PRA・退職ビザ


6月16日からの封鎖緩和(GCQからMGCQ)が見送られた。MGCQになれば、日本の自粛要請程度のゆるい規制になって、60歳以上、21歳未満の外出も許可され、レストランや遊技場も部分的に開いて、自由度が大幅に向上する。結局、6月30日まで、現在の外出制限と役所、事務所、銀行等の50%稼動が継続することになってしまったのだが、6月30日というのは暫定的なものであり、その後、緩和されるという保証はなく、感染が一向におさまらない状況では逆にセブのように強化されるかもしれない(GCQからECQに逆戻り)。 PRAは8日の再開から、2週間を経て、その運営体制があきらかになった。要は、当初、業務の要と見られていたオンライン申請は全面的に取りやめ、事前予約による面前での申請のみとされている。 再開前の7日にID更新について質問状を発行したが 、その返事が未だに無いという徹底振りだ。さらに、この事前予約もごく少数の来訪者に限定され、2~3週間先でないとアポが取れないという状況だ。しかも一回の面会で原則一件の申請のみ扱うということで、当方のように常に複数の申請を扱っている代行業者にとっては死刑宣告に等しい。こんな状況も未だおさまらない感染拡大に職員を守るための方策であり、いつかは過去のものになるということを信じて、当面、顧客には我慢してもらうしかなさそうだ。 さて、学校も休みが継続しておりも、3月7日以来、4ヶ月目に突入している。したがってキアンのお稽古事もストップしたままだ。ピアノなど自習するよう促してはいるものの、せいぜい現状を維持する程度でしかない。先生も収入の道を絶たれて苦しい状況にあるに違いない。そんな折、ピアノ、テコンドーなどからオンライン・レッスンの声がかかった。ピアノの授業料は8500ペソ/月と70%アップだが、背に腹は代えられない(これは年間で10万ペソに達してドンボスコ・スクールの授業料と変らない)。ドンボスコ・スクールからもダンスや空手のオンライレッスンの声がかかったが、こちらは無料なのでありがたい。 テコンドーや空手はオンラインといわれてもピンとこないが、ピアノとダンスは待っていましたと乗ることにした。ピアノは5年目に入って、やっと人に聞かせる程度まで上達したのでなんとか伸ばしてやりたい。一方、ダンスは知らぬ間にプロはだしのステップを踏めるようになっており、要は天賦の才があるようなのだ。それにずっと家に閉じこもっているための運動不足を補うことも出来るし、ストレス解消もしかりだ。 さて、レッスンの前日、ママ・ジェーンからキアンにラップトップにズームのアプリをインストールするよう命令が下って、キアンが私に助けを求めてきた。すでに準備済みときいていたのだが、前日の夜になって、何も準備をしていないことがわかった。私は、自慢ではないが、アプリのインストールは滅多に成功したことがない。後から良くきくとママ・ジェーンがパスワードを忘れてズームにアクセスできなくなってしまったということらしい。キアンと私が四苦八苦して新たにズーム・アプリをインストール、あるいはインストール済みのアプリのパスワードを回復しようと試みたが、どうにもうまくいかない。ラップトップのOSもウインドーズ8で使ったことがないのでキアンを頼りにせざるをえず、結局ギブアップする以外に手はなかった。 コロナ封鎖が一段落して(GCQに緩和)妻の田舎から戻っている息子に応援してもらおうとしたが、まだGCQだから、他所から人を入れてはいけないとママ・ジェーンは認めようとしない。そこで封鎖中の3ヶ月間、警察で寝泊りしているパパ・カーネルに応援してもらってようやく事なきをえた。彼は、PCR検査で陰性であることが確認されているので入室を許されたのだ。 翌日、オンライン・ピアノレッスンが開始される10時半になってもキアンは準備を始めるわけでもない。催促すると、やっとラップ・トップやイヤ・フォンなどの準備を始めて、先生とうまくビデオ通話が出来るころには11時をこえていた。それでも、何とかレッスンが開始できたのでホットした。 キアンには、エリーゼのためになどポピュラーで人に聞かせられる曲を10曲小学校卒業までにマスターするようにいいつけた。私専用のピアニストとして演奏会を毎日開かせようという魂胆で、ハイスクール卒業までに100曲マスターのターゲットも与えた。 さて、翌日はダンス・レッスンだ。これまた、はじまる時間までに何もしようとしない。時間になって、Meetingとかいうアプリを開けるのでママ・ジェーンのYahooメールのパスワードを教えて欲しいとキアンがいう。「そんなもの知るか、マミーにきけ」とつい声が荒がる。とにかく事前に準備するということができないというフィリピン人の特性を10歳のキアンも十分受け継いでいるようだ。 ダンスのレッスンはXボックスでおなじみの対面でステップをまねするもので、キアンにとってはおなじみの手法だ。キアンに何故、あんなにダンスがうまいのかときくと、Xボックスで練習したのだというので、オンライン・レッスンも効果的であろうと期待できる。はじめはクッキーも参加していたが、すぐにあきて床を転げまわる始末だ。 ひさしぶりに先生と話したり、ピアノやダンスのレッスンをして、ここ3ヶ月間籠りっきりだったキアンはストレス(特に私の算数レッスン)から十分解放された様子で、机に足を投げ出してくつろいでいた。そこで、私が品が無いと注意したところ、脇でクッキーが私に声をかけてきた。見ると、クッキーが机の上に足を乗せて笑っている。 このことをママ・ジェーンに話したら、大笑いをして自分の子供の頃にそっくりだという。英語で天邪鬼(アマノジャク)をなんて言ったらいいのかわからなかったが、 事前準備の悪いことと同様 […]

キアンのオンライン・レッスンが 開始された 2020年6月20日


今週の最大の出来事は、日本政府が海外在住者にも10万円の給付を決定したことだ。安部首相が全ての国民一律に10万円を給付すると発表したとき、当方も日本人である限り、当然支給されるものと思った。しかし、後になって、住民票に登録されているものに限り、さらに外国人にも支給されるということがわかった。我々は日本人でないのか、外国人でさえ日本にいればもらえるのに海外にいるということで、恩恵を受けられないなんて、とんでもない差別だと感じた。日本にいたら10万円なんてと思うかもしれないが、フィリピンではかなり重みがある。この3ヶ月ご多分にもれず休業で収入が全くないので、まさに天の恵みなのだ。 次のニュースは、6月8日にPRAが業務を開始したことだ。オンラインを主体として、事務所での面会は予約制で人数制限があるということ。オンラインは業務を知り尽くしたマーケッター(代行業者)、事務所の面会は退職者向けと理解して前向きに対応しなければならないと決意した。PRA通達(6.05-1) PRA 通達(6.05-2) というわけで、7日の日曜から矢継ぎ早に、ID更新と取消関わる質問、申請済みビザ取消進捗状況、新規取消申請、新規ID更新申請、SRRV申請の事前レビュー、などのメールを大量に発信した。それぞれの申請事項には専門のメールアドレスが設定されており用意周到だ。ID 更新は「id_renewal@pra.gov.ph」、取消が 「cancellation.pra@gamil.com」SRRV申請は 「srrv.preevaluation@pra.gov.pra」など。 10日、水曜日にあらかたメールを打ち終わってみたものの、7日(日)以来送り続けているメールに一向に返事がない。いくら3ヶ月ぶりの業務とはいえ、オンライン・オンラインと大騒ぎして、そのオンラインに返事が無いのでは始まらないではないか。そこで痺れを切らして、果たして上記のメルアドは機能しているのかと、PRA内部のいつも頼りにしているスタッフにヒアリングのメールを送った。 その効果は抜群で、そのスタッフが関係各所に掛け合ってくれて、返事が来はじめた。その結果、どれもこれもがっかりする返事だった。取消申請は、この3ヶ月何の進捗もなし(入管も休業だったのだから仕方がないが)、取消の新規申請は、現状、事前アポで面前でのみ申請を受け付けるというもの、あれだけ通達でオンラインと騒いでいたものが、なんというていたらくだ。一方、ID 更新については、一週間音沙汰無し。要はオンラインが全く機能していないのだ。 事前アポについては、かなり少数に絞られているので、アポを取ること自体が難しく、しかも私は60歳以上なので、いまだに外出禁止令が出されている。こうなると、PRAは再開したものの、当方が手続きを進めることはできないという結論になってしまう。すべてコロナありきで、じたばたしてもどうしようもないので、しばらく様子見ということにするしかないが、件の頼りになるスタッフに事の次第を送って解決策を探っている いまだ、GCQ(一般地域防疫措置)の最中で子供達は外出禁止のはずなのだが、先週土曜なぜかインフルエンザのワクチンを打ちに行った。ママ・ジェーンがワクチン・ワクチンと大騒ぎしているので、まさかコロナのワクチンが出来たのかと心をときめかせたが、単なるインフルエンザだという。しかし、インフルエンザで熱が出たとすると、病院が全うに機能していないのでやばいというのだ。しかも周囲からコロナと疑いをかけられて白い目で見られると、日本と同じく風評被害があるらしい。一方、一般患者がコロナ感染を警戒して病院を敬遠するので収入が激減し、大多数の病院が存続の危機に見舞われているという、日本と似たような現象がおきているそうだ。 しかし、60歳以上の私と子供達がこぞってオルティガスのクリニックまで行くことが出来るのかと不思議に思った。ママ・ジェーンによると、パパ・カーネルが一緒だから大丈夫だという。カーネルのパワーはコロナウイルスにも有効らしい。そんなわけでカーネルの運転でオルティガスの事務所(子供達を取り上げたヒメネス先生)、に向った。途中、そこそこの車は走っているものの渋滞という現象には程遠い。子供達は2ヵ月半ぶりの外出に大はしゃぎだ。末っ子のココは、ほとんど始めてみる外界に目を丸くしていた。 事務所ビルに入る時は詳細を記入して、さらに3人ずつと人数制限をされたが、中に入ってみるとがらがらで何のための入所制限かよくわからない。帰りはカーネルがまだ昼食を摂っていないというので、マクドのドライブスルーに寄ったが、これも久しぶりの経験で子供達ははしゃいでいた。

ワクチン注射に行って来ました 2020年6月13日



封鎖開始から2ヶ月、在宅隔離も我慢の限界が近くなってきている。そんな矢先、13日、再び、31日まで封鎖継続のニュースが流れた。MECQ(修正強化地域防疫)と称しており、工場や事務所の限定的再開などの緩和措置があるようだ。庶民の生活としては食料品の他に日常品の販売が解禁になる。ただし、外出禁止は継続しており、公共交通機関も動いていないので、庶民に取ってはジョギングなどが許されたことくらいが大きな違いだろうか。私としても二ヶ月間一歩も外に出ておらず、外の空気に触れるのは一日一回、新聞を取りに玄関に出る時だけで、いい加減飽き飽きしているのだが、60歳以上は外出厳禁なので、全く変らない生活が続くことになる。 フィリピンの封鎖解除の順番は、現状の最高度の(1)ECQ (Enhanced Community Quarantine、強化地域防疫)の次が今回の (2)MECQ (Modified Enhanced Community Quarantine修正強化地域防疫) で、マニラ首都圏以外の(3)GCQ (General Community Quarantine一般地域防疫)、最後は(4)MGCQ (Modified […]

クッキー(3歳半)の反逆 2020年5月15日、5月17日、18日追記


新型コロナ感染防止策として、3月15日から実施されているマニラそしてフィリピン(正確にはルソン島を中心とした地域)の封鎖から、すでに2週間経過した現在、ようやくPRAからSRRV保有の退職者にPRAの状況を知らせる通知が届いた。封鎖直前、当方はSRRV申請者を抱えて、PRAの対応がどうなるのか、退職者の扱いはどうなるのか、外国人のフィリピン入出国はどうなるのか、PRAからの情報が混乱しており、右往左往させられた。それがやっと落ち着いた頃になって、PRAからの正式な通知が配布されたのだ。当方としてはすでに周知の事項の羅列だが、退職者の方には始めて届く情報なので、ここに再掲して、要訳を付け加えた。 Mar 26 2020 To all SRRV holders and accredited Marketers; SRRV保持者とマーケッターへ Please be informed that […]

マニラ封鎖に伴うPRAの通知 2020年4月2日



首都圏、そしてフィリピンの封鎖に伴いSRRVを保持してフィリピンに在住している方から、問い合わせが相次いだ。当方にとりわけ情報が入ってくるわけではないのだが、日本大使館とPRAからの情報を注視して私の見解を織り交ぜて役に立つ回答となるように心がけている。そのいくつかは、フィリピン在住SRRV保持者にとって共通な疑問だと思うので、紹介したい。 1.フィリピン在住者の国外退去は必要なのか? 3月20日に発令された PRA通達 によると、外国人の入国制限は日本を含む全ての外国人を対象としたもので、これから入国を計画している場合はまだしも、すべてのビザを取り消すという文言に、フィリピン在住の自分も国外退去になるのかと戦慄が走った。これを聞いたキアンはダダも日本へ帰るのかと涙ぐんでしまったくらいだ。 3月20日午後2時受信:志賀さん、こんにちは。ご無沙汰しております。今回のCOVID-19、コロナウイルス感染防止対策の一環で、昨日に新規ビザ発給停止、発給済みビザ一部が無効になったニュースを読みました。 質問させていただきたいのですが、SRRVは無効措置の対象外という理解でよろしいでしょうか?また、9aを延長している私の後輩は、現在フィリピンに滞在中ですが、今回の措置で延長手続きができなくなったと思います。このまま措置が終わるまでフィリピンに滞在してもいいのか、日本に帰国しなければならないのか、判断に困っております。 3月20日午後3時回答:特に根拠はないのですが、SRRVは対象外だと思っています。PRAの職員に聞いてみますが、返事をもらえるかどうかわかりません。9aについては、この状況から、延長はできないと思います。そうなると出国しなければならないことになりますが、飛行機が飛ぶかどうか、チケット取れるかどうか、空港にに行けるかどうか、確信はないですよね。仮に出国が困難で、そのままフィリピンに滞在したとして、後日処罰されるということがあるとは思えません。動けば動くほど感染のリスクは高くなるので、この際、じっとしているのが一番ではないでしょうか。ルソン島の封鎖は人が動くのを防止するのが趣旨だと思うのでジタバタしないほうが良いと思います。 3月20日午後7時回答:大使館情報を入手したので転送しました。SRRVも9aもこのままフィリピンに滞在可能です。ただし、SRRVを含むいかなるビザを保持していようともフィリピン人の配偶者と政府筋の外国人以外は入国できないようです。理にかなった処置だと思いますが、さらにDFA(外務省)発行の大元の入管通達を入手したので送付します。 2.SRRVは将来とも有効なのか? 3月19日発行された入管通達(SRRVも含めてすべてのビザを取り消すという処置)は、現状が回復した後も有効なのか、それがYESだとしたら、SRRVも政府の意向でいつでも取り消すことができるわけで、無期限有効・出入国無制限というのは謳い文句でしかありえず、SRRVの信用は失墜して存在価値を失ってしまう。 3月27日受信:志賀様 その節は、SRRV取得の為に親子で大変お世話になりました。いかがお過ごしですか?お伺いしたい事があり、ご連絡させて頂きました。私共は、コロナウィルスの影響を懸念して、3月19日より日本に一時帰国をしておりまして、その後、全てのVISAの無効を知りました。SRRVも再度取得し直す必要があるのでしょうか?もしくは、一時停止が解除されれば有効になるのでしょうか?お忙しい所、恐縮ですがご回答よろしくお願い致します。 3月27日回答:ご無沙汰しています。PRAは、3月19日「コロナ感染防止策の一環として、すべてのビザを無効とし、外国人(フィリピン人の配偶者と政府関係の外国人を除く)の入国を禁止する」という入管の通達に対して、PRAとしてSRRVの有効性を再確認するためのPRA通達を発効しました。一体何が言いたいのかわかり難いのですが、要約すると「SRRVは引き続き有効であるものの、現状の封鎖状態が解除されるまで、例えSRRVを保持している外国人でもフィリピンへの入国は出来ない」と言う事です。 3.SRRVは永住ビザ(Permanent Resident […]

フィリピン封鎖に伴うSRRVの扱いに関するFAQ 2020年4月1日


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2019年10月4日 追記(3) 今日、PRAでPRA職員がアポスティーユについて日本人に説明しているのを横で聞いていて、PRAの説明がおかしい、と口を挟んだ。PRAは「日本大使館で受け取った警察証明を日本の外務省に持って行ってアポスティーユを取得して来い」というものだが、私の主張は「警察証明は現在、当面の間日本大使館の印章証明で受理されるはずだ」、というものだ。念のため、先日(9月17日)インド人申請者の警察証明(アポスティーユ無し)を受け取ってくれたPRA担当者に確認してみると、「あの「当面の間」の当面はもう終わった」のだという。あれから3週間もたっていないのだが、あまりにも短い「当面」だった。 SRRVの申請に関しては最新情報を常に把握していると豪語していた私だが、これほどまでに朝令暮改ではついてゆけない。しかもPRAはこのような重要な改訂をアナウンスしないことだ。どっかに張り紙でもしてもらえればよいと思うのだが、聞かれれば答えるという姿勢にはなんとも言い難いところだ。フィリピン人は報連相が苦手というのが、私の言だが、まさに日々そのことを実感させられる。 2019年9月30日 追記(2) 先日とある退職者が、どうしても年金証書の翻訳者が日本で見つからないと訴えてきた。翻訳会社に頼んでもみても中途半端な仕事だということで、断られてしまったというのだ。そうなると公証もアポスティーユも糞もない。私にとっては翻訳自体は簡単なことなのだが、プロの翻訳家に頼む必要があるとPRAから聞いていたので、困ったことになった。こうなったら、私がいつものように翻訳して退職者に送って、日本の公証役場で、通用するかどうか試してみるしかない。当方としては、在比日本大使館、それにPRAに対しては戸籍謄本も含めて100通以上の翻訳を通しているので、実務的には問題ないはずだ。しかし、翻訳会社としては看板を出していないので、果たして日本で通用するかどうかだ。一方、退職者の方はご自身で翻訳しても大丈夫みたいだというので、とにかく試してみることにした。 そして待つこと約一週間、件の退職者の方から、東京の公証役場で、退職者の署名で問題なく公証が済んでアポスティーユも、10分たらずで取得できたとの連絡があった(ちなみに東京、神奈川、大阪の公証役場ではアポステーユまでワンストップでやってもらえる)。私の翻訳は全く問題はなかったとのこと。退職者は、これで一歩前進と仰っていたが、このことは初めて試みなので、SRRVを希望する全ての退職者にとっての大きな一歩前進だといえる。さらにこれは退職者のSRRV申請に限ったことではないので、日本とフィリピンとの間の諸手続きにおける大きな一歩といえるはずだ。ちなみに費用は12500円、リーゾナブルな費用であろう。 在比日本大使館で発行される婚姻証明書や出生証明書や年金証書の翻訳証明がいずれ認められなくなるという状況で、日本で比較的簡単に翻訳つきの戸籍謄本や年金証書のアポスティーユが取れるということは、ここ数ヶ月、私の頭から離れなかった最重要問題が解決したとさえいえる。当方が年金証書や戸籍謄本のコピーを退職者からいただいて、その翻訳を代行するということで、公証役場で10分でアポスティーユが取れるということであれば、退職者の方がSRRV申請をギブアップしてしまうということもないだろう。わざわざ東京/神奈川ないし大阪の公証役場に行くという手間はあるが、10分ですむなら我慢してもらえそうだ。さらに少々お高いが、行政書士に依頼して遠隔でやる方法もある。 2019年9月19日 追記 9月1日からアポスティーユのみ受け付けるというPRAの決定は、この時期のほとんどの申請者に多大なる影響を与え、右往左往させられた。従来、本国での準備が不十分でも、多少の時間をかけさえすれば当地の大使館で大概のことはできた。しかしながら在比大使館の証明書はPRAとしては一切認めないというのだから、一体、退職者を受け入れたいのどうなのかと疑りたくなる。 9月1日の期限に間に合わせるべくすったもんだの末、ようやくビザ申請そして発行にこぎつけたインド人カップルの準備した無犯罪証明書(9月4日付大使館証明)を、9月18日に後付で受け取った際、あれだけ念を押したのにアポスティーユをもらっていない。9月1日以前ならOKだったものだが、念のため、PRAの申請受付に聞いてみたら、「9月1日のタイムリミットは保留とし、在比大使館の証明を当面の間、受け付ける」というのだ。これはラッキーとインド人カップルは大喜びだった。何しろアポスティーユは一旦本国へ帰らないともらえないのだから。 そこで頭をよぎったのが、3日前に日本大使館から無犯罪証明書を受け取って、アポスティーユを受け取るためにわざわざ日本へ帰国した方だ。PRAの翻意がわかっていれば、その場で大使館の印章証明をもらってPRAに提出することができたのだ。かと言って今から連絡してアポスティーユを無用としたら、戻ってきたころには、PRAが再び受け付けないなどと翻意していたら元も子もない。 他にも日本で年金証書の翻訳先が見つからず、私の翻訳をつけてアポスティーユを公証役場で取得するべく東京まで出向いてネゴ中の方がいる(東京、神奈川、大阪では公証からアポステーユの発行まで一括して公証役場でやってもらえる)この方にも、PRAの言う「当面」が、いつまでなのかわからないから、 もう不要ですと連絡するわけにはいかない。PRAの措置は、ルールの変更にともなって書類の準備に混乱をきたした、すでにフィリピンを訪問している人やフィリピン在住の方に対しての救済措置なのだ。 実を言うと先週、GM(PRAトップ)宛にアポステーユ取得にまつわる退職者の困難、混乱を文書で直訴したばかりなのだ。私が直訴したから直ちに翻意したとは思わないが、多方面から不満が殺到していたのだろう。PRAの判断で大使館の発行する書類や証明を受け付けることができるのであれば、是非ともこの「当面」を恒久的なルールとしてほしいものだ。 一方、「 戸籍謄本をそのまま日本の外務省でアポスティーユを取得して、その翻訳はフィリピンでやって日本大使館で認証してもらう」という案は日本大使館に軽く一蹴されてしまった。今度は私の翻訳文で日本の公証役場でアポスティーユを発行してもらえるかどうかだ。それだけでも退職者の大いなる助けになると思う。 2019年7月14日記載  日本で作成された無犯罪証明書などの公文書は、外務省の公印確認を経てフィリピン大使館で領事認証を受ける必要があった。いわゆるレッドリボンというやつだが、それが5月14日から不要になった。これは、ビザの申請、婚姻など、外国人がフィリピンで行なう諸手続きにおいて、いわば画期的なできごとなのだが。 […]

レッドリボンが不要になった2019年7月14日 追記2019年9月19日 追記(2)2019年9月30日 追記(3)2019年10月4日



7月5日、PRAのパーティーと言えば、物心ついた頃から欠かさず参加しているキアンが首を長くして待っていたPRA創立記念パーティがついに挙行された。会場はいつものPICC(Philippine International Convention Center)なので、迷うこともない。 4時半に家を出発すると宣言したにもかかわらず、いつものことながらクッキーのミルクの準備やジェーンのお化粧にてまどって、結局5時半に出発の運びとなった。この時間はラッシュアワーで6時から始まるパーティーに間に合うどころの話ではない。 そこで議論になったのがどの道を通れば渋滞に巻き込まれないかだ。ママ・ジェーンはビトクルス・マラテを通って最短距離を主張、運転役のアランはブエンディ通りの正攻法、私はスカイウエイを通って空港経由の大回りを主張した。 いつも彼らの意見を入れて苦い目を見ている私は、この際、特権を発揮してスカイウエイ経由をごり押しした。途中さほどの渋滞は無いものの何しろ3倍近い距離なので、さすがに遠いと、二人がぶーたれること仕切り。しかし、到着してみるとまだ6時5分で、ほとんど開始時間に到着することができた。私の得意振りに彼らはしかとしていた。

第34回PRA創立記念パーティー挙行 2019年7月14日


今年は5月一杯休暇をとってビコールですごし、その終盤にはデング熱を患ってダウンして、6月早々職場復帰した時は、すでにPRAの受付のデスクに招待状が置いてあるという、なにかあおられているような思いがした。例年であれば、パーティの数日前に招待状を入手して、あわててこのブログで紹介するところだが、一ヶ月前に招待状が配られているという事態は、私とPRAの20年近い付き合いでははじめてのことだ。 場所はいつものPICCなので迷うことはないだろう。当方としてはキアンとクッキーの出席は必須で、クッキーのヤヤの出席をどうするかが悩むところだ。 昨年の創立記念には参加したはずなのだが、カメラが故障したのか、下記の一枚しか写真が見当たらない。ブログも掲載しておらず、さびしいところだ。

第34回PRA創立記念パーティ(7月5日)への招待 2019年6月12日



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いよいよ12月に突入し、街は俄然、にぎわしくなっている。デパートは買い物客でごった返し、道路は車で埋まっている。こんな時は家でじっとしているのが一番なのだが、どうしても外出せざるをえないのがクリスマス・パーティだ。 PRAとしてもこの行事は、GMの晴れ舞台なので欠かすことができない。今年もいつものPhilippine International Convention Center(PICC)で、12月14日(金)午後6時から開催されるとの通知が今日、パーティの一週間前にやっと手に入れることができた。 我が家としてはジェーン一家総出で参加することなるが、2歳を迎えたクッキーのはしゃぎようが今から目に浮かぶ。キアンとしても若い退職者のお子さんたちに会うのが楽しみだ。 一歳を迎えたばかりのクッキーはよちよち歩きで舞台に立った。 昨年の300~400名規模のパーティはなかなか豪勢だった 先日行なわれたマーケッター感謝パーティで舞台に上がって踊る2歳のクッキー 昨年のパーティの様子は下記のブログ参照。 PRAクリスマスパーティ開催 2017年12月16日  

2018年PRAクリスマスパーティへの招待2018年12月7日


しばらくブログを休んでいる間に、退職ビザの発行が遅れに遅れ、2ヶ月近くかかるというていたらくだった。申請時にいつ発行されるかとPRAに聞くと20ー30営業日(4週~6週)と答えるが、それもうつろに響いた。要は時間無制限の完全な退職者でなければ申請できない状況になっていた。そのせいか、PRAで日本人を見かけることは、めったになくて、日本人申請者は激減している。実際問題、当社のとり扱い日本人は年初からたったの6人で、2010~2014年は40~50人で推移していたものが2015年から減り始め、半減、半減を繰り返している。 その原因は、 1.円安:一時1ドル80円が、現在の110円となると、2万ドルの預託金は160万円から220万円に跳ね上がって、40%近く増加してしまった 2.物価差:フィリピン経済は順調で、毎年6%程度の経済成長と供に物価の上昇に見舞われている。これが10年も続けば物価は1.8倍になる。一方、日本の物価はあいかわらず平坦で、これに円安110/80を掛け合わせると、なんと円換算のフィリピンの物価は3.3倍に跳ね上がって、10年前に5倍の物価差と言われていたものがせいぜい1.5倍にしかならない。これでは年金暮らしの退職者にとってわざわざフィリピンくんだりまで来て暮らすメリットがなくなってしまう。ただし唯一の救いは人件費は相変わらず業種によるが5分の一から10分の一を維持していることで日本の人手不足を考えると天国の様ではある。 3.発行期間:私がPRAで働いていた2004~2006年には5営業日で発行するとPRAは豪語していた。それが、2週間になって、しばらくして3週間、ここいらあたりが現役組の滞在の限度だった。それが昨年あたりから4週間(1ヶ月)の大台をこえて一気に2ヶ月という声を聞くようになり、現役組の申請者は途絶えた。発効日が日単位が週単位になってついには月単位で数えなければならなくなってしまったのだ。 円安と物価差はいくらあがいても致し方ないのだが、何故ビザ発行にこんなに時間がかかるようになったのかとPRAスタッフに聞くと、申請者が増えているのにスタッフの数は同じで書類がたまる一方、さらに入管は書類の審査を厳密にして、一体いつ書類が入管から戻ってくるかブラックボックスだと、わけのわからぬ言い訳をする。私に言わせれば、余計なルールを作って担当者の負担を増やしているだけで、要は顧客=退職者の視点に立った改善の姿勢がないからだ、といいたいのだが、そんな声はまるで、猫に小判、馬の耳に念仏だ。民間会社だったら競合相手に負けてとっくに倒産しているはずなのだが、それが親方日の丸で相変わらず中国人や韓国人、それにインド人で繁盛している。 しかし、当社のような日本人相手のマーケッターにとっては死活問題で、そのせいか、相変わらずPRAに出入りしている日本人は私くらいのもので、他社のSRRV部門は開店休業のようだ。ちなみに、本年度の当社のビザの取り扱い合計は現在、13名、そのうち欧米人が7人で逆転しており、発行待ちも日本人一名にたいして欧米人が4名だ。なぜ欧米人が最近になって急増したのかはわからないが、欧米人の退職者にそのことを聞くと、英語版HPを運営している相棒のジェーンはこの世界では、良い仕事をするマーケッターとして欧米で名が轟いているそうだ。そのせいか毎日のように問い合わせが来る。 7月10日(火)はパスコにとって記念すべき一日となった。その日は、どういうわけか3人の欧米人が同時に申請の手続きをしにやってきたのだ。オーストラリア人、カナダ人、それにイギリス人で3人は異郷で故郷の友に再会したように話が弾んでいた。それもそのはずでカナダ人もオーストラリア人もイギリスからの移民で、まさにグレート・ブリティン(大英帝国)を髣髴させる状況だったのだ。 3人の大英帝国人のビザ発行の予定としては1ヶ月強と見込んだのだが、3週目に状況をヒアリングしてみるとすでに最終段階のビザの貼り付けを終えてサイン待ちだという。結果として3.5週で発行の運びとなったのだが、意外な早さに地方でスタンバイしていた彼らがやってくるのに一週間待つ羽目になった。ここ10年以上、遅れる一方だったビザ発行が予測より1週間も早くなったことを称賛しようとPRAスタッフに話をしたら、「入管のお偉いさんが雨で外出できず、部屋に閉じ込められていたので早くサインがもらえただけ、たまたまよ、当てにしないほうがいいわよ」という冷めた返事だった。

退職ビザ(SRRV)の発行が早まっています 2018年8月17日