Monthly Archives: June 2014


PRAの創立記念パーティが来る7月4日(金)に、3年ぶりに開催される。今回は29回目の創立記念ということだが、2011年26回目以来、久しぶりのことだ。その間、創立記念は行っていたのかもしれないが、ごく内輪でやっていたようで、私の耳に入ることはなかった。 今回も、10年、あるいは20年目の節目の退職者の表彰などをやるそうで、限定された招待者に限られるそうだ。私も、何も知らされていなかったが、退職ビザを保有する最年長退職者として、101歳のKさんが表彰されるということで、その招待に私が駆り出され、ことの次第を知ることになった。 しかし、急遽、他の退職者にも連絡してほしいといわれて、このブログで紹介することにした。しかし、出席する場合は、事前に連絡がほしいということなので、PRAに直接連絡するか、私に連絡をしてほしい。 2010年に行われた25周年記念は節目の年ということもあり、ソフィテルホテルのボールルームで盛大な式典が行われた。PRAの職員も着飾ってレセパショニストを務めていた。 ヌエバ・エシアにお住まいの101歳のKさんの息子さんに連絡をとったら、快く了承してくれた。しかも、お父さんご本人も遠くからやってくるということで、PRAの担当も大喜びだった。ちなみにKさんは先ごろ、フィリピンに在住する最高齢ということで、日本政府からも表彰され、安倍総理直々の表彰状をもらったそうだ。こういう名誉ある賞には、お父さんもお喜びのことなのだろう。 2011年におこなわれた26回目の創立記念は、前年とはうって変わって、大変地味なもの だった。1歳と3ヶ月になっていたKIANは縦横無尽に会場を走り回って、彩(ご迷惑?)を添えた。そのKIANもすでに4歳、今年はどんなパフォーマンスを見せてくれるのだろうか。 場所は、エルミタのロハスブルバード沿いのGolden Empire Towerなのでわかりやすい。受付は午後、3時からだが式は4時ごろから始まるそうで、6時には終わる。ちなみにPRAはこの日、午後からオフィスを閉めるそうなので、気をつけてほしい。

第29回PRA創立記念パーティのお知らせ2014年6月29日


5月26日はキムの誕生日だ。その前の日の25日は息子の誕生日で、前の前の日の24日は、親しくしている退職者の誕生日で、盛大な共同誕生会が期待された。しかし、急遽、息子が日本へ帰ってしまったので、キムの誕生会だけになった。 女の子の18歳の誕生日は特別で、デブー(デビュー)といわれ、晴れて大人の仲間入りをするいわば、成人式だ。家庭によっては、姻戚のほかクラスメートなど招待して、ホテルのレセプションホールを借り切って、結婚式並みに盛大にやるくらいだ。この日は同年代のビアンカ(息子の許婚候補)とドナ(メイド)が友人代表として参加した。ちなみに、男のデブーは21歳だが、男のデブーの式というものはお目にかかったことがない。 当日まで、どんな誕生会を催すのか決まっていなかったが、結局、おなじみのルートンマカオの中華レストランで、内輪の食事会だけとなった。しかし、たまたま、マニラに来ていた両親の母親(ロラーおばあさん)も参加して、総勢16人の大食事会になった。もちろん、万難を排して、父親のカーネルも参加した。娘のデブーを欠かしたとなると、生涯うらまれることになる。          父親から恒例の赤いバラの花束をプレゼントされて、おめかしするキム(左)。右の写真は、ジェーンの長髪禁止令により、かなり短めに髪を切ってきたキムとビアンカ、18歳らしく、とても可愛らしくなった。 両家のロラが会うのはめったにないことで、バプティスマル、デブー、結婚式、それに葬式くらいのものかもしれない。   子供6人を含むとは言え、16人で5300ペソ、ケーキを含めても一人頭400ペソ足らずで済んだが、ルートンマカオの安い、おいしい、量が多いの三拍子の面目躍如だ。ただし、飲み物は我が家のしきたりで、私のビール以外は注文させない(飲み物は何もここでなくともどこでも飲めるし、割高だ)。 近所のレッド・リボンで買ったきたケーキには大きな18をかたどったいうローソクが立てられていた。誕生ケーキとあらば、すぐに自分でローソクを吹き消さないと気がすまなかったKIANだが、この日は、アテ・キム(キム姉さん)の誕生日としっかりわきまえていた。 反対側の席から、大声で、Happy Birthday Ate Kim、I love you、などと大声で会話するKIANとキム。年の離れた仲の良い姉弟だ。

キムのデブー(18歳の誕生日)2014年6月15日



5月xx日、夜明け前から、携帯が長いこと鳴っていたが、どうせ間違い電話だろうと出ずに切ってしまった。そうしたら、朝早く、とある退職者(Aさん)と一緒に暮らし、面倒を見ていたJが、Aさんが亡くなったと知らせにやってきた。以前から病弱で、つい先日、「床ずれの良い薬を知らないか」と電話があり、「医者に相談してほしい」などと話したばかりだった。 Jにはとにかく、肉親に連絡して、フィリピンに来てもらうこと、その際、家族関係を証明するために戸籍謄本を持ってくることとアドバイスした。 翌々日、Aさんのお子さん(Bさん)が会いにやってきた。結論としてお骨を一刻も早く日本に持ち帰り、葬式を日本でしたいとのこと。当方としては、Aさんは、退職ビザのスマイルプログラムであるために、ビザ預託金2万ドルをEnd of Term needs and obligation(終末のニーズ) に使えるから、下記の書類を準備することをアドバイスした。 ① 預託金を引き出したい旨のPRA宛レター ② 出生証明書の取得(退職者と申請者の関係を証明する文書) ③ 委任状(当方がPRAと折衝、手続きを遂行するため) ④ 入院費、葬式等の領収書ないし請求書 月曜朝一、再度、JとBさんがやってきた。結論として「葬式の費用を払わないと、遺体を火葬することができない。しかも、そのような費用は準備してこなかった。」ということで、一刻も早くPRAに葬式の費用を支払ってもらうことが、急務となった。ちなみに預託金はDBP(Development Bank […]

退職者が死んでしまったら その4 2014年6月7日