Monthly Archives: July 2017


日本に行くことが決まって一番の悩みはいかにキアンの了解を取ることだった。ほとんど毎日、出迎えと塾や習い事に連れて行って、週、二回外で食事を取ることがキアンにとって無上の喜びだ。それが一週間無しとなると、キアンがどんな反応を示すか、想像が出来なかった。話をしてみると、キアンの関心事は私がフィリピンに帰ってくるのか、ということで、そうであれば行ってもいいと、なかなか分別がついてきたようだ。かつては、ほんの2~3日の留守でも大泣きしてしまったのとは大違いだ。その代わりに出発の前日の土曜は、10時からはじまるピアノのレッスン以降、夜まで私と外で一緒にすごすことを許され、さらに一緒に寝ることにまでなった。 一直線で上に向かう飛行機雲、キアンもこのようにまっすぐ伸びて欲しいものだ ピアノのレッスンの後は、お気に入りの樹海でランチ、注文はお決まりのエビフライ定食。そしてロックウエルの銀行で用を足した後、ドリーム・プレイに向かった。キアンにとっては最高の遊び場だが、二人で1700ぺソ近いお金は日本の水族館やスカイツリーと一緒だ。ドリームプレイで夕方まで過ごし、再び、マカティスクエアの樹海で夕食、さすがにことの時は焼肉定食を注文した。 ドリームプレイでご機嫌のキアン 何も知らないクッキーは口をとがらすしぐさをするようになった 出発は午後なので、午前中はキアンと過ごした。その時、なにも思ったのかキアンが文書をしたため、一週間後には戻ってくるとの確約書を渡された。キアンにとってはこのまま私がいなくなるのではないかという不安が払拭できないらしい。 キアンの書いた確約書、上の日付は私が書いた帰国までのカレンダー   皆で空港まで送ってくれたが、キアンはいつまでも窓から私を見送っていた。この後、離陸まで数十回のメールのやり取りがあった 私にとっては一週間という時はあっという間に過ぎてしまったが、キアンにとっては長かったらしくて、私の部屋でテレビを見たり、私の席のとなりで食事を取ったり、常に私の存在を感じながらすごしていたそうだ。 家に帰ってくると、クッキーがお座りができるようになっていた  

キアンとの契約 2017年7月31日 


最近、羽田発のマニラ直行便がフィリピン航空が2便、全日空が一便、飛んでいるのでかねてから試してみたいと思っていた。全日空はターミナル3を使うので、マカティからは10分そこそこでいける。それに羽田空港には自宅から京浜急行一本でいけるのですこぶるアクセスが良い。全日空なら往復の時間帯もすこぶる良い。ちなみに行きの便は、マニラ発1440、羽田着が2000、帰りの便は、羽田発0945、マニラ着が1330で文句なしだ。 羽田に到着して、早速京浜急行の乗り場に行くと、なんと羽田空港発新逗子行き急行が乗り換え無しで金沢文庫の手前、能見台まで乗り換え無しでいけるではないか。しかも一時間もかからず、日曜のせいかがらがらで座っていける。こうなったら、今後帰国する時は羽田しかないと心に誓った。能見台について帰りの時刻表を見ると、始発の直行が6時26分で9時45分発にはゆうゆう、しかもそれ以降10分おきに出ている。ターミナル3はマカティから15分程度だし、にわかに、日本が近くなった気がしてきた。 京急、能見台駅の時刻表、羽田へのアクセスは抜群だ  兄弟会は千葉の我孫子(常磐線)の長兄の家に行かなければならない。これがまたいくつも電車を乗り換えなければならないので、一苦労する。息子の嫁さんの情報では横浜で京急から東海道に乗り換えれば上野まで直行でいけるというが、東海道線は東京どまりで上野までは行かないはずだ。そこで、電車に乗ってから路線図をよく見てみると、なんと、湘南新宿ラインのように上野東京ラインというものができていて、品川から我孫子まで乗り換え無しでいけるのだ(まるで異業種の連係プレーのような雰囲気だ)。そうなると、帰りは我孫子で上野東京ラインに乗って品川まで行って、そこで京急に乗り換えれば、あとは一本だ(上大岡で普通に乗り換える必要があるが)。これまた、長兄の家が近くなったものだと関心しきりだ。 マニラ首都圏にはLRT、MRT、LRT2、それにPNRの4本しか走っていないが、東京には上記のほかに地下鉄が網の目のように走っている。同じ1000万人の大都会といえど数十年の時の差を感じる いよいよマニラへの帰還の日を迎えた。始発の6時26分にのれば、一直線で羽田にいけるのでなんとも気楽だ。帰りは待ち時間があるのでつぶさに40年ぶりの羽田空港を観察するつもりだ。  京急羽田駅からの上りのエスカレーターに感心 まるで膜を張ったような天井は一体どうやって支えているのだろうか 出発ロビーから上に行ってみると日本橋や江戸の街並みを再現して観光日本をアピールしている 朝が早いので人通りは少ないが、外国人観光客は興味深々だろう 本屋さんでは我が「金無し、コネなし、フィリピン暮らし」発見 映画を見ている間にマニラに到着。最新鋭のターミナル3がなぜかみすぼらしく感じる。空港スカイウエイが完成したせいか、定額制のクーポンタクシー、空港専用のイエロータクシーのほか、格安のバス(20ペソ)や普通のメータータクシーなど、街に向かう交通手段にはかなりの選択肢がある。その成果、ターミナル1やターミナル3で活躍する空港職員によりタクシーの呼び込みは姿を消していた。親切そうな彼らの後をついていくとマカティまで2000ペソなどというとんでもない価格を吹っかけてくるの、決して相手にしないことだ。 退職ビザを持っていると右端のDiplomatのブースが使えて並ばずに入国審査ができる 多くのイエロータクシーも客待ちしている 一般のタクシーも客待ちを許されているが、マカティまで150ペソ程度で行ける […]

40年ぶりの羽田空港とターミナル3 2017年7月31日



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日本へ帰るとなるとお土産がかかせない。フィリピンからのお土産はドライ・マンゴ位しか思いつかないが、2年前の帰郷の時にブームとなっていたバージン・ココナッツ・オイルが嫁さんたちに大いにうけたので今回もそれで行くことにした。しかし、液体であるだけに重いのが欠点だ。1リットル入りを4本、500ccを7本、兄弟が多いのでかなりの本数になってしまったが、カバンが持ち上げられないくらいの重さ(約19kg)で預け入れ荷物の上限ぎりぎりだった。(ちなみに預け入れ荷物は一個当たり20kgまで、2個まで預けることができる) 最近キアンが凝っている和食レストラン「樹海」と併設されている日本・韓国食材店の在庫をほとんだ買い占めてしまった さらに兄弟会や古希の祝いでは、この4月に改訂3版が発行された拙著「金無し、コネなし、フィリピン暮らし」を配ることにした。実を言うとマニラで事務所を訪れる方々が、少なからず、分けて欲しいと希望されるので、事前に20冊購入してもらい、持って帰ろうと思っていたのだ。しかし、20冊を目の前にして、その重さに驚いて、兄弟や息子に配ってしまおうと思い立ったのだ。 アマゾンなどのインターネットショッピングで購入したがその重量にびっくり 家に戻って、女房がお酒が届いていると話していた。そういえば、親しくしているフィリピン子育てママがお酒を送ると話していた。桐の箱を開けてみてびっくりしたのが、祝古希 和民 xx家一同 とラベルに印刷してあったのだ。初めはワタミ(和民)ブランドのお酒かと思ってみたが、どうもギフト用の特注品らしい。しかも、誕生当日(昭和22年1月11日)の読売新聞のコピーがついているという凝りようだ。このママさんは、情報通で名が通っているが、これまた、感激の一品だ。 焼酎は血糖値を下げるというので、よくオンザロックで飲むのだが、もったいなくてちょっと封を切る気にはなれない 昭和22年1月11日といえば、戦後間もないころだが、掲載されている記事の見出しは現在のものと大差がないようだ 次に、三男の嫁さんの実家からいただいたのが名前入りの壁掛け時計だ。かずたみがかづたみとなっているが、わざとそうしたらしい。たしかにかずたみよりしゃれている。これを壁にかけて、次は77を目指そうかなどという気になってくる。 これも特注の壁掛け時計、喜寿の祝いまで使い続けるつもりだ 息子達のギフトはカメラだった。防水、耐ショック、防塵のヘビーデューティの携帯デジカメだ。現在、使用中のカシオのカメラと同じタイプだが、いよいよ限界に近づいてきたので、物色中だったのを知ってプレゼントしてくれたようだ。私にとってはカメラは商売道具で、常に持ち歩いて、フィリピンの情景を撮影するのが仕事の一部だ。今までのカシオのカメラに比べて高性能だけに、ちょっと使い勝手が複雑で、少々重いのが難点だが、現状ではこのカメラがベストチョイスだろう。大型の一眼レフは使わないのかと聞かれたが、常に持ち歩くためにはポシェットに入らなければ無理だ。このカメラの作品が「金無し、コネなし、フィリピン暮らし」の改訂4版に掲載される日が果たしてくるかどうかだ。 オリンパスの同タイプ、Stylus TG-4 Toughと競い合ったがニコン COOLPIX AW130に軍配があがった 10年近く使い続けたカシオ、キアンが赤ちゃんの頃、床に何度も落としてこんな姿になってしまった。このカメラの後継機種がないのが残念だ […]

古希の祝いとフィリピンのおみやげ 2017年7月31日


還暦(60歳)をとうに越して、いよいよ古希(70歳)を迎えてしまった。古希の祝いに帰ってこないかとの誘いに、老骨に鞭を打って一週間の旅を決行した。正直な話、貧乏暇なしというのが本音で、客商売をほとんど一人で切り回している関係上、なかなか時間と金の都合が付かないのだ。 初日の曜日は家で、うだうだしていたが、二日目、火曜日は、三男の嫁と孫二人を連れて、あこがれのスカイ・ツリーに行ってみた。いまさらどこに行きたいということはないのだが、タワーとしては世界一高いスカイ・ツリーだけは興味があった。帰国するたびに成田からの道のりで電車から建設の進捗を毎回眺めていたこともある。 スカイツリーは後回しにして、まずは併設されている「すみだ水族館」に立ち寄った。最近、テレビでも紹介されたので、是非にということだった。この水族館はあたらしいだけあって、魚と水槽がモダンに配置されていて、生き物というよりもコンピューター・グラフィックを見ているような気がした。若いときに金魚に凝った時期があったので、さすがプロは違うと感慨にふけった。しかし2050円の入場料はきついものがある。 見事なあずま錦が泳ぐ様はまさに人間がつくった造形だ 丹頂もこれだけ集まると絵になる  次にスカイツリーに行ってみると、平日のせいか、ほとんど人はいないのだが、列を作るための広大なスペースが広がっている。きっとエレベーターのチケットを買うのに休日なら数時間、並ばなければならないのだろう。その中で、シニアが座って待てる場所があって、好感を覚えた。 フィリピンでは、シニアは、どこでも並ばず、割引ありの恩恵にあずかることができるが、日本でようやくシニアという文字にめぐり合うことができた  一人2060円も払ったエレベーターだが、ほんの数分で何の違和感もなく展望デッキに到着した。窓から見る地上はまさに地上を這いつくばる生物を天国からながめるといった感じの平面の世界だった。息子の嫁さんの話によると、先日訪れたとき、息子は、エレベーターのある塔の中心から一歩も離れることができず、ガラス窓から地上を見ることはできなかったそうだ。 正に箱庭というべき平面が続き、ここに大津波が襲ってきたら、という妄想が頭からはなれなかった 子供達は、一体何を思いながらこの非現実的景色を眺めているのだろう  展望デッキの下の階に下りると、床がガラス張りの部分がある。子供達はその上で跳ねて遊んでいたが、私は、どうしてもガラスの上に立つことは出来なかった。実は、私も高所恐怖症なのだ。 孫娘の妹はほとんど私の記憶はないと思うのだが、なぜか私を見つめることが多かった  翌日、水曜日は、孫娘の姉の誕生会で、息子の家を訪問した。4LDKの立派な家だが、30台半ばで低利で購入したものの、娘二人の子育てとローン返済のために馬車馬のように働き、休息することを許されない状況にあるそうだ。 なかなかの飾り付けだ。ちなみに姉が持っている人形は女房の手作りだ  しかし、誕生会が佳境に入りかけたとたん、女房が具合が悪くなり、タクシーで帰宅させざるを得ず、誕生会をあとにせざるを得なかった。しかし、その後、嫁さんのご両親が、私と話をしたいということで、近所の居酒屋、串倶楽部で飲みなおした。 […]

古希の祝いで日本に行ってきました 2017年7月30日



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キアンが公文に通い始めて2年半が経過して、ようやく二桁の引き算が始まったところで壁にぶつかった。たとえば、34-19=15という計算だが、4から9は引けないので十の位から10を借りてきて14-9=5とし、十の位は30から借りた10を引いて20、さらに20から10を引いて10となり、答えは15となる。文章で書くと長ったらしいが、これを頭の中で一瞬のうちに計算して答えを出さなければならないのだが、キアンは借りてきた10を十の位から引くのを忘れる、というミスを繰り返す。また、キアンを教えていてると14-9=5という計算を10、11、12、13、14と唱えてその数字の数を指で数えて5と解を導き出している。どうも二桁マイナス一桁の計算もマスターしていないようで簡単な計算もミスが多い。 公文で勉強に励むキアン こんな調子だから、キアンは公文の宿題をやるのが辛くてたまらない。ママ・ジェーンに怒鳴られながらようやく終わった宿題を私に見せると容赦なくバッテンが続いて脇で見ているキアンは悔し涙を流す。マミーがそう教えたと言い訳するが、私が解き方を教えようとすると耳を貸さない。時にキアンは公文の宿題を隠して、そのキアンもどこにおいたのか忘れてしまい、ママ・ジェーンはキアンをどなりちらす。それでキアンが泣きじゃくると、今度は私がママ・ジェーンに小言をいう。公文は正にキアンにとっての苦悶で、こんなものがなければ家中がこんな大騒ぎをしなくても済むのにと、幼心で宿題を隠すという手段に出るのだろう。 妹のクッキーをあやすキアン 毎週火曜と木曜にはドンボスコスクールが終わってから公文に直行するのだが、これだけは何の文句を言わずに喜々として出かけていく。それは、私が学校で出迎えて、車で一緒にサルセド・ビリッジの塾に連れて行くためだからだ。お腹がすいたといってミニストップでアイスクリームやシューマイを買ってやったり、私に甘え放題だ。 車の中では禁止されているスマホでゲームを楽しむキアン さらに水曜と土曜にピアノのレッスンに私と一緒にいくのものキアンの癒しのひと時だ。先日、ピアノのレッスンの後、ママ・ジェーンのきついお達しもあり、そのまま家に帰ろうとしたら、車の中で30分ほど泣き続けた。「毎週水曜は一緒に外で食事をする約束だったはずだ」と権利を主張してやまない。キアンにとっては私と外で食事をすることが無常の喜びで「家ではマミーがいつも怒鳴るから、外で食事がしたいんだ」と泣き続ける。2歳のころから土曜の昼は外で食事をするのが習慣で5年続いてきたのだから、無理もない。結局その日はママ・ジェーンを説得して、近所のとんかつ屋で夕食を一緒にとった。 ピアノのあとのレストランでの食事を満喫するキアン 食事の直後、土砂降りの雨の中でずぶぬれになった後、疲れ果てて座ったまま居眠りするキアン しかし、小学2年生の算数の標準的学力とは一体どの程度のものなのだろう、日本の小学生にとって二桁の引き算はいつごろから始めるのだろうか。キアンは二桁の引き算に挑戦し始めてから2~3ヶ月なるが、こんなもんなんだろうか。ママ・ジェーンも数字には滅法弱いから遺伝的に数字に弱いDNAを持っているのだろうか、などと考え始めてしまう。そもそもキアンを公文に通わせたのは普通のフィリピーノの数字の弱さに愕然とさせられるものがあるためで、私の傍で育ったキアンだけはそうなってはほしくないという私の切なる思いからだった。しかし、これほどまでに苦労しているとなると、教育の問題よりもDNAなのか、どんなに苦労したところで徒労なのかと思ってしまう。こんな話も後で笑い話になってくれればいいと思うのだが、私の苦悶はまだまだ続きそうだ。  2年生になってからはスクールバスで毎朝6時に登校するキアン   

キアンの公文(=苦悶)はそれでも続けるべきなのか 2017年7月9日


第32回PRA創立記念パーティが盛大に挙行された。昨年の創立記念パーティ及びクリスマスパーティと同じ会場だが、テーブル数が10x5=50脚、各テーブルに12席で合計600人を収容する盛大なもの。パーティも中盤にはいると満席に近い状態で、食事も豊富で、並ぶこともなく皆、満喫していた。 普段、事務所でお相手してくれるPRAスタッフが着飾って受付をしていた 案内役のPRAスタッフと記念撮影 バンドが広大な会場に鳴り響く演奏を披露していた フィリピンではめずらしく、6時きっかりの開演で、プログラムの始まる一時間は大音響のバンド演奏が鳴り響いてとなりの席との会話もままならないほどだった。その間、ミリエンダやアイスティーを提供してもてなしてくれたが、ビールがなかったのがちょっとさびしかった。 会場は世界各国の退職者でにぎわったが、私のテーブルは子連れの若いお母さん方で占められた アグリパイGM以降、さびしいパーティが続いていたが、今年は多くの退職者をむかえ盛大なパーティが復活した キアンはアンリ(Unlimited制限なし)のアイスクリームにご機嫌で10杯ほどお代わりした 7時からはPRAのトップのChy GMの挨拶からお偉いさんの延々たるスピーチが続いて、それが終わるといよいよ食事とプロ歌手のエンターテイメントがはじまったる。 お偉いさんのテーブル、左の人は元入管のトップ、ロドリゲス下院議員。混迷を極める入管に復帰して退職ビザの発行をスムーズにしてほしいところだ 食事が終わってからは、カラオケ大好きのChy GMの独演が始まって、次はダンスタイムだ。ここ数年登場していた孤児院の子供達の踊りはなかったが、きっとGMのお気に召さなかったのだろう。 カラオケ大好きのGMの面目躍如といったところだが、PRAの機能向上にも力をいれて欲しいところだ ダンスフロアーには男女10人ほどのプロのダンサーが踊りのお相手してくれていたが、皆、お年を召していた、ちょっと今一の感があった。しかしキアンは乗り乗りで写真をとりながらもステップをとめることはなかった。キアンのダンスはCIMG0520  をGMのダンスは […]

第32回PRA創立記念パーティ挙行される 2017年7月9日