Monthly Archives: June 2016


兼ねてから楽しみにしていたうなぎ専門店(うな吉)がオープンした。うわさを聞いてチャンスを狙っていたのだが、偏食のKIANはうなぎなど食べないので、KIANが食べられるメニューがあるかどうかが問題だった。今日、思い切ってカーネル一家を誘ってみたが、KIANを除いて皆、うなぎが大好きとのことでランチを取ることを決定した。場所はパソンタモ、マカティスクエア(リトル東京の隣)の裏側の駐車場に面している、かつて琴乃が営業していたところでカラオケ原宿のすぐ隣だ。 控えめな看板の前でご機嫌なKIAN うな吉のことは二ヶ月ほど前、統一選挙のとき、Fさんに誘われて樹海(テッペン)で食事を取った折、Fさんにうな吉のオーナーを紹介され楽しみにしていたものだ。うなぎの最近の高騰で大分遠ざかっていたものの、うなぎはやはり一番のごちそうだ。そこそこの値段で本格的うなぎを食べたいと願っていた。 店内は簡素だが十分な雰囲気をもっている ランチメニューを見るとうなぎが三種類、極上(1580ペソ)、上(980ペソ)、小(490ペソ)、それにKIANでも食べられそうな鳥から揚げ(380ペソ)もあった。私とカーネルに上、ジェーンとキムに小、それにKIANにはから揚げを注文した。しめて3000ペソ強、まあまあといったところだ。夜のメニューを見るとかなり料理の種類はかなり豊富で、KIANも十分楽しめそうだ。 これはランチメニューだが、夜のメニューはとても充実している やってきた料理を見ると付けあわせが豊富で、なかなかの見ごたえだ。小の方も女性なら十分なボリュームだ。しかし、問題はKIANのから揚げで、スパイスが効いていて、KIANには手を付けることができない。しかし、ご飯を汁に入れたり、しょうゆをかけて食べたりして、それなりに楽しんでいた。 うな重の上、うなぎは勿論だがサラダなどの付けあわせがおいしい 小も女子供には十分なボリュームだ 大人にはおいしいから揚げだがKIANの口にはあわなかった 料理を前にHappy Family そして帰り際、なんとPRAのカバンサッグGMに遭遇、日本通の彼は家族とうなぎを楽しみに来ていた。彼は、フィリピン観光省の代表として日本に駐在していて、娘さんは日本の中学を卒業したそうだ。 PRAのカバンサッグGMに遭遇(右端)

うなぎ専門店(うな吉)がマカティスクエアにオープン 2016年6月26日


6月19日(日)の朝、ランチあるいはディナーのどっちがいいかとママ・ジェーンに聞かれた。怪訝な顔をすると、今日は父の日、だから皆で外で食事をするという。要は、父の日にちなんでご馳走しろということだ。ここのところ、KIAN以外とは、外で食事をする機会が無かったので、二つ返事でOKと返事をした。行き先は決まっていて、モール・オブ・エイシア(MOA)、そこでシャブシャブを食べることに決まっていたようだ。前日、パパ・カーネル、アティ・キム、それにKIANと4人でMOAにでかけて、目星を付けておいたらしい。 MOAの内部は、スケートリンクが移設され大改造中だが内部は人であふれていた。 行ってみるとシャブシャブと言っても、おなじみの天天火鍋と同じ台湾風のシャブシャブだ。マニラ湾面した2階にある店でいわば高級レストラン街の一角にある。早めに行ったので、店内はまばらだったが、出るころには席待ちの客がいるほどの盛況だった。店の名前はHealthy Shabu-Shabu、養生しゃぶしゃぶ鍋、明らかに中国系でシャブシャブの部分におかしな漢字をつかっている。 養生シャブシャブ鍋と銘をうった高級レストランでロックウエルにも支店があるそうだ メニューは肉の種類を牛肉、豚肉、鶏肉、マトン、和牛などから選んで、それにシーフードと野菜の盛り合わせを選ぶ。単品で注文も出来るが、8人あるいは4人セットを選ぶと、肉とシーフィードと野菜のセットが出てくる。もちろん和牛を選ぶと目が飛び出るような値段なので、一番安いローカルビーフを選んだ。 メニューは慣れないと何が出てくるのかわからないのでセットメニューを頼めば無難だ   4人前の牛肉セットを頼んで、3000ペソ弱。アイスティーがついてくるが、かなりの分量で、6人でも食べきれないほどだ。おじやも作ったが、手付かずのまま、かなりの分量をテイクアウトすることになった。特にシーフードと野菜が豊富で、満足度は100%。しかも、6人で3000ペソ弱であれば天天火鍋と大差ない値段だが、お店は高級感があふれ、大人数で食事をするにはもってこいだ。シャブシャブ鍋は小さめのものが一人一人についていて食べやすい。 特にシーフードと野菜がてんこ盛りだ KIANは、ことのほかご機嫌でママ・ジェーンや私にべたべただだった。KIANはシャブシャブといえば、イカボールとヌードルさえあれば十分。他のものには一切手を出さない。しかし、彼の狙いは他にもあった。食事も終盤になるとKIANはしきりに外に出たがる。要は遊びに行きたいのだ。パパ・カーネルとママ・ジェーンを店に残して、アティ・キムと外に出た。もちろん会計係の私は欠かせない。向かったのがタイムゾーン、毎週土曜日、ピアノのレッスンの前に楽しんでいるゲーセン・チェーンだが、さすがにMOAのタイムゾーンは人であふれ、機械の数も多い。        人であふれるタイムゾーンの内部 中は人であふれ、空いている機械を探すのは至難の技と躊躇されたが、KIANそしてアテ・キムまでもが興奮気味で留めることはもはや不可能だった。500ペソを使い切って小一時間ほどでたところで店を出たが、KIANは超ご機嫌。しかもKIANにはもう一つの狙いがあった。  KIANよりもアテ・キムのほうが興奮気味だ 前日、MOA内の自転車屋さんに立ち寄ったKIANは小さい時に遊んだスクーターを発見した。ただしこれは大人でも使える大型のものだ。KIANは、お店の人に値段を聞いて、また戻ってくるからと、ませたことを言って店を後にした。彼には私と一緒に来ればきっと買ってもらえると確信があったのだ。両親には決してダダをこねることはなく、私なら二つ返事であることを知っているのだ。値段(2250ペソ)を聞いて一安心、この程度であれば、一回の食事代にすぎない。 […]

父の日とシャブシャブ、そしてスクーター 2016年6月26日



来る7月1日、第31回目のPRA創立記念パーティがフィリピン・インターナショナル・コンベンション・センター(PICC)で開催される。来週の金曜日という相変わらず急な知らせだが、場所はマニラ湾に面した、ココナツ・パレスやソフィテル(フィリピンプラザ)ホテルなどの隣、モール・オブ・エイシアにも近いのでわかりやすい。巨大な施設のファンクション・ホール1、2、3を借り切ってやるそうなので、今回は大勢の退職者の参加を期待しているようだ。ちなみに招待客はそれぞれ一名の同伴者を許可しているので配偶者や友人と一緒に参加できる。 式はPRAのスタッフやゲストの挨拶、PRA関係者や退職者の表彰、さらにスペシャル・ナンバーと称する歌や踊りなど相変わらずのプログラムだが、ディナーとはっきり書いてあるので、いつものように軽食でお茶を濁すつもりではないようだ。詳細は31st PRA Aniversary 20160622_0001 を参照。 第30回創立記念; PRA 創立30周年記念パーティ 2015年12月21日 第29回創立記念; 第29回PRA創立記念パーティ開催される 2014年7月13日 第26回創立記念: 第26回、PRA創立記念パーティ開催される 2011年7月23日

第31回PRA創立記念パ-ティのお知らせ 2016年6月22日


先週の月曜のKIANのドンボスコ入学以来、私の重要な役目は毎日1130amにKIANを出迎えに行くことだ。ママ・ジェーンは妊娠5ヶ月で動きづらい、アテ・キムはジェーンや私のお手伝いで日中はマニラ中を飛び回っている。したがって私にお鉢が回ってきているのだが、朝、6時半の見送りはさすがに勘弁してもらっている(アテ・キムの役割)。朝一の用件が終わるころKIANの出迎えのため、PRAからの帰りしなにドンボスコに寄って連れて帰るという算段だ。さらに火曜と木曜は午後から公文に通っているので、ドンボスコの後サイカでランチをとり、そのまま公文にむかうというスケジュールだ。 農場から送ってきたパッションフルーツとグアバ、売り物はならない庶民のフルーツだ そして、今週の火曜14日に事件は起こった。朝一、タクシーが捕まらずPRAまで歩いた。現在ドライバーがいないので、たまにトライしている運動不足解消の一環だ。特にタクシーを待っている間(30分くらい)にPRAに到着してしまうので一石二鳥となる。さらにPRAの後は銀行に歩いて行き、その後、タクシーでドンボスコに直行した。サイカでKIANと二人きりの食事を摂り(含サンミゲル2本)、そして公文へ。そこそこハードなスケジュールだった。 同じくアヒルの卵、殻は汚いが、これがなんとも美味で毎朝生卵ご飯を楽しんでいる アヒルの卵の黄身、この黄身が見事で、茶色の部分は醤油で、まるで目玉のようだ。 3時ごろ家に戻って横になっていると、しばらくして、どうも腰が痛い。寝返りをしようとすると腰に響く。そして、その夜、ベッドに横たわったまま、体を動かすたびに腰に来るので、いささか憂鬱になった。只、幸いなのはベッドで静かに横たわっている限りは何の痛みも無いことだったが、年を取るといつ何時、こんな事態に陥るかもしれない。そうなると仕事どころではない、いよいよ現役引退、年貢の納め時と覚悟を決めた。そして、今のやりかけの仕事はどうするかなど、いろいろなことが頭をかけめぐった。 未熟のパパイヤ、これが消化や美白効果がすこぶるあり、バナナ、パイナップル、マンゴに続く4番目の南洋果物の王様だ ここ数年、すこぶる健康で、薬をとることも一切無く、持病の糖尿も食事に気をつける(炭水化物をなるべく摂らない)ことで押さえ込んでいる。そんな矢先、身に覚えのない天使のハンマーの一撃を食らってしまったのだ。これはどう見てもぎっくり腰に違いない。20代のころ、建設現場でぎっくり腰をやった経験があるが、そのときは、事務所まで戻るのに往生したものだ。それから数年の間、ガラスの腰をいたわる生活が続いた。そして今回、ベッドで横になっている間にぎっくり腰になるなんて、一体何なんだろう。これも老化現象の一環なのだろうか。パッションフルーツは農場の片隅に勝手に生えている蔓科の果物だが、3個で一ペソと見向きもされないフルーツで外見もいかにもみすぼらしい 翌朝(水曜)、恐る恐る起きてみると、腰が痛くて伸ばせない。痛みを我慢しながらゆっくり伸ばすと、その後は楽になる。しかし、また座って立とうとすると、また腰が伸ばせない。まるでへっぴり腰の老人そのものだ。これでは医者に行くしかないと算段している間に、意外と歩ける、さらに痛みも薄らいできて、症状が改善してきている。ならばしばらく様子を見よう、あえて痛み止めの薬は飲まないで、腰の状況を見守ろうという気になった。 その中身は、カリカリとした種の周りにすっぱいとろみの実がついていて、なんともいえぬ味だが健康によさそうな果物だ そして、木曜、いつものスケジュール(PRAとドンボスコ、サイカそして公文)をこなせる自信もでてきた。さらに金曜そして土曜、若干の腰の痛みも感じるが日常生活には支障がなくなってきている。我ながら驚くべき回復力(自然治癒力)だが、これぞ若さの維持(老化防止)、健康の秘訣だと実感した。高血圧、糖尿病、心臓病、脳溢血、癌を代表とする生活習慣病は自然治癒力(免疫)が不足して発症するというが、この自然治癒力は、唾液がたくさん出る、睡眠を十分とる、水分を十分取る、控えめの食事をとる、汗をたくさんかく、適切な排泄、適度なスポーツ、ストレス解消(運動と瞑想)、セックス等々、体の機能、日常の生活に由来するという。 薬に頼るのはこの自然治癒力を阻害する原因でしかなく、薬無しの生活が一番だと、ある生理学者は説いている。薬は使用を誤ると毒にもなる危険な存在だそう で、肝臓や腎臓などに負担をかけ、自然治癒力を阻害するそうだ。特に、高血圧や糖尿病等で定期的に薬を飲み続けることは、その副作用で自然治癒力を阻害す る元凶だと忠告している。 自然治癒力の維持こそが健康に長生きする秘訣なのだそうで、今後も薬に頼らない生活を続けたいと思う。しかし、いつしか自然治癒力でもってしても回復不能 […]

天使のハンマーの一撃 2016年6月18日



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6月6日、いよいよ、KIANが小学校に入学するときがやってきた。ちょっと前まで赤ちゃんだったのに、それが小学校に入学するというのだから、時の立つのは早いもので、私が歳を取るのも無理ないことだ。 ドンボスコ、正式にはDON BOSCO TECHNICAL INSTITUTE(DON BOSCO Makati)と称し、Saint John Boscoが1954年に開設した、ラサール、サンアガスティンなどと並んでフィリピン有数のカソリック系の名門校だ。ちなみに、日本のラサール、ドンボスコなどと根っこはいっしょだ。幼稚園、小学校、ハイスクール、さらに電気、機械の専門学校も併設し、5000人の生徒を有し、教職員は400人に上るマンモス校でもある。ちなみにドンボスコは男子校で女子はいない、ただしオカマは10~20%程度いるので、注意が必要だそうだ。ちなみに学費は年間89000ペソと20万円強だ。パソンタモ通りに面した入り口を飾る表札 通学初日、早朝6:45、KIANの雄姿 まさにぴかぴかの一年生だ 当然のことながらママ・ジェーンとアテ・キムが同行する。パパ・カーネルは次期大統領、ドテルテ・ダバオ市長の表敬訪問でダバオに出張して留守。彼は、かつてダバオ警察署長を務めていたのでドテルテ市長とは面識があるそうだ。 一クラス約40人は理想的な人数だ。KIANは手前から2番目の列の最後尾 ルンルンわくわくで先生の話に聞き入るKIAN 外観からは想像できない広大なサッカー場 これまた広大な体育館はバスケットコートが4面もある […]

KIANが名門ドンボスコ・スクールに入学 2016年6月10日


KIANがピアノのレッスンを開始したのが、2015年1月、したがって、はや1.5年が経過した。週一回のレッスンはほとんど欠かさなかったものの、家で練習することなどほとんどないので、その上達は、ほとんどなしといっても過言ではなかった。そのKIANが発表会に参加するというのだ。そこで早速、弾いてみなと促すと、そらで2~3曲弾いて見せてくれた。もちろん、ABCDEFGなどの定番ものだが指使いも様になっている。苦節一年半、ここまで来れば演奏が楽しくなって急速に上達するだろう。まさに根気以外の何ものでもないということだ(ただし私の根気)。毎週土曜日、サイカで食事をとり、タイムゾーンで遊ばせて、おまけにレゴのおもちゃを買ってやるというニンジンにりんご、それにトマトまでぶら下げて興味を持たせるという気遣いは不要になったようだ。これで、大枚をはたいたキーボードの投資もいよいよ役に立つときがやってきた。 ピアノ教室(EUPHONY MUSIC CENTER)の入り口。マカティスクエアの中2階の右奥にある 発表会の開始前に記念撮影   この日は60人ほどの生徒が演奏を行うことになっていた。午後一時開始なので、夕方までかかりそうだ。KIANは5番目だったので、早めに終わりそうで、KIANの出演が終わったらさっさと帰るつもりだった。はじまってからわかったのだが、要は、KIANは60人中下から5番目という技量だっただけなのだ。発表会まで約一時間待たされたがKIANはNO.5の札の指定席に座っておとなしく開演を待った。心細いだろうとアティ・キムが傍に行くと、”Stay away”と追い返されてしまったそうで、KIANはやんちゃではちゃめちゃだが、決められたルールは守るという意識が強いようだ。昨日もドンボスコの入学説明会にママ・ジェーンと出席した折、一時間以上の説明会もしっかりと集中して聞いており、説明の内容もしっかり把握していたそうだ。幼稚園のKid Schoolに2年間通っている間にしつけられたらしい。 これから始まる発表会に期待に胸を弾ませていたに違いない いよいよ本番。2曲演奏して、途中間違えたりもしたが、終わったら大拍手、本人も得意げに”Am I good”と繰り返し聞いていた。もちろん答えは”Very good”だ。ここで否定的なことを言ったら、KIANは二度と鍵盤の前には座らないだろうが、一方のKIANはあがることもなく、終始ご機嫌だった。こんなことを言ってはKIANに失礼だが、「豚もおだてりゃ木に登る」という格言を忘れてはいけない。 いよいよ本番、KIANは堂々とピアノを演奏した […]

KIANのピアノ発表会 2016年6月5日



長い夏休みが終わり、いよいよKIANが小学校へ通うときがやってきた(フィリピンは3月から夏休みに入り、6月から新学期がはじまる)。毎日、朝の9時過ぎまで寝ていたKIANにとっては、朝の7時に始まるという授業に慣れるのは容易ではないだろう。昼から始まる午後の部を選択することもできたが、それでは時間にだらしない子供に育ってしまうと考えて、あえて午前の部を選択した。フィリピンでは子供の数は無限ともいえる状況なので、KIANが通う名門ドンボスコ・スクールでさえも二部制なのだ。 アティ・キム(中央)の20歳の誕生日はパパ・カーネルがパンシット・ビーフン(写真の右手前隅)を料理した KIANをめぐって最近、一つ問題がある。それは、KIANは毎晩私の部屋で過ごして、寝る時間(10時ごろ)、両親に呼ばれると、いやいやながらという雰囲気で降りていくのだ。これにたいしてママ・ジェーンはなぜ、ママに傍で過ごさないのかと苦言を呈す。KIANはダダ(私)の傍にいるとリラックスできるのだと反論し、口論が始まる。また、私が夜出かけたときなど心配していつまでも寝ないので、ママ・ジェーンがヒステリックな声で寝るように命令する。そんな状態だから、KIANはママ・ジェーンと過ごすのがいやで、私の部屋で過ごしたがる。まさに悪循環だが、こんなに愛しているのになぜKIANは私から遠ざかりたがるかと、彼女には理解できないし納得もできない。彼女に反発するのはKIANだけで、他の子供達(KIANのいとこ達)にとってママ・ジェーンの指示は絶対で、反発などありえないので、ジェーンは戸惑う。KIANが強気なのは、私の後ろ盾があるからであることは論を待たない。 私のベッドの上にジャンプするKIAN、手にしているのは英語読本 KIANは私の部屋でタブレットでユーチューブやゲームで遊ぶか、テレビを見ているかで、私は、逆に日本のテレビを見るか、タブレットでヤフー・ニュースなどを見て、KIANの過ごしたいように過ごさせている。たまに日本食材店で買ってきた「柿の種」を食べさせているが、KIANはことのほか日本のせんべえ菓子が大好きだ。そんな時間が双方にとって、とてもリラックスできるのだが、わがままなKIANは私にアイス・ウオーターをもってこい、時には日本のラーメンを作れと命令する。そんな時、私はせっせとKIANの言うことを聞いていやるのだが、この家で私にこんなけしからんことをリクエストできるのはKIANしかいない。  なにやらスマートフォンを一所懸命写し取るKIAN ママ・ジェーンはKIANを叱るのは、しつけと思っているが、私にとってはいじめに映る。たとえば、スリッパをはかないで家の中を歩くと、時にはピンタが飛ぶ。そうするとKIANはママにたたかれたと泣きながら私にしがみついてくる。私は、よしよしと抱きしめてやるだけだ。そうなるとママ・ジェーンはそれ以上、手を出せず、私は常にKIANの味方で避難港(HAVEN)なのだ。だから、KIANは私の傍にいると100%の安心感を抱いているに違いない。一方、ママ・ジェーンの傍にいると、罵声とピンタがいつ飛んでくるかわからず、心の休まる時は、寝ているとき以外にはないと感じているようだ。 ピアノを弾くことがなんとなく様になってきたKIAN KIANが、まだ2歳にもならないころ、近所のスーパーマーケットで私はKIANを見失ってしまった。いつも活発なKIANは吊るされた売り物の服の間をかくれんぼのように走り回っているうちに、どこにいるのかわからなくなってしまった。しばらくして大声で泣きじゃくるKIANを抱いて店員が店の中を歩き回っていた。たった数分のことだが、私とKIANはパニックとなってお互いを捜していたのだ。子供が泣いて大声を出すのは危険信号であり、周囲の人が状況を理解して救助する。親もその泣き声を頼りに子供を捜す、子供の本能ともいえるものだ。それをくだらぬことで張ったおして、泣きじゃくるとさらに罵声をあびせるなんてもってのほかだ。子供が危機に瀕したときに、追い討ちをかけるように罵声を浴びせる大人を誰が信頼できるだろうか。息子の誕生日は手作りケーキを楽しむ 親・家族は子供に対して、雨風、日差し、外界の危険を防ぐ24時間営業のシェルターなのだと、ちかごろ私は思う(固定された建築物に限らず家族と一緒にいること自体がシェルターの中にいるということ)。シェルターの中で子供は安全と安心に守られて成長していく。シェルターの中では、人同士の交流や社会生活を送っていく上でのルールを学んでいくが、それをしつけと呼ぶ。しかし、どうも世の親はしつけを勘違いしているような気がする。自分の思い通りにならないと、しつけと称してわが子をいじめる姿は、それは苛立ちを子供にぶつけているようにしか見えない。 良いこと悪いことなどは大人がかってに決めたことだから、それを子供が区別できないのは当たり前で、時間をかけて学ばせていくことが肝心だ。それを罵声とピンタで強制するのは親の身勝手であり、手抜きでしかない。それに、子供はいつも親を見ているので手本さえ示せば、自然に学んでくれるものなのだ。 画面の文字を読みながらカラオケを楽しむKIAN 親・家族のシェルターは子供のとって唯一のよりどころであって、生きていくための必須条件だ。このシェルターから子供追放することは、子供に対する死刑宣告とも言える。そんな事件が最近、北海道で起こった。ほんのしばらくといえども、子供を山中に置き去りにするなどいうことは、親の意図を押し計ることができない子供にとっては、まさに死刑宣告だ。この6日間、子供は地獄をさまよう囚人のような思いがしただろう。シェルターの中で親の加護の中で叱られるのは我慢できてもシェルターから追放されるという行為は、子供にとって生涯拭い去ることができない重い傷を心に残すだろう。この事件こそ、世の親への教訓あるいはしつけとなったに違いない。 私のタブレットを独り占めにしてユーチューブを楽しむKIAN 明日からドンボスコへ通うKIANにとっては初めてシェルターの外の体験となる。当面、送り迎えは欠かせないが、ドア・ツー・ドアの幼稚園のそれとはちょっと様相が異なる。そこで私はKIANが学校へ行っている間、携帯を持たせて、親と連絡がとれるようにと、たまたま予備としてもっていたガラパゴス携帯をあたえた。ガラパゴス携帯なら学校でゲームに夢中になることもあるまいと考えたのだが、学校では生徒に携帯の所持を禁止しており、目論見は外れた。学校は携帯の生徒に与える悪い面を危惧しているのだろうが、身の安全に関する配慮は忘れているようだ。ちなみにドンボスコはサイカとピアノ教室のあるマカティスクエアの近くにあり、KIANにとっては通いなれた場所なので、一年もすれば自力でもどってくることは出来るであろうが。 […]

家族の役割=シェルターがなかったら? 2016年6月5日