Yearly Archives: 2016


2016年12月29日追記  先週、クリスマスを前にDGM(PRA副長官)のBaac氏とのインタビューが会った。目的は、当方のマーケッター公認の更新で、GM(PRA長官)の交代にともない、マーケッターとの対話を持つ機会というの意味もあるらしい。その中で、より多くの外国人にSRRVを取得してもらうためにアドバイスはないかと尋ねられた。そこで、ここぞとばかりに日ごろ胸に秘めている2点を提案した。 1.SRRV発行期間の短縮:公には3~4週間と公言しているが実際はそれを大きく超え、4~6週間かかるという悲劇的状況にある。現役世代が取れる休みは2週間が限度なので、数年前のように2週間で発行するようになれば、SRRV申請者は倍増するであろう。 2.DBPに預けられた預託金の相続:、退職者が亡くなった場合、従来、相続人は相続税を支払うことなく、PRAに所定の書類を提出するだけで、2~3ヶ月後、預託金を満額受け取ることができた。しかし、現在、BIR(税務署)からCAR(相続税等の支払い証明書)を取得してこいとの指示があり、各種相続手続きの実行を求められ、預託金の20~40%の費用と6ヶ月程度の手続き時間を余儀なくされている。このことによる相続人の落胆は計り知れないものがあり、SRRVの価値を大いに損なう結果となっている。  これにたいし副長官は、1.発行期間の短縮については、入管とも連携して大幅に短縮する手立てを打っている。2.預託金の相続については、善処したいが詳細を記載したレターを提出して欲しいとの要請があった。当初はPRAを非難するようなレターの発行は躊躇されたが、SRRVの魅力を回復しより多くの退職者をフィリピンに招待するするためには避けることが出来ないと考え、下記のレターを提出した。これによって、近い将来、相続手続きが元に戻ることを期待したい。また、PRAの存在を規定する法律Executive Order 1037のSection9ではSRRV取得のために海外から送金したお金は本国送還を保証するとなっているが、相続人が受け取る場合はどうなのか明確にはきていされていない。 PRA宛のレター:pra-letter(1) 20161229 pra-letter(2)20161229 預託金の本国送還を保証する法律:executive-order-1037-section-9-20170102   昨年、AさんがSRRVの取得が完了した直後、フィリピン人妻の家で急死した。原因は心臓麻痺、その日の朝、Aさんと懇意にしていた、妻のお姉さんから、電話がかかってきた。「夕べ元気にお祝いをしていたのに、今朝起きてみたら死んでいた、どうしたらよいのか」とパニックに陥っていた。私は「まずは、 医者を呼んでください。そうして、何をなすべきか指導してもらってください。そして、葬式と死亡証明を入手したら、私に連絡をしてください。そうしたら、 PRAからの預託金の引出しのお手伝いします。」と返答した。しばらくして、医師から電話があり、検死など、やるべきことは承知しているの連絡があった。 それからしばらくしてフィリピン人妻から連絡があり、葬式などつつがなく終わり、そして、日本大使館への死亡届出も終わったとの事だった。そうなると、いよ […]

DBPに預けたSRRV預託金相続の顛末 2016年12月19日(12月29日追記)


クリスマスともなると、人々は故郷に帰り、街にはいつもの渋滞はない。お出かけには絶好というわけで、マニラの夜を見物にでかけた。お目当てはロックウエルのパワープラント・モールとシャングリラ・ホテルだ。 しかし、出かける前に、この日、2ヶ月目の誕生日を迎えたクッキーの記念撮影がはじまった。そろそろ首もすわってきて、何かを見つめたり、声をかけてきたり、赤ちゃんらしい仕草をするようになってきている。あと2~3ヶ月もすれば、KIANのように周囲に愛嬌を振りまいて、近所の人気者になることだろう。 ヤヤに抱かれておめかしするクッキー ママとのツーショットはそっぽを向いてしまった 一家5人で記念撮影、クッキーは相変わらずそっぽを向いている  クッキーの記念撮影で手間取っている間に、ロックウエルに到着したころは、すでに閉店の9時に近かった。私だけ走って内部に入って写真撮影をしたが、内部は大変な人出で、レストランはどこも満員だった。それでも9時になると、通路の電飾の明かりが消えて人々の退出を促していた。ロックウエルという地名だけに規則には厳しいようだが、クリスマスの掻きいれ時くらいは多めに見てもよさそうなものだ。 もともとロックウエルとは、マカティのはずれにあった発電所跡地を1990年代に再開発したもので、当時、マカティの最高級・高層コンドミニアム街としてはなばなしくデビューした。そして、現在も高層コンドミニアムが幾棟も建設中で、マカティの市街地の近接した高級コンドミニアム街として発展を続けている。 電飾だけのユニークなクリスマスツリー 椰子の木の幹だけでなくて葉の部分にも電飾をほどこすというユニークなデザインだ モールの内部は人でごった返し、すべての柱には電飾が施されている モールの中央の吹き抜けは大きな輪っか状のクリスマスツリーが吊り下げられている ロックウエル伝統の動くトナカイ、今年は白が基調だ  ロックウエルで時間をすごすことはあきらめて、次にむかったのがマカティあるいはメトロマニラの最高級ホテル、シャングリラホテルだ。入り口にはおとぎの世界をほうふつさせる家がしつらえてあった。順番待ちで写真撮影をする家族でにぎわっていた。このとき、お腹がすいたからレストランに行きたいとKIANがしきりに主張するので、ロビーで軽食をとることにした。しかし、ここの料理は一皿600ペソ以下の料理はない。そこでパンシットカントン一皿と、お茶(カモミールのハーブティー)、ビールでお茶を濁すことにした。お腹がすいているのはKIANだけだし、無料のパンが出るはずだから、それで十分のはずだ。 おとぎの家の前で、このとき白人の若い女性から「可愛いい~」歓声が沸き、KIANはうれしそうだった 今年のクリスマスは赤で統一しているカーネル一家 […]

クリスマス・イン・マニラ 2016年12月26日



いよいよ待ちに待ったクリスマスがやってきた。”Merry Christmas”はタガログ語で”Maligayang Pasko” というが、当社の社名のPASCOの由来でもある。例年はビコールの農場で姻戚一同+α、数十人で盛大に催すのだが、ようやく生後2ヶ月のクッキーのため、今年はマニラに留まって質素なクリスマス・イブとなった。ママ・ジェーンの長兄の息子、卒業間近のチャールズが友人と一緒にマニラでOJT(On the Job Training)をやっている関係で、友人二人と居候をしているので、総勢、たったの12人のパーティとなった。 食事の準備も終えて一休み いつもに比べて三分の一程度の量だ(右にコカ・コーラがおいてあるのがちょっと気に障った) 家族一同の写真撮影もあっという間に終わった(右の男3人が居候、生後2ヶ月のクッキーはそ知らぬ顔で居眠りをしている) 生替え中の前歯がちょっと気になるがKIANはいつも一家の中心だ  この日の、主役はもちろん、パーティ男のKIANだ。歌と踊りを披露して一同の喝采をあびた。いつの間にかおぼえたのか、見たこともないステップで即興の踊りを披露したが、流行のPPAPのステップも取り入れている。動画をためしにアップしたので、時間はかかるが、クリックしてためしてほしい。 cimg8102 踊りながら歌うKIAN 歌そのものはなっていないが、そんなことは誰も気にしない 踊りは、なかなかのものだ 踊りつかれて一休み […]

我が家のクリスマスイブ 2016年12月25日


ナビマニラ(無料情報誌)でも紹介された、話題の電飾ハウス、マンダルヨン市、ポリカルピオ通りに見学に行ってきた。ほんの100Mほどの普通の民家で、そのうち3軒ほどがこった飾り付けをしているにすぎない。他の家々は何の飾りもなしに、突然の騒ぎを迷惑そうに静けかえっていた。しかし写真好きのフィリピーノを魅了してやまないようだ。 通りの入り口にはPOLICAPRIOのアーケードがあった ナビマニラNo.28の表紙をかざった電飾ハウス、さすがではある 電飾ハウスの門で記念撮影、KIANはママ・ジェーンの言いつけどおり手を掲げて誇らしそう 2軒目の電飾ハウス、この方がちょっとセンスがあるようだ 最近はカメラを向けると思わずポーズをとるKIANだ 3軒目にはたくさんの屋台が出ていて、お祭りのよう、そうなるとKIANはバーベキューが食べたいと言い張る。一本たったの15ペソ、40円足らずだ 食い意地の張っているのはKIANばかりではなかった。参加者全員があれやこれやと買い食いをはじめた クリスマスがせまる23日、イブの前日と会って、かなりたくさん(100名程度)の見物客が集まっていた。皆、食いしん坊だ、キリストの生誕のジオラマの下には屋台が並ぶ 屋台の売れ筋はバーベキュー(ポークの焼き鳥風)、フレンチフライ、ホットドックなどが本命だ キリスト生誕のジオラマを前に、はいポーズ 帰り、マンダルヨン・シティ・ホールを通りかかると、たくさんの屋台が出ていて、大勢の人でにぎわっていた。まさに師走の喧騒がそこにあった。   電飾ハウスに 、通り全体が競いあって飾り付けをしていると期待していっただけに、たったの3軒だけだったので、ちょっと期待はずれだった。しかし、たったの3軒で20軒ほどの屋台と、これだけの人を集めることができるのだ。もし、これをわが農場でやったとしたら、ファームハウスを使って、もっとましな飾りつけは出来るし、毎日200人程度の人が集まったとして、一人50ペソ程度のお金を落としてくれるとしたら、そして一ヶ月くらい営業したら、どうなるのだろうと、頭が計算をはじめた。  200人x50ペソx  […]

話題の電飾ハウスPolicarpio訪問 2016年12月24日



数年ぶりに20年来の付き合いの女性建築家ジーナから連絡があった。久しぶりにあって話がしたいとのこと。私が駐在員としてマニラに出向していたころ、兄の会社で働いていた人で、そのころは卒業したての新米だったが、その後、パンケーキ・ハウスなど小規模店舗を手がけ、今や、やり手のベテラン建築家だ。 Wild Flourの概観は地味で、中はレストランとはおもえない。サルセド・ビリッジのPRAの近くにも同じ外観の店がある  20日(火)のブランチをマカティのレガスピ・ビリッジで摂ろうということだが、当方はマカティスクエアの和食店しか知らないというと、Wild Flourという店を指定してきた。一緒に招待されたママ・ジェーンによると、最近の人気店だという。私は、ブランチなどをとるしゃれたことはしたことはないのだが、面会は、9時半から11時ということなので、ランチのつもりで臨んだ。 見たことも無いようなパンが店先にはならんでいた  少し早めに到着すると、店は若者で満員だった。ブランチということでパンを中心とした料理を出すようだが、店先にはかなり凝ったパンが並んでいた。われわれは、サラダにオムレツという、いかにもブランチあるいはミリエンダ(おやつ)を注文したが、ジーナはかなりヘビーなパン料理を注文した。結局、私が半分もらって食べたのだが、十分ランチとなった。 朝の9時過ぎだというのに店は若者でほぼ満員だったが、朝の6時から開いているそうだ 客席に面して厨房あり、いかにもブランチの趣を出している ジーナが注文したハムとベーコンを挟んだ揚げパン、これで半分だ  ジーナとは数年前にマカティメディカルでばったり出会ったのだが、その時は確か二人目の子供を生んだばかりだった。今回、その女の子を連れてきたのだが、すでに4歳になっていた。ジーナによると、上の男の子はすでに14歳で、大人への入り口で、ジーナがキスをしようとすると避けるそうだ。その点、ジーナにとってこの子は、エネルギーのチャージャーで、どんなに疲れて、ストレスがたまっても、この子のおかげで元気を取り戻すそうだ。かけがえの無い子供は親にとってまさに生きる糧なのだ。 ジーナの二人目の子供はエネルギーのチャージェーだ  メニューを見るとちょっとブランチにしては高い。しかし、いまどきの若者にとってこの程度の出費は痛くも痒くもないらしい。3人分の食事で、1500ペソほどになったが、ジーナは当然のことのように全部支払ってくれた。  ブランチ言えども400ペソ前後の食事は決して安いとはいえない。ちなみにフィリピンの最低賃金の一日分だ   […]

若者に人気のWILD FLOURでブランチ 2016年12月23日


前回の創立記念日と同じ、PICC(Philippine International Convention Center)で行われた恒例のクリスマスパーティは、大きな会場と豊富な料理で、PRAとしては、それなりのものだったが、退職者のテーブルは空きが目立った。いつまでたってもお知らせが無いのでやきもきしていたが、ほんの10日前に招待状を入手し、マニラ首都圏在住の退職者に声をかけたのだが、多くの人が予定が詰まっていて不参加の連絡があった。しかし、参加の連絡あった3家族はいずれもお子さん連れで、当方のテーブルだけは華やいだ雰囲気だったが、PRAの案内係には、子連れの日本人は、私のテーブルに案内してほしいという、わかりやすい指示を発することが出来た。我が家としては、ママ・ジェーンが子育ての疲れか、欠席、パパ・カーネルも忙しくて、アティ・キムとKIANを同行することにした。数時間前からそわそわしていたKIANは決して彼を置いていくことがないようにと、私に何度も念を押していた。KIANはパーティが大好きなのだ。 PRAの受付嬢は、皆KIANの友達で、笑顔で彼を迎えている ゲストの参加表に名前をすらすらと書いたが、サインについては、まだ持っていないとしっかりと応えていた プロの歌手が客がそろうまでの一時間ほどプロ歌手のステージが続いた。後ろの看板のYuletideとはクリスマスシーズンという意味だ 食事は、到着から2時間も待たされしまったが、それまでアイスクリームが食べ放題とあってKIANはごきげんだった 自撮りでアティ・キムとKIANのツーショット PRAの看板娘のジュラルディンさんとのショット。KIANはアイスクリームを手放さない 予定より一時間遅れで、いよいよ式が始まったが、まずは国家斉唱だ 私にとってこの日は特別な意味があった。それはまだ面会していないPRAのトップであるGMに自己紹介をすることだった。名前は、Atty. Bienvenido Ko Chy という入管出身の弁護士だが、その名前が読めなかった。チと読むらしいが、あきらかに中国系のフィリピン人だ。なんとなく、からおけが大好きな日本の田舎のおっちゃん風で、近寄りやすいという印象を持ったが、KIAN曰く、ドテルテみたいだ。ちなみに彼はドテルテ大統領のロースクール(法科)の同級生で、私にとってPRAのGMとつながりを持つことは退職者のサービスを行う上で大変重要なことなので、意味のあるパーティとなった。 […]

PRAクリスマスパーティ 2016年12月18日



やはり、同じ退職者からの照会です。三菱ギャラン、2010年式、走行距離は51000km、売却希望価格は50万ペソです。ご興味がある方は、kazutamishiga@yahoo.co.jp にご連絡ください。売主を紹介します。 以下、売主の紹介文です。 三菱の高級セダン、色はブラックです。 ベンツとデザインが似ています。 事故歴、浸水歴ありません。 スペアキー、キーレスエントリー、防犯アラームあり。 走行距離が少なく内外装とも年数の割にとても綺麗です。 ステレオのボリュームスイッチに不具合がありますが、 リモコンやハンドルからの操作には全く問題ありません。 その他の設備には全く問題ありません。 トランクルームもとても綺麗です。 車体前後のソナー、バックカメラ、DVDナビ標準セットです。 サンルーフ/ムーンルーフは電動にて開閉可能です。 フォグランプ、ヘッドランプHIDです。 […]

車売りたし 三菱ギャラン 2016年12月18日


年間3500万円もかかる癌の新治療薬の薬価を改訂するというニュースが流れた。このままでは健保制度が崩壊しかねないための措置だという。抗癌剤や放射線など、今までの癌の治療とは発想が異なり、人の免疫力を強化して癌細胞をやっつける画期的な新薬だそうだ。これで癌も治る病気となったと患者に希望を与えるものだ。 KIANの学校のファミリーの集いでは、私が参加することが条件だった  しかし、年間3500万円もの費用がかかり、それを健保でまかなうとなると、莫大な費用がかかり、国家財政をゆるがすものになりかねない(1000人の患者で350億円、1万人でなんと3500億円)。このお金があれば、癌患者一人当たり、100人の子供に月々3万円の手当てを支給できる。すなわち、一人の癌患者の薬代で100人の子供を養うことが出来ることになる。逆に言えば、一人の癌患者の命を100人の子供の命と引き換えに救うことになるのだ。 この日なぜか、私が片時も傍にいないとKIANはパニックに陥った  子供の貧困、子育放棄、虐待、待機児童、いじめ、などなど、子供達にとって住み辛い世の中になって来ている。少子化が取りざたされて久しいが、子供は将来の国家を担っていく根源だ。家族、コミュニティ、そして国家の資源を子供達につぎ込んで、未来のための投資するのが、そもそも人類の営みのはずだ。癌患者の命をないがしろにしてもよいというわけではないが、その代償が、社会の存続をゆるがしかねない事態になったとき、立ち止まって考え直す必要があるのではないか。 レストランMAXで好物のアイスクリームをほおばるKIAN  中学のとき、生物の定義とは、「自己の新陳代謝と子孫を残すことができること」ということを教わった。アメーバーという生物は自己増殖で命を維持できるので、別途の遺伝子を持った子孫を残すことができない。すなわち、死ぬことが無いので、進化もせず、数億年たった今も、アメーバーのままだという。すなわち、生物は子孫を残し、寿命を迎えて死ぬことがより次元の高い生につながるのだ。もし、医療の発展により、人が死ななくなったとしたら、人は生殖という行為を放棄するに違いない。そして、世の中は、何の進化もせず、何の希望もない殺伐とした世の中となり、自殺だけが死ぬ手段となり、やがて滅び去って行くのだろう。 カラオケをうれしそうに歌うKIAN  食べて寝て遊んで仕事して、そして配偶者を得て子育てするのが人生そのものだと思う。しかし、子育てを放棄する成人が、人口の多くを占める状況となっている。恋愛、結婚、家庭に興味を持てない若い男女が急増し、2030年には生涯独身で過ごす人が男で3人に一人、女で4人に一人になるとまで言われているが、死ななくなりつつある人類の兆候とも思える。 食べ放題のTong Yangでいとこのチャールズと談笑するKIAN  昨年、3人目の子供を日本で出産して、フィリピンで子育てに励んでいるご夫婦がいる。その方が、4人目の子供を妊娠したので、フィリピンで出産して、出生届けから、退職ビザの取得(同伴者として)までの手続きについて相談に来た。二人のヤヤ(子守)を雇っているが、もはや、日本で出産するなどありえないことだという。フィリピンで生活していると4人目の子供ができても、素直にそれを喜びとして受け止めることができて、堕胎などいう発想は出てこない(もっとも堕胎はフィリピンでは法律そして宗教上、許されていないが)。 クッキーに授乳するママ・ジェーン  数年前、ご夫婦それぞれ、二人づづのお子さんを同伴者として退職ビザをとった方が、お子さん達を連れて事務所を訪問した。さらにビザの申請時点で5人目のお子さんを妊娠していたので、総勢、5人のお子さんで事務所は騒然となった。しかも、さらに6人目のお子さんを妊娠中だと言っていたが、いまどきの日本では、奇跡に近いことだ。フィリピンは、国あるいはコミュニティが子育てに協力してくれるので、家族生活というものを満喫できるのだ。 我が家に授かった新しい命は家族の希望の灯火だ […]

年間3500万円の癌治療薬は人類を救う特効薬なのか 2016年12月11日



先日、皆でKIANを公文に付き添った後、私だけがPRAと銀行に寄って用事をしていると、先に帰ったはずのママ・ジェーンから、ジュピターのチョコレート・カフェにいるから来てみないかと電話があった。丁度、銀行の用事が終わったところなので、銀行のあるペトロンのガソリン・スタンド(マカティアベニューとブエンディアの交差点)からジュピター通りを東に10分ほど歩いたところでパパ・カーネルが待っていた。日本料理の萬月や食べ放題-焼肉/シャブシャブのTong Yang(冬陽)の先、あるいは入管のマカティ支所の向かいにあるChocolatierという見慣れない店だった。 店の名前の通りチョコレートをテーマにした店で、大量の板チョコやチョコレートで作った花束などが飾られ、料理もチョコレートをふんだんに使ったものだ。板チョコには70%とか85%など、チョコレートの含有量が明示され、ほのかな甘みのある大人用、いわゆるビターチョコレートだ。チョコレートは健康にすこぶる良いという評判だが、あの甘さが糖尿病やダイエットの天敵で手が出なかった。しかし、ここの商品や料理は決して甘くないので、安心して食べることができる。 メニューはサンドイッチやスパゲッティなどかなりバリエーションに富んでいて、50種類ほどありそうだ。カカオから作ったお酒まである。料理の値段は100~200ペソ程度で、フィリピン流ならミリエンダといった量だが、当方にとっては十分ランチないしディナーといえる。アイスクリームもチョコレート中心でKIANのお気に入りだ。 店の雰囲気もなかなかよい。フィリピンにもこんな店が出てきたんだと感心することしきりだったが、どういうわけか客は全く入っていなかった。以下はメニューの一部だが、一見に値する店だ。   

チョコレート・カフェ、Chocolatierの紹介 2016年12月9日


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ドテルテ大統領の麻薬撲滅作戦も一段落したのか、かつては連日一面を飾っていた麻薬関連の記事が最近はめっきり影を潜めている。一方、麻薬密売人や中毒患者を刑務所に閉じ込めておくだけでは、留置場は横になるスペースも無いという状況で、先の見通しが無い。そのため、ヌエバエシア州のマグサイサイ陸軍基地内、10ヘクタール(10万平米)の敷地にゆくゆく一万人を収容する更正施設の開所式がドテルテ大統領を迎えて行われた。すでに80万人の中毒患者が自首しているそうだが、ドテルテ大統領にとっては麻薬撲滅作戦の集大成だ。中国、ロシアに近づいて親交を深め、超法規殺人とドテルテ大統領を批判するアメリカ大統領もトランプ政権に移行するとあって、まさにドテルテ大統領に追い風が吹いている。どこかの財閥との癒着で政権の座を追われようとしている大統領とは大違いだ。 私のベッドの上で四六時中携帯にいそしむKIAN  一方、我が家でも中毒患者に手を焼いている。KIANがまさに携帯(スマートフォン)中毒(Celphon Addic)なのだ。学校と塾に行っている時と寝ている時以外は、片時も私の携帯を手放さず、夢中になって、U-チュウブやゲームに一喜一憂している。食事中や車に乗っているときはさすがに止めるが、おかげで私は、常にバッテリーをチャージして、学校や塾の出迎えに携帯がいつでも使えるようにしておくのが重要任務となってしまった。しかし、携帯を与えてさえおけば、ご機嫌なので、こんな手のかからないことは無い。 はつはな亭で食事の前後も携帯を離せない。この日は雨でKIANはレインコートを着ていた  空き時間のほとんどを携帯に費やしているために、とんだ波及効果が出始めた。その1.宿題をやらずに、後で後でを繰り返すばかり、 その2.学校に行っても授業が身に入らず、先生からも小言があった、その3.学校の宿題の紙を隠して、あたかも宿題が無いと両親をだます、その4.両親の風当たりが強いので夜は寝るまで私の部屋で携帯にいそしんでいる。そして私が教えた言葉「I can not survive without Celphon」を繰り返して、その正当性を主張している。 KIANは家ではいつも裸だ、携帯さえあればそれで良いのだ  そんな状況に、育休中で家にいるパパ・カーネルの堪忍袋の緒が切れ、宿題をいやがって親に抵抗するKIANの腕を縛り上げて、パパ・カーネルの机の横に立たせた。そのうえで、「デラ・ロサ国家警察長官に連絡を取ったから、逮捕にやってくる」とKIANを脅したが、長官はパパ・カーネルの同僚でもあるわけで、KIANにとっては想像を絶する恐怖であったに違いない。静かに立っているから、手だけは解いてくれと懇願して、泣きながら机の横に立ち続けた。「立たされる」とい言葉は、私の子供のころの懐かしい言葉で、先生に叱られて、廊下に立たされた悪がき達を思い出した。 パパ・カーネルに逮捕されたときは、こんな顔をして泣きじゃくりながら突っ立っていた  その時たまたま、私が立たされているKIANを目撃したのだが、パパ・カーネルのお仕置きと察して、救いの手を差し伸べることは控えた。しばらくして事務所に行ってみると、鼻水をすすりながら、アティ・キムの横で宿題をやっていたので、パパ・カーネルの許しを得たらしい。「二度と繰り返しません、携帯は宿題を終えてからやります」などと侘びを入れたそうだ。しかし、事件からしばらくして、KIANは、なんと私を悪者に仕立てて、私がそそのかして携帯をやらしていると両親に言い訳したのだ。そのため、ママ・ジェーンから、私に「是が非でも協力して欲しい、このままではKIANがだめ人間になってしまう」と訴えてきたのだ。 […]

KIANの携帯中毒 2016年12月8日