Daily Archives: February 7, 2015


2週間の農場滞在を終えて、いよいよマニラに帰還する日がやってきた。モンテーロはすでにマニラに帰ってしまっているので、一般の乗合自動車(UV Express)でレガスピ空港に向かった。年末年始の大盤振る舞いで懐がさびしくなったジェーンは、我々だけになると、にわかにけち臭い。 農場訪問の初日と二日目はマヨンが顔を出したものの、その後は、ずっと雨で、最終日になって、やっとマヨンが顔を現してくれた。これはチャンスと、飛行機の中で見たいから、席は右側とジェーンに念を押した。しかし、ボーディングパスをみると左側、ジェーンは、すでに右の窓側は一杯で左しか取れなかったと言い訳を言う。       ところが、飛び立ってみると、通常、旋回して、マヨンの南(マヨンは飛行機の右側)を通過するのが、この日はパイロットの気まぐれか、マヨンをぐるっと回って、マヨンの北側(マヨンは飛行機の左側)を通過したのだ。しかも、快晴でマヨンの絶景が目の前だ。こんなことは過去、一回しかないまれな経験だ。 残念ながら、窓際に陣取ったKIANのおかげで、眼下の農場を見つけることはできなかった、そのあたりの写真を必死に収めた。        KIANもこの絶景に感激かと思いきや、さほどではなく、飛行機が飛び立つとまもなく、お腹がすいたと、カップラーメンを注文していた。 飛行は順調で、40分も経つと、マニラ空港に到着。ターミナル3の目の前は、SKY WAYからターミナルに通じる立体高速道路の建設がたけなわだった。マニラの道路事情も徐々に良くなっていくようだ。  

マニラ帰還(マヨンの絶景を満喫) 2015年2月7日


今年は、帰りのチケットの関係で、1月6日(火)まで農場に滞在した。1月5日(月)ともなると、学校が始まって、周囲は、にわかに日常になる。 1月5日(月)は学校が始まっていたのだが、いとこのヤナはKIANのお相手で、学校を休まされた。午後になると、学校を終えて、他の子供達も農場にやってきて、KIANのお相手をしている。 いよいよ農場滞在の最終日だが、今度は、私の誕生日(1月11日)の早めのお祝いということで、再び、食事会。素敵な中華料理屋ができたというふれこみだったが、マカティのルートンマカオとは比較にならなかった。それでも皆、大いに盛り上がっていた。 話は違うが、農場からタバコ市に向かう国道の拡幅工事が行われていた。2車線4を車線に拡幅するものだが、ところどころお店や樹木を残しながら、道路工事だけは、かなり進んでいる。ちなみに樹木は、市の許可が下りなければ伐採することはできない。また、土地の収用を担当する部署も工事部門とは連携は取れていないようで、ちぐはぐな工事がすすんでいた。いずれは、辻褄が合うのだろうが、いかにもお役所仕事だと感心する。 農場も、なんとなく日常が戻ったような雰囲気だ。散歩する鶏の親子も田舎ならではの光景だ。カラバオも毎日雨に現れて機嫌がよさそうだ。 黒豚の脱走事件により、フェンスを修復するための資材が配達された。フェンスの根元を玉石で固めて、穴が掘れないようしようという算段だ。 農場のゲートハウスは改修されて、立派な居室となっているが、当面、使用する気配がない。左が内側で、右の写真は農場の外側の写真だ。この界隈ではオレンジゲートの家として有名だ。  

正月開け、農場の日常 2014年2月7日



三が日も開けた4日(日)、今をときめくオカマのタレント、バイス・ガンダが、なんと、こともあろうに大統領とトークショーを行ったのだ。数日前から、テレビで予告していたが、見逃すまいと、皆に檄を飛ばしておいた。参考ブログ「バイス・ガンダの物語 2014年2月24日」参照。 トークの内容は、大統領の私生活に関する他愛もない質問で、大統領は、笑みを浮かべながら質問に答えていた。たとえば、シャンプーは何を使っていますかなど、毛の薄い大統領に対して、予想外で他愛のない質問をぶつけていた。 アキノ大統領は私立の雄、アテネオ大学の出身だが、経済学を前大統領のアロヨに教わったとか、知られざるエピソードも紹介された。 それにしても一介のコメディアンが、大統領を相手に一時間番組をこなすなど、日本では考えられないことだ。一方、我が家の聴衆は、終始、笑顔で、バイスガンダの話術に聞きほれていた。私と言えば、写真を撮るだけで、彼らに何を話しているのかと聞いても、ちょっと訳しようがない、ジョークの連発だったらしい。

バイス・ガンダが大統領とトークショー 2015年2月7日