Monthly Archives: April 2013


「もらう、借りる、預かるは、フィリピーノにとって同義語だ」、とどこかで書いた。フィリピン人にお金を貸しても戻らない、預けておいた金を使われてしまった、なんて経験は誰もがしていると思う。最近もフィリピン通の退職者の方が、「自分が住むために知り合いの家の改築資金にと100万円渡したら、一向に工事が始まるわけではなく、渡したお金は、渡した相手のお産の費用やらに使われてしまった」と嘆いていた。どんな背景であろうが、一旦、お金を渡したら、その使用については、お金を手にした人間の裁量に任されてしまい、その人の考える優先順位で処理されるのだ。もちろん、元の持ち主に断るようなことはしない。だからお金を渡すときは、その使用についての一切の権限を委譲する覚悟をするべきで、それがいやなら自分で直接支払えばいいのだ。 グロリエッタの中華料理のレストランに招待されてご機嫌のKIAN  先日、夜中に便をしてお尻を洗おうとしたら、タボ(柄杓)とバケツが風呂場にない。私は、フィリピン流に用をたした後、タボでお尻を洗う。だから、タボがないということは死活問題だ。かといって、こんな夜中に大声で、昔流にとトイレから「タボ~~」怒鳴るわけにも行かない。しかし落ち着いて考えてみると、このトイレにはお尻を洗うためのシャワーがついている。これを上向きにお尻に当てると、勢いのある水がお尻を経由して、顔に命中する恐れがあるので、普段は使わないでいるやつだ。 小さなケーキに3本のローソクを立ててもらって、もうすぐやってくる3歳の誕生日の練習だ   何とか危機を克服して、翌朝、ゲスト用の風呂場を見ると、私のタボとバケツが鎮座している。一体誰が、何故、私の風呂場からタボを持ち出して、しかも、そのまま、ゲスト用の風呂場においておくのか、普段私が使っているものを持ち出したら、私が困るとは思わないのだろうか、などなど、自問自答が続く。しかし、こんなことで大騒ぎをすると、周囲に白い目で見られるから、何事もなかったように、観察を開始する。 お客さんに料理してもらったすき焼きのしらたきをパンシットに見立てて試食するKIAN  今、夏休みで遊びに来ている小学生の子供達が、私のタボとバケツをゲスト用の風呂場で、体を洗うために使ったことを突き止めた。ゲスト用の風呂場にはもちろんホットシャワーがついているが、普通子供はバケツに汲んだ水をタボを使って体を洗う。しかし、ゲスト用の風呂場にはタボもバケツも置いていなかった。だから私のものを使うよう、マム・ジェーンの指示があったそうだ。マム・ジェーンの指示とあれば、子供達は免罪される。また、彼らにとって借りたものを返すという意識は全くないので、タボを返さなかったことに罪の意識はもうとうない。 今日も誕生会のリハーサルだ  次に、ジェーンを問い詰める。普段から私は「私のものをいないとき勝手に使っても良い、しかし、使用後必ず返すこと」と言っている、なのに、「彼らは、何故返さないのか」と。ジェーンは私のタボを借りるように指示はしたが、それを「返しておくように」とまでは、指示はしなかったようだ。冒頭に述べたように、一旦渡してしまったら、後は受け取ったものの自由裁量だから、次回使いやすいように、ゲスト用の風呂場においておくのは彼らにとって当然のことなのだろう。そこに元の持ち主の意向は顧みられる余地はない。 サイカで好物の「堅い焼きそば」をほうばるKIAN  結論として、「今回は良しとしよう、次回、このようなことが起きたら、二度と私のタボとバケツを使うことは許さない」とした。ジェーンは子供達に私の目の前で、きつく私のお達しを伝えていた。しかし、案の定、数日後、再び夜中、タボとバケツが行方不明になっていたのだ。ジェーンに言うと、今度はキム(16才のジェーンの義理の娘)のせいだというが、うそくさい。それで約束どおり、私のタボとバケツは門外不出となったのだ。 長髪を結ってもらって、女の子の気分のKIAN  事務所でははさみは必須アイテムだ。申請用紙に貼り付ける写真をきったり、封書をきったり、毎日使うわけではないが、これがないと仕事が前に進まないことがままある。そのはさみが、使おうとして机の上のペンホルダーに手を伸ばすとないのだ。そこで、大慌てではさみ探しとなる。しかたがないから、自分の寝室に行って、別のはさみを持ってくる。私の寝室には髪をきるために日本から持ってきた別のはさみがおいてあるのだ。 車の中で従妹のイアを懲らしめるKIAN。これがかれの遊びだ  後で、はさみがなくなったとお触れを出す。誰も「私、知らない」といったムードだ。しかし、翌日になるとペンホルダーに戻っている。しょっちゅうおきるので、はさみを買ってヤヤに渡した。私のものを使うのではなく、これを使うようにと。しかし、そんな処置は一時的なもので、そのはさみは、すぐにどこかに行ってしまい、私のはさみを持ち出すことになる。何しろ、私のところに来れば、必要なものが確実においてあるのだ。 […]

フィリピーノは何故借りたものを返さない 2013年4月28日


経済作家の橘玲氏とは、2010年、フィリピンでの日本人の介護の現状をレポートするための取材をお手伝いした以来の知り合いだ。最近、突然連絡があり、私のブログの記事を彼の主催するホームページ「橘玲 ZAI ONLINE 海外投資の歩き方」に連載したいとの申し入れがあった。3月にマニラで面会して、「特に経済に関するものでなくても、フィリピンの現状をレポートするもの」という趣旨なので、快く了承した。  その後、100編ほど適当なものを選んで送ったのだが、今日、第一号として掲載されたのは「放射能汚染を逃れ、母子でフィリピン移住 3組の親子の初めてのマニラ体験」だ。  この話題は、彼とマニラで面会した際に雑談した中で、彼が最も興味をもった話だった。日本では、すでに原発問題は収束しように報道され、多くの人は忘れかけているようだが、「フィリピンを初めとして東南アジアには日本の放射能汚染を逃れて母子で移住する方が少なからずいる」という話だ。この話は、彼にも大変新鮮だったようで、大変驚いた様子だった。こういう話は、メディアの世界にいる人でも知らないくらい、日本では語られていないのかと、逆にこっちがびっくりした。なにしろ、毎日、日本からの訪問客を相手にしている私にとって、このような話題は、日常のことなのだ。  橘氏は、資産を守るために海外に資産を移すということを提唱されているようだが、日本の経済破綻、放射能汚染、そして英会話、この三つがフィリピンへの移住を促すキーワードといえるようだ。特に放射能疎開母子は、フィリピンで子供達をバイリンガルの国際人に育て上げようと賢い算段をしているのだ。  一方、「老後を海外でゆったりスローライフ」なんてスローガンでは人は動かないようで、このような動機で退職ビザを取る人は返って少数派となりつつある。3.11以来、明らかに日本人の海外を見る目が変わったような気がする。日本に住んで観光や駐在の出かけ先としてのの海外から、日本を捨てて移住先としての海外へとだ。 夏休みで我が家にはたくさんの従妹の子供達が遊びに来ている。KIANはパソコンが苦手なアランおじさんにゲームのやり方を教えている。昨日マニラにやって来たKIANから二人目のヤナ(7歳)はしばらく見ぬまに大分美形になった。

「橘玲 ZAI ONLINE 海外投資の歩き方」に連載開始 2013年4月25日



退職後フィリピンへの移住を計画している方がいるが、奥さんの同意がないと実行に移せない。そこで、奥さんに1週間ほどの体験旅行をしてもらい、大いにフィリピンの良さを味わってもらおうという計画に加担させられて、下記のスケジュールで宿泊と移動のアレンジを行った。 3月31日(土):到着 3月30日(日):マカティグリーンベルト散策、教会訪問(ホリーウイークの最終日) 4月1日(月):スービック訪問、ポコアポコ滞在 4月2日(火):クラーク経由でマニラに帰還 4月3日(水):タガイタイへ移動、パスコのゲストハウス滞在 4月4日(木):タガイタイ見物(ゴルフのコースデビュー) 4月5日(金):マニラに移動(定期預金口座開設) 4月6日(土):マニラツアー(イントラムロス、チャイナタウン、グリーンヒル、ボニファシオ、アラバン、モールオブエイシア) 4月7日(日):マカティ散策、教会訪問 4月8日(月):帰国 スービックでは、オーシャンアドベンチャー、ズービック、デューティフリーショップなどを回り、黒豚親子の散歩、自然の猿など、奥さんは歓声を上げていたが、圧巻は大型コーモリの群生地の再発見だ。以前の場所から移動してしまったそうだが、道中注意深く周囲を観察していると、飛行場とズービックの真ん中あたり、海岸沿いの道路の海側の木で発見することができた。世界でも類を見ない、市街地の至近距離で一千羽近い大型のコーモリが木にぶら下がっているのを観察することができる。  同行した山本のぶ子さんのたっての依頼もあり、スービックに隣接するオロンガポのマーケットに出かけた。スービックのゆったりとした雰囲気に比べて、そこは活気にあふれていた。これぞ、フィリピン。奥さんは、少々緊張気味だったが、私にとっては、スービックよりも居心地が良い。新鮮なマンゴが一キロ、40~80ペソと、デューティフリーショップの半分以下で、この安さがまた、まさにフィリピンなのだ。 オロンガポのジープニーは黄色に統一され、オロンガポに独特の雰囲気をかもし出している。 スービックからクラークへ向かう高速道路にはアメリカの軍用車と思われる車が物資を運んでいた。中国を取り巻く不穏な情勢への対応なのか、北朝鮮の挑発に対するものなのか。 […]

H夫妻のマニラ体験旅行 2013年4月14日


あのワタミとユニクロがいよいよフィリピンに上陸した。ユニクロや有名レストランチェーンが海外に活路を求めて世界へ進出しているというニュースは大分前から耳にしていたが、フィリピンにもようやく目が向きはじめたようだ。先日報告した、ラーメン屋の山東火もその一環だ。  この日はH夫妻をマニラ案内し、是非モール・オブ・エイシアにも連れて行って欲しいと仰るので、当方としてはワタミとユニクロを見つけることを課題とした。世界第3位のの規模を誇るモール・オブ・エイシアの巨大さをいまさら語ることはないが、その広さゆえに、その辺の店員や案内所で聞いても、誰も知らないのに往生した。  何とかワタミを探し当てたが、そこはマニラ湾に面する一等地で、毎週、金曜と土曜、7時から行われる花火の見物には絶好だ。 中は、広々清潔で、高級感があふれる。時間が早いせいか、空席が目立つが、花火がはじまる7時ごろは満席となった。客層はいろいろで、特に日本人が目立つこともない、ターゲットはちょっと高級志向のフィリピン人のようだ。 ワタミとはご承知の通り和民と書くが、これは私の本名だ。なんの断りも無しに他人の名前を使ってけしからんと思っていたが、名前は登録標章でもないので、文句をつけるわけにも行かなかった。私は、この名前を60年以上背負って生きてきているので、元祖であることには間違いないのだが。しかし、このワタミが私のしょばであるフィリピンにまでやってきたのだから、一言挨拶があっても良かろうかと思う。後の祭りだが、いっそ、パスコではなくて、会社名をワタミとしておけば、フィリピンでこの名前は使えなかったはずだ。しかし、フィリピン人をこの店に案内して、冗談で「私の店です」なんて紹介するのも面白そうだ。 なかなか美人ぞろいのウエイトレスは、とても気がきいて、てきぱきと動いている。可愛いと思って、ちょっと見つめたりすると、すぐに寄ってきて、「何か御用ですか」と聞かれて、照れてしまう。さぞかし厳しいトレーニングが行われたもの推察されるが、出てきた料理はしっかりと日本の味を維持している。他のフィリピン人向け和食レストランの日本食もどきとは一線を画している。 7時になったので、食事を中断してとりあえず花火見物。下の写真は決して線香花火をさかさまに掲載したものではない。  メニューは日本人にはちょっと平凡で、ただの刺身やてんぷら、焼き鳥などが並んでいる。日本の居酒屋では目を見張るような創作料理が並んでいるが、そんなものを並べてもフィリピン人には猫に小判だろう。価格はモール・オブ・エイシアの一等地にある割には安い。 食後、ユニクロを探したが、こっちは簡単に見つかった。かなり広い売り場面積で、こんなスペースが、まだ空いていたのかと思うくらいだ。 女物が多くて、ちょっと日本との比較がしにくかったが、商品価格は日本と同等だと、同行した奥さんが教えてくれた。そうなると日本とくらべて物価が4分の一程度(昨今の円安で、もはや5分の一とはいえなくなった)のフィリピンとしては、かなりの高級品と言える。ちなみに、790ペソや990ペソのポロシャツは、フィリピンではかなり高いと感じる。

ワタミとユニクロのフィリピン進出 2013年4月14日