Monthly Archives: December 2013


暮れも押し迫った12月30日、ジェーンの結婚式がSacred Heart Church執り行われた。8月に市役所の裁判所で簡単な式を挙げたが、今回がいよいよ本番だ。当初、新郎と新婦共通の田舎、アルバイのレガスピ市で、行う予定だったが、マニラからの招待客の交通費やホテル代など膨大な費用がかかる見込みだったので、急遽、マニラで執り行うことになったそうだ。 田舎からは、結婚式に参加するために約20人のジェーンの姻戚がやってきて、もともとの住人を合わせて約30人が我が家に泊まった。クリスマス前からやってきていたので、この1週間はまさに子供達の喧騒で明け暮れた。さらにゲストハウスには10人程度の新郎の姻戚が泊まった。結婚式当日は、朝から女性たちは化粧や髪結いで大忙しだ。 1時半過ぎ、いよいよ、ホテルに泊まっていた新郎新婦が教会に到着した。昨夜からロックウエルのホテルに泊まった新郎新婦はリムジン(リンカーンコンチネンタル)でやってきたが、披露宴会場のロックウエルと教会の往復だけで15000ペソの大枚をはたいたそうだ。 新郎の右に位置する恰幅のよい肩はジェネラル・ソーサ、新郎(カーネル・ヤン)の上司にあたる。 教会の入り口はジェーンの姻戚の子供たち、この日のためにしつらえて赤いドレスで統一されている。右は新婦を迎えるために、ポリス・アカデミーの国家警察の幹部候補生たちがサーベルを持って新婦を迎える。 リムジンの中はまるで部屋のようで、新婦のジェーンを姪たちが囲む。KIANはジェーンと一緒になりたくて涙を浮かべている。KIANの左は化粧担当のバクラ(オカマ)。 いよいよ新婦の入場だ。軍服に身を固めた幹部候補生たちに付き添われてバージンロードを進むジェーン。一方、警官姿のKIANはママを迎えて、敬礼。         この日、式を執り行ったのは、Bishop Ruben Profugo、フィリピンのキリスト教界でNo.2の重鎮だ。彼は、我が家のはす向かいに住んでいる隣人でKIANとも親しい。そのため、Bishopは式のあと、この式はKIANの取り持つ縁であることを聴衆に向かって話をしていたそうだ。式は、厳かに進むが、当方はわけがわからない。従ってもっぱら写真撮影に専念。子供達も神妙に牧師の話を聞いている。 式もクライマックスを迎えると、ニノン、ニナン(立会人もしくは証人)を携えて、結婚の誓いを述べる。もちろん、KIANも同席して承認となる。この日は縁の深い、5組の日本人にニノン・ニナンをお願いした。        前列には右にニナン、左にニノンが並ぶ。 式が終わると、ニノンやニナンの参加者に対して、牧師のブレッシングが行われる。そして、その後は記念撮影だ。 まずは軍服姿でサーベルをかざす幹部候補生と、こんな光景はめったに見れるものではない。そして、新婦の家族。 新郎の家族、ニノン、ニナン、友人、と延々と記念撮影が続く。 […]

ジェーンの結婚式ー教会編(その1)2013年12月31日


最近、NHKで、「介護を拒否する一人住まいの認知症のお年寄り」、あるいは元NHKのレポーターの「認知症のお母さんの介護生活の3000日の記録」、「辞職して親の介護をする中高年-介護辞職」などの番組をやっていた。日本の介護の現場は、どうしようもない状況に陥っているようだ。 日本では予備軍も含めて、800万人の認知症のお年寄りがいるという。そして、この方たちの多くが一人あるいは夫婦だけで暮らしている。私の身の回りを見渡して見ても、子供夫婦と一緒に暮らしているお年寄りはほとんど見かけない。お年よりは皆、口をそろえて、子供達に面倒はかけたくないと話す。そして子供達も将来、親の面倒を見るという気はない。 かと言って、いざ親が認知症など介護を必要とするときが来たら、ほっておくわけにも行かないし、特別養護老人ホーム(特養)は40万人の入居待ちがおり、私設の有料老人ホームに入れようとしても、一般人には高嶺の花だ。そうなると、介護のために会社を辞めたり、離婚して親の介護に専念したり、自分の家族を犠牲にせざるを得ない方も多い。だからこそ、お年よりは、ますます子供に面倒をかけまいと、一人住まいや介護拒否が加速する。そして、最終局面では、面倒を見るほうも見られるほうも地獄を見ることになる。 最近はおやつ代わりにミルクを粉のまま食べるKIANはメタボ予備軍だ  先進国としての通例で、国は、年金制度、健康保険、介護保険、生活保護などの社会福祉を充実することにまい進してきた。しかし、高齢化社会、少子化社会を向かえ、収入と支出のアンバランスにより、膨大な国家予算をつぎ込むことなり、その破綻は秒読みの段階にになっている。日本はそれぞれの福祉制度にフィリッピンの国家予算をはるかに凌駕する国家予算を割り当てている。しかも、それは皆、国債などの借金で賄われているのだ。 政党は票集めのために社会福祉の充実を旗印にしているが、現実は、年金支給開始年齢のの引き上げ、個人負担の増額、在宅介護の奨励など、出費の削減にやっきだ。それは、膨大な国家の負債により財政が破綻、そして国が破綻するということが、海外では、すでに現実となりつつあり、日本も例外ではありえないからだ。 しかし、手厚い福祉制度に胡坐をかいて、核家族化、そして無縁社会をまい進してきた日本人にとっては、国家の福祉に頼らざるをえない体質(メタボ社会)になってしまっている。そんな日本人に対して福祉の後退は、お年寄りの致命傷となり、子供達は、この世に生を授けられることさえも拒否される世の中になっている。 ルートンマカオで定番の野菜とシーフードのスープを食べたら一気に一杯半も平らげたKIAN。普段食べない野菜や豆腐、イカにエビなども喜んで食べていた   先般、お世話したお年よりは、すでに軽度の認知症で、高齢の奥さんにとって、その介護は過酷で精神状態までおかしくなりかねない切羽詰った状態だった。お子さんは、それぞれの生活があり、介護を助けることもできない。特養に入れようにも、この程度の認知症では対象外と門前払いをされ、申し込むことさえできなかった。私営の老人ホームに入れたら、財政的に子供達の生活が破壊されてしまう。 解決策として考えたのが、フィリピンでの介護で、外国人を専門に面倒を見ているWellness Placeというところに父親を預けた。月々10数万円、これなら、なんとか賄える。これにより、家族崩壊の危機を乗り越えることができた。しかし、この選択は、海外に居住する、海外通の息子さんあってのことだ。今後、介護老人を抱える家庭は、国を頼りにするのではなく、日本を脱出して、自ら解決策を海外に探る以外に方法がないかもしれない。 一方、フィリピンには老人介護の問題も少子化の悩みもない。国民の半数が貧困という社会では老人と子供は強い家族の絆に守られて、幸せに暮らしている。介護施設も皆無で、自分の親を介護施設に送る込むという様な不謹慎な子供はいない。フィリピンでは老人と子供は神の子であり、天使なのだ。 となりの家の歩行機械で一生懸命運動をするKIAN。メタボ解消に躍起だ  それでは、日本のお年よりは、何故、子供に面倒を見てもらうことを拒否して、一人暮らしをするのだろうか。逆説的な言い方だが、財政的に可能だからこそ、一人暮らしをするのだ。たしかにお金さえあれば、色々と面倒な家族などいないほうが気楽でいいかもしれない。嫁姑の確執もないし、夫婦の揉め事も、兄弟や子供が持ち込むトラブルに悩まされることもない。 財政的裏づけとは、まさに社会福祉の目玉、年金だ。年金があれば、子供を頼りにしなくても老後の暮らしが送れる。老いて子に従う必要もなくて、好きなときだけ土産を持って孫の顔を見に行けばよい。年金がもらえない人は生活保護という便利な制度まである。 […]

メタボ社会は国を滅ぼす(その5-年金と健保)2013年12月22日



ここのところ、フィリピンと日本を結ぶ空の便が大幅に増加している。ちなみにフィリピン航空は今日(12月15日)から、マニラー成田間を毎日3便、セブー成田間を毎日2便へと増便した。 従来便は PR431成田発0930 マニラ着1330 PR432マニラ発1500 成田着2010 増便は PR427成田発1555 マニラ着1955、 PR428 マニラ発0945 成田着1455 と PR429成田発1900  マニラ着 2300、 PR430 マニラ発1250/1145 成田着1800/1655 一方、セブ行きは、成田を夕方出発する便を加えて、毎日2便となった。 従来便は PRA433成田発1425 セブ着1845 PR434  セブ発0800 成田着1325 増便は PR435 成田発1925 セブ着2345、 セブ発1300 成田着1825  一方、セブパシフィックは、関空一本だった便を成田と名古屋を加えて、2014年3月30日より、毎日3便が日本とマニラを結ぶ(名古屋は火木土日の週4便)。 増便は 成田1145 マニラ着1545 マニラ発0525 成田着1035 及び、名古屋発2110 マニラ着0010 マニラ発1520 名古屋着2025 […]

日本ーフィリピンの増便ラッシュ 2013年12月15日


昨年、幼稚園に通い始めて、KIANの第一言語を英語にすることをママジェーンが宣言して、KIANの会話が英語一本に統一されたことは、2012年11月のブログで報告した。その時点では、周囲とはなんとか英語でのコミュニケーションができるという程度だった。しかし、それから一年、彼の英会話能力は格段の進歩を遂げ、英語で話すことをすでに身につけたと言い切れる。語彙も豊富になり、ほとんど言いたいことを表現でき、英会話能力は8歳の双子をしのぐと言っても過言ではない。 KIANは姉のキムや従妹の双子と一緒に私の部屋でデズニーなどの映画を楽しむのが習慣だ。それは私の部屋のテレビだけがUSBにセーブした映画を見ることができるからだ。ちなみに32ギガのUSBには数十本の映画がダウンロードしてある。もちろん無料のダウンロードだ。左はキムが差し出した歯磨きの道具を見て、ベッドの下に隠れるKIAN 5月に日本に行って、半年振りにフィリピンに帰ってきた息子はKIANの英会話能力の目覚しい上達に驚いた。相変わらず抱っこ抱っことせがむKIANだが、もはや赤ちゃんとは言いがたく、しっかりと子供になっている。ママ・ジェーンが、妹が欲しくないかと聞くと「Why you want other baby? You have Kian already. I love you sou […]

KIANの英会話学習(その2) 2013年12月15日



12月30日の結婚式まで2週間と少し、ジェーンはその準備に、毎日のように、教会やデビソリアに出かけていく。教会では式次第、ニノン/ニナン、それぞれの参列者の役割、などなどの打ち合わせ、デビソリアでは出席者の衣装の調達だ。 さらに、甥のシステムエンジニアーのNONGは当日、披露宴で公開するためのビデオ作りに、毎日のように 事務所を訪問している。 さらに、披露宴の出し物として、日本人退職者とキムのデュエットの練習に毎週土曜日に練習においでいただいている。披露宴にはプロ歌手を呼んでおり、その合間にデュエットが入るそうだ。退職者はできれば、プロの演奏前に歌いたいと恥らっているが、その方も、かつてアマチュアバンドのボーカルとしてならした、喉自慢だ。 新婦側の衣装は赤となっており、何らかの役割を持って参列する女性は、下記のような赤いドレスを着ることになっている。しかし、こんなドレスを持っている人はいない。従って、すべての人が新規に調達することになる(フィリピンにも貸し衣装という商売はあるようだが、種類が少ないうえに、他人が着たものは、ためらわれる。しかも、これからも着る機会もあるし、長い目で見れば、安上がりと考えているようだ)。 フィリピンでは参列者のドレスは一色に統一される  ジェーンが故郷のタバコから招待している姻戚関係は20数名、そのうちの半数の女性には赤いドレス、半数の男性にはバロンを自前で準備しなければならない。赤いドレスはすべて注文服とあって、何度もデビソリアに出かけていくことになる。彼女によると、デビソリアで買うとマカティの半値くらいで済むそうだ。すでに出来上がった赤いドレスは、私のクローゼットを占領して入る。これら20数名の招待においては、旅費から食費まですべてを賄ってやるそうで、それだけでも大変なものだ。そして、結婚式の前後は、この20数名の招待客で我が家は占領されることになる。         最近、ちょっと変わった訪問客があった。女性の格好はしているものの、直感的にバクラ(おかま)とわかる。なにやら大きめのカバンを持って、2階にあがる。そして、1時間後くらいにジェーンがおかしな顔をして、得意顔で、写真をとって見せてくれとおりてきたのだ。 普段のジェーンとは似ても似つかない顔をしておりてきた彼女は、私の感想を求めてきた。多分「ビューティフル」という、感嘆の声を期待したらしいが、私の反応は「パンゲット(ブス)」の一言だ。今回、結婚式の予行演習として化粧を施し、写真家に写り具合などのチェックをしてもらうためのものらしい。しかし、化粧の後の顔は10~20歳くらい年を取ったようで、お世辞にもきれいになったとは言えない。こんな仕事に4000ペソも払ったなんて、なんとも信じがたいところだ。 左がバクラの化粧後、右が普段の顔、どっちが良いか一目瞭然だろう バクラの名前はタイラ、同じ敷地にあるパームタワー・コンドの住人だ。ジェーンが偶然出会ったらしいが、有名女優の化粧をてがけるちょっと名の知れたアーティストだそうだ。近々、バクラの美人コンテスト(BINIBINING-GAY PHILIPPINES)に出場するらしいが、確かに美形のバクラだが、話してみると声の太さが尋常ではない。 フィリピンでは、美容師、ダンサー、スタイリストなどは、ほとんどがバクラで、彼ら(あるいは彼女達)バクラはこの方面の才能に長けている。ちなみに、コメディアンのバイス・ガンダは、現在フィリピンで最も人気のあるタレントの一人、バクラの英雄だ。

ジェーンは結婚式の準備におおわらわ 2013年12月13日


11月23日、以前お世話をしたSさんから、「ブログにアクセスできないが、URLを変更したのか、アクセス方法を教えて欲しい」とのメールが入った。当方としては、何の覚えもないが、早速ブログにアクセスしようとすると、ブログサイトの運営者からタガログ語でメッセージが出ていて、何のことやらわからないが、私のブログにアクセスできないのは、間違いない。  数日すれば、元に戻るだろうとたかをくくっていたが、そのメッセージをフィリピン人に読んでもらうと、どうもただ事ではなさそうだ。さらに、メッセージには疑問があれば問い合わせるようになっているので、一体どういうことが教えて欲しいと連絡した。翌朝、メールを開けてみると、ほとんど折り返しに回答があって、「規約違反があり、ブログを削除した、もはや回復できない。」という、ありきたりの決まり文句が帰ってきた。さらに、厳重に抗議をしたが、あとはなしのつぶて、まさに大企業の横暴極まりないといったところだ。 2008年5月以来、5年半、延々と書き綴ってきた私の人生の記録ともいうべきブログがなくなってしまった。このブログは単なる日記というより、フィリピンに興味を持たれる方々へのフィリピン情報の発信であり、パスコのビジネスの唯一のマーケッティングでもあった。それを何の通告もなく、一方的にすべて削除されてしまうなんて、まさに犯罪行為に等しいものだ。 まさか、このような事態が起きるなんて、予測していなかったので、ブログのバックアップは取っていなかったのが不覚だった。いつもブログサイトに直接書き込んで、写真を貼り付けていたので、何のバックアップもなかった。そのため、まるで、私の5年半の人生そのものを奪われてしまったような気がして、引退して農場で百姓でもやろうなんて気持ちにさえなってしまった。 一方、多くの方から、最も信頼できる生のフィリピン情報だったと惜しむ声と復活を願う声が寄せられた。中には、日比の宝だったなどと評し、その回復に力を貸してもらえるという申し出まであった。削除された原因については「政府筋や同業者の陰謀ではないか」、「花街の情報がひんしゅくを買ったのではないか」などと、憶測が寄せられたが、最後に「たびたび登場するKIANちゃんの裸の写真が児童ポルノとみなされたのではないか」という、コメントをいただいた。まさか、唖然となったが、公開される情報については、よほどの注意が必要と肝に銘じた。 一方、ビジネスパートナーの義理の弟である、パスコの取締役でもあるNONGが、写真はだめだが、ブログの文章は回復できるかもしれないとアドバイスしてくれた。そして数日後ほとんどすべてのブログのファイルを回復してくれたのだ。さらに、そこには写真の番号も含まれており、パソコンに保管された別途の写真ホルダーから引っ張り出してこれる。これらを、新たなブログサイトにアップロードすれば、ほとんどすべてのブログを再度公開できる見通しがついた。幸か不幸か、11月以降、本業のビザの取得サポート依頼が底をついているので、時間はたっぷりある。  カーネル(国家警察の幹部、パスコのビジネスパートナーの夫)によると、無料のブログサイトを使用しないで、サーバーの使用に金を払うべきだとアドバイスされた。無料であれば、運営者の独断で「規約違反」の一言でなんでもできる。金さえ払っていれば、責任があるので、勝手なことはできない。NONGは、パスコのホームページのサーバーを使えば、特に追加の費用は不要で、ブログの無料ソフト(WordPress)をインストールするだけで済むそうだ。その費用は2000ペソ足らず。こんなことだったら、初めからそうしておけば良かったと後悔しきりだ。  いざ、はじめてみると、各々のブログごとに写真を集めるの相当な時間を費やした。そして、一件ごとのブログをアップロードするのもかなり厄介で、一日、10件がやっとだ。文章はコピー・ペーストで簡単だが、写真一枚に同等の時間を要し、写真が20枚くらいになると、1時間以上の時間を必要とする。今まで、ブログのアップロードのスピードは月に平均10件程度だったから、やはり一日につき、一か月分、5年半となると、70日弱、700時間程度かかることになる。しかも、どの写真がどの文章と関連しているかなど、吟味しながらアップロードしなければならないので、人には頼めないところがきついが、やるしかない。 とにかく、只より高いものはない、という教訓をしみじみ味わった次第だ。現在使用しているYahooのメールも大丈夫か気にかかるところだが。

只より高いものはない(ブログが削除されてしまった!) 2013年12月7日



台風がフィリピン中部、ビサヤ地方(サマール、レイテ、セブ、パナイなど)を直撃して、今日、11月26日で18日目を迎えた。当地の日本語新聞であるマニラ新聞は、今日も一面全部を割いて、台風の記事を載せている。まさに、東日本大震災と同等あるいはそれをしのぐ災害となってしまったようだ。 24日午前6時現在の国家災害対策本部発表によると、死者5235人、行方不明1613人、合計6848人、全半壊した家屋数は114万棟で、73万8千世帯の345万5千人が避難生活を続け、被災者数は216万世帯、1001万人、実に人口の一割を超え、フィリピン歴史上最悪の災害と言えるようだ。 大統領府によるとと、外国政府や国際機関による援助表明額は24日までに、国家予算の3割に匹敵する149億8500万ドル(6433億ペソ、1兆5135億円)、さらにフィリピン政府として、554億ペソ(1288億円)の復興予算を確保した。日本からも5150万ドル(22億1500万ペソ、52億円)の資金援助と1000人を超す自衛隊員が救援活動にやってきている。 ちなみに、これらの支援を1000万人の被災者に分配したとしたら一人あたり15万円、一家族5人とすると合計75万円という数年分生活できる額になる。さらに全半壊した家の数(114万)で割ると130万円で、優に家を建て直すことのできるお金だ。しかし、これらのお金がいかに有効に分配されるかが鍵だ。 この台風が新聞に出始めたのは、11月7日のことで、猛烈な台風と称されていたものの、ここまでの被害になるとは誰しも予測していなかったにちがいない。台風が上陸した翌日、11月9日の発表が、死者は3人、そして、翌日が138人、そして、229人、1774人、2344人、3631人、3976人、4011人、5209人、そして25日は5235人と毎日、幾何級数的に増加していった。これは、現地の通信網が破壊されて、現地の状況が把握できなかったためだ。 しかし、街には義捐金を呼びかける姿は無く、庶民は親戚や知り合いに支援の手を差し延べるものの、公的機関への義捐金を出すことにはさほどの興味は示さない。これは、仮に現金を送ったところで、被災者に届くにはごくわずかで、途中で消えてなくなってしまうことを誰もが知っているからだ。だから、国際的支援も、約150億ドルのうち、資金援助は約35億ドルで残りの115億ドルは物資援助などだ。 ちなみに、フィリピンの英雄、ボクサーで国会議員のパクヤオ選手はこの試合を被災者にささげると表明して24日マカオで開催されたWBOウエルター級世界王座決定戦に判定で勝利した。タクロバンで無料の中継が行われて、被災者を多いにはげましたそうだ。 2006年11月30日、ビコール地方を襲った大型台風レミンは私の農場のあるアルバイ県などに甚大な被害をもたらしたが、私のビジネスパートナーは集まった義捐金、約32万ペソを使って、テント、米、缶詰、乾麺、Tシャツなどを購入し、約1300の袋に詰めて配布した。このような時、現金をバランガイ(フィリピンの最小行政単位)などに渡したとしても、決して困っている人には届かない、というのがパートナーの意見だった。 この時は、台風の翌々日に乗り込んだが、電信柱や倒れた木々で交通は遮断され、葉を落とした椰子の木で禿山のようになった大地に建っている家々は屋根を飛ばされ、台風のすさまじさを示していた。特に、マヨン火山の斜面に積もった溶岩が大雨で流れ出し、土石流となって河岸の家々押し流し、多くの死者をだした。このときの風速は60m/秒を越えていたと推測されるが、土石流の他には水害がなかったので、家が破壊されるという被害は局所的なものだった。 しかし、今回の台風ヨランダは、風速90m/秒というから、桁違いの台風だった。それに5mに達する桁違いの高潮、東日本大震災といい、やはり水害が壊滅的被害をもたらす。レイテのタクロバンに被害が集中したのも、タクロバンは湾の奥に位置しているために、三陸で津波の被害か大きくなるのと同様、甚大な高潮の被害受けたのだ。 地球温暖化の影響によるこのような桁違いの災害は、フィリピンや日本ばかりではなくこれからも、世界中で、頻繁に起こるような気がする。地球にとってはちょっと風邪を引いて熱が出た程度かもしれないが、地表にうごめく人類にとってはとてつもない災害となる。これに対して、いかに対処づべきか、あるいは対処できるのか、根本的に考え直す必要があるのではないか。

超大型台風30号(ヨランダ)がフィリピンを直撃(その3)2013年12月6日