週間(1ヶ月)の大台をこえて一気に2ヶ月という声を聞くようになり、現役組の申請者は途絶えた。発効日が日単位が週単位になってついには月単位で数えなければならなくなってしまったのだ。 円安と物価差はいくらあがいても致し方ないのだが、何故ビザ発行にこんなに時間がかかるようになったのかとPRAスタッフに聞くと、申請者が増えているのにスタッフの数は同じで書類がたまる一方、さらに入管は書類の審査を厳密にして、一体いつ書類が入管から戻ってくるかブラックボックスだと、わけのわからぬ言い訳をする。私に言わせれば、余計なルールを作って担当者の負担を増やしているだけで、要は顧客=退職者の視点に立った改善の姿勢がないからだ、といいたいのだが、そんな声はまるで、猫に小判、馬の耳に念仏だ。民間会社だったら競合相手に負けてとっくに倒産しているはずなのだが、それが親方日の丸で相変わらず中国人や韓国人、それにインド人で繁盛している。 しかし、当社のような日本人相手のマーケッターにとっては死活問題で、そのせいか、相変わらずPRAに出入りしている日本人は私くらいのもので、他社のSRRV部門は開店休業のようだ。ちなみに、本年度の当社のビザの取り扱い合計は現在、13名、そのうち欧米人が7人で逆転しており、発行待ちも日本人一名にたいして欧米人が4名だ。なぜ欧米人が最近になって急増したのかはわからないが、欧米人の退職者にそのことを聞くと、英語版HPを運営している相棒のジェーンはこの世界では、良い仕事をするマーケッターとして欧米で名が轟いているそうだ。そのせいか毎日のように問い合わせが来る。 7月10日(火)はパスコにとって記念すべき一日となった。その日は、どういうわけか3人の欧米人が同時に申請の手続きをしにやってきたのだ。オーストラリア人、カナダ人、それにイギリス人で3人は異郷で故郷の友に再会したように話が弾んでいた。それもそのはずでカナダ人もオーストラリア人もイギリスからの移民で、まさにグレート・ブリティン(大英帝国)を髣髴させる状況だったのだ。 3人の大英帝国人のビザ発行の予定としては1ヶ月強と見込んだのだが、3週目に状況をヒアリングしてみるとすでに最終段階のビザの貼り付けを終えてサイン待ちだという。結果として3.5週で発行の運びとなったのだが、意外な早さに地方でスタンバイしていた彼らがやってくるのに一週間待つ羽目になった。ここ10年以上、遅れる一方だったビザ発行が予測より1週間も早くなったことを称賛しようとPRAスタッフに話をしたら、「入管のお偉いさんが雨で外出できず、部屋に閉じ込められていたので早くサインがもらえただけ、たまたまよ、当てにしないほうがいいわよ」という冷めた返事だった。

退職ビザ(SRRV)の発行が早まっています 2018年8月17日