Monthly Archives: September 2016


1
我が家が(Prime City CondominiumないしPalm Tower)があるマカティ市のサンアントニオ・ビレッジは中間層が暮らす比較的落ち着いた街だが、フィリピン人向けの意外なレストランがある。先日報告した喫喫茶店8065などもその口だが、今回はママ・ジェーンが情報を聞きつけて、家族全員でものは試しと出かけていった。場所はパソンタモからエステレリア通りを入って、300mほど進んで、そのつきあたりにあるベトナム料理店だ。名前はVINA TRANG、何を意味するのかわからないが、きっとベトナム語だろう。 普通のアパートの駐車場と一階を改造して店にしている 恒例の家族一同記念写真  ベトナム料理とはどんな料理なのかと期待する面々  メニューはスープ麺が中心で200ペソ前後(一人分)、必ずしも安くない。それに、ソフトドリンクは置いてなくて、自家製のフレッシュジュースがトマト、ニンジンなど、それに紅茶やコーヒーなどが80ペソ程度、かなりの健康志向の店だ。 日本レストランのメニューはあまりに種類が多くて逆に選びようがないが、ここはほどほどだ キアンが注文したのはローストチキン、ライスとチキンがあればご機嫌のキアンは毎日来たいという 一見、うどんやそば、あるいはきしめんのような感じだが、麺の量は少なくて、逆に生の野菜がたくさん入っている。スープの味はあっさりしていて、若者にはちょっと物足りないかも知れない。しかし、逆に飽食を皮肉るような料理ともいえ、ベトナム人はこんな質素でヘルシーな食事を摂っているからこそ、世界で唯一アメリカとの戦争で勝利したという名誉を獲得することが出来たのだろう。 あっさり味にスープに肉や生野菜の具がたっぷり、糖尿病の気のある私には丁度よい 生春巻きの中身はほとんど生野菜、とても健康的だ。一方、あげた春巻きの中身はひき肉で、キアンのお気に入りだ 会計は全部で約1400ペソ、一人あたり200ペソ、日本食を食べに行ったら、倍はかたいだろう。この程度の値段でかつメニューもかんたんな日本の家庭料理を出すような店ができたらありがたいのだが。最もここ、Palm […]

ベトナム料理を満喫 2016年9月18日


先日、ブログ「ドテルテ効果の逆効果」でも報告したが、退職ビザの発行が大幅に遅れている。7月28日に申請した方のビザがいまだに(9月16日現在)発行されていない。実に7週間だ。確かに入管の組織変更と承認システムの変更で、入管の承認が降りたのが、PRAから書類が入管に送られてから4週間かかってしまった。実に申請から5週間目にして、ビザ発行の目処がついた。 通常であれば、それから数日でビザが発行され、パスポートが退職者の手元に戻る。しかし、今回は承認書(ORDER)が発行されたという情報を得てから、さらに2週間たっているのに、いつまでたってもビザ発行の準備中というコメントを毎日PRAから聞かされているばかりだ。Implementationと呼ぶ作業だが、 ORDERの発行後、PRAはパスポートにビザのシールを貼って、再度、入管のサインをもらわなければならない。従来はマカティの入管の支所でやっていた が、最近、これも入管の本庁、インタラムロスでやるように変更になっている。こんな状況を退職者の方になんと報告してよいのやら、途方にくれている。 この方はそのままフィリピンに住むつもりなので、確かに発行の期限はない。しかし、申請時に入国ビザを59日間に延長して、まさか、そのビザが切れることはないと思っていたが、9月15日に切れてしまった。PRAはビザが切れてもORDERが発行済みで、法的に退職ビザが有効になっているから、滞在のためのビザは継続されており、問題ないという。しかし、これも入管がビザのシールにサインするとき有効なビザがないと、サインを拒否するという話も聞いているので、眉つばものの気もする。 なぜ、PRAはビザの準備にそれほどまでの時間がかかるのか。以前、PRAの受付の愚痴を聞いたことがある。それは、ビザのシールにサイン(Implementation)は一日に20枚までと入管が制限してきているが、これは、ビザの発行に限らず、ビザの取消、ビザシールの張替え等々、すべてを含むものだ。だから、優先順位が下がるビザの取消、特に発行を急いでいないビザ申請場合などは、後回しになって、いつまでたっても手続きが終わらない。入管としても事情はあるのだろうが、まさにPRAそして退職者を締め上げているだけの冷酷な処置だ。 こんな暴挙をなぜ、PRAが許しておくのだろうか。PRAの担当者レベルは申請者からの突き上げにひたすら耐えるだけで手の打ちようもないだろう。それこそPRAと入管のトップ同士が政治的に解決しなければならない問題だ。PRAの上部機関は観光省であり、一方、入管の上部機関は司法省だが、その辺で話は出来ないものなのだろうか。 ちなみにPRAのトップであるGM(General Manager)はカバンサッグ氏が定年で引退し、現在、不在。さらに元司法長官のデリマ上院議員は自己の麻薬密売への関与と不倫をドテルテ大統領に指摘され、その仕返しに、先日上院の聴聞会において、ドテルテダバオ市長の率いていたとされる処刑団のメンバーと称する男を証人喚問した。この男がドテルテ大統領の超法規的殺人の証言をするなど、どうもフィリピンの政治、行政は、外国人のビザ申請者の不都合などに耳を傾けている暇はなさそうだ。

退職ビザの発行が遅れています 2016年9月18日



最近、松本文夫さんというセブとバギオで英会話学校を経営されている方が訪問された。訪問の目的は今後色々なビジネスをはじめるにあたっての行政手続きの相談、サポート依頼をされたのだが、退職者の英会話学習、あるいはお子さんの英会話学習などにも話が及んだ フィリピンの公用語は英語であり、法律、公的文書、契約書等はすべて英語、学校教育も小学校から国語、社会以外は英語だ。しかも、私立幼稚園や小学校では原則英語以外を使ってはいけない。したがって、KIANも小学校一年で英語がべらべら、一方、国語であるタガログ語はたどたどしい。国民の大多数がそれなりに英語を操り、大学卒業レベルになると、イギリスやアメリカのネイティブに引けをとらない実力を蓄えている人も多い。このことが人口の10%、1000万人が海外で働いているという、まさに世界が彼らの活躍の場なのだ。 ここの大学を出ていれば、大概の人は英会話の先生としても十分やっていく実力を持っている。したがって、フィリピンには英語の先生が無数におり、オンライン英会話スクールや英会話学校が設立ブームになっている。利点は、なんといってもアメリカやイギリスで英語を勉強しようと思ったら、桁違いのお金がかかることだ。ちなみに、英会話学校では月々10万円程度から宿舎、3食、英会話レッスン付の英会話留学を実践することが出来る(一人部屋か2~4人部屋か、レッスン時間などによって、~20万円程度までの幅がある) 退職後の人生をフィリピンで送ろうとしたら、この国の言語、英語を話すことは、豊かで実りのある快適な老後を過ごすためには必須だ。また、放射能汚染を逃れ、お子さんをバイリンガルの国際人に育てようとフィリピン移住を目指すお母さんも多い。そのため、多くの方は退職ビザの発行を待っている間、英会話学校に通う。しかし、感想は今一だ。その方の姿勢もあるだろうが、学校の選択にも問題があるようだ。 実は松本文夫(ミオ)さんは、山本のぶ子さん(山本太郎参議院議員のお母さん)の紹介で、彼女のバギオ、そしてセブでの受講体験で、お墨付きをもらったものだ。私としてもブログで紹介する限りは、自分自身で体験してからという思いがあったが、KIANの面倒でなかなか家を空けることが出来ない。そんなおりミオさんから下記のメールがあった。なかなか有利なオファーなので是非、読者と情報を共有したいと思い、紹介することにした。ご興味のある方は是非、ミオさんに直接コンタクトしてほしい。 志賀 様 先日はお忙しいところ、 お時間おとりいただき大変ありがとうございました。  フィリピンで信頼できる人は非常に少ないのですが、 志賀さんにはとても安心してなんでも相談できます。 ①語学学校紹介について 志賀さんもご多忙によりなかなか学校へ体験入学できないというこ と畏まりました。  既に語学学校を決めている方が多いという現実もうかがいました。 そこで心配な事があります。  […]

英会話学校Storyshareの紹介 2016年9月11日


フィリピンでは今、ドテルテ大統領旋風が巻き起こっている。麻薬撲滅のキャンペーンで2000人以上の麻薬密売人が殺され、60万人の麻薬常習者が自首するという前代未聞の状況となっている。これに対して、ロブレド副大統領をはじめとする政治家や国連が超法規的殺人と非難しているが、大統領は国連の脱退を示唆するなど、強気の構えだ。さらにアキノ前大統領が任命した6000人の高級公務員の辞職を勧告し、国家警察幹部でさえも麻薬密売関与で実名をあげて告発、さらに前司法長官、デリマ現上院議員を不倫と麻薬密売関与で槍玉に挙げている。 こんな状況に政敵、麻薬密売関係者、アブサヤフなどの反政府勢力などは、大統領を標的に巻き返しをはかることは容易に想像でき、大統領が命を張って戦っていることに庶民は拍手喝采だ。一方、9月2日にダバオでの爆弾事件が発生するなど、反大統領勢力が動き始め、大統領も就任3ヶ月目の正念場を迎えているといえる。さらにオバマ大統領の超法規殺人の指摘に対して、ドテルテ大統領はこともあろうに天下のアメリカ大統領のオバマ氏を痛烈に批判した。彼の発言の中身には、スペインそしてアメリカの植民時代にまで話が及び、積年の恨みがこめられていた。そして、フィリピンでは最高級の罵倒語である「Putan Ina mo(お前の母さんは売春婦)」という言葉まで発せられた。これに対し、記者団からは小さな拍手が起こったそうだだが、ここまで発言できる政治家は世界でもまれだろう。 さらに公務員に対しても、役所の手続きを早め、庶民に行列をさせるな、と激を飛ばしているそうだが、大統領としては意図しない役所の手続きの滞りが発生している。下記は、最近の役所の対応に苦慮させられている実例だ。そもそも役人は、ミスを犯さず、無難に仕事をこなし、庶民へのサービス向上などは興味の対象外だから(興味の対象は賄賂くらいのもの)、大統領の号令の真意はどこかへ飛んでいって、大統領の矛先が自分に向かないことだけを考えているのだろう(よく言えば、襟を正すということになるのだろうが)。 実例1;退職ビザの発行が遅れている。最近、発行された事例では、実に5週間かかって、まだ目処が立っていない。昨年までは2週間(10営業日)だったものが今年に入って3~4週間(15~20営業日)となり、それも守ることは出来なくなっている。原因はビザ発行を承認する入管のトップが退職ビザに限らず、すべてのビザを一枚一枚、一人で吟味して、多大な時間がかかっている、というのがPRAの説明だ。確かに間違ったことはしていないが、申請者の都合はかやの外、PRA(退職庁)も商売上がったりであきらめの境地だ。 実例2;外国で作成されたすべての書類は、その国の外務省で公印確認を行い、フィリピン大使館で認証しなければ入管では受け付けない。無犯罪証明書にしてもしかりだが、この認証手続きをフィリピンでも行うことが可能で、まず日本大使館で印章確認を行い、その後比外務省(DFA)で認証してもらう。それを代行するためにSPA(委任状)が必要だが、従来は形だけのもので、日本でサインしてもらったものをフィリピンで公証するという、本来は無効なものでも通っていた。 しかし、今般、このSPAを日本でサインしたのであれば、日本の公証役場で公証し、外務省とフィリピン大使館で認証してこいというのだ。この認証作業が面倒だからフィリピンでやろうというのに、SPAの認証をやるくらいなら無犯罪証明書を日本で認証するのと手間はかわらない。さらに、委任者がフィリピンにいる場合はパスポートにおされた入国印のページのコピーを提出せよとのことで、ごまかしが効かない。これは全く正論だが、退職者の便宜を図ろうとする当方の意図を叩き潰すものだ。 実例3;退職ビザの取得に必要な預託金をDBP(Development Bank of tへPhilippines)に預けてある場合、その退職者が亡くなった場合、従来、PRAに必要書類(通常のビザ取消書類の他に①死亡証明、②遺産分割協議書、③相続人であることの証明書類、④相続人の身分証明書等)を提出するだけで預託金を引き出すことが出来た。他の銀行に預けてある場合、①新聞公告、②銀行預金証明、③相続税の支払いと税務署の証明書(CAR)、④相続のボンドの取得が必要で半年~一年の時間を必要とする。 ある亡くなられた退職者の預託金の引き出しが滞っていた。そして今般、税務署からCARを取得して来いとの指示がPRAからあった。要は、PRAが預かっていた預託金とはいえ、退職者が亡くなって、相続人が受け取るのであればそれは相続税の対象になるというのだ。たしかに正論だ。しかし、退職ビザをとるために強制的に預けさせられた預託金に相続税を課すというのはそもそも退職ビザの趣旨に反するのではないかと納得がいかない。かつてPRA時代の私のボスのマルセロGM代理は、決して相続税を課すようなことは許さないと豪語していた。しかし、この要求はDBPからの要求とのことで、さすが政府系の銀行は役所と発想が同じだ。 実例4;コンドミニアムのタイトル(権利書)の名義を移動するためには、①売買契約と代金の支払い後、②税務署へのキャピタルゲインタックスの支払いと証明書(CAR)の取得、②移転登記税の支払い、③タイトルの名義変更、④納税証明書の名義変更、の手続きが必要で、3~4ヶ月の時間がかかる。 この中で移転登記税の支払いは、税金の支払いだけだから契約書とをCARをもって行って、市役所の納税課で所定の税金(契約金額の0.6~0.8%で市によって税率が異なる)を納めるだけだ。従来はその場で計算して支払うことができた。しかし、今回は税額を聞くだけで3回足を運ばされ、さらに税金の支払い証明に10日ほど時間がかかるというのだ。支払いから証明の取得までたったの一回、その場で済むと思うのだが。こんなことでは民間だったら誰にも相手にされないと思うが、ここでも庶民へのサービスという観点は微塵も見ることはできない。 […]

ドテルテ効果の逆効果 2016年9月4日