Monthly Archives: June 2012


  私の20年以上の友人で建築屋のフィリピン人にKIANが、彼の孫のNathanちゃんの1歳の誕生日に招待された。以前KIANの誕生会を紹介したが、フィリピンでは1歳の誕生日は特別で、友人や親戚を集めた盛大なパーティでに赤ちゃんを紹介し、世の中への第一歩を祝い、そして、この子の将来のサポートをお願いするのだ。そのために、盛りだくさんの料理や出し物で招待客を振る舞う。しかし、当の赤ちゃんは何もわからず、ただ戸惑うばかり、KIANの時も熱を出して具合の悪いKIANにとってはとんでもない迷惑だった。 会場は、マカティでも最高級のコンドミニアム群が立ち並ぶロックウエルのコンドミニアムの1階のファンクションルームで開催された。Nathanの母親(私の友人の娘)は30代でネッスルのバイス・プレジデントに抜擢された名門ラサール大学出身の才女だ。 他人のパーティを乗っ取ってしまうのが得意のKIANは会場に入るなり、舞台に上がって、音楽にあわせて得意のダンスを披露している。パーティではいつも自分が主役と思い込んでいるKIANだ。そんなKIANを観客も大喜びをして、パーティを盛り上げている。 主催者の親戚の女の子に気に入られて談笑するKIAN。 招待客の主役は子供達だから舞台の周りは子供用のテーブルと椅子が用意され、さながら幼稚園のようだ。 会場の外のガーデンの一角にしつらえられた料理は100人前、ケータリングサービスのウエイトレスが料理を盛ってくれる。KIAN(中央)は必死に曲芸を見つめる。 曲芸や腹話術で子供達を楽しませることは誕生会の必須事項で、曲芸には夢中になっていたKIANは腹話術は意味がわからず飽きてしまっていた。 恒例の誕生ケーキに親子でロウソクを吹き消すセロモニー。KIANも遠くから息を吹いて応援している。 会場は風船で飾られ、ポップコーンや綿菓子などの屋台も出ている。 この写真が友人だが、70歳に手が届こうというのに、髪は黒々として、まだまだ現役のバリバリだ。Nathanは終始知らん顔だった。

KIAN、1歳の誕生会に招待される 2012年6月28日


  6月9日(土)、所要で日本に出張したが、最近、マニラー成田間に就航したジェットスターを利用した。ジェットスターはオーストラリアのカンタス航空の子会社だが、片道の航空運賃が基本的に160ドルで既存の航空会社に比べて半値に近い。荷物の預け入れや食事、飲み物などすべてのサービスは別途料金だが、4時間程度の旅行には不要だ。しかも片道だけでも同じ値段で買えるし、従来の航空券に比べて格段に使い勝手が良い。クレジットカードさえあれば、インターネットで簡単に予約と発券ができる。ただ、水曜と木曜の便がないので、ちょっと予定が立てにくいのが難点だ。  マニラ発の航空券を買う場合は、日本の格安航空券のように往復がFIXではなくて、変更の効く普通航空券を買うのだが、価格は6ヶ月有効のもので日本の格安航空券並みの600ドル程度だ。ジェットスターの航空券はマニラで買っても日本で買っても同程度の価格で、しかも若干の手数料で日程の変更が効く。しかも意外と満員ではなくて、多少価格は高くなるが、前日でも予約できるようだ。  飛行機はセブパシフィックのローカル便に使われているエアバスの小型のものだ。しかし、乗るほうにとってみれば、飛行機の大きさなど関係がない。しかし、朝の6時55分発というのは少々早すぎ、おまけにターミナル1なので家を4時半に出なければならないのが、ちょっと欠点だ。 今回、チェックインする荷物は無しとしたが、急遽、ノニジュース(糖尿病などの健康食品)をおみやげに買ってきて欲しいと頼まれた。気軽に OKしたのだが、考えてみると液体は飛行機に持ち込めない。そこでチェックインカウンターで荷物を預けたいと申し出たら、機械の故障とやらで、アップグレードの扱いになって160ドルかかるという。本来ならば28ドルの追加でよいはずだ。それでは一人分の運賃になってしまうと抗議したら、とりあえず、ノニを別途カウンターに預けて、ボーディングゲートで返すから、そこで荷物を預けて欲しいと告げられた。何のことやら良くわからないでOKしたが、ボーディングの時にノニを返してもらい、バッグに入れなおして、預け入れの荷物とした。もちろん無料で、なかなか洒落た取り扱いをするものだ。  朝もやに煙るルソン島、なかなかの景色だ。一眠りしようと思ったが、背もたれがあまり動かず、ちょっと寝るにはかったるい。  機内は国際線にしては少々お粗末。DVDは携帯型のタブレットを頼めば楽しめるが、現金は使えず、すべてクレジットカードで処理しなければならない。軽食や飲み物を空港で買っていくことが必須だが、ペットボトルの水を持ち込むことは禁止されていた。 無事に成田に到着。昼過ぎには到着するので、余裕がある。帰りも夕方の6時発なので、横浜の自宅を昼食後に出発すれ場十分。マニラには夜の10時ごろ到着するが、初めてマニラに来る方にはちょっと不安があるだろう。  成田エクスプレスのチケット売り場に行ったら、総武線の船橋駅近くで人身事故があったとかで、横浜直通の電車が動いていない。ちょっとあわてたが、すぐ隣のカウンターでリムジンバスが20分おきぐらいに出ているということなので、問題なし。YCATからなら、たとえタクシーで帰っても知れている。しかも YCATは横浜駅の東口に移動しており、あるいて横浜駅までいけるそうだ。  しかも、シニア割引で(65歳以上)、3500円が2000円、特急の成田エクスプレスの半額、エアポート成田の普通とほとんど同じ値段というのがうれしかった。しかも土曜だったので、YCATまで1時間半で到着、成田エクスプレス並みのスピードだった。久しぶりに訪れたYCATもきれいに整備されていた。次回からはリムジンバスを利用しようと心に決めた。 16日の帰りは息子も同行したが、当初仕事の都合で19日に予約した。しかし、仕事がキャンセルになり、急遽16日に変更した。変更手数料3000円と運賃の差額1万円ほど払って変更できたそうだ。しかも私の隣の席までとれた。ジェットスター(格安航空)万歳だ。

格安航空ジェットスターに初搭乗 2012年6月24日



  6月も半ば近くというのに日本は肌寒かった。しかし、フィリピンに帰った直後、台風一過の日本は30℃を越える真夏日だったそうで、この寒暖の差は年寄りにはこたえるだろう。  庭の梅の木はそろそろ収穫時で、おいしそうな実をたわわに実らせていた。 人と会うために関内の伊勢崎町を訪れたが、有燐堂には我が「金無し、コネなし、フィリピン暮らし」(右中段)が並べられていた。 平日のせいか伊勢崎町は、さほどの賑わいはなく、通りすがりの人の話す声を聞いてみると、ほとんどが中国語や韓国語で、日本もいよいよ外国人が闊歩する場所になったのだとつくづく感じる。 6月が旬のアジサイがいたるところに咲き乱れていたが、このアジサイはミルクに薄いピンクがかかり、なんとも味わいのあるアジサイだ。 6月15日は二人目の孫娘、夕芽(ゆめ)の1歳の誕生日だ。しかし、それまで元気に遊んでいたのが夕食時になると眠ってしまい、夕芽抜きの誕生会になってしまった。  夕芽の代わりに主役を演じたのが姉の結月(ゆずき)だ。久しぶりに両親のじっじとばっばがそろったので、すこぶるご機嫌だ。  この日、久しぶりに私と会って、まずは写真館で記念撮影、その時は、そっぽを向いて知らん顔をしていた。しかし、私の自宅によって、お土産をたくさんもらって、自分の家に戻ったら、私に対する態度が急変した。レゴで遊ぼうとか、私にくっついて離れようとしない。やはり女を口説くにはプレゼント攻勢が一番で3歳の子供にも通用するらしい。 幼稚園の年少に通いはじめて制服もイタについた結月。得意そうに見せびらかせてポーズをとっている。 食後、嫁さんのご両親がフィリピンに旅行された際のビデオ鑑賞会が始まった。プエルトガレラやマニラを見学したのだが、そのとき行ったカラオケ「夢の中へ」がとても面白かったと感想を述べていた。  ビデオ鑑賞かが終わるころにはすっかり眠くなり、夢後心地の結月。ひごろヤンチャで陽気なKIANを相手にしているせいか、女の子はどう扱っていいのか戸惑う一日だった。しかし、寝顔は世界共通で無邪気なものだ。

半年振りの日本は肌寒かった 2012年6月24日


 コロナ最高裁長官の弾劾裁判がたけなわのころ、息子とタクシーに乗って色々話をしていたが、ラジオのボリュームが大きすぎて話ができない。ドライバーにボリュームを下げるようリクエストをしたら、今大事な番組をやっている、国民は皆、ことの行方に夢中になっている、とえらい剣幕で文句を言われた。結局ドライバーはラジオのボリュームを下げず、弾劾裁判の中継に聞き入っていた。なにしろスピーカーは後部座席の耳元にあるので、わけの分からないタガログでがなり立てられたのではたまったものではない。件のドライバーは客がどうのというよりコロナ長官の私財の詳細についての暴露に夢中になっていたのだ。 最近はほとんどのタクシーは白い車体で、区別がしやすくなった  ちなみにタクシーに乗るとドライバーはボリュームを上げる。これは彼らにとっては客へのサービスのつもりなのだ。それをうるさいと言ってボリュームを下げさせるのは、一説によると日本人くらいのものらしい。今回も、大事な番組だから、我々も聞き耳を立てるべきだと説教していたのかもしれない。しかし、いくら言われても、我々はタガログ語が理解できないから、雑音にしか聞こえない。 別の機会に、口笛を吹くドライバーにお目にかかった。気持ちよさそうに運転中口笛を吹き続けているのだ。この口笛は、ドライバーに限ったものではない。セキュリティーガードも退屈そうに口笛を吹いているのを良く見かける。昔、駐在員として子会社の経営をしていたころ、社員が口笛を吹きながら廊下をあるいているのを注意するよう部下に命じた。これに対し、それは無理だと拒否された。彼はとても気分を良くしているのだから、それをとがめたら怒る、というのである。 それを思い出してドライバーに口笛を止めるようには言わなかったが、その口笛はタクシーを降りるまで続いた。  退職者の方で、タクシーを苦手とする方が多い。乗るときあるいは降りるときの値段の交渉がいやだというのだ。悪いドライバーは平気でメーターの2~3倍を吹っかけてくる。色々交渉して、1.5~2倍くらいで折り合いがつくのだが、それが面倒だというのだ。高くてもいいから正規料金をすっきり済ませたいのが日本人だ。最近では空港のイエロータクシーでさえも料金をごまかすので始末が悪い。 空港の送迎専用のタクシーは黄色で、ナンバープレートはレンタカーの分類となっている  確かに、最近はガソリンが高止まりして、初乗り35ペソを40ペソに上げたのも焼け石に水で、まともにやっていたのでは、一銭の稼ぎにもならないだろう。首都圏の万年渋滞もこれに輪をかけている。車の値段やガソリン代は日本と大差がないのに、初乗り40ペソ(80円)というのは奇跡の数値だ。タクシーのドライバーでなくても2倍や3倍に吹っかけたくなるのも無理はないだろう。  さらに、つりをまともに返すドライバーはめったにいない。60ペソ以上の料金で100ペソ払うと、サンキューといってほとんどの場合はそのまましかとしている。私としては20ペソよこせと催促するのだが、言えばちゃんとよこす。いずれにせよ、面倒なやりとりを毎回繰り返さなければならないのは、退職者にとってはいかにも面倒なことだ。  それにつけても、しゃくに障るのは、必要なときにはめったにつかまらないのが、タクシーだ。乗客を乗せていないのに素通りしていく。そして逆に必要のないときに、やたらと声をかけてくるのだ。雨の日の夕方などはタクシーを捕まえることははなからあきらめておいたほうが良い。

フィリピンのタクシーは公害か 2012年6月6日



  近所にこんなに立派なモールがあるなんて、長いこと気がつかなかったが、この日は一階のスーパーで買い物を終えた後、2階と3階を視察した。  1階には各種チケット(Cebu Pacific)、手紙や小包の発送(FEDEX)、送金(Western Union)さらにマネー・チェンジャーなどが一緒になった事務所があって、なかなか使い勝手のよさそうな店がある。特にマネーチェンジャーは円やドルの売りのレートが表示されたおり、ペソを円やドルに変えることができそうだ。これでトラベラーズ・チェックも扱っていたら、鬼に金棒というところだ。  長いエスカレーターを上ると、そこは近代的なモールだが、決してグロリエッタのようにブランド店だけが並んでいるわけではなく、庶民的な店も多い。 広々としたエリアにまるでデパートのブースのようになっているが、それらは独立した店で、ちょと普通のモールとは雰囲気が異なる。 フードコートも清潔で充実しているが、客足は今一だ。 2階と3階は吹き抜けになっていて、開放感がある。この日はざっと眺めて帰ったが、輸入品(密輸品?)なども多く、掘り出し物がありそうだ。

スーパーマーケットの老舗 Cash and Carry(その2)2012年6月6日


息子を農場に残し一足先にマニラに戻ったが、今回の訪問の一番の収穫は、タクシーの発見だった。空港でタクシーが客待ちをしていて、農場まで700ペソ足らずで直行してもらえるのだ。約40kmもあるのだから安いものだ。フィルキャプをチャーターする手もあるが、まずターミナルまでトライシクルで行かなければならないのが辛い。  さらに帰るときは、電話一本で農場まで迎えに来てもらえる。しかも料金は一緒で、出迎え料はとられない。これで空港から農場までの足が飛躍的に向上した。前回CRVをマニラにもってきてしまっているので、この点が問題になっていたのだ。人数が多いときはバンを空港でチャーターすることもできるようだ。  息子がついでにビザの延長をしたいというので、ジェーンの実家に寄って義姉のノーマをピックアップしていった。そのとき、すでにビアンカが一緒で車は満員だったが、ダシンやデバインも同行すると言い出して、総勢6人になってしまった。仕方なく二人分の席が必要なデバインはバスで空港へ向かうことになった。一方この日は晴天で、タバコの街のいたるところでマヨンの雄姿を望むことができた。 空港のマヨンも絶景だった。こうなると飛行機は是非右側の窓側を取って撮影に備えなければならない。  早め出発で朝食をとっていなかったので、チェックインのあと皆で来るク食事をとった。食後タバコを吸いに外へ出たら、空港全域が禁煙で、困ったものだとうろうろしていると、「志賀さん」という声がかかった。するとそこには旅行中の「I」さんの姿があった。前にブログで紹介した4年前のスービックとクラークを一緒に旅した人だ。 ちょっと雲がかかり始めたマヨンだが、相変わらずの姿に乗客は写真撮影に忙しい。   レガスピの街もばっちりだ。 マヨンの風景もばっちりだが、かなり雲が出始めていたのが、ちょっと残念だった。 セブ航空が発着するターミナル3にお目見えの新しいクーポンタクシーの料金表。メトロマニラとそれ以外の長距離サービス料金も詳細に記載されている。セブパシフィックやANAなどでフィリピンにやってくるとターミナル3に到着するので、是非この看板を目印にして、空港職員の口車(タクシー・タクシーと盛んに声をかけてくる)に乗って割高のレンタカーを利用しないように気をつけよう(画面をクリックして拡大してみてください)。      

マヨンに見送られてマニラへ帰還 2012年6月5日



 重量級のKIANの抱っこの要求に答えるために、右肩と左の肘の痛みが慢性化していたが、最近、にわかに腰痛が加わり、寝返りをうつのもはばかれるほどになってしまった。寝ている間は腰痛は収まるものの、肩の方はちょっと腕の置き方がまずいと、寝ている間も痛み続いて安眠できない。そのため、昼間もなんとなく疲れ気味で仕事にも身が入らなくなっていた。  椅子やベッドから立ち上がるにも腰に負担を与えないように何かにつかまって立ち上がる有様だ。歩き方もなんとなく腰が曲がっているようで、いよいよロロ(おじいさん)の様相を呈してきた。マッサージに毎日の様にに通い、テラピストと格好いい名前で呼ばれているマッサージ嬢に、肩や腰の痛みを訴えても、一向に相手にされない。彼女達は癒しを与えるのが専門で痛みをとる治療を行う医師ではないのだ。だから、中には正直な子もいて、盛んに医師に相談するよう勧める有様だった。  こんな調子では引退も間近と気が弱くなっていた。件の農場に引っ込んで年金で暮らそうか、しかしそうするとビジネスの相棒や、私を頼りにしている退職者に大いなる迷惑をかけるなどと真剣に考え始めていた。  そして、昨夜、古いフィリピン人の友人に、この話をした。そうしたら、彼もしばらく前に背中の筋肉の痛みに悩まされ数週間どうしようもない状況に陥ったとのことだった。それで薬局に相談したら、何とか言う薬を勧められ、三日ほどで完治してしまったそうだ。その後も、痛みが再発することは決してないという。  そこで、食事のあと、一緒に近くのマーキュリー・ドラッグ・ストアを覗いてみた。彼は、あれこれと薬の説明をしてようやく件の薬が現れた。ARCOXIA AC 120mg、一錠が76.75ペソと割と高い薬で、とりあえず4錠を買い求めた。       その夜もマッサージ嬢を呼んでいたので、とりあえずマッサージを受けた。肩と腰の痛みを訴えても馬耳東風のようで、何もしてくれなかった。しかもうつむきで腕を開いていると肩が痛くて、途中でマッサージをギブアップするほどだった。腰の痛みもマッサージの後、返って倍増したような気がした。  そこで、件の薬を一錠飲んで眠りについたが、翌朝、なんと、この痛みの80%位が消えていたのだ。腰はほとんどなんともないし、右腕を上げてまわしてみてもほとんど違和感がない。さらに左肘の骨の痛みも感じない。これなら三日もすれば完治するはずだ。ためしにKIANを抱っこしてみたが大丈夫。まさに感激の一瞬だった。  その昔、同僚の人で、肩の痛みがひどく、マッサージ、針、整骨、電気治療、何をやってもどうしようもない、と出張中の新幹線の中で訴えていた人がいた。そこで母からもらってしまっておいた「百歩蛇神経丸」という台湾製のわけのわからぬカプセルを、だめもとで試したら、と差し上げた。そうしたら、良くなったから是非一瓶手に入れて欲しいと頼まれた。他にも、この薬を上げた翌日に腰の痛みが劇的になおってしまった、という人もいた。  当時は腰痛も何もなくてその薬のお世話になる機会はなかったが、今回は「百歩蛇神経丸」ならず、ARCOXIA ACで同じ経験をさせてもらうことになった。  

肩や腰の痛みに特効薬ARCOXIA AC錠 2012年6月5日


 一ヶ月ほど農場に滞在した息子がマニラに戻ってきた。二日ほど滞在して日本に帰るとのことだ。ゆくゆくは農場に家を建てて暮らすつもりで、年に4ヶ月くらい日本に出稼ぎに行くという優雅な生活を夢見ているようだ。しかし、一人で特に目的もなしにただいたのでは退屈してしまい、いい加減、農場滞在も飽きがきたようだ。 息子は毎年やってきているので、タバコ市のジェーンの姪や甥とは仲良しで、ハイスクール3人組とマミーそれに5歳のヤナが、息子を見送るのだとバスでマニラにやってきた。すでに、この夏休みをマニラで過ごしている小学生組み3人、それにKIANとキム、それに私と息子を含めて5人の大人が加わって総勢15 人が天天火鍋で食事を取ることになった。  息子が負担したバス代が5人分で6000ペソ、天天での食事は私が負担したが切り詰めて3000ペソ。想定外の出費が続く。6人のマニラ行きは息子が皆に見送って欲しいとリクエストしたと言うことだが、そういわせるように仕向けたに違いない。日本人には500kmの道のりをバスで駆けつけて送迎するという発想はないし、マニラ行きが決まったときの彼らの喜びようは尋常ではなかったらしい。 久しぶりの天天の食事に大いにご機嫌なのがKIANだ。この日は、よほどお腹がすいていたと見えて、食べ物が用意できるのを待ちかねて、ソースをさらについでなめるという芸当までやってのけた。それにイカ・ボールを箸にさしてソースをつけてほおばるという仕草は、とても2歳と2ヶ月の子供とは思えない。 帰りは、15人が一台の三菱モンテーロに乗り込んだ。元々2・3・2の7人乗りだから、後ろの2列は6人づつが二重にになって座っていたことになる。運転手以外は皆、ひざに人を載せていたことになる。 翌日はキムを含めたハイスクール4人組に息子と来比中の客と一緒にタガイタイに出かけた。タアル・ビスタホテルの眺望、マホガニーマーケットの果物や牛肉の屋台を堪能した後は、20軒ほど並ぶトロトロ・レストランの一つで食事だ。  目玉はもちろんタガイタイ名物のブラルー(牛のすね肉のスープ)、それにカルデレータ、イカのアドボなど、どれもおいしいと、好評だった。〆て1500ペソは妥当なところか。 食後に、4個で100ペソのパイナップルを、300ペソで12個を買い求め、この日のおみやげとした。これらはタバコへのお土産として翌日にはなくなってしまったが、もっと買っておけばよかったと後悔しきりだ。その辺においてあるバナナは、一房全体で100ペソもしないだろう。荷台がないので購入は断念した。  マーケットと食事だけではハイスクール組みには物足らない。タアル・ビスタホテルの脇にある乗馬場で、30分250ペソを200ぺそにまけさせて初めての乗馬体験を楽しんでもらった。  同行した日本人(女性は)は乗馬も趣味だそうだが、日本なら半日くらい楽しんで万札は固いと、その安さに驚いていた。当方はちょっと馬に乗せてやっただけで800ペソの出費はかなり痛いのだが。しかし、わざわぜタバコから10時間かけてやってきたハイスクール組みにとって、新学期を控えた夏休みの最後に、この位の楽しみがないと、息子としても友好関係は維持できない。    その後、タガイタイで当社のゲストハウスとしても機能している退職者の家を訪問して、この日の締めとした。左はジェーンがKIANにつくってやった車だ(本ブログとは何の脈絡もないが)。 翌日は、いよいよ息子の日本への出発、全員で見送りだ。空港へは車の定員の関係で子供中心となったが、それでも全部で12名がPAL専用のターミナル2で見送った。  30年以上前に成田空港ができて以来、見送りなどという習慣には無縁となっていたが、車一台に鈴なりに乗り込んで見送ったり出迎えたりするという習慣は、いつまでも続いて欲しいフィリピン名物だ。 […]

息子の帰国の見送りに大騒動 2012年6月5日



  連休を利用して、息子(左)がフィリピンに遊びに来たので、一緒に農場を訪問した。4月に1週間滞在したばっかりなので、一ヶ月ぶり。空港では風邪を押してデビナ(中央)が出迎えてくれた。農場にはマミー(左の写真中央下)やビアンカ(右)をはじめ、旧知の友が息子を大歓迎だ。右の写真の真ん中の4人がハイスクール少女隊だ。 息子が海の家のおまけを大量にもってきてテーブルに広げたところ、ハイスクールの子供達がわれ先に抱え込んで、小さな子には申し訳程度に一つずつ配っていた。日本なら大きい子が公平に配ると思うのだ、ここではどうも力の強い子が優先のようだ。  空気マット式のプールはKIAN専用だそうで、この日は去年私が買った、ビニール製のプールを組み立てて使うことになった。かなり大きいので大量の水を必要とし、マミーは簡単には許可しないので、私の来るのを待って水遊びとなった。 ハイスクールの少女達も大き目のプールにおおはしゃぎだ。ちなみにフィリピンの人は泳ぐときに水着を着けないで、服のまま水に飛び込む。色々考えたが、その理由は、①水着になるのが恥ずかしい②日差しが強いので日に焼けるのをきらう③濡れた服でいても寒くない(日本ならすぐに邪を引いてしまう)、の3つの理由であろうと私なりに結論づけた。 その夜は息子を囲んで早速カラオケ大会。この日初めてあった、ジェーンのいとこの子供のチェムチェム(16歳)は現役の歌手で、お酒もたしなむ、ちょっと悪い子だそうだ。その歌声とジェスチャーはさすがプロ、粗末なオーディオでもしっかりと聞かせてくれた。 その夜はデバインの誘いで、ライブバンドのディスコにハイスクール以上の子達を連れて出かけていった。どうせつまらんところだろうと思っていたのだが、セクシーな4人の歌手が出てきて、中々のものだった。チェムチェムは早速マイクを握ってうたわせてもらっていたが、歌そのものものは舞台のシンガーよりも上だった。 しかし、10人足らずの席につまみが次々と12皿も出てきて、というかデビナが注文して財布が心配になる。さらにドリンク二杯づつで、合計3000ペソ強。たったの6千円と思うかもしれないが、当方としては、とんだ予定外の出費だった。そもそも、デビナが当方には何の相談もしないでバカスカ注文することに少々腹が立った。

農場再訪問 5月 2012年6月4日


今年のホリーウイークはKIANはたっぷり農場の滞在を満喫した。今年は異常に雨が多かったが、4月に入ると晴天が多くなり、KIANにとって絶好の農場日和となった。 久しぶりに会ったいとこ達に囲まれて初めは多少緊張気味のKIAN。 鯉とテラピアの養魚池ではえさやりに、いたく興味を示すKIAN。しかし、豚小屋では豚の存在感にさすがのKIANも押されぎみだ。 あひるや鶏にも興味しんしんだが、レッド・テラピアをはじめてさわってみて、生きた魚にちょっとびっくり。 晴れ間を狙って収穫した米を乾燥させるが、なんでも自分でやって見ないと気がすまないのがKIANだ。 ベランダで、完璧な姿を見せたマヨン火山をバックに記念撮影。 わだちでぬかるんだ道を裸で歩くKIAN。 おまるに座ってウンチをしながら、冷やかすいとこに、口をとがらせてけん制するKIAN。 ゲートの外はちょっと広くなっているので、近所の子供達の溜まり場だ。彼らにしてみると、農場の中はユートピアのように映るだろう。 お猿さんとも久々の面会だ。 KIAN用に買い求めたエアバッグのプール。これなら縁で遊べるのでKIANにとって都合が良い。 KIANはホースを手放さないで、人に水を掛け捲る。 トライシクルの運転席はKIANの大好きな場所だ。気分はトライシクルドライバーだ。 アランおじさんの肩車で農場を散歩。口を固く結んで緊張気味だ。 この日は熱を出して、静かに寝そべる。こんなKIANをみることは滅多にない。 […]

KIANの農場滞在記 2012年6月4日