Monthly Archives: July 2019


時がたつと世相も変化してブログの話題にことかかない。ドテルテ旋風は相変わらず吹き荒れて、これでもかこれでもかと新規法案を可決・署名して、当方としては右往左往させられる。一方、一世を風靡したFace Bookも個人情報の流出で史上最大のペナルティを課せられるなど、かげりが見え始めている。そして最近、街を走っていて目立つのがバイクタクシーのアンカス(Angkas)だ。 今までの公共の陸上交通機関といえば、大きいものから電車、バス、ジープニー、UVサービス、タクシーないしグラブ、トライシクル(3輪オートバイ)、そしてパジャック(3輪自転車)とすべて客用の座席のあるもので、二輪車の相乗りは許可されていなかった。ちなみに庶民の足であるトライシクルやパジャックはマカティなどの都心部では交通渋滞の元凶と乗り入れが許可されていないので、渋滞で車が動かない時は歩くしかなかった。 そしてここ数年、目立ち始めたのが自家用モーターバイクだ。渋滞に対する対抗手段として庶民が手にしたのが自家用のバイクで、車の間をすり抜けてグネグネと走り、反対車線もくそくらえ、車の寸前を横切るバイクは運転手泣かせだ。交差点ではバイクが前列を占め、信号が変わると0-400加速のレースさながらの勢いで爆走する。 一時一世を風靡したグラブ・タクシーも一般のタクシーと同様、ラッシュアワーには来てもらえないことが多く、その利便性にかげりが見え始めた。そこで登場したのがアンカス・バイクタクシーだ。渋滞をもろともしないバイクだから、すぐに飛んできてもらえる。都心の街を走るバイクの半数がアンカスではないかと思えるほどの隆盛を極めている。 ちなみにアンカスを公共交通機関と認める法案が可決されたのが今年の2月、試験運用が6月開始、そして現在一口に3万台とも言われるバイクタクシーがマニラとセブの首都圏で運営されている。たしかに事業資金はタクシーの10分の一程度、渋滞にも強くて排出ガスもはるかに少ない。タクシーに乗ったとしてもほとんどが一人で利用するのだから、まさに良いこと尽くめの庶民の味方だ。 運賃はタクシーの半分程度で一日に2000ペソ程度の上がりがあって、ガソリンや車両代を差し引くと700ペソ程度の手取りになるそうだ。月に15000~20000ペソの手取りで悪くない仕事だ。まさに渋滞に対する庶民の対抗手段のエースで、ビルドandビルドと道路を作るだけが能ではなくて、規制緩和が肝心なのだ。

アンカス・バイクタクシーの隆盛 2019年7月28日


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スーパーや薬局でレジ待ちをしていると、お年寄りが、なにやら手帳を取り出してレジ係ともたもたしていて、苛立たされる。これはシニアシチズンの割引( 5%~20%)を受けようとしているもので、60歳以上のフィリピン人に与えられる特典だ。レストランや医者、映画館でも10~20%の割引がある。中にはキアンの好物のシュウマイ(一皿35ペソ)を買うのに、この伝家の宝刀を使うお年よりもいて驚くこともある。 10年ほど前、PRAでもSRRVを保持している退職者にこのシニアシチズン・カード与えるべく画策したが、時のマカティ市長のビナイに拒否された。その代わりにブルーカードという自動車のカラーコーディング(末尾番号により週に一度車が使えない制度)免除のカードをもらうことができた。私にとっては業務上、大変重宝しているが、これもシニアシチズンシップの特典の一部だ(これに税金が絡まないのでOKだったのだろう)。 ただし、最近はブルーカードでもレストランで割引が受けられ、準シニアシチズンの恩恵はあずかっていたが、使いすぎでカードは、もはやぼろぼろだ。 先日、とある退職者の方から、シニアシチズンカードを手に入れて大喜びとのメールがとどいた。地方によってはうまく市役所とかけあってシニアシチズンカードを手に入れている退職者もいる。それが一般的ルールとして、外国人のシニアでSRRVなどのビザを持っている者は誰でも取得できるというのである。これは是非我が身でまず、確かめようと決意した。 ・5月の夏休みは3週間ほどビコールの農場で過ごしたが、インターネットもろくすっぽ使えず、昼間の海水浴やSMに行くこと以外はやることが無いので、このシニアシチズンカードの取得にチャレンジした。ママ・ジェーンの兄嫁のノーマにアクションしてもらったが、彼らはおばあさんやおじいさんのシニアシチズンシップの申請でなれているはずだ。 私自身、そこに2003年以来、ここに居を構えているので、バランガイから居住証明を取得するのは簡単だ。それに1x1の写真、CTC(Community Tax Certificate、地方税の納税証明)それにパスポートとPRAのIDカードで準備万端だ。 2回ほど市役所に赴いたが、ただ座って待っているだけ、そして数日後、見事にシニアシチズン・カードが発行されたのだ。というわけでフィリピン在住の60歳以上の退職者は是非チャレンジして欲しい。周囲の気の効いた フィリピン人なら誰でも経験があるだろうから、面倒を見てくれるはずだ。ノーマにお礼に1000ペソ、弾んだら大喜びしてくれた。

あこがれのシニアシチズンシップを、外国人も享受可能に 2019年7月21日



最近、とみにマニラ新聞の一面をにぎわせているのが、AEP(Alien Employment Permit、就労許可証)の話題だ。7月12日 新たに「無異議証明」の取得義務付け 「データベースで一元管理も」、7月14日「入国前の取得の選択も促す」規則明確化で「言い訳なし」に、とますますAEP取得の義務付けを厳格化する方向だ。 これは、大量の中国人が観光ビザで入国して、AEPを取得しないで、そのままオンライ・カジノや建設現場など 不法就労をしていて、逮捕・収監・本国送還という事態が頻発しているためだ。 そんな折、あおりを食らっているのが、退職ビザを取得して、働いている、ないし働こうかとしている日本人だ(私もその一人だが)。AEPを取り巻く環境が激変して、一体どんなプロセスを経てAEPが発行されるのか右往左往させられ、まるで暗中模索の状態だ。 さらに、 個人的に自宅で日本から仕事を請けて働いている日本人だ。従来はAEPを取らなくても、フィリピンで給与をもらっているわけでもないから、大丈夫だろうと考えて、多くの方が、自宅で密かに業務にいそしんでいる。 しかし、昨今の新聞紙上をにぎわせている逮捕・収監・本国送還・AEP取得の厳格化・言い訳なし、などという言葉を見ると 「果たして自分は不法就労なのだろうか」と、不安になる。かといって会社勤めをしていないのでAEPも申請できない、しかし、現に仕事をして収入を得ているのだから立派に就労しており、納税義務もある。なんとも悩ましい状況だ。 参照ブログフィリピンで就労する時は、就労許可証(AEP)が不可欠 2018年7月12日 そんなわけで、DOLE(Department of Labor and […]

OPC(One Person Corporation、一人会社)は不法就労の救いの神になるか 2019年7月21日


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日本で作成された無犯罪証明書などの公文書は、外務省の公印確認を経てフィリピン大使館で領事認証を受ける必要があった。いわゆるレッドリボンというやつだが、それが5月14日から不要になった。これは、ビザの申請、婚姻など、外国人がフィリピンで行なう諸手続きにおいて、いわば画期的なできごとなのだが。 5月、休暇を満喫している最中にSRRV申請の準備をしている方から、無犯罪証明書を外務省に持って行ったら、「公印確認はできない、代わりにアポスティーユを発行する。その後、レッドリボン(フィリピン領事認証)が必要かどうか、多分必要ななくなったのだと思うが、提出先に聞いて欲しい」といわれたが、どうしたらいいのか、と問い合わせがあった。 注: アポスティーユ とは、ハーグ国際私法会議で締結された外国公文書の認証を不要とする条約が定めているもので、駐日領事(フィリピン大使館)による認証に代わり公文書に外務省、公証人役場等が実施する付箋による証明のこと。 いつもならすぐにPRAに飛んで行って情報を集めるのだが、休暇中とあってそれもかなわない。しかも休暇あけにデンゲに罹患して寝込んでしまい、いかんともし難い状況に陥ってしまった。 休暇あけにふらふらしながらPRAに行ってヒアリングすると、確かにレッドリボンはもはや必要なくなった、アポスティーユがあれば問題ないとのこと。しかし、別の退職者はすでにフィリピンに来ていて、従来どおり無犯罪証明書を日本大使館で認証(印章証明)してもらおうとしている。大使館の認証も従来どおり受け付けてもらえるのかという質問に、PRAの担当者もよくわからない様子で、「多分大丈夫」と頼りない返事だ。一方、大使館でヒアリングしてみるとアポスティーユは日本大使館ではできない、ただし印章証明は従来どおり行なうとのこと。それが受け付けられるか、提出先(PRA)に聞いてほしいとのこと。これで当面は大丈夫そうだ。 しかし、6月24日、マーケッター会議においてPRAから重要な発表があった。それは、「従来の日本大使館で認証(印章証明)された、あるいは発行された書類は2019年9月1日以降受け取らない」というのだ。 PRAの担当者は、すべての提出書類(無犯罪証明書、戸籍謄本、年金証書)について日本の外務省でアポスティーユをもらってくれば問題ないではないかと気楽にいう。 しかし、無犯罪証明書は英語でも書かれているので問題ないが、戸籍謄本や年金証書は日本語だけなので、英語の翻訳をつけて、アポスティーユを取らなければならない。従来、これらの文書の翻訳と大使館/比外務省認証は、ほとんど当方が行ってきたが、翻訳文書が日本でどのように扱われるか、定かでない。 そこで外務省にホームページを隅から隅まで細かく調べてみると、さらっと、翻訳文書付きの公文書は私文書扱いになると書かれている。因みに私文書は、まずは公証役場で公証して、それから法務局経由で外務省へ持ち込まなければならない。公証役場などには、ほとんどの人が行ったことがないし、そのコストと手間と精神的苦痛は計り知れないものがあり、退職ビザ申請をギブアップさせるに十分な代物ものだ。参照:https://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/page22_000609.html このことは何も退職ビザの申請に限ったことではなくて、フィリピン人との婚姻手続き、各種長期ビザの申請、相続手続き、等々あらゆる局面で日本人の身分証明(出生、婚姻、死亡、独身証明)など、日本大使館発行の証明書が受け付けられないということになり、著しい支障になると考えられる。 10年ほど前に、従来、NBIクリアランス(フィリピンの無犯罪証明書)で退職ビザが取得できたものが、日本から無犯罪証明書を取得して、しかもフィリピン大使館でレッドリボンを取得して来いというお触れがPRAからでた。東京と大阪の2箇所しかないフィリピン領事館からレッドリボンをもらうには、外務省も含めて、3回通う必要があり、地方在住の申請者には過酷な要求だった(現在は郵送で受け付けているが)。そこで日本大使館とPRAに働きかけて、フィリピンでも認証ができるようにしたのだが、そんな事態の再来といえる。 話題になっている麻薬戦争やインフラ投資などにとどまらず、相続における税務署の納税証明書/登録許可証の廃止(TRAIN LAW)、一人会社の創立(会社法の改正、別途報告予定)、ネガティブリスト(外国投資の制限)の緩和など、いまだ80%台の高支持率を維持するドテルテ大統領の指導の下、立て続けの行政改革は目を見張るものがある。しかし、その余波が当方には、とんだ災難として舞い込んでしまった。 […]

レッドリボンが不要になった 2019年7月14日



7月5日、PRAのパーティーと言えば、物心ついた頃から欠かさず参加しているキアンが首を長くして待っていたPRA創立記念パーティがついに挙行された。会場はいつものPICC(Philippine International Convention Center)なので、迷うこともない。 4時半に家を出発すると宣言したにもかかわらず、いつものことながらクッキーのミルクの準備やジェーンのお化粧にてまどって、結局5時半に出発の運びとなった。この時間はラッシュアワーで6時から始まるパーティーに間に合うどころの話ではない。 そこで議論になったのがどの道を通れば渋滞に巻き込まれないかだ。ママ・ジェーンはビトクルス・マラテを通って最短距離を主張、運転役のアランはブエンディ通りの正攻法、私はスカイウエイを通って空港経由の大回りを主張した。 いつも彼らの意見を入れて苦い目を見ている私は、この際、特権を発揮してスカイウエイ経由をごり押しした。途中さほどの渋滞は無いものの何しろ3倍近い距離なので、さすがに遠いと、二人がぶーたれること仕切り。しかし、到着してみるとまだ6時5分で、ほとんど開始時間に到着することができた。私の得意振りに彼らはしかとしていた。

第34回PRA創立記念パーティー挙行 2019年7月14日