PRA・退職ビザ


2
2019年10月4日 追記(3) 今日、PRAでPRA職員がアポスティーユについて日本人に説明しているのを横で聞いていて、PRAの説明がおかしい、と口を挟んだ。PRAは「日本大使館で受け取った警察証明を日本の外務省に持って行ってアポスティーユを取得して来い」というものだが、私の主張は「警察証明は現在、当面の間日本大使館の印章証明で受理されるはずだ」、というものだ。念のため、先日(9月17日)インド人申請者の警察証明(アポスティーユ無し)を受け取ってくれたPRA担当者に確認してみると、「あの「当面の間」の当面はもう終わった」のだという。あれから3週間もたっていないのだが、あまりにも短い「当面」だった。 SRRVの申請に関しては最新情報を常に把握していると豪語していた私だが、これほどまでに朝令暮改ではついてゆけない。しかもPRAはこのような重要な改訂をアナウンスしないことだ。どっかに張り紙でもしてもらえればよいと思うのだが、聞かれれば答えるという姿勢にはなんとも言い難いところだ。フィリピン人は報連相が苦手というのが、私の言だが、まさに日々そのことを実感させられる。 2019年9月30日 追記(2) 先日とある退職者が、どうしても年金証書の翻訳者が日本で見つからないと訴えてきた。翻訳会社に頼んでもみても中途半端な仕事だということで、断られてしまったというのだ。そうなると公証もアポスティーユも糞もない。私にとっては翻訳自体は簡単なことなのだが、プロの翻訳家に頼む必要があるとPRAから聞いていたので、困ったことになった。こうなったら、私がいつものように翻訳して退職者に送って、日本の公証役場で、通用するかどうか試してみるしかない。当方としては、在比日本大使館、それにPRAに対しては戸籍謄本も含めて100通以上の翻訳を通しているので、実務的には問題ないはずだ。しかし、翻訳会社としては看板を出していないので、果たして日本で通用するかどうかだ。一方、退職者の方はご自身で翻訳しても大丈夫みたいだというので、とにかく試してみることにした。 そして待つこと約一週間、件の退職者の方から、東京の公証役場で、退職者の署名で問題なく公証が済んでアポスティーユも、10分たらずで取得できたとの連絡があった(ちなみに東京、神奈川、大阪の公証役場ではアポステーユまでワンストップでやってもらえる)。私の翻訳は全く問題はなかったとのこと。退職者は、これで一歩前進と仰っていたが、このことは初めて試みなので、SRRVを希望する全ての退職者にとっての大きな一歩前進だといえる。さらにこれは退職者のSRRV申請に限ったことではないので、日本とフィリピンとの間の諸手続きにおける大きな一歩といえるはずだ。ちなみに費用は12500円、リーゾナブルな費用であろう。 在比日本大使館で発行される婚姻証明書や出生証明書や年金証書の翻訳証明がいずれ認められなくなるという状況で、日本で比較的簡単に翻訳つきの戸籍謄本や年金証書のアポスティーユが取れるということは、ここ数ヶ月、私の頭から離れなかった最重要問題が解決したとさえいえる。当方が年金証書や戸籍謄本のコピーを退職者からいただいて、その翻訳を代行するということで、公証役場で10分でアポスティーユが取れるということであれば、退職者の方がSRRV申請をギブアップしてしまうということもないだろう。わざわざ東京/神奈川ないし大阪の公証役場に行くという手間はあるが、10分ですむなら我慢してもらえそうだ。さらに少々お高いが、行政書士に依頼して遠隔でやる方法もある。 2019年9月19日 追記 9月1日からアポスティーユのみ受け付けるというPRAの決定は、この時期のほとんどの申請者に多大なる影響を与え、右往左往させられた。従来、本国での準備が不十分でも、多少の時間をかけさえすれば当地の大使館で大概のことはできた。しかしながら在比大使館の証明書はPRAとしては一切認めないというのだから、一体、退職者を受け入れたいのどうなのかと疑りたくなる。 9月1日の期限に間に合わせるべくすったもんだの末、ようやくビザ申請そして発行にこぎつけたインド人カップルの準備した無犯罪証明書(9月4日付大使館証明)を、9月18日に後付で受け取った際、あれだけ念を押したのにアポスティーユをもらっていない。9月1日以前ならOKだったものだが、念のため、PRAの申請受付に聞いてみたら、「9月1日のタイムリミットは保留とし、在比大使館の証明を当面の間、受け付ける」というのだ。これはラッキーとインド人カップルは大喜びだった。何しろアポスティーユは一旦本国へ帰らないともらえないのだから。 そこで頭をよぎったのが、3日前に日本大使館から無犯罪証明書を受け取って、アポスティーユを受け取るためにわざわざ日本へ帰国した方だ。PRAの翻意がわかっていれば、その場で大使館の印章証明をもらってPRAに提出することができたのだ。かと言って今から連絡してアポスティーユを無用としたら、戻ってきたころには、PRAが再び受け付けないなどと翻意していたら元も子もない。 他にも日本で年金証書の翻訳先が見つからず、私の翻訳をつけてアポスティーユを公証役場で取得するべく東京まで出向いてネゴ中の方がいる(東京、神奈川、大阪では公証からアポステーユの発行まで一括して公証役場でやってもらえる)この方にも、PRAの言う「当面」が、いつまでなのかわからないから、 もう不要ですと連絡するわけにはいかない。PRAの措置は、ルールの変更にともなって書類の準備に混乱をきたした、すでにフィリピンを訪問している人やフィリピン在住の方に対しての救済措置なのだ。 実を言うと先週、GM(PRAトップ)宛にアポステーユ取得にまつわる退職者の困難、混乱を文書で直訴したばかりなのだ。私が直訴したから直ちに翻意したとは思わないが、多方面から不満が殺到していたのだろう。PRAの判断で大使館の発行する書類や証明を受け付けることができるのであれば、是非ともこの「当面」を恒久的なルールとしてほしいものだ。 一方、「 戸籍謄本をそのまま日本の外務省でアポスティーユを取得して、その翻訳はフィリピンでやって日本大使館で認証してもらう」という案は日本大使館に軽く一蹴されてしまった。今度は私の翻訳文で日本の公証役場でアポスティーユを発行してもらえるかどうかだ。それだけでも退職者の大いなる助けになると思う。 2019年7月14日記載  日本で作成された無犯罪証明書などの公文書は、外務省の公印確認を経てフィリピン大使館で領事認証を受ける必要があった。いわゆるレッドリボンというやつだが、それが5月14日から不要になった。これは、ビザの申請、婚姻など、外国人がフィリピンで行なう諸手続きにおいて、いわば画期的なできごとなのだが。 […]

レッドリボンが不要になった2019年7月14日 追記2019年9月19日 追記(2)2019年9月30日 追記(3)2019年10月4日


7月5日、PRAのパーティーと言えば、物心ついた頃から欠かさず参加しているキアンが首を長くして待っていたPRA創立記念パーティがついに挙行された。会場はいつものPICC(Philippine International Convention Center)なので、迷うこともない。 4時半に家を出発すると宣言したにもかかわらず、いつものことながらクッキーのミルクの準備やジェーンのお化粧にてまどって、結局5時半に出発の運びとなった。この時間はラッシュアワーで6時から始まるパーティーに間に合うどころの話ではない。 そこで議論になったのがどの道を通れば渋滞に巻き込まれないかだ。ママ・ジェーンはビトクルス・マラテを通って最短距離を主張、運転役のアランはブエンディ通りの正攻法、私はスカイウエイを通って空港経由の大回りを主張した。 いつも彼らの意見を入れて苦い目を見ている私は、この際、特権を発揮してスカイウエイ経由をごり押しした。途中さほどの渋滞は無いものの何しろ3倍近い距離なので、さすがに遠いと、二人がぶーたれること仕切り。しかし、到着してみるとまだ6時5分で、ほとんど開始時間に到着することができた。私の得意振りに彼らはしかとしていた。

第34回PRA創立記念パーティー挙行 2019年7月14日



今年は5月一杯休暇をとってビコールですごし、その終盤にはデング熱を患ってダウンして、6月早々職場復帰した時は、すでにPRAの受付のデスクに招待状が置いてあるという、なにかあおられているような思いがした。例年であれば、パーティの数日前に招待状を入手して、あわててこのブログで紹介するところだが、一ヶ月前に招待状が配られているという事態は、私とPRAの20年近い付き合いでははじめてのことだ。 場所はいつものPICCなので迷うことはないだろう。当方としてはキアンとクッキーの出席は必須で、クッキーのヤヤの出席をどうするかが悩むところだ。 昨年の創立記念には参加したはずなのだが、カメラが故障したのか、下記の一枚しか写真が見当たらない。ブログも掲載しておらず、さびしいところだ。

第34回PRA創立記念パーティ(7月5日)への招待 2019年6月12日


1
いよいよ12月に突入し、街は俄然、にぎわしくなっている。デパートは買い物客でごった返し、道路は車で埋まっている。こんな時は家でじっとしているのが一番なのだが、どうしても外出せざるをえないのがクリスマス・パーティだ。 PRAとしてもこの行事は、GMの晴れ舞台なので欠かすことができない。今年もいつものPhilippine International Convention Center(PICC)で、12月14日(金)午後6時から開催されるとの通知が今日、パーティの一週間前にやっと手に入れることができた。 我が家としてはジェーン一家総出で参加することなるが、2歳を迎えたクッキーのはしゃぎようが今から目に浮かぶ。キアンとしても若い退職者のお子さんたちに会うのが楽しみだ。 一歳を迎えたばかりのクッキーはよちよち歩きで舞台に立った。 昨年の300~400名規模のパーティはなかなか豪勢だった 先日行なわれたマーケッター感謝パーティで舞台に上がって踊る2歳のクッキー 昨年のパーティの様子は下記のブログ参照。 PRAクリスマスパーティ開催 2017年12月16日  

2018年PRAクリスマスパーティへの招待2018年12月7日



しばらくブログを休んでいる間に、退職ビザの発行が遅れに遅れ、2ヶ月近くかかるというていたらくだった。申請時にいつ発行されるかとPRAに聞くと20ー30営業日(4週~6週)と答えるが、それもうつろに響いた。要は時間無制限の完全な退職者でなければ申請できない状況になっていた。そのせいか、PRAで日本人を見かけることは、めったになくて、日本人申請者は激減している。実際問題、当社のとり扱い日本人は年初からたったの6人で、2010~2014年は40~50人で推移していたものが2015年から減り始め、半減、半減を繰り返している。 その原因は、 1.円安:一時1ドル80円が、現在の110円となると、2万ドルの預託金は160万円から220万円に跳ね上がって、40%近く増加してしまった 2.物価差:フィリピン経済は順調で、毎年6%程度の経済成長と供に物価の上昇に見舞われている。これが10年も続けば物価は1.8倍になる。一方、日本の物価はあいかわらず平坦で、これに円安110/80を掛け合わせると、なんと円換算のフィリピンの物価は3.3倍に跳ね上がって、10年前に5倍の物価差と言われていたものがせいぜい1.5倍にしかならない。これでは年金暮らしの退職者にとってわざわざフィリピンくんだりまで来て暮らすメリットがなくなってしまう。ただし唯一の救いは人件費は相変わらず業種によるが5分の一から10分の一を維持していることで日本の人手不足を考えると天国の様ではある。 3.発行期間:私がPRAで働いていた2004~2006年には5営業日で発行するとPRAは豪語していた。それが、2週間になって、しばらくして3週間、ここいらあたりが現役組の滞在の限度だった。それが昨年あたりから4週間(1ヶ月)の大台をこえて一気に2ヶ月という声を聞くようになり、現役組の申請者は途絶えた。発効日が日単位が週単位になってついには月単位で数えなければならなくなってしまったのだ。 円安と物価差はいくらあがいても致し方ないのだが、何故ビザ発行にこんなに時間がかかるようになったのかとPRAスタッフに聞くと、申請者が増えているのにスタッフの数は同じで書類がたまる一方、さらに入管は書類の審査を厳密にして、一体いつ書類が入管から戻ってくるかブラックボックスだと、わけのわからぬ言い訳をする。私に言わせれば、余計なルールを作って担当者の負担を増やしているだけで、要は顧客=退職者の視点に立った改善の姿勢がないからだ、といいたいのだが、そんな声はまるで、猫に小判、馬の耳に念仏だ。民間会社だったら競合相手に負けてとっくに倒産しているはずなのだが、それが親方日の丸で相変わらず中国人や韓国人、それにインド人で繁盛している。 しかし、当社のような日本人相手のマーケッターにとっては死活問題で、そのせいか、相変わらずPRAに出入りしている日本人は私くらいのもので、他社のSRRV部門は開店休業のようだ。ちなみに、本年度の当社のビザの取り扱い合計は現在、13名、そのうち欧米人が7人で逆転しており、発行待ちも日本人一名にたいして欧米人が4名だ。なぜ欧米人が最近になって急増したのかはわからないが、欧米人の退職者にそのことを聞くと、英語版HPを運営している相棒のジェーンはこの世界では、良い仕事をするマーケッターとして欧米で名が轟いているそうだ。そのせいか毎日のように問い合わせが来る。 7月10日(火)はパスコにとって記念すべき一日となった。その日は、どういうわけか3人の欧米人が同時に申請の手続きをしにやってきたのだ。オーストラリア人、カナダ人、それにイギリス人で3人は異郷で故郷の友に再会したように話が弾んでいた。それもそのはずでカナダ人もオーストラリア人もイギリスからの移民で、まさにグレート・ブリティン(大英帝国)を髣髴させる状況だったのだ。 3人の大英帝国人のビザ発行の予定としては1ヶ月強と見込んだのだが、3週目に状況をヒアリングしてみるとすでに最終段階のビザの貼り付けを終えてサイン待ちだという。結果として3.5週で発行の運びとなったのだが、意外な早さに地方でスタンバイしていた彼らがやってくるのに一週間待つ羽目になった。ここ10年以上、遅れる一方だったビザ発行が予測より1週間も早くなったことを称賛しようとPRAスタッフに話をしたら、「入管のお偉いさんが雨で外出できず、部屋に閉じ込められていたので早くサインがもらえただけ、たまたまよ、当てにしないほうがいいわよ」という冷めた返事だった。

退職ビザ(SRRV)の発行が早まっています 2018年8月17日


PRAの催し物はいつも突然声がかかるのが通例だが、今朝、今回のツアーの幹事と思しきスタッフから、8月2日(木)のコレヒドールツアーに参加して欲しいと声がかかった。私としては何度も行っているし、キアンは学校を休ませるわけにはかないから、やんわりと断ると、知り合いの退職者に声をかけて欲しいと懇願する。参加者が若干名不足しているらしいので、ブログで声をかけるので連絡を待って欲しいということで納得してもらった。 コレヒドールといえば第2次世界大戦の遺跡がそのまま残っていることで有名な観光スポットで、興味がつきない場所だが、詳細は下記のブログを参照して欲しい。 コレヒドール島訪問 2010年8月4日 バラックと呼ばれる兵舎が延々と続く 巨大な大砲がそこかしこに置かれている 巨大なトンネルは日本軍の駐屯所だった 以下はPRAの案内、明日中に予約を入れて参加して欲しい。集合場所のサンクルーズのターミナルはMOA(モールオブアジア)の至近距離だ。 Good day! It is with great pleasure […]

PRAのコレヒドールツアー参加の誘い2018年7月30日



毎日のように催促していたにもかかわらずPRAからようやく招待状をもらったのが、一昨日、パーティは4日後に迫っているのに、何というていたらくだと感心した。それはいつものことなので、早速ブログで知らせようと思ったものの、毎日が多忙で、ようやく明後日のパーティを知らせることができた。招待状によると一昨日までに出欠を届けなければならないことになっているので、時すでに遅しの感はある。 今回は、その筋のお達しにより、規模を小さくして質素なパーティということなので、今までのように来るものは拒まずという方針は撤回して、一人につき同伴者一名、18歳未満はお断りなどと厳しい方針で臨んでいるようだ。私の知り合いでご夫婦の他に4人の子供とヤヤ4人で出席しようとしたら8人の同伴者を体よく断られてしまったそうだ。その話で招待状が発行されていることを知ったわけだが、私には招待状がいつまでたっても届かない。 私自身は近々、パーティがあるということは知っていた。その訳は、部長のハビタンさんから「ビコールの農場の最近の写真をくれ、創立記念パーティで紹介したい」という話が合ったのだ。それからしばらくして、課長さんから再び「農場の写真をくれ、表彰式の際にバックスクリーンに写す」というだ。種がつきたのかそんなことまで表彰したいということらしい。そういえば、私の知り合いの100歳の退職者が表彰されたこともあった。しかも私の写真までも欲しいというのだが、私自身の写真はない(自撮りは趣味ではない)ので、その場で写真撮影となってしまった。 ところで私はテーブル一つを割り当てられているので、もし、申し込みをしていないが是非参加したいというSRRVメンバーの方がいたら、私の招待ということで参加できるので連絡して欲しい 場所はいつものPICCでモールオブエイシアに程近く、スターシティの至近距離なのでわかりやすい。 以下は昨年の創立記念パーティの様子だ。 昨年の創立記念パーティは盛大だった 入管の幹部アトーニー・カンタ(中央、PRAのボードメンバー)を囲んでマーケッターのかしましいおばさんたち キアンは食べ放題のアイスクリームに目が無かった

第33回フィリピン退職庁創立記念パーティのお知らせ 2018年7月4日


2018年1月5日追記:年末クリスマス休日明けの12月27日(水)早速、BOCで、退職者のSRRV申請用預託金の送金口座を開設した。その翌日、ただちに日本から送金して、正月の休み明け、3日(水)には定期預金口座を開設して、4日には無事にSRRV申請が受理されるという離れ業をやってのけた。PRAにとっても、再認定後のBOCを使うのは初めてことなので、受付には再認定が徹底されておらず、すったもんだしたが、結局OKとなった。DBPを使っていたとしたら、とてもではないが出来ない芸当で、申請は2週間ほどずれこんだことだろう。BOCの面目躍如といったところだ。 2017年12月21日追記:たまたまこのタイミングで3年有効のID更新の依頼を受けたが、この方のIDは一年前に失効していた。したがって、4年分有効のID更新を依頼したのだが、PRAは、それを拒否して、銀行移動申請用紙を提出すれば(ただし、いずれBOCが再認定されれば、この申請は無視しても良いとの含みで)、失効分を含めて2年間のIDを発行するとのことだった。その時点では、まだBOCの再認定は周知されていなかったので、とりあえず従来の規則に従わざるをえなかた。しかし、数日前、PRA担当に聞いたところ、BOCの再認定については、すでに周知されたので、残りの2年間のID更新を認めるという話だった。そして、昨日、無事にさらに3年間有効のIDを手に入れることができ、BOCの再認定が実証された。 2014年5月、私がもっぱら退職者の預託金の送金に利用してきたBOC(Bank of Commerce)がPRAの認定を辞退して「PRA預託金を他の銀行に移動しなければならない」という衝撃的ニュースが流れた。銀行移動をしていないと、銀行移動が申請済みであることを条件に一年間のみのID更新は認めるが、それ以降は認めないという措置をとったため、退職者も必死だった。あれから、早、3年半の歳月が流れ、最近は銀行移動の要請が退職者からあることは滅多にないが、200人近い退職者の口座を紹介してきた私にとっては、一大事だった。BOC全体では2000人に達し、当時、銀行移動の申請が殺到し、PRAの担当部門は機能不全に陥った。Bank of Commerce(BOC)がPRAの認定から外れました2014年5月7日(2015年2月13日改定) そして最近、BOC ベル・エアー・ペトロン支店のケイト支店長からは、BOCが再度認定されるようPRAと交渉している...、話はついた...、後はサインを待つだけ...の情報を受け取続け、待ちに待った決定だった。 長年お世話になってきたBank of Commerce Bel-Air Petron 支店は預金者によりそったサービスを提供する家族的な銀行だ BOCは、国際的な預金利率の低下により、従来と同じ条件では、預託金を預かれば預かるほど赤字になるということで、PRAにMOA(合意書)を見直すよう求めていた。しかし、前のGM(ゼネラル・マネージャー)がそれを認めず、BOCとしては、認定辞退という強攻策に踏み切らざるをえなかった。この時点で大半の銀行は、BOCと同じく認定を辞退したのだが、BDO、Union […]

Bank of CommerceがPRAに再認定されました 2017年12月16日、12月21日、1月5日追記



恒例のPRAのクリスマスパーティがPICC(Philippine International Convention Center)で執り行われた。ここはつい最近もサミット会場として使われたところで、大きな会議場がたくさんある。最近のPRAのパーティは、ここでやるのが定番で、広々としていていいのだが、駐車場がないのがたまに傷だ。サミットなどの重要会議では周辺を交通止めにしてしまうので問題はないのだろうが、たかがPRAのクリスマスパーティではそうもいかない。 PRAのデズリーさんからは15人の招待客を割り当てられ、フィリピンで暮らす若い退職者のご家族と、子供、ヤヤ(子守)などで20人近い出席者を確保し、テーブルを2卓ほど確保して欲しいと頼んでおいた。 この日は、PRAは半ドンとなり、スタッフは準備(女性はお化粧と衣装)にいそしんだようだが、その通知を、寸前にPRAの入り口でみつけた時は戦慄が走った。なぜならば、15日、金曜中に退職者のビザを発行しなければならなかったのだ。結局、色々手を尽くして14日、木曜の夕方発行にこぎつけることができたのだが、一時はどうなるものかと気が気ではなかった。クリスマスパーティということで午後3時ごろには閉まってしまうのではないかとは、心していたものの半ドンとは思い切ったことをやるものだ。 PRAの入り口に貼られた半ドンの掲示 師走の週末、金曜日の夕方5時ともなると、足を都合するのが大変だ。自家用車は駐車場に困るし、タクシーもGrabも捕まえようがない。5時の開始に対して、キアンがドンボスコから戻ったのが5時近く、初参加のクッキーのミルクの準備も5時になってもはじまらない。結局、出かける準備が整ったのが5時半、Grabタクシーはとジェーンに聞くと、「ああそうだった」という返事。カーネルもやっとキャンプ・クラミ(国家警察の本庁)を出たばかりとのこと。そして、Grabタクシー待つこと30分、PRAのデズリーさんからは催促の電話は入るし、やきもきして、キアンはもう行くのはいやだと言い始めた。だめもとでタクシーを拾いに外に出たら、運良く目の前で停まって客を降ろすところだった。結局出発は6時を回っていたが、案の定、渋滞で、会場に到着したのは7時近かった。 やっとタクシーに乗り込んで会場に向かうクッキーとキアン。クッキーは夜のネオンに興味深々だった PICCの正面入り口は大きすぎてカメラに収まらない PICCの入り口のロビーの照明はさすがだ 先に到着していたゲストから、逐一連絡が入っていたが、6時半を回っても会場はがらがらだったそうだ。皆さんは、渋滞をみこして4時には家を出たそうだが、結局、招待者の私が一番遅れてしまった。受付は、遅れて到着したゲストで未だにぎわっていたが、顔見知りのスタッフが席に案内してくれた。先に到着した私のゲストはばらばらに座っており、専用のテーブルの確保のお願いについては、何のアクションもなかったようだ。しかし、遅れて来た私の責任なのでいまさら文句を言ってもはじまらない。 この日の衣装のカラーは赤、イントラムロス・ツアーで支給された赤と黒のポロシャツを着て行ったのだが、キアンもほとんど同じデザインのシャツを着て出席した PRAの花、ジェラルディンさんといつものツーショット 会場に入ろうとしたら、丁度式典の始まるところで、まずは国歌斉唱、キアンは入り口で胸に手を当てて国歌を歌っていた。GMの挨拶などが終わると食事なのだが、到着のタイミングとしては絶妙だった。しかし、キアンはお腹がすいたとダダをこねるので、アイスクリームをもらってしのいだ。食事は、いつもにくらべて少々物足らず、クリスピーな揚げ物が無いのでキアンはライスに醤油だけで腹ごしらえをしていた。 […]

PRAクリスマスパーティ開催 2017年12月16日


11月29日(水)退職者のビザ申請をしている際、私が敬愛するジェラルディンさんが、必死の形相で、私の前に座って、にわかに「I need you.」と訴えかけてきた。この、可愛くて、優しくて、しかも頭の良い、3拍子そろった美人の頼みなら「Yes. I can do anything whatever you want」と思わず答えてしまった。PRAの事務所で、しかも客の前で、少々不謹慎な会話だが、よく聞いてみると、PRAのマーケッター(代行業者)の感謝ディに参加してほしいという、とるに足らないものだった。しかし、開催日を聞いてみると12月1日(水)で、翌々日の話だ。しかも11月30日(木)はボニファッシオディで休みなので、要は明日の話なのだ。この催し物の責任者のジェラルディンさんが焦るのも無理はないが、いつもPRAのやることは性急だ。ビザの発行も性急にやって欲しいなどといやみを言っても始まらないので黙っていた。 ちょっと古い写真になるが、PRAのきれいどころの中でもぴか一のジェラルディンさんだ(右端) 招待状を渡されたのが、なんと休みを挟んでの前々日という泥縄だ 相棒のママ・ジェーンの他に、キアンも連れて行きたかったが、平日の午前11時開始となると学校を休ませなければならないし、パパ・カーネルも仕事だ。結局、クッキーの出番となったが、喜んだのはヤヤ・グロ(グロリア)だ。いつもベッドで赤ちゃんの相手で、たまにはそんな機会に出かけたいのは、理解できるところだ。 マカティの高層ビル街を臨む、クッキーにとってははじめての景色だ 11時に開始なのだが、ママ・ジェーンは平然と、11時に家を出ると言ってのける。結局、11時半に出かけたが、到着する頃は、プログラムによると、すでにあらかたの式典は終了してGM(ゼネラル・マネージャー)のスピーチが残っているだけなので、気が気ではなかった。場所は、最近開業したマカティアベニューのCity […]

PRA マーケッター感謝ディに参加 2017年12月5日