Monthly Archives: July 2013


しばらく前にカラバオヨーグルトのことをブログに載せたら、KKさんから、彼は自家製のヨーグルトを楽しんでいるが、いずれ種菌を分けてくれるとの話があった。前回も紹介したようにフィリピンではプレイン・ヨーグルトを入手するのは極めて難しいので、とてもありがたい話で、その日を楽しみにしていた。ちなみにKKさんは一昨年ご両親を伴って移住してきた、いわば介護移民だ。 東北人の朴訥さと人の良さを絵で書いたようなKKさんの人柄はKIANにもわかるようで、2年振りの再会にも関わらず、親しげに寄り添ってツーショット(1歳半だったKIANが覚えているとは思えないが)。後方左は奥さん。   マニラ北方、150km、ヌエベエシア、カバナツアン市にお住まいのKKさんは、この日、5時間かけてやってきた。種菌と牛乳一パック、それに4つの容器など、必要道具、一式をを持ってきてくれた。 牛乳1リッターパックと種菌。牛乳はなんでも良くて、カラバオやヤギの乳でもOK     作り方はいたって簡単で、容器を熱湯消毒して、牛乳を250cc入れる、それに種菌のヨーグルト大匙一杯をいれてかき回す。ふたをして、4~6時間置いておいて、容器を傾けて、中が固まってきたら出来上がり。冷蔵庫に入れて保存するが、できたヨーグルトは次回、種菌としても使える。そうやって、長年、種菌を維持することができるが、長期に作らない場合、種菌を冷凍庫で保存する。 種菌といってもただのヨーグルトなのだが、どこか、とろーっとした感じだ  この、種菌は、知人がカスピ海から持ってきて人に分けたのが始まりだそうで、室温で作れるのが特徴。普通は40度に維持しなければならないので、保温装置が必要になる。早速、朝方買ってきたカラバオミルクで試してみたが、見事成功。1~2週間は持つそうなので、週に1~2回、牛乳1パック分作れば十分だ。味はいたって淡白だが、古くなるとヨーグルト独特にすっぱみが出て来るそうだ。さらに常用すると、お腹の善玉菌を増やし、悪玉菌を追い出し、お通じがとてもよくなるそうだ。 牛乳1パックで、250ccづつ、4つ。これだけあれば、1週間ぐらいもつ  ヨーグルトの話が終わるとしばらく雑談していったが、KKさんの2年間のフィリピン・サバイバル生活は、いらいらすることばかりで、奥さんとの口げんかも絶えないと言う。私なりの、日本人とフィリピン人の違い、摩擦について、述べさせてもらったが、こんなに柔和なKKさんでさえ、こうなんだから、我々凡人は一体どうなるのか想像がつかない。 この日(7月27日)は、安倍首相の来比とあって、大統領との会談の開かれたインターコンチネンタル・ホテルの脇のアヤラ・アベニューには、歓迎の国旗が掲げられていた

自家製カスピ海ヨーグルトに挑戦 2013年7月28日


7月も半ばを過ぎると、マニラにはいよいよ本格的な雨が降って、道路の冠水も日常茶飯事となる。パソンタモ通り沿いの和食レストランやカラオケが集中するリトル東京/マカティ・スクエアあたりは、よく道路冠水が起きることで有名だ。道路冠水の原因は、もちろん大雨だが、小一時間ほど、ちょっと強い雨が降るだけで、低い場所にある道路は簡単に冠水してしまい、いたるところで道路網が寸断される。ジープニーやSUVならば、水しぶきをあげて走り去るところだが、タクシーなどのセダン・タイプの車は、かなり必死の覚悟で走らなければならない。一旦エンジンが止まってしまうと、排気口から水が逆流して、エンジンがかからなくなってしまうためだ。こんな時に役に立つのがエンジンのない車、すなわち自転車なのだ。 道路冠水は雨季(6月~11月)のマニラの風物で、いたるところで、道路が冠水し、交通が麻痺する  10年ほど前にパソンタモ通りではかなり本格的な下水道工事が行われたが、効果があったのは1~2年で、すぐに元にもどってしまった。そもそも、マニラは地形が平坦だから、いくら道路に沿って排水溝に埋設したとしても、勾配がほとんどないから、流速も小さくて、土砂やごみが堆積して排水路の断面がすぐに小さくなるか、ふさがってしまう。  フィリピンでは予算の関係か、メンテ(維持管理)というものをほとんどしないから、せっかくの排水溝が宝の持ち腐れになってしまうのだ。もし、適切な勾配を維持しようとしたら、末端で水位が海面以下となって流れる先がなくなってしまう。そのため地下に大規模な貯留槽を作って、ポンプでくみ出す等、大規模な工事が必要になるのだが、そんなことは予算の関係でとてもできない。  しかもフィリピン人の悪い習性として、ゴミは下水に捨てるということがまかり通っている。特にスコーターではこの傾向が顕著で、行政の頭痛の種となっている。そんなわけで、道路冠水は雨季のマニラの風物誌として不動の地位を守っているのだ。 2009年台風オンドイによる首都圏の洪水被害は、我がコンドミニアムの前の道路も1m近い水位となってしまい、2週間近く首都圏の機能が麻痺した。    ところが、2009年、台風オンドイの影響で首都圏マニラを襲った大洪水はちょっと事情が違う。マニラの排水を一手に引き受けるパシッグ川が、上流からの大量の雨水と、満潮が重なって、水かさを増し、堤防を越えて陸側に流れ込んでしまったのだ。その結果、空からの雨水と川からの雨水が溜まって、まさにマニラが大きな水溜りになってしまったのだ。この時は排水溝がパシッグ川に流れ込むところに設けられている水門やポンプは、なんの役にも立たなかった。  本来、マニラ上流の雨水は一旦ラグナ湖にためて、大雨の後、徐々に海に流す洪水対策が取られている。この時は、ラグナ湖の水位が上昇して、貯留池としての役割を果たすことができず、大量の雨水がパシッグ川からマニラを襲った。すべてが想定を上回る大雨のために起きたのだが、その辺の解決策は政府レベルで進められているはずだ。 パシッグ側の水位が高いときは水門を閉めて、雨水の逆流を防ぎ、同時にポンプで排水する。従って、満潮で水位が高いときに強い雨が降ると、雨水の流れる先がなくて、至るところで道路冠水が発生する  さて、いよいよ本題だが、マニラ市は、最近、スーパー等で使うレジ袋をすべて紙製のものに変更するという施策を実行した。そこで、運転手役のボボイに質問した。「何故、プラスティックの袋を紙袋に変更したのか?」と。彼は、「知らない。」と答えた。さらに「それは良いことか?」たずねたら、「良くない。とても不便だ。」と回答し、会話は先へ進まなかった。  さらに。17歳のキムに同じ質問をした。キムは「それは地球のCO2を減らし、オゾン層の減少を防ぎ、地球の環境破壊を防ぐためだ。」と学生らしい回答だった。しかし、これではマニラ市の役人の思いを全く理解しておらず、市民の協力を得るまでは道のりは遠い。 首都圏の小売店の袋はすべて紙製に換えられた。紙であれば、薪代わりに使うこともできるし、捨てられてもいずれ溶けて流れて下水管を詰まらせることもなかろうというわけだが、その努力は報われるのだろうか  そこで今度はジェーンに質問した。ジェーンは即座に「下水道を詰まらせているプラスティックのゴミを減らし、洪水の元凶となっている排水管の詰まりを解消するためのものである。」と回答した。さらに続けて、「私は、買い物袋を持って買い物に行くので、紙の袋さえも必要としていない。それを徹底するために、いっそ、レジの袋を有料にすればいいのだ。」という、模範解答が帰ってきた。   そこでボボイの回答を披露すると、「庶民は、公共の利益については全く関心がなく、自分の利益だけを追求している。なかには、下水管をプラスティックで塞いで道路冠水をわざわざ引き起こし、それで、人や荷を運んだりしてチップを稼いでいるけしからん輩までいる。だから交通整理の係官は雨が降って交通整理の仕事がないとマンホールがプラスティックで覆われていないか見回っているのだ。」と憤慨し、庶民の意識の低さを憂いでいた。庶民レベルまで彼女のような意識を持ったら、マニラももっと住みやすくなると思うのだが、先の長い話だろう。

道路冠水/洪水と紙製レジ袋の因果関係 2013年7月20日



私のビジネス・パートナーであり、かつパスコの社長であるメリージェーン・ゴメスと国家警察のカーネル・ヤン(ヤン大佐)がいよいよ正式に結婚することになった。彼らは3才になる息子、KIANをもうけ、実質的にはとうの昔に夫婦で家族を形成しているのだが、現在まで正式な結婚はしていなかった。理由は定かではないが、今月になって急に結婚すると言い出したのだ。  披露宴の場所は、彼らの息子のKIANのバプティスマルのパーティを行ったマカティ、ジュピター通りのルートン・マカオ、パスコご用達の安くてうまくて量が多いという三拍子そろった中華料理店を借り切って行う。集合は12時、例のごとく解散は未明だが、是非ふるって参加して欲しい。なお、参加の際は、kazutamishiga@yahoo.co.jpに一報ください。 今回は、いわば人前結婚式で、マカティ市役所で市長の面前で式を済ませる。フィリピンでは牧師、市長、判事などが結婚式の証人として婚姻の証明を行うことができるが、その証明書を市役所に提出することにより、婚姻が成立する。そして、披露宴は別途レストランやホテルあるいは自宅で予算に応じて行われる。  結婚式には証人として数組のニノン、ニナン(仲人)が出席して、書類にサインを行うが、これがまさに結婚式に欠かせない重要な役割で、日本人招待客とフィリピン人女性とペアになってその役割を担ってもらおうとしている。   カーネルの連れ後のキムは17才、3才のKIANを含めて、4人は理想的な家族を形成している。それに強いて加えると私がおじいさん役、それにジェーンの弟と双子の子供、さらにヤヤで、我が家は9人の大家族だ  二人は共にビコール地方アルバイ県の出身だ。だから、地元で、家族や姻戚、さらに地元の有力者を招いた結婚式は欠かせない。12月の末、皆が帰郷した折に、パート2として、さらに教会の結婚式を行う予定だが、その時は数百人の招待客が押し寄せるのではないかと予測される。披露宴はレガスピのホテルと、わがビバリー・ファーム(農場)両方で行う予定で、それぞれ、100~150人の招待客になるそうだ。農場で行う分は、食い物と飲み物だけで済むのでかなり安く済むが、レガスピのホテルとなると相応の費用がかかるだろう。農場の場合、KIANの1歳の誕生日には150人の招待客があったので、天気さえ良ければ全く問題ない。もし、こちらに参加されるという方がいたら、是非お願いしたい。  これだけのイベントの予算はどうなるのだろうか。私には何の相談もないので、あてはあるのだろう。ざっとはじいても100万ペソくらいの出費は覚悟しなければならないだろうと思うのだが。 すでに和気あいあいの家族だが、法的かつ宗教上の結婚はフィリピンでは重要な意味を持つ

ジェーンの結婚式のお知らせ 2013年7月19日


肺炎を患って以来、ほとんど一週間、ベッドの上で寝たり覚めたりして過ごしたが、その間、気がついたことがある。普段、朝あるいは夜中に目が覚めると、いわゆる朝だちで、しばらくの間、小便をするためにトイレにいけない。ところが、この一週間は、目が覚めると、すぐにトイレにいけるのだ。やることもないから、注意深く観察してみたが、どうも、朝だちがないようなのだ。もちろん、こんな時に女性のことを考える余裕もないが、実に肉体も精神も淡白になっているようだ。病気だから当たり前なのだが、どうにも気力も活力もどこかへ行ってしまったようで、夢もチ望もないといった気分だった。  男は何故、朝立ちをするのか、子供のころはおしっこが漏れないように固くなっているのだ、などと思っていたが、どうもそれだけでは説明できない。なぜなら、いつ起きても朝立ちしており、どうも寝ているときは、常に勃起しているようなのだ。肝心なときは、ついごめんなさいをしてしまうくせに、睡眠中は、数時間、連続して元気でいるらしい。そうなると男は皆、絶倫である素質をもっているのではないかと思う。この辺のメカニズムは、是非、例の生理学者の先生に教えを請うて、実践に活用したいと思う。  そして、一週間経過後、相変わらずベッドで寝起きを繰り返していたのだが、目が覚めると、朝立ちしていることが認識できた。まだ、なんとなく心もとないが、たしかに朝立ちだ。そして、2週間経過後、前のようにしっかりと朝立ちしており、しばらくの間、トイレにいけない状態になった。このことから、私は、心身ともに回復したのだと確信することができた。どうも、男にとって勃起とは健康のバロメーターのようだ。Yahooのサイトにアクセスすると「スッポン8倍を飲むと、あのころの逞しさが甦る」なんてコマーシャルが目に付くが、まさにそれだ。  ところで、最近、件の生理学者のメールマガジンに「高齢者のセクシャル・ヘルス」という記事があった。ヒトは死ぬまで性行為ができるように設計されており、アメリカの研究では75~85歳の男性の40%近くが定期的にセックスをしているということがあきらかになったそうだ。老人ホームでも性を抜きにしてあるいは性に目をつぶって運営をしていくことはもはやできないそうだ。性には無縁と思われていた高齢者が、老人ホームで青春を謳歌する時代になっているのだそうだ。  WHOでは人間が健康を維持して長生きをするには、 ①     セクシャル・ヘルス ②     フード・ヘルス ③     スポーツ・ヘルス が必要で、なかでも①セクシャル・ヘルスがもっとも効果があるとしている。 そしてその効能のベスト10は ①     ストレスを和らげる ②     免疫力を上げる ③     カロリーを消費する ④     心臓疾患のリスクを低減する ⑤     自尊心を高める […]

肺炎にかかってしまいました(その3)2013年7月14日



肺炎にかかって3週間が経過した。医者の完治宣言は出ていないものの、もう薬もやめて、ほぼ平常の生活にに戻っている。幸いだったことは6月21日(金)の罹病以来、臥せっていた初めの1週間はほとんど来客や用事がなかったことだ。2週間目の病み上がりには、毎日数時間程度の用事でゆっくりと休養がとれた。そして、ほぼ、体調が整った今週は、急に仕事が舞い込み始めて、多忙ともいえる一週間だった。  最初の数日の具合が悪いときは食事も喉を通らず、一方、栄養を取らないといけないので、栄養ドリンクやら果物やら、食べやすいものを食べた。口がまずくなって普段食べていた納豆ご飯中心の粗食は食べる気がしなかった。そうしたら、血糖値が200~300程度まで上がってしまい(正常値は、空腹時で 110、食後で150程度)、いかんともしがたい状況に陥った。長年、薬に頼らず食事の節制と運動で血糖値をコントロールして来たものが、肺炎でその辺の作戦がしっちゃかめっちゃかになってしまったのだ。  医師に相談すると、病気をすると体がその病気に対して臨戦態勢となるために血圧と共に血糖値も上昇する。しかし、血糖値が高すぎるということは血の巡りが悪くなるので、病気への抵抗力が低下する。したがってやはり血糖値のコントロールが必要なのだそうだ。この際、血糖値は薬でコントロールすることにして、栄養は十分とるようにして、安静にしているようにとの指示を受けた。最近、発売された薬で副作用がなくゆっくり血糖値を下げる10年に一度出るか出ないかという良薬というのを処方してもらった(Januvia 50mg 一日一回服用)。肺炎が完治した時点で、血糖値のことは考えることにして、当面、今まで控えてきた肉や揚げ物などおいしいものを遠慮しないで食べることにした。  そして、今、念頭にあるのが、崎谷医師の提唱するナチュラル・パレオという食事法で穀類(米、麦、豆、いもなど)の摂取をやめ、肉・魚、果実や野菜・海草などだけを摂取するというものだ。この食事法は血糖値のみならず、ダイエットにも効果があり、高血圧、癌、認知症などあらゆる生活習慣病を劇的に改善するというのだ。すでにかなり有名なものだが、かつては、こんな偏食が体にいいはずがないと、興味がもてなかった。しかし、最近、私に毎日送られてくる生理学者からのメールマガジンでこの食事法を推奨していたことに着目した。その理由は下記だ。 ①人類の700万年の歴史において、穀物中心の食生活になったのは、ほんの1万年前の話だ。それまで、人類は700万年のほとんどを、狩猟や採集で食料を得てきた。その間、食べていたものは肉や魚、果物や木の実、さらに山菜・きのこ・海草などだけだ。 ②農耕が始まって人類は安定して食料を得ることができるようになり、劇的に人口が増えた。そして主食は米、パン、麺、ジャガイモ、豆などの穀物類となった。 ③元来、人類の体は、穀物、すなわち炭水化物ないし糖質からカロリーをとって生きるようにできていない。穀物が主食になったときから、人類は高血糖となり、さらに癌、脳溢血などの病を抱え込むはめになった。現代では、飽食も加わってメタボリック症候群と呼ばれ人類最大の敵となっている。 ④従って、人類は、原始人の食事、すなわち、穀物を摂取しない食事法により、これらの病、メタボから逃れることができ、健康を維持して長生きができるのだ。  この話は、なんとも納得の行く、説得力のある話だ。今まで血糖値をコントロールするために、カロリーの高い肉類を避けご飯と納豆に味噌汁、そしてたまに外でちらし寿司や冷やし中華をとるという私の食生活は、どうや根拠の薄いものとなってしまったようだ。  さらに、かの生理学者は、野菜や穀物だけしか食べないベジタリアンは癌を促進するものとして否定している。かの有名なアップルのスティーブ・ジョブスや女優のオードリー・ヘップバーンもベジタリアンだったが癌で他界した。だから、肉や魚を食卓から排除してはいけない。狩猟や採集で集めたものを食する、すなわち原始人の食事が人体には理想的なのだそうだ。  かと言って、穀物を排除したら人類は、食糧不足となって生き延びていけない。しかし、飽食の中にいる我々は、穀物を最小限にして、肉や魚、そして野菜中心というのは、取り組みやすそうだ。言い方を換えれば、おかずばかり食べていればいいというなんとも贅沢な話だ。しかし、ラーメンやおにぎり、そしてサンドイッチやスパゲッティが食べられないのは辛いことかもしれない。  また、いくら穀物を控えたとしても、肉や魚を食べ過ぎてもいけない。カロリー制限は長寿の秘訣であることは、マウスの実験でも明らかにされているそうで、原始人食という限り、ある程度空腹・飢餓状態が必要で、それにより細胞が活性化されて、健康で長寿を満喫できるそうだ。  マックやジョルビーでハンバーガーを食べて、フレンチフライをつまんで、砂糖たっぷりのコーヒーやコーラを飲んで、さらに、おやつにポテトチップを食べていつもお腹一杯、なんて食事が最悪であることは言われなくてもわかる。穀物を植物油であげたジャンク・フードがフィリピンのコンビニにはあふれているが、これは、やがてフィリピンの子供達の健康と精神を破壊するに違いない。だから、KIANがジャンク・フォードの袋を抱えていると、周囲に私から檄が飛ばされ、家の中からジャンク・フードが追放されるのだ。 […]

肺炎にかかってしまいました(その2)2013年7月14日


6月20日(木)、GMAの取材があった翌朝、ベッドの中で悪寒が走った。見る見る熱が出て、節々が痛む、熱も38度あり、典型的な風邪の症状を示した。これはやばいと思ったが、一眠りして汗をびっしょりかいたら、症状は治まっていた。ほんの数時間の出来事だった。しかし、息を大きくすると右胸の肋骨あたりが痛む。ちょっと心配になって午後から日本人会クリニックに出かけて行った。  日本人医師に見てもらったが、単なる肋骨の痛みであろうということで帰っきたが、そのとき、強い雨が降っていて、それに当たってびしょ濡れになったのが良くなかった。そして、再び、具合が悪くなって、翌土曜、日曜ともがき苦しむことになった。  6月24日(月)の朝一、早速クリニックに行って、レントゲンと血液検査をすると、すでに肺炎が悪化しているということで、入院を勧められた。しかし、入院となると、日本のテレビもインターネットも無し、しかもKIANの顔も見れないし、まるで刑務所に入れられる気分だ。医師に相談して、入院するのはベターだが、とりあえず薬を処方して、2~3日、様子を見ることでOKとなった。ちなみに肺炎のことを英語でPheumonia(ニューモニア)ということも医師から教わった。これから皆に病状を説明するのに必須だ。  そして、6月26日(水)、2日後に診察してもらうと、劇的に回復していて、この調子なら1週間も静かにしていれば、良くなるだろういいうことだった。もちろん入院の必要ない。そして、さらに6月29日(土)に診察してもらったら、1週間後の7月5日(金)には全快宣言が出せるであろうとのことだった。  7月5日(金)は、友人と全快祝いにエア・フォース・ワン(フィリピンでナンバーワンといわれるナイト・クラブ)に繰り出そうかとを計画していた。しかし、まだレントゲンに影があり、肺炎が完治していないということで、もう1週間薬を処方され、全快祝いはお預けとなった。しかし、体調的にはほとんどよくなっており、半日程度の外出は可能で、徐々に仕事には復帰していった。ただ片肺で酸欠のせいか、2~3時間、机に向かったり、外出すると疲れを感じることはあった。  ここで問題が発生した。私の部屋のテレビがケーブル・テレビ局の不調で見れなくなってしまったのだ。安静にしていろといわれても、大分体調が回復しているので、そうは寝てもいられない。テレビでも見て、ベッドでゆっくりしていたいところだが、そのテレビが映らなくなってしまったのだ。後、1週間(7月 15日)の全快予定まで、どうやって時間を過ごすか悩ましいところだ。  私も今年から高齢者(65歳以上)の仲間入りをした。今まではちょっとした風邪で済んでいたものが、肺炎という、高齢者の死亡原因として良く聞く病気を簡単に患ってしまった。今までの様に休みもなしに仕事をして、毎晩ビールを4~5本飲んで、タバコも吸う、夜遊びもそこそこにこなすなんて生活からはおさらばしなければならないだろう。しかし、そうなったら、逆に男としての活力まで失われて、一気に老け込んでしまうのではないかと心配ではある。  ところで私は無保険だ。住民票を抜いているので、健康保険には加入していない。また、当地でも医療保険には加入していない。今まで、生命保険も含めて考えると2千万円近いお金を無駄にしてきたということへの反省で、保険は損をするという通念があるためだ。当地での医療保険は入院などの大病だけをカバーするなら、年間、十数万円(60歳程度の場合)で済む。今回は通院なのでカバーされないが、入院したとするとカバー範囲だ。しかし、それでも掛け損になるには目に見えているので、手を出していない。ちなみにこの医療保険は民間だから、年を取っていつも病気がちの状態になるころには、掛け金は幾何級数的に高くなる。  今回かかった費用は、クリニックの診療代が6回で15000ペソ程度、薬代が7000ペソ、合計で22000ペソ、約5万円だ。もし、入院していたとすると、最低でも15万円程度はかかったろう。これを日本と比べたらどうなるか定かではないが、健康保険に加入していたとしても自己負担で5万円以上にはなるのではないか。しかも肺炎となれば、必ず入院させれるから、医療費全体としては数十万円に達していただろう。  今回は、無保険という状況から、医師とも相談して、自宅療養とした。その結果、3分の一程度の治療費で済んだ。また、今後は病気にかかるまいと健康への注意も怠らないだろう。自助努力で医療費は数分の一にも減らせることができるはずだ。であれば、保険にかかるよりも安く済む。  日本では健康保険の制度が徹底しているから、病院の医療は神の領域で医師のいいなりの治療が行われる。患者の負担はさほどでないから、医師が勧める治療をNOと言う人はいないだろう。終末治療も同じで、いわば、垂れ流しの治療が行われる仕組みができている。それが国保、あるいは健保の破綻を促しているのだ。   日本の健康保険はすばらしい制度ではあると思うが、それだけに人々から医療費を節約しようというインセンティブを奪ってしまっている。生活保護も一緒で、働くよりも生活保護を受けたほうがいい生活ができるという矛盾が生じて、働ける人の働く意欲を削いでしまっている場合がある。年金についても、それがあるがゆえに核家族化が進んで、逆に高齢者を家族から追いやっている側面がある。その辺に日本の福祉というものを考え直す余地があるのではないだろうか。要は自己責任という世界だ。   療養中、いつも姉のキムと一緒に私の部屋に来て、お見舞いがてら遊んで行ったKIAN。これが唯一の慰めであり癒しだった。

肺炎にかかってしまいました 2013年7月7日