Monthly Archives: January 2013


先日、40ペソを握り締めて、近所のサリサリにタバコを買いに行った。マーボロー・ライト・メンソール、ソフトパック20本入りが、サリサリでは37ペソ(約80円)のはずだった。ちなみにスーパーで1カートン買うと、350ペソ程度で、一箱が35ペソとなるが、フィリピンでは買う場所によってタバコの値段はまちまちなのだ。サリサリで一本買いをすると、一本2.5ペソで、一箱あたり、50ペソとなる。  ところが、お金を払う段になって、60ペソといわれてびっくり。「バケーット(何で)」と、思わず絶句。サリサリのお姉さん曰く、「今日から値上がりしました」。そういえば、去年の新聞にタバコの増税が決まったと載っていた。以前もタバコの値上がりがあったが、せいぜい5ペソくらいで、軽く見ていた。昨今の円安も加味すると、一箱130円になり、ちょっと前は、円高で、65円くらいだったから、ちょうど倍になったことになる。タバコ飲みとビール党にとってはフィリピンは天国といえたが、そうでもなくなってきたようだ。そこで仕方なく、10本入りのタバコを買ったが、これは35ペソで、なんとか予算内におさまった。  ところで、今日、知り合いの生理学者から貴重なメールマガジンが送られてきた。アメリカ大陸原産の食物についてだが、とうもろこし、サツマイモ、ジャガイモ、唐辛子、イチゴ、ピーマン、かぼちゃ、ピーナッツ、パイナップル、タバコ、カカオ(チョコレート)などなど、現在普通に食されているこれらの食物は、すべてアメリカ大陸が原産でコロンブス以降、ヨーロッパに持ち込まれ、世界に普及したそうだ。その中でもタバコは、人類が発見した最強の薬だそうで、タバコを吸う人は認知症や精神疾患にはならないそうだ。  しかし現在、タバコは癌になる可能性を高めるということで、世界的に禁煙の嵐が吹きまくっている。 認知症になって長生きするか、癌でぽっくり行くか、一体どちらを選ぶか。タバコを吸うことに肩身をが狭い思いをしている人は多いと思うが、認知症で長生きして他人に迷惑をかけるよりも、癌でぽっくり行ったほうがはるかに良いと私は思うのだが、いかがだろうか。 次に気になるのがビールの値段だ。長い間、20ペソ程度だったのだが、最近、キャップには23ペソと書いてある。ビール党の私は、毎日のようにメイドにビールを買いに行かせるのだが、200ペソ渡してお釣りが来ない。買ってきたビールの本数は6~7本、サリサリだから25ペソ位したとしても幾ばくかのお釣りが来るはずなのだが。メイドに聞いてみると一本29ペソだそうで、逆に若干の不足となっていたようだ。 ちなみに、レストランで飲むビールは60~80ペソ程度(150円前後)、ナイトクラブでも110ペソ(240円)で飲めるので大いにありがたい。ちなみに、このナイトクラブではジントニックが270ペソもするから、ビールがもっとも節約できる庶民の味方であることは変わりがない。  フィリピン人の遊びどころのビアハウスではその名のとおりビールしか出さないが、これは客が飲むと、100ペソ程度、接待の女性に飲ませると、同じものが200~300ペソになる。それだけで遊べるのだから、いずれにせよ安いことには変わりはないが。

フィリピンでもタバコの大幅増税 2013年1月13日


 年末の休みを取ったのが12月20日、それから、しばし世間の情報から遠ざかっていたのだが、1月6日、マニラに戻って戦慄が走った。1ドルが89円、1万円が4600ペソと10%以上の円安となっていたのだ。株高はいいことかもしれないが、年金でフィリピンに暮らす退職者にとっては、一割減収、生活費をそれだ切り詰めなければならない。退職ビザを申請する人も、今まで2万ドル=160万円程度で済んだのが、あっという間に180万円必要になった。 1月6日、ビコールの農場からの帰りの飛行機の中、この時はまだ、円安を知らなかった。  しかし、円安がこれで止まるという保証はどこにもない。逆に、過去20年くらいの間、80円~130円くらいの間を行き来していたと思う。ここ数年、歴史的円高により、1万円が5000ペソをこえ、退職者は大いに円の恩恵を享受した。しかし、これからさらに円安が進むと、年金暮らしの退職者は真綿で首を絞められるような思いをするだろう。一方、預託金2万ドルも、200万円、250万円と、どんどん増加していくことだろう。一方、1ドル=78円程度の時にビザを取った方は、さぞ、ほくそえんでいるにちがいない。 洗濯物のカゴにおさまってご機嫌のKIAN  振り返ってみると、私が、2003年にフィリピンに永住して以来、円高が進み、1万円は5000ペソをあっという間に越え5500ペソまで達し、大いに喜んだものだった。私は退職庁にいて、しきりに退職ビザを勧めていたころで、ドル預金も利子が4~5%ついて、フィリピンが一番魅力的な時だった。しかも、2006年の5月から、預託金が50歳以上、5万ドルから2万ドルに下がったので、申請者が殺到した。(以下の数値は私の記憶あるいは感覚によるもので正確なものではありませんのでご容赦ください。また、ペソはドルにリンクしており、ペソ→ドル→円という順序でレートが決まります) ① 2004~2005年:1ドル=100円=50ペソ、1万円=5000ペソ、1ペソ=2円  1ペソ2円と、とても計算が楽でわかりやすく、物価さ5倍、交換比率が2、すなわち10倍理論(ペソの価格を10倍して、日本の物価と比べるもの。100ペソといわれたら10倍して、1000円と考えて、値段の高低を判断するもの)を提唱した。しかし、その後、円安により、2006年から2007年には、1万円が3700ペソ(最安値)くらいにまで落ち込んで、退職者にとって、氷河期となった。 ② 2006~2007年:1ドル=113円=44ペソ、1万円=3900ペソ、1ペソ=2.56円 1月11日は私の誕生日、円安のおり、300ペソのケーキだけで誕生日会、起きがけのKIANもあまり乗り気ではない  そして、歴史的円高が始まって、1ドルが80円を割って、再び、1万円が5500円に達し、退職者の春がやってきた。しかし、それは自民党が政権を奪還した2012年末までのことで、年末から年始にかけての円安は悪夢の再来となった。 ③ 2012年:1ドル=80円=42ペソ、1万円=5250ペソ、1ペソ=1.9円 ④ 2013年1月11日:1ドル=89円=40.5ペソ、1万円=4550ペソ、1ペソ=2.2円  ここで着目しなければならないのが、②から③に至るとき、急激な円高に隠れて、1ドル50ペソから40ペソ台と、ペソもかなり強くなっていることだ。ここのところ、フィリピン株式市場は史上最高値を連日更新し続けており、昨今の中国の政治姿勢に嫌気がさした企業が、投資先としてフィリピンを見直している、などなど、この先、フィリピンの経済の好調は当分の間続くものと予測される。 姉のKIMに肩こりの薬を塗っているKIAN、腹違いの兄弟だがとても仲がいい  そうなると、退職者にとっては、円安の進行と、ペソ高の進行のダブルパンチとなる恐れがある。仮に、1ドル=40ペソが継続し、円が、1ドル=120円まで下落したとすると、 […]

円安が退職者の懐を直撃 2013年1月13日



大分前、NHKで、「男は視覚で恋をする、女は理性で恋をする」というテーマの番組をやっていた。男女の恋愛を学術的な観点に立って解析したものだ。  この恋愛の原理は、その後、私が、男女の問題を考える上での基本となっている。欧米や日本では、男女の関係は、人工的な文明(?)が大分入り込んで、ややこしいものになっているが、フィリピンでは、神の教えを忠実に守っているので、この恋愛の原理が適用できて、わかりやすい。  フィリピンでの恋愛の一般原則は、ブログ「フィリピン流恋の手ほどき(その2)」で取り上げたが、今回はより、具体的な問題に論及する。  マム・ジェーンの姪子たちは、16~17歳と、胸も膨らみ、お尻も、もっこりし始めて、いよいよ、男の視覚を刺激するお年頃になってきた。18歳未満のマイナーとのセックスは、それが合意のうえでも、いたした男は罪になる。ということは、それだけ、この年ごろの女性は、男に狙い撃ちにされ、社会は、それを法律で取り締まってでも阻止しなければならないという訳だ。  マム・ジェーンの度重なる注意にも関わらず、姪子たちは、皆、ボーイフレンドができていた。そもそも、あの携帯電話というやつが、男の恋のアタックを容易にする。執拗なテキスト(メール)に、女は身も心もとろける。このころの、さかりがついたばかりのメス達(失礼)は、まだ理性というものがない。男の甘い言葉に、メスとしての生殖本能を呼び起こされ、彼女たちは、これが純粋な「愛の世界」だと勘違いして燃え上がる。彼女たちは携帯を一時も離さず、彼からの甘い言葉を待ち続ける。といっても、「I love you」とか、「Mahal Kita」とか、「I miss you」などの単純な言葉を並びたてているだけなのだが。その点、カーネルが、娘のキム(17歳)には携帯を持たせたないという強硬手段に出ているが、さすが警察のやることは違う。 そんな男の甘い言葉にほだされて男の求めに応じ、なけなしの処女を提供してしまう少女が多い。高々16~7歳のハイスクールの男子生徒に扶養能力があるはずもなく、女が妊娠すると、男は逃げて、女は、出産そして花街への転落というお決まりのコースをたどる(フィリピンで、避妊は宗教上嫌われ、堕胎は法律で許されないため、セックス=妊娠=出産となる)。  そして、女は、花街で、スケベ親父の相手をしながら、はじめて、「恋は、理性でしなければならない」と悟るのだが、すでに時遅しだ。こんな年齢の恋は単なる「青春の甘酸っぱい一ページ」で終わるのが一番いいのだ。へたに成就すると一生涯、悔やんでも悔やみきれないことになる。  マム・ジェーンは姪子達にボーイフレンドがいることを悟り、再び訓話を施す。「もし、男に処女をささげたのであれば、その男の元に行け。学校の費用や生活の面倒はもはや見ないから、勝手に生きていけ。それがいやならボーイフレンドとは即刻別れろ」と。マム・ジェーンに見放されたら、甲斐性のない両親では大学進学は夢の夢だ。そうしたら、自分の未来がないことぐらいは彼女たちにも理解できる。大学1年のバネサ(写真、左、17歳)は早速、ボーイフレンドと別れることを決意したそうだが、果たして本当に別れるのだろうか。  たとえ、ボーイフレンドの元に走ったとしても、フィリピンでは、男に甲斐性がなくて、女が一家の生計を支えていかなければならないことが多い。教育がなければ、メイドあるいはデパートの売り子くらいしか働く先がなくて、一家で食っていける収入は得られない。そうなると、女が稼げるのは花街くらいになってくるが、それでもそこそこのご面相が必要条件となり容易なことではない。  娘の母親たちは、恋に落ちた娘の行く末を十分承知しているから、理性をもつように導こうとする。しかし、母親とボーイフレンドのはざまに立った娘は、えてして、黙っていればわからないと、突っ走ってしまう。ところが、そのうち、出っ張ったお腹を隠すことができなくなり、すべてがあとの祭りとなる。 […]

フィリピン流恋のてほどき(その3, 女は理性で恋をする)2013年1月3日


 正月を迎え、天気は、相変わらず、ぐずついてマヨン火山は姿を現さない。反対に農園の植物は、天の恵みを受けてみずみずしい。里芋の一種(ガビ)のおおきな葉は傘にはいいかもしれないが、芋は食べられないらしい。 先日、発見した貝のように模様が美しいカタツムリが、2匹、仲良く木に止まっていた。 先日、放牧したカビアーは雨が強くなると、しっかりとり小屋で雨宿りをしている。 今朝がた、未明、ダニーが黒豚2匹を放牧場に放した。2匹の子豚を意を得たりとばかりに、走り回っている。人の足ではとても追いつけない。望遠レンズで、なんとか姿をとらえることができるが、なかなか警戒心が強く、人を寄せ付けない。まさに野生だ。   金網越しに一所懸命土掘りをしているところをとらえたが、この直後、遠くへ逃げ去った。  たった2匹の子豚では、里芋の葉に隠れるといるのか、いないのかわからない。カビアーとも喧嘩もせず、うまく共存していけそうだ。 家に戻ってきて、ランカの実をむこうと、上を見上げると、大きな蜂の巣を見つけた。スズメバチの巣らしい。こんな近くにスズメバチはちょっとヤバいと思うが、皆、どうってことはなさそうだ。  毎週のように、大きなランカの実が収穫できる。一個当たり、10kgはあるので、皆で食べても一週間はもつ。 種の周りの黄色いところを食べるのだが、その外はべたべたしていて、気持ちが悪い。手に付いた、べたべたは油でなければ取れない。  オクラは旬を過ぎてしまっているが、大きくなりすぎたオクラの実に昆虫がたかっていた。日本で見たこともない、蛍のような形をした昆虫だ。交尾のまっただ中で、邪魔はしないようにした。

正月の農場の風景2013年1月2日



 あけましておめでとうございます、今年も宜しくお願いします。  ビコール地方、タバコ市の農園からの挨拶しています。今回は、昨夜、あるいは今朝のパーティの様子を紹介します。  マム・ジェーンの率いるゴメス・ファミリーは、大晦日に一同が農園に集まって、クリスマスと新年を迎えるパーティを開くのが恒例だ。クリスマスツリーの周りにはマニラ新聞で包んだ大量のギフトが部屋いっぱいに置かれている。 食べ物をいっぱい用意された。甘いスパゲッティ・ミートソースはパーティには欠かせないメニューだ。それに豚肉のアドボ、パンシットカントン、チーズ巻きのから揚げ、などなど、私には、ちょっと手をつけることができないものばかりだ。 食事は、新年を迎えてから頂くそうで、夕飯はパンシット・ビーフンで軽く済ませ、9時過ぎから、写真撮影が始まった。マミーを囲んで、ジェーンのそれぞれの兄弟の子供達、兄弟夫婦と子供達(4組中、2組は別れてしまっているが)、ジェーン兄弟とマミーなどなどあらゆる組合せの写真を撮影する。幸い、今回は、ジェーンがiフォン4を買ったので、私はカメラマン役から解放された。 子供達が全員集合、ジェーンの従姉もの子供も合わせて、25人程度の子供たちが集まっていた(下の写真は左が入りきれずに欠けている)。 最後は、全員集合、料理の手伝いに駆け付けたマミーの友人などを含めると、全部でざっと40人程度がパーティに参加した。 お年頃のお姉さんたち。太めのデバインは21歳だが、他は、皆、花もほころぶ16~7歳のティーンエイジャーだ。 記念撮影が終わると、いよいよパーティの始まりだ。すっかり寝込んでいたKIANは起こされて、ご機嫌斜めだ。 初めのゲームはじゃんけんぽいのようなもので二つのグループに分かれて拳のかわりに体で表現して勝負する。 このころは、KIANも目が覚めて、それなりにゲームに参加している。 次が新聞紙を半折にしていって、その中に二人で立つもの。新聞紙が小さくなってくると、片方がもう片方を抱き上げたりすることになる。男女がペアになると、なかなかスリリングで、パーティには欠かせないゲームだ。 パーティ・ゲームが一段落すると、いよいよ、ギフトの配布だ。200~300個もあるであろうギフトを一つ一つ名前を呼んで渡すのだから、これだけで、1時間以上かかってしまう。初めにKIANから一言あいさつ。何を言っていたのか聞き取れなかったが、ママの言うことを繰り返していたのだろう。 ギフトを渡すのはKIANの役割だ。ママ・ジェーンは将来KIANがゴメス・ファミリーを統率して行けるように、今から、皆にKIANへの忠誠心を植えつけているような気がしないでもない 子供たちにとっては、この時が一番楽しい時だ。大人たちには生活がかかっており、大きなプラスティック・バッグに子供たちがもらったギフトを次々に放り込んでいる。 […]

年末パーティ2012年 2013年1月1日


  師走の31日、ちょっと晴れ間が出たので、KIANを農場に連れて行った。この日、姉のキムはパパ・ーネルとレガスピ市に出かけたので、従兄弟のチャールズがお供した。  テラピアと鯉の餌やりはKIANのお好みだ。餌を放りこむと魚が群がってくる様子が楽しいようだ。途中で見つけた竹の棒で、池の水と遊び始めたKIAN。こうなると簡単ことではやめない。なにしろ水遊びが大好きなKIANだ、 久しぶりにマミーにたらいで水を浴びさせてもらう。KIANがマイ・プールと叫んで、上機嫌だ。一番下の動画では、泳ぐ真似をしている。 今度は、子供たちとファームハウスの前の道路で追っかけごっこをして遊ぶKIAN。農園の道路は野芝(カラバオ・グラス)だから、転んでもふわふわしていて痛くない。車は全く通らない広々とした空間なのだ安心して子供を遊ばせることができる。KIANはいつも皆の中心だ。一方、画面後方のタムタムはいつも仲間外れだ。同じマコリットな(しつこい)子供でも、何かが違う。 KIANの一番の相手はジェーンの次兄、アランの子供のアーランだ(10歳、4年生)。なかなか利発な子で、色白美人3姉妹とあわせて、親のアランは「嫁選びは下手だが、子作りはうまい」と自慢している。しかし、子作りのあと、子供達の面倒を見ないのでは、どうしようもないが。転げても痛くはないし、汚れないので、KIANにはもってこいだ。  この日久しぶりに訪問してくれたのが、ジェーンの従姉の子供クレヨ(17歳)だ。本来ならば大学に行ける年だが、2年ほど休学していたので、まだ、ハイスクールの2年生だ。彼女の姉が、例の関取り、デバインだ。お父さんは、デバインとは別のインド人で、無責任な母親のおかげで、親戚の家を転々としながら、ここまで育って来た。ビアンカと同じく、一所懸命になって台所を手伝う、とてもいい子だが、いろいろ苦労してきたのだろうと思う。何を思ったか、ジェーンは、突如、彼女を農園に住まわせて、面倒をみると言いだした。しかし、その後、彼女には養子縁組の話があって、遅すぎたと話していた。 年末のパーティ間近とあって、続々と子供たちが集まって来る。プロ歌手のチェムチェムもやってきて、KIANと遊んでいる。 パパ・カーネルは姉のキムと出かけているので、チャムチャムが携帯でのおもちゃでパパを呼びなさいと、KIANをせかしている。KIANは人にいじめられたり、からかわれたりすると、怒って「ポリスを呼ぶ」と叫ぶ。そして携帯でパパ・カーネルを呼び出すしぐさをするのだ。たまにパパに叱られると、「ポリスを呼ぶ」とKIANが叫ぶが、パパの答えは、「俺がポリスだ」だ。

子供達は農場で元気いっぱい(その4)2013年1月1日