Monthly Archives: November 2020


台風19号ロリーにより甚大な被害を被った農場の片付けと樹木や屋根の修復も一段落してきた。しかし、上流側の洪水の元凶となった水路の道路横断部の修復については、難工事であり、手がついていない。農場を横断している水路自体はさほどの規模ではないのだが、台風で水かさが増すと、信じ難い大量かつ巨大な流木が流れてくる。道路の下に埋められている3本の既存のパイプカルバートでは手に負えず、いとも簡単に詰まってしまい、上流は洪水と化してしまうのだ。以下の写真により、状況の把握ができたものの、既存の道路横断部の構造が不明なので、いかにするべきか逡巡しているところだ。 修復の方法としては、下記の2案が考えられるが、現地の状況を十分把握して決定する必要があり、次の台風シーズンまでの宿題として残すことにした。 ①道路横断部の既存のパイプ・カルバートを全てを撤去して、3mx3m程度の断面を持つボックス・カルバートを建設する。その場合、パイプと道路の間が土か砂利で埋め戻されているのであれば問題ないが、コンクリートで埋め戻されている可能性があり、撤去費用が膨大になる恐れがある。 ②3本のパイプのうち、上の2本のパイプは道路を支える役割を持たせて残しておいて、下のパイプをはつって、さらにその下に掘り込んで、2mx2m程度ののボックス・カルバートを建設する。この場合、既存の橋の部分を2本のパイプと共に残すため、トンネル工事になってしまう。その場合、道路と2本のパイプの間の埋め戻しが土か砂利だとすると工事中に崩落する恐れがあり、事故のリスクがあり、上記の①案を採用しなければならなくなる。

台風襲来 その2 水路の道路横断部の修復計画 2020年11月28日


ボルテスVときいてもわかる人は、あまりいないと思う。977年から78年にかけてTV放送されたロボットが主役の子供向け番組なのだが、フィリピンでは、このフィギュアがいまだに人気商品なのだ。 1989年、私がフィリピンに駐在したとき、フィリピン人社員が、日本語研修で、はじめてボルテスVの主題歌の意味を知ったと感激して、私の前で合唱してくれた。そのころ彼らは20代なので、11年前にボルテスVが放映されていたころは10代でTVにかじりついて楽しんでいた世代で、意味もわからず主題歌を暗記して唄っていたのだ。私としては、マジンガーゼットやガンダムは知っていたが、ボルテスVなどはきいたこともなかった。 それから30年経過した現在、数ヶ月前にパパ・カーネルからボスの55歳の誕生祝にボルテスVのフィギュアが手に入らないかと頼まれた。しかも、首都圏警察署長にプレゼントするのだから、フィリピンではなくて日本で買った純正品で、来週までにと期限を切られてギブアップした。ボスは、いかなる誕生日プレゼントの受取も遠慮するが、ボルテスVだけは別だと宣言していたらしい。 カーネル自身も当時、8歳の少年だったので、ボルテスVの思い出は共有しているはずだ(そのころ家にTVがあればの話だが)。そのため今月、カーネルの51歳の誕生日にそのボルテスVのフィギュアを贈ろうかと考えた。息子が、12月早々に新発売される6万数千円のバンダイ製のフィギュアを発見してくれて、しかも、フィリピンにまで配達してくれるという。多分、こんな高額なフィギュアを今になって新発売するということは、フィリピン市場では、特に未だ、よほどの人気があるのに違いない。注文してみると、本体は55,777円、送料は11,400円で目論見どおりなのだが、税金が22,168円というのは予定外だった。合計で、89,345円とは、もはや玩具の範疇ではない。 放映から43年経過した今、そのころ10代だった少年は50代となり、社会を牽引する要職についているはずだ。その一人が首都圏警察のトップであり、今月、フィリピン国家警察の長官についたパパ・カーネルのボス(フィナス長官)だ。フィナス長官が地方の警察署を訪問すると、警察の楽団が通常のマーチではなくて、ボルテスVの主題歌で迎えなければならないそうで、フィナス長官はよほどのボルテスVのファンのようだ。 ドテルテ大統領の右腕として麻薬戦争を指揮した国家警察のデラロサ長官は引退して現在、上院議員となっている。その後をついだアルバヤルデ長官は昔、麻薬ビジネスに関わっていたという疑いで失脚した。そして今年の初めに就任したガンボア長官が定年(55歳)で退任し、今月、カーネルの直属の上司だったフィナス長官がトップに就任した。そのフィナス長官も来年定年で退官するという、めまぐるしく長官人事が変遷している。首都圏警察で序列3位で50歳を超えたカーネルにも、首都圏警察のトップ、そしてフィリピン国家警察のトップへと出世していく機会が大いにあるわけで、かつての直属上司が国家警察のトップという今が、正念場というわけだ。 そのために、このボルテスVのフィギュアがフィナス長官の退官のプレゼントとして大いに役に立ってくれそうなわけだ。先日の台風被害で、その修復に金がかかるので、一旦、誕生日プレゼントは中止としたのだが、上記の事情から、橋の修復を後回しにしてボルテスVのフィギュアを優先することにした。

ボルテスV(ファイブ)の話題 2020年11月28日



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ここの所、観光地への訪問に関するコロナ規制が大分緩和されて来ているが、私のタガイタイ訪問は、お預けとなっていた。毎週、土日は一歳のココとヤヤ、それに私が家で留守番をして、キアンとクッキーはパパ・カーネルとママ・ジェーンの4人でタガイタイのマンション(キアンの呼び方で、豪邸を意味する)に泊りがけで出かけるのが日課になっていた。カーネルとしては、毎週、たった一日だけ家族と過ごせる時間を水入らずで楽しみたいということなのだろう。 そして21日の土曜日がやってくると、キアンから「小言を言わないという条件でタガイタイに招待する」とママ・ジェーンの伝言を持ってきた。無条件での招待ではないので、「キアンが一緒に来て欲しいと望むならば、行ってもいいよ」と返事をした。例え行ったとしても、往復は車に軟禁で、終日、家に閉じこもっていなければならないのであれば、テレビもない状況では、退屈してたまらず、ちょっと乗り気になれない。 しかし、9ヶ月ぶりのタガイタイ・マンションがどうなっているかは興味があった。それにマカティの家にいたとしてもテレビを見ることくらいしかやることがないので、同じことだ(ただし、大相撲の千秋楽を見れないのはちょっと残念ではある)。しかし、新しく来たヤヤもいれて、二人のヤヤと一歳のココが同行すると聞いて、彼らが行ってしまうと家には私しか残らず、食事にも事欠くので、私一人を残すわけにもいかず、条件付招待となったものと悟った。 夜の8時過ぎに出たので、到着は11時近かったが、途中、SLEX(South Luzon Expressway)のスカイウエイ延伸工事の橋桁落下事故で、反対車線は延々と渋滞が続いていた。帰りのことが心配になったが、幸い杞憂で翌日の帰還はスムーズだった。ちなみにこの落下事故でスカイウエイ延伸工事の年内完成が来年にずれ込んでしまうとのこと。 タガイタイに到着してただちに寝たかったのだが、なぜか、同行した二人のメード(ヤヤ)による、片付けが始まって、ベッドにたどりつけない。家の中は、住居のセットアップの品物が、所狭しとおいてあって、私が小言を言わないという条件が飲み込めた。おまけに部屋数は4つあるものの、合計で二つしかベッドがない。要は同行した8人が寝るだけのベッドが整っていないだ。 結局、ベッド台とマットレスを別にして、私は、床に置いたマットレスでキアンと寝ることになった。この年で、床に寝るのは立ち上がるのにかなり苦労するが一晩なら我慢できる。要するに、他人を招待するような準備は、全く整っていないというのが、ここ2ヶ月、私が近寄れなかった理由だったのだ。しかし、ベランダへの戸を開けて寝ると、網戸を通して涼しい風が入ってきて、まさに高地のタガイタイの真髄を感じることができた。 朝食は、パンにミルクのみ、普段の自己流精進料理はない、これは折込済みなのだが、つい、昔に戻って、三切れの食パンとコップ3杯の牛乳を摂ってしまって、昼まで消化できず、胃がもたれてしまった。普段の食事との違いに胃がびっくりしてしまったらしい。 それで、キアンとクッキーを連れて、散歩にでかけたが、別荘地帯なので、すれ違う人もほとんどおらず、ビレッジ内ならばマスクをつけずに歩き回ることができる。しかし、タガイタイの山地を造成したものなので、ところによっては歩くことも容易でないほどの急坂で、息が切れた。30分ほどして戻ってきた時は、かなりの疲労を感じた。8ヶ月も外に出ないで自宅軟禁の状態だったのだから、無理もないことだ。 ママ・ジェーンがランチの材料を調達に行くというので、車の中で待つという条件付で同行した。タガイタイ・ランチ遊園地やマホガニー・マーケットなどの観光スポットを観察することはできなかったが、日曜のせいで、道路はかなりの交通量で、不滅のリゾート・タガイタイの雰囲気があった。 真昼間に外を歩くのは、暑くてちょっと憚れるが、朝夕は涼しくて、これでレストランや遊園地、それに豊富な果物で有名なマーケットを訪れることができるとしたら、マニラから2時間ほどで訪れることが出来るタガイタイは、まさに別荘として、週末を過ごすには理想的だ。 夕方になって事件が起きた。クッキーが手を敷地への入り口の鉄製のドアに挟んでしまったのだ。これは痛いとは思うが、よほど強くドアを締めたのか、いつまでたっても泣き止まない。手を動かすことが出来るので、骨折ないし骨にひびが入っているほどではなさそうだ。泣き声にパパ・カーネルが心配して、慎重に手の様子を調べたが、かなり時間をかけていたが、そこで、お咎めがキアンに落とされた。そばにいて妹にこんな怪我をさせるのはけしからん、ということらしい。 私や二人のヤヤもそばにいたので、責任を感じるが、ママ・ジェーンも加わって、叱責が続く。痛みがとれてきたクッキーはけろっとしているのだが、両親の叱責を受け続けたキアンは、涙をためて、口答えもできず、神妙にしている。責任を一心に背負っているキアンに同情するしかないのだが、どうもクッキーが「キアンのせいで...」とキアンを陥れたらしい。 そんなこともあって、8時過ぎ、ようやく帰宅の途についたが、車は3列席で、前にパパ・カーネルとママ・ジェーン、中列に私とキアンとクッキー、後ろに、ヤヤ二人とココ。私とキアンの間にクッキーが座って、さっさとキアンの膝枕で寝入ってしまった。キアンとしてはうっとうしくて仕方がないのだが、この状況で文句を言うわけにはいかない。 […]

タガイタイ訪問がようやく実現した 2020年11月23日


3月のコロナ・ロックダウン開始以来8ヶ月目を経過し、日本やヨーロッパでは最悪のシナリオとも言えるコロナ感染第3波に突入した。そして、感染終息の見通しが見えないまま、早期のワクチン開発に望みを託すしかなくなっている。一方、ここしばらくはコロナよりもアメリカの大統領選挙が世界の耳目を集めていた。トランプかバイデンか、どちらが勝とうが目の前のコロナを追い払えるわけではないし、トランプの引き際の悪さが目だっただけの選挙戦だった。一方、当方ないしフィリピンにとっては、さらにそれよりも大きな事件がのしかかってきた。それは、3週連続の台風襲来だ。 わが農場のあるルソン島の最南端、ビコール地方はいわゆる台風銀座で、台風の襲来がない年はない。しかし、今年のように3週連続ということは私の知る限り過去になかった。台風18号(キンタ)、19号(ロリー)、そして、22号(ユリシーズ)が10月25日、11月1日、そして11日と立て続けにビコール地方に上陸したのだ。台風18号(キンタ)は名前からして小物で取るに足らなかったが、19号(ロリー)は今年度世界最強のスーパー台風と称され、2006年の台風レミンを髣髴させた「雑記帳 ビコール地方を襲った台風レミンの被害」。さらに、台風22号(ユリシーズ)は雨台風で、2009年首都圏全域を浸水させた台風オンドイに匹敵する洪水を首都圏そしてルソン島北部にもたらし、現在も浸水状況をテレビが報道している「集中豪雨でマニラは水浸し 2009年9月27日」。ドテルテ大統領が両台風の被害を視察して、緊急事態宣言を発令して国家的支援を決定したが、焼け石に水の感はぬぐえない。 台風18号(キンタ)が上陸したのが10月25日(日)、「ビコールにある我が農場の樹木は総崩れになってしまい、すぐさま復旧して次の台風に備えないといけない」との知らせが入った。そのためにまずは先立つものが必要と準備をしていた矢先、次の日曜、11月1日にはスーパー台風、19号(ロリー)が直撃するとの情報だ。農場を直撃した台風ロリーによる被害状況の詳細がわかったのは、一週間後の8日になってからだった。現地では電気、携帯の電波、水などすべてのインフラが機能を停止して、生き延びるのがやっとだったらしい。 農場被害の報告が来たころになると、今度は22号(ユリシーズ)が襲ってくるというので、泣きっ面に蜂、さらにヒアリが噛み付いてくるような状況に恐れをなした。しかし、ユリシーズは幸い北にそれて、農場直撃は免れた。しかし、その分、マニラ首都圏を直撃して、11日夜半、明け方近くまで、強い風と雨が吹き荒れた。その結果、翌日はマニラ北部のマリキナ市一帯の住宅地が2階まで浸水するという、台風オンドイの記憶を呼び起こす洪水被害を引き起こした。さらにルソン島北部のカガヤン山地でも広大な地域が水につかった。我が家はマカティでも少し高いエリアにあるので、全くの被害はなく、インターネットが繋がらない程度だったのは幸いだった。 一方、この時期は、一族の誕生日が目白押しだ。10月26日はクッキー4歳の誕生日、11月9日がココの一歳の誕生日(一歳の誕生日は、フィリピンの子供にとっては、もっとも重要なイベント)だ。さらに11月15日(本日)はパパカーネル51歳と続く。しかし、時節柄、お祝い事は最小限にして、ビコールの農場の支援と復興に資源を集中することとした。もっともコロナの制限で我が家に人を呼んでお祝いするなどというのはもっての他なのだが。 災害支援といえばママ・ジェーンの得意技で、台風レミンとまではいかないまでも、大量の食料と、大量のソーラーバッテリーをデビソリア(チャイナタウンにあるフィリピンの問屋街)で買い求めて支援物資の送付の準備中だ。因みに台風レミンの時は電柱が根こそぎ倒れ、その復旧に半年という期間を要したので、電源は必須アイテムなのだ。

3週連続の台風襲来に悲鳴 2020年11月15日



2020年も、いよいよ11月を迎えてしまい、もうすぐクリスマス、年の瀬ももうすぐだ。しかし、今月も封鎖(GCQ)は継続され、外出禁止(高齢者と未成年)の自宅軟禁が継続することになった。もはや年内の緩和はないものとあきらめてはいるものの、2年越しというのは、いささか長すぎる。かといって緩和されたとしても、感染状況が改善され、ワクチンでも打ってからでないと、自主的隔離を継続する以外に手はないだろう。 一方、今週は、コロナ渦巻く状況で、PRAをめぐって大きな動きがあり、あわただしい一週間だった。最近、上院で、「若い多くの中国人がSRRVを隠れ蓑にしてオンラインカジノ(POGO)で違法に就労している、その辺をPRAは承知しているのか、35歳以上という年齢制限は退職ビザというには若すぎるのではないか」などと厳しく追求され、PRAの上部組織の観光省からは、急遽、SRRVの規則の見直しを迫られた(特に35歳の年齢制限)。 そのため、現状、外国人の入国禁止措置のため、ほとんど申請者がいないこともあって、当面、SRRVの発行を止めて、規則の見直しと状況の調査に乗り出すことになった。そして、PRAは26日(月)から29日(木)まで、種々の業務を停止しして対応に邁進していたようだ(当方としては予定していたID更新が取り消されて割を食っているのだが)。さらに、その一環として、27日には調査票に記入して29日(本日)までに提出するよう求めらた。 本調査票の提出は強制であり、任意ではない。しかし今日、明日中というなんとも急な指示だが、いかにPRAが焦っているかの表れでもある。この狙いは、中国人の不法就労の実態を把握するものと推察され、昨年はAEP(外国人就労許可証)の発行においても中国人の違法就労のおかげで、その発行が大変やっかいなものになってしまったが、最近の中国の横暴な動きになんともいい難いものを感じる。なお、PRA内部の知り合いの話では、新しい規則は既存のSRRV保有者にさかのぼって適用されることはないので、安心してくださいともいわれている。 封鎖(GCQ)の延長は当面、継続されるであろうし、PRA関連の業務もほとんどないし、学校もオンラインで、あえて自宅に留まる理由はない。そのため、規制が緩和されて移動が可能になったらビコール地方の農場ないし今年ジェーン一家が買い求めたタガイタイの別宅に疎開する話が持ち上がっている。疎開にはビコールの農場ではなくて、タガイタイが手ごろだが、今年の2月に買ってコロナ封鎖で訪れることができず、半年間ほっておいたので、そのためのインフラ整備が必要だ。そのため、インターネットとケーブルTVの設置について検討を始めた。 前に、この家に住んでいた日本の方の勧めで、インターネットはPLDT、これはケーブルTVと固定電話がセットで月々3099ペソ、100Mbpsで十分だあろうとのこと。一方、日本のTVはNHK Worldの英語放送のみということなので、別途日本のTVが視聴できるインターネットTVの取り付けを勧められた。調べてみたが、いろいろあって何がなんだかわからない。そこで勧められたのがチャンネルボックスとかいうもので、価格的には一年前払いで1000ペソ/月(3ヶ月6ヶ月前払いもあるが、少々割高になる)、無料お試し視聴が一週間とリーゾナブルで、即決した。私にとってはNHKさえ見れれば十分なのだ。 タガイタイに疎開するのを待たないで、自宅軟禁で時間をもてあましている今こそ、必要だとおもい、早速問い合わせて、とりあえず、マカティに自宅にとりつけることにした。しかし、我が家のGlobe Wifiは3階ではシグナルが弱く、Globe のAt Home Wifiを別途購入してサブに使っているが、それで最低10Mbpsが必要とされる インターネットTVが見れるかどうか不安があった。チャンネルボックスの業者に問い合わせてみても、???だという。いずれはタガイタイで100Mbpsをいれるのだから、多少問題あっても良かろうと取り付けを依頼した。そうしたら、即日にでも取り付けに来るという。さすが日本の業者(聞いてみると実は韓国らしいが)、やることが早い、あるいはよほど暇なのだろうか。後日わかったことだが、PrepaidのAt Home Wifiで問題なのはデータ量に制限があって、例え1ヶ月のプランを申し込んでもデータ量の上限に達すると見れなくなってしまうことだ。一体、上限がどれだけのデータ量か、どれだけ使用するのかわからないので、むやみにTVをつけておくわけにはいかないようだ(一週間使えるものが6日、あるいは4日程度で使えなくなってしまうことあるが、これはどうもデータ量の制限に達したためらしい。一方、PLDTのプランはデータ量の上限が無いのかどうか、確認する必要がある。 […]

インターネットTVを設置しました 2020年11月2日