Monthly Archives: March 2020


マニラ封鎖が始まって2週間、自宅にこもって、ひたすらテレビとインターネットで新型コロナのニュースを追っている毎日だ。封鎖といっても 食べるものさえあって、 風邪でも引いて寝込んでいるのだと思えば、 さほどなことでもない。テレビやインターネットのニュースで世界中が同様な状況にあると知れば、じたばたしても始まらないし、焦ることもない。イランや北朝鮮の経済封鎖といっても、そこに住んでいるものにとっては、きっと単なる日常にすぎないのだろう。 テレビやインターネット、そして新聞も毎日来て、情報があるということが大きな救いになっている。SNSでメディア以外の情報もはいるということも、物理的に分断・隔離されているとはいえ、平静を保っていられる要因の一つだろう。第2次世界大戦のころのように情報はラジオと新聞だけで、それも政府に捻じ曲げられているものばかりでは、耐え難いものがあったろうと想像される。 封鎖中にもかかわらず、フィリピンもじわじわと感染が広がって、キアンの主治医が感染したとか、賃貸の世話をしている高級コンドミニアムから感染者が出たとか、身近なところで感染者が出はじめている。日本でも志村とか藤浪とか、有名人が感染したとニュースが流れているが、こんな私的なことまでニュースになるのは有名人の辛いところだろう。 東京も封鎖が近いとか噂が流れているが、すでにマニラがそうであるように、封鎖されると人々は家に閉じこもり、食べることと医療以外、すべての社会・経済活動を禁止される。そうなると、航空、宿泊、飲食、交通、娯楽等のサービス業界は売り上げがなくなり、日銭で生活している人々は収入の糧を失い、食うこともかなわなくなる。 マニラも1ヶ月ということで封鎖が開始されたが、世界的に感染のピークはまだまだで、あと2週間で解除されるとは考え難い。この状況が長く続くと、経済的打撃は計り知れないものになるだろう。そのため、世界各国の首脳は、庶民の危惧を払拭しようとポスト・新型コロナの経済政策の発表に余念がない。逆に言えば、彼らはポスト・新型コロナの世界経済を非常に悲観的に見ているのだ。 1900年代初頭に世界を飲み込んだスペイン風邪では 数億人が罹患し4000万人が亡くなくなったといわれるが、その対策は、水際対策、飛沫予防そして隔離が主なものだった。そして、多数の人が罹患して、免疫を獲得してようやく収束に向ったそうだが、未知の自然相手では、人間が生物として備えている免疫というシステムに頼るしかないのだ。 現在、人類はワクチンという近代兵器を獲得してウイルスとの戦いに勝利してきた。しかし有効なワクチンがない新型コロナの対策はスペイン風邪と代わりがなく、現代医学もたちうちできない。ワクチンの開発には少なくとも一年は必要だそうで、1ヶ月やそこいらで今の状況を抜け出せるとは思えない。したがって、各国の首脳が描いている経済対策が必須のものとなるのだろう。 新型コロナ戦争が人為的なものなのか、事故なのか、あるいは自然災害なのか諸説あるが、無差別的に世界中を巻き込んで人類を分断・隔離している状況は神がかり的であり、過去人類が繰り返し経験してきた人類存続の危機であるとさえ言える。地球温暖化が地球の危機として取り沙汰され続けてきたが、とんだ伏兵が出てきたもので、中近東の局地戦などは人類のままごとにさえ映る。 いずれ新型コロナも克服されるときが来るだろうが、そのとき、戦後経済はどうなるのだろう。人と人との交流・接触による社会・経済活動に懲りた人類は、実体経済を捨てて、現在、社会・経済活動の主流になりつつあるサイバー空間での活動に傾注するだろう。すなわちGAFA(Google, Apple, Face Book, […]

新型コロナは新型世界大戦なのか2020年3月29日


1
本日、2020年3月15日、コロナウイルスの感染防止策として、マニラ首都圏の封鎖(Lock Down)がスタートする。このようなことは前代未聞の出来事で、世界中がパニックに陥っており、聖域だと思っていた南国ーフィリピンも例外ではなかった。マニラ首都圏への空路、陸路、海路による出入の禁止、学級閉鎖はもとより行政機関の機能停止、イベント等の禁止、夜間外出禁止など、徹底したもので、4月13日の解除までの一ヶ月間、庶民はひたすら耐えるしかないようだ。さらに感染国(日本を含むかどうかは現時点では未確定)からの入国についても制限するというものでフィリピンそのものの封鎖とも言える。 外国人の退職ビザのお手伝いをするという商売柄、外国人の入国制限、マニラ首都圏の封鎖、行政機関の機能停止という状況は、私にとって、まさに死活問題である。当面、全ての活動が凍結されることになってしまったわけだが、今日に至る経緯を振り返ってみた。 年末年始の馬鹿騒ぎが終わると、すぐに私の誕生日(1月11日)がやってくる。73歳になってしまって、引退を強く意識せざるをえないが、後継者がいないので、何とかしないといけないと悩む今日この頃だ。そして、2年間の長きわたって決着のつかなかったタガイタイの住宅の販売支援で、ついに契約の詰めに到り、翌12日、タガイタイに赴いた。その帰り、危うく巻き込まれるところだったのがタアル火山の噴火だ。それから、月末まで、新聞は連日噴火の記事でにぎわった。 タアル火山の記事が下火になってコロナ・ウイルスの記事が一面をにぎわせはじめた矢先のことだ。2月3日、日本人の退職ビザの申請をしている最中にPRAスタッフがざわついて、「PRAトップからの指示で、すべての申請者はクワランティン(検疫)からコロナウイルス感染が陰性であるという証明書をもらってこなければ申請を受け付けない」というのだ。PRA通達(1)参照 そして、翌日、さらに別のアメリカ人申請者とともにクワランティンに向おうとしている矢先、PRAのスタッフから電話があって、新たに通達が出て、「中国、香港、マカオ経由でフィリピンに来た申請者のみ、申請拒否の対象とする」、と訂正されたと告げられた。これで一安心と、ほっと胸をなでおろした。PRA通達(2)参照。まさに朝令暮改も甚だしいところだが、国家の中枢がどう対処していいのかわからず混乱しているためであろうということで仕方が無いことであろう。 中国、香港、マカオ経由での入国は制限され、さらに台湾が含まれるとか含まれないとか、当方としては中国からの申請者が激減して、返ってスムーズに手続きが進んでありがたい、などと気楽に構えていた。 日本ではクルーズ船がどうとか、北海道で感染者が急増とか、話題になっていたが、フィリピンでは帰国者の数人に感染者が出たくらいで、所詮インフルエンザと同類の新型コロナ肺炎も南国では自然消滅するものとたかを括っていた。しかし、韓国、イタリア、イランなどの国で感染者が急増しているという状況で、世界的に警戒心が強まって、3月になって、当方の業務にも多大なる影響を及ぼすことになった。 3月9日の週から事態があわただしく展開していった。10日(火)から週末まで、学級閉鎖で、キアンが学校に行かない。つい先日、日本でも全国的に学級閉鎖となっていたが、何でマニラでと違和感を覚えた。 子供達がモールなどを訪れてはいけないというお達しがでているというので11日(水)のピアノ教室も欠席、さらに、この週末にはマニラ首都圏が封鎖されるかもしれないという噂を耳にして、息子の恵之一家は嫁の実家(マニラ北方100km)に避難した。一方、ママ・ジェーンは水と食料の買い出しに走った。2月初めに申請した件の日本人とアメリカ人のビザは12日(木)までになんとか発行にこぎつけて難を逃れた。 そして12日(木)未明の大統領の「マニラ首都圏封鎖」の発令にいたった。これを知ったのは翌朝のフィリピン大使館からの情報( 緊急大使館情報その11(3.13) )で、すべての行政機関は機能停止するというただならぬ情報だった。 13日(金)早朝、まさに申請を直前に控えていた退職者の一家と一緒にPRAに赴いた。前日の通達によると申請は郵送で受け付けるというものだったが(PRA通達(3))参照)「これは12日未明の大統領の発令前にはっこうされたもので、変更される と思うが、どう変更されるかわからない」というので、当方としてもどうしたものか思案のしようもない。 […]

コロナウイルスでマニラ首都圏が封鎖(Lock Down)2020年3月15日、17日、21日追記