Daily Archives: June 5, 2012


息子を農場に残し一足先にマニラに戻ったが、今回の訪問の一番の収穫は、タクシーの発見だった。空港でタクシーが客待ちをしていて、農場まで700ペソ足らずで直行してもらえるのだ。約40kmもあるのだから安いものだ。フィルキャプをチャーターする手もあるが、まずターミナルまでトライシクルで行かなければならないのが辛い。  さらに帰るときは、電話一本で農場まで迎えに来てもらえる。しかも料金は一緒で、出迎え料はとられない。これで空港から農場までの足が飛躍的に向上した。前回CRVをマニラにもってきてしまっているので、この点が問題になっていたのだ。人数が多いときはバンを空港でチャーターすることもできるようだ。  息子がついでにビザの延長をしたいというので、ジェーンの実家に寄って義姉のノーマをピックアップしていった。そのとき、すでにビアンカが一緒で車は満員だったが、ダシンやデバインも同行すると言い出して、総勢6人になってしまった。仕方なく二人分の席が必要なデバインはバスで空港へ向かうことになった。一方この日は晴天で、タバコの街のいたるところでマヨンの雄姿を望むことができた。 空港のマヨンも絶景だった。こうなると飛行機は是非右側の窓側を取って撮影に備えなければならない。  早め出発で朝食をとっていなかったので、チェックインのあと皆で来るク食事をとった。食後タバコを吸いに外へ出たら、空港全域が禁煙で、困ったものだとうろうろしていると、「志賀さん」という声がかかった。するとそこには旅行中の「I」さんの姿があった。前にブログで紹介した4年前のスービックとクラークを一緒に旅した人だ。 ちょっと雲がかかり始めたマヨンだが、相変わらずの姿に乗客は写真撮影に忙しい。   レガスピの街もばっちりだ。 マヨンの風景もばっちりだが、かなり雲が出始めていたのが、ちょっと残念だった。 セブ航空が発着するターミナル3にお目見えの新しいクーポンタクシーの料金表。メトロマニラとそれ以外の長距離サービス料金も詳細に記載されている。セブパシフィックやANAなどでフィリピンにやってくるとターミナル3に到着するので、是非この看板を目印にして、空港職員の口車(タクシー・タクシーと盛んに声をかけてくる)に乗って割高のレンタカーを利用しないように気をつけよう(画面をクリックして拡大してみてください)。      

マヨンに見送られてマニラへ帰還 2012年6月5日


 重量級のKIANの抱っこの要求に答えるために、右肩と左の肘の痛みが慢性化していたが、最近、にわかに腰痛が加わり、寝返りをうつのもはばかれるほどになってしまった。寝ている間は腰痛は収まるものの、肩の方はちょっと腕の置き方がまずいと、寝ている間も痛み続いて安眠できない。そのため、昼間もなんとなく疲れ気味で仕事にも身が入らなくなっていた。  椅子やベッドから立ち上がるにも腰に負担を与えないように何かにつかまって立ち上がる有様だ。歩き方もなんとなく腰が曲がっているようで、いよいよロロ(おじいさん)の様相を呈してきた。マッサージに毎日の様にに通い、テラピストと格好いい名前で呼ばれているマッサージ嬢に、肩や腰の痛みを訴えても、一向に相手にされない。彼女達は癒しを与えるのが専門で痛みをとる治療を行う医師ではないのだ。だから、中には正直な子もいて、盛んに医師に相談するよう勧める有様だった。  こんな調子では引退も間近と気が弱くなっていた。件の農場に引っ込んで年金で暮らそうか、しかしそうするとビジネスの相棒や、私を頼りにしている退職者に大いなる迷惑をかけるなどと真剣に考え始めていた。  そして、昨夜、古いフィリピン人の友人に、この話をした。そうしたら、彼もしばらく前に背中の筋肉の痛みに悩まされ数週間どうしようもない状況に陥ったとのことだった。それで薬局に相談したら、何とか言う薬を勧められ、三日ほどで完治してしまったそうだ。その後も、痛みが再発することは決してないという。  そこで、食事のあと、一緒に近くのマーキュリー・ドラッグ・ストアを覗いてみた。彼は、あれこれと薬の説明をしてようやく件の薬が現れた。ARCOXIA AC 120mg、一錠が76.75ペソと割と高い薬で、とりあえず4錠を買い求めた。       その夜もマッサージ嬢を呼んでいたので、とりあえずマッサージを受けた。肩と腰の痛みを訴えても馬耳東風のようで、何もしてくれなかった。しかもうつむきで腕を開いていると肩が痛くて、途中でマッサージをギブアップするほどだった。腰の痛みもマッサージの後、返って倍増したような気がした。  そこで、件の薬を一錠飲んで眠りについたが、翌朝、なんと、この痛みの80%位が消えていたのだ。腰はほとんどなんともないし、右腕を上げてまわしてみてもほとんど違和感がない。さらに左肘の骨の痛みも感じない。これなら三日もすれば完治するはずだ。ためしにKIANを抱っこしてみたが大丈夫。まさに感激の一瞬だった。  その昔、同僚の人で、肩の痛みがひどく、マッサージ、針、整骨、電気治療、何をやってもどうしようもない、と出張中の新幹線の中で訴えていた人がいた。そこで母からもらってしまっておいた「百歩蛇神経丸」という台湾製のわけのわからぬカプセルを、だめもとで試したら、と差し上げた。そうしたら、良くなったから是非一瓶手に入れて欲しいと頼まれた。他にも、この薬を上げた翌日に腰の痛みが劇的になおってしまった、という人もいた。  当時は腰痛も何もなくてその薬のお世話になる機会はなかったが、今回は「百歩蛇神経丸」ならず、ARCOXIA ACで同じ経験をさせてもらうことになった。  

肩や腰の痛みに特効薬ARCOXIA AC錠 2012年6月5日



 一ヶ月ほど農場に滞在した息子がマニラに戻ってきた。二日ほど滞在して日本に帰るとのことだ。ゆくゆくは農場に家を建てて暮らすつもりで、年に4ヶ月くらい日本に出稼ぎに行くという優雅な生活を夢見ているようだ。しかし、一人で特に目的もなしにただいたのでは退屈してしまい、いい加減、農場滞在も飽きがきたようだ。 息子は毎年やってきているので、タバコ市のジェーンの姪や甥とは仲良しで、ハイスクール3人組とマミーそれに5歳のヤナが、息子を見送るのだとバスでマニラにやってきた。すでに、この夏休みをマニラで過ごしている小学生組み3人、それにKIANとキム、それに私と息子を含めて5人の大人が加わって総勢15 人が天天火鍋で食事を取ることになった。  息子が負担したバス代が5人分で6000ペソ、天天での食事は私が負担したが切り詰めて3000ペソ。想定外の出費が続く。6人のマニラ行きは息子が皆に見送って欲しいとリクエストしたと言うことだが、そういわせるように仕向けたに違いない。日本人には500kmの道のりをバスで駆けつけて送迎するという発想はないし、マニラ行きが決まったときの彼らの喜びようは尋常ではなかったらしい。 久しぶりの天天の食事に大いにご機嫌なのがKIANだ。この日は、よほどお腹がすいていたと見えて、食べ物が用意できるのを待ちかねて、ソースをさらについでなめるという芸当までやってのけた。それにイカ・ボールを箸にさしてソースをつけてほおばるという仕草は、とても2歳と2ヶ月の子供とは思えない。 帰りは、15人が一台の三菱モンテーロに乗り込んだ。元々2・3・2の7人乗りだから、後ろの2列は6人づつが二重にになって座っていたことになる。運転手以外は皆、ひざに人を載せていたことになる。 翌日はキムを含めたハイスクール4人組に息子と来比中の客と一緒にタガイタイに出かけた。タアル・ビスタホテルの眺望、マホガニーマーケットの果物や牛肉の屋台を堪能した後は、20軒ほど並ぶトロトロ・レストランの一つで食事だ。  目玉はもちろんタガイタイ名物のブラルー(牛のすね肉のスープ)、それにカルデレータ、イカのアドボなど、どれもおいしいと、好評だった。〆て1500ペソは妥当なところか。 食後に、4個で100ペソのパイナップルを、300ペソで12個を買い求め、この日のおみやげとした。これらはタバコへのお土産として翌日にはなくなってしまったが、もっと買っておけばよかったと後悔しきりだ。その辺においてあるバナナは、一房全体で100ペソもしないだろう。荷台がないので購入は断念した。  マーケットと食事だけではハイスクール組みには物足らない。タアル・ビスタホテルの脇にある乗馬場で、30分250ペソを200ぺそにまけさせて初めての乗馬体験を楽しんでもらった。  同行した日本人(女性は)は乗馬も趣味だそうだが、日本なら半日くらい楽しんで万札は固いと、その安さに驚いていた。当方はちょっと馬に乗せてやっただけで800ペソの出費はかなり痛いのだが。しかし、わざわぜタバコから10時間かけてやってきたハイスクール組みにとって、新学期を控えた夏休みの最後に、この位の楽しみがないと、息子としても友好関係は維持できない。    その後、タガイタイで当社のゲストハウスとしても機能している退職者の家を訪問して、この日の締めとした。左はジェーンがKIANにつくってやった車だ(本ブログとは何の脈絡もないが)。 翌日は、いよいよ息子の日本への出発、全員で見送りだ。空港へは車の定員の関係で子供中心となったが、それでも全部で12名がPAL専用のターミナル2で見送った。  30年以上前に成田空港ができて以来、見送りなどという習慣には無縁となっていたが、車一台に鈴なりに乗り込んで見送ったり出迎えたりするという習慣は、いつまでも続いて欲しいフィリピン名物だ。 […]

息子の帰国の見送りに大騒動 2012年6月5日