Daily Archives: April 7, 2015


2000年台後半、フィリピンにコンドミニアムブームが到来し2010年代前半から物件の完成・引渡しが始まった。多くは、転売ないし賃貸を目論んだ投資目的だから、今度は転売と賃貸のブームとなり、コンドミニアム市場は転換点を迎えている。 ボニファッシオ・グローバル・シティの裏手に開発中のコンドミニアム群はタギッグ市の低級住宅地と隣りあわせだ(左)。スカイウエイからのマカティのビル群の眺望は、相変わらず国際都市と呼ぶにふさわしい(右) とある退職者から、新築のコンドミニアムを完成後(新古コンドミニアム)、第一次購入者から転売・購入して、代金を支払い、物件の引渡しは終了したものの、一向に所有権移転の作業が進展しない、一体どうなっているのか、という質問が来た。詳しい話を聞いてみると、契約を行い、お金を支払い、鍵を預かったものの、仲介に当たったフィリピン人が、全くの素人で、何をすべきかもわからず、ほったらかしにされてしまっていたらしい。仲介手数料さえもらってしまえば、後の面倒な手続きにはそ知らぬ顔を決め込んだもののようだ。そこで、登記移転に当たっての必要書類、手順について下記の通りアドバイスを行った。 所有権の移転に必要な書類は下記となるが、下記のうち1.~4.は物件購入の際、売主に提示を求め、その存在を確認できない場合は、後日、登記移転に支障をきたすので、購入を控えたほうが無難だ。 1. 売主名義の権利書(CCT、Condominium Certificate of Title) 2. 売主が登記したときのCAR(Certificate Authorizing Registration)税務署の権利移転の許可証) 3. 売主名義の納税申告書(Tax Declaration)、および固定資産税(Real Property Tax)の支払い領収書(Official […]

新古コンドミニアム購入の留意点2015年4月7日


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先ごろ、シンガポールの建国の父といわれるリー・クァンユー元首相が死去した。享年91歳だった。私が、就職した年、初めての海外赴任がシンガポールだったので、懐かしい思いがした。新入社員にとってはじめての海外赴任、そしてさらに初めての海外渡航は胸躍るものがあった。その時、問題だったのが、英会話だ。高校時代は英語を点数稼ぎにするくらい得意だったのだが、いざとなると全く英語をしゃべることはできなかった。早速、英会話帳のようなものを手に入れて赴任前、毎日、首っ引きで眺めたが、何の効果もなかった。そして、いよいよ、某年、1月1日、先輩とシンガポール行きの飛行機に乗ったが、飛行機の中で、となりに座ったカンボジア人が英語でしつこく話しかけてくる。ろくすっぽ会話などできないので、うっとうしくて、「私は英語を話せません」と英語で辛うじて言ったら、「これからシンガポールに行くのに英語をしゃべれないでどうするのか」と、叱られてしまった。 シンガポールに到着してまもなく、 ホテルで電話を使いたくて、先輩に「電話を使いたい」をどのように言ったらいいかと聞いたら。「Can I use telephone」だと、教えてくれた。なんだ、こんなことかと思って使ってみたら、確かに通じた。読み書きにはある程度自信があったのだが、思ったことを即座に英語にすることができない。そこで、思いついたのが、毎晩のキャバレー通いだ。仕事が終わったら、夕食後、毎晩、夜が更けるまで、キャバレーで時間を過ごした。たしか、1時間、15シンガポールドルで、気に入った英語のうまい女の子を指名するのだが、1000円/時間足らずの出費で、英会話教師を雇うより安かったと記憶している。気楽な時間に気楽な場所で、ただ、ひたすら馬鹿話をするだけだが、相手もそれでお金がもらえるのだから、快く付き合ってくれた。まさに一石二鳥だ。そして、半年、なんとか思うことを英語で表現できるようになった。それ以来、私は、英会話は学ぶのではなく、慣れるもの、実践あるのみ、と説いている。        部屋においたゴミ箱にトウモロコシとバナナの食べかすを捨てたら、ほどなく小さなアリが列を成していた。彼らの情報伝達能力には驚くべきものがある そのころは、まさにシンガポールの勃興期で、私は、シンガポールに石油精製プラントを建設する一役を担っていたのだが、50歳過ぎのリークァンンユー首相が活躍しており、私にとっても会社人生の出発点でもあった。シンガポールは、多民族国家で、共通語は英語、そしてもともとの地元の言葉がマレー語、それから国民の大多数を占める中国語だ。しかし、この中国語が、出身地域により北京語、広東語、福建語、海南語などと多数の言語が使われる。さらにポルトガル語を話す人も若干いた。だから、シンガポールでは少なくとも、五ヶ国語を話さないとスムーズな会話ができないといわれていた。人が顔を合わすと、お互いの共通語を探し出し、もっとも話がしやすい言葉で会話をはじめる。3人寄れば3つの言葉が飛び交うと言われ、場合によっては、中国人同士がマレー語で会話することもしばしば起こる。 その時、あるシンガポール人に「ものを考えるときはどの言葉で考えるのか」と質問をした。そうしたら、しばらく考えて、「英語で話をしているときは英語、中国語で話をしているときは、中国語だ」と答えた。今になって考えてみると、それは間違いだと思う。人がものを考え、思い、あるいは感じるときは、言葉ではなくて、五感および感情などで構成される思考回路というものが別にあるのだと思う。その証拠に夢に出てくるのは映像や感情が主体で、言葉は出てくることは少ない。自分自身、英語で話しているときは、頭の中は英語で充満されている。しかし、思考そのものは、使用している言語に関係ない世界(脳)で行われ、単に、その思考を英語で表現するか、あるいは日本語で表現するかの違いだけなのだと思う。 黒豚の家族たちの行動もなかなか統率が取れており、そこにはお互いのコミュニケーションがあるように思える この五感などで構成された思考を言葉に表現して声に出すことが会話であり、さらに文字で書き表すことが文章だ。人間がいつから話をするようになったかは、わからないが、数百万年の歴史があるのだろう。一方、文字の文化は数千年に過ぎない。人類には数千の言語があるが、それらはすべて後天的なもので、生まれてから数年のうちに身につけ、種族を区別する根源となる。一方、文字は、主だったもでは、ローマ字、漢字、アラビックなど数えるほどしかないが、その習得には、十数年の歳月を要する。 五感においては、動物も人間も共通で、場合によっては動物のほうが優れている。しかし、言語を獲得した人類は思考を言葉により表現できるようになった。そして、さらに文字を使い文章にして情報交換するようになり、動物とは徹底的な差別化を行い地球を制覇した。一方、思考をつかさどる五感というものは、すべて動物が持っているものだから、数億年の歴史があるといえるだろう。 すでに高度な英会話能力を獲得しているKIANだが、文字を読んだり、書いたりすることは、まさにビギナーで、その差は驚くべきものがある。最近では、本人が、タガログ語もビコラノ語もわかると豪語しているが、文章に関しては、あきれるくらいにレベルが低い。このことが、まさに数百万年の言語の歴史と、数千年の文字の歴史の差だと思う。しかし、数億年の歴史を持っている五感は、赤ちゃんが生まれたときから高度に備わっているもので、場合によっては大人よりも優れていることが知られている。動物もしかりで、五感の能力は人をしのぐものがあり、赤ちゃんや動物の能力を馬鹿にしてはいけない。 鳥は、かなり勝手な行動をとって、さほどのコミュニケーションがあるようには思えない […]

動物は会話をするのか(思考、言葉、そして文字)2015年4月7日



当たり前のところには、自分たちで行くから、自分たちだけでは行けないようなところに案内して欲しいというちょっと変わった案内を頼まれた。すなわち、フィリピン人でも憚れるようなスコーター(スラム)、下町などにいたく興味があるというご夫婦だ。 そこで、ジェーンの兄、アランに案内を依頼して、彼の知り合いが住んでいるというパサイ市のマリバイ、トラモ地区のスコーターエリアに向かった。フィリピン人にとっても、つてなしでスコーターに入るのは危険きわまりない行為なのだ。 普 通の通りから一歩はいると、川沿いにスコーターは広がっていた。海岸や河岸は防災の関係で、一定の範囲は国有地となっている。そこを違法に占拠(スクワッ ト)しているのがスコーターだ。国有地は誰のものでもないから、危険な思いをしてあるいは非情に追い出しに躍起となる役人はいない。 スコーターだからと言って、皆が皆、悪い人ばかりとは思えないが、行くところがなくなってたどり着いた人も多いから、そこの住人以外にとっては、危険人物が多いのだ。特に、日本人がつてもなくて入り込んで行ったら、そのまま出てくるのは至難の技だろう。 中に入ってみると外見とは裏腹に部屋の中は意外とこぎれいにしている。また、洗濯物がやたらと干してあり、フィリピン人の清潔好きは、ここでも感じられる。同行した、奥さんは、慣れればここでも暮らして行けそうと感想を漏らしていた。皆、なつっこそうに、ものめずらしげに、こちらを眺めている。なかなかかわいらしい少女もいて、ジャパ行きさんの故郷を見る思いだった。 ジャパ行きさんと親しくなって、結婚の申し入れに実家を訪ねると、そこはスコーターでショックを覚え、別のところに二人の家を構えると、家族一同が移り住んできてしまった、などという話が現実味を帯びてくる。 消防車などは、中に入れるはずもないので、一旦、火事が発生したら、自然に鎮火するまで手の施しようがないと思う。特に、この辺は、上へ上へと積み木のように部屋が伸びているので、上階の人は逃げようがないだろう。どういうわけか、ここのところスコーターの火事が目立つ。 ちなみに、案内をしてくれたアランの知り合いは、本当の話かどうか知らないが、ヒットマン(殺し屋)で、警察でも一目を置いている悪だという。しかし、我々の足元を気にしたり、気のよさそうなおじさんだった。 バクララン スコーターはバクラランに近いので、その後、バクラランの商店街に向かった。ここは、南のカビテ県の玄関口で、人々でにぎわう。ここにあるのが南のあめや横丁の商店街だ。無数の一坪ショップが軒を並べ、衣料品、靴、バッグなどを売っている。入り口には、北のキアポ教会の向こうを張って多くの信者を集めるバクララン教会があり、奥手はLRT(高架鉄道)の終点だ。 トンド 次の向かったのが、東洋一といわれるスラム街のトンドだ。ここも無数のバラックが立ち並び、一種異様な雰囲気をかもし出している。もともとここは、港の荷物、あるいはマニラ首都圏のゴミ捨て場、スモーキーマウンテンがあったところで、そのゴミを糧に生きている人々がスラムを形成しているのだ。 キアポ […]

スコーター潜入 2015年4月7日