フィリピーノ気質


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DBP銀行で、SIRVビザ申請者がBOI(投資庁)に預託している約400万ペソのお金の小切手(MGR’s Check、銀行振出小切手)を作成してもらおうとしている矢先、電話がけたたましくなった。昨日SRRV を取得した退職者の方からだったが、電話に出てみると、日本大使館付近で道路を横断したら、警官に捕まって4000ペソの罰金を支払えといわれている。そんな法外なお金なんかとんでもないことなので、警官に交渉してくれて言うのだ。銀行内で話をしていると警備員に追い出されて銀行の外のロビーで電話を続けたが、ロードがなくなったらしく切れてしまった。そうしたら別の電話でこちらから電話をしてほしいとメッセージが入った。 注 DBP:Development Bank of the Philippine、SIRV:Special Investors Resident Visa、BOI:Board of Investment 警官と話をしてみるとギャーギャーと、いかに退職者が規則を犯したかまくし立てている。たしかに歩行者も取り締まるとはアナウンスされているが、歩行者の信号無視なんていまだに日常茶飯事で、取締りと言ってもせいぜい注意される程度で交通係官も相手にしていない。だから、これが外国人目当てに金をせびるけしからん悪徳警官の仕業であることには間違いない。 こちらも敵意むき出しに、そういうやつは、パサイ警察の署長カーネル・ヤン(キアンのパパ)にレポートしてやると脅した。ちなみに日本大使館はパサイ市でまさに彼のテリトリーなのだ。そこで件の警官も負けておらず、それならその退職者をドテルテ大統領に報告してやる息巻いていた。パサイ警察の腐敗を一掃するためにカーネルが乗り込んだのだが、まさに末端まで腐敗しきっているようだ。 […]

「CALL ME NOW」2019年3月29日


フィリピンでは高校生からアラフォー(40歳前後)の世代のほぼ100%がFace Bookの愛好者ではないかと思う。Face BookはビジネスPRにも使われているが、もっぱら、個人的な交流の手段として使われているようで、仕事を持たない主婦や学生は一日中、Face Bookを眺めて時間をすごしているようだ。人の生活ぶりを覗き見ては、ため息をつく一方、逆に自分の生活を紹介して、いかに人に羨んでもらえるかということに考えを巡らしている。要は巷の自慢話や噂話(井戸端会議)のSNS版だ。 誰かがどこかのレストランで食事をとったら、自分も行ってみようと思う。誰かが日本に行ったの知って自分も行きたいと思う。誰かが家を建てたら自分も家を建てたいと思う。車も宝石も、服に靴も、そして恋人も、なにもかも人まねだ。そして日夜、旦那や彼氏に訴えて思いを実現しようと試みる。スポーンサーがいなければ「いつかは」と夢見ることになるが、 どういうわけか、決して自らの努力で実現しようとはしないようだ。もっともFace Bookを眺めているだけでは何も実現できるわけがないではあろうが。要は行動の原点がFace Bookの情報なのだ が、全世界から寄せられる情報にもとづいて日夜、嫁から責められる亭主としてはたまったもんではない。 そして、人に誇れる体験をするチャンスが来るといかにそれがすばらしいものだったか、羨むべきものかしきりにアピールする。撮影ポイントに来ると、それが何であるかはそっちのけで、様々なポーズと背景で写真を取りまくる。人が見て「いいね」と思えばそれでいいのだ。京都でガイドさんをやっている人は、フィリピン人は自分の説明など誰も聞いておらず写真だけを取りまくっていると嘆いていた。 そこでは、自分がどう思うかではなくて他人がどう思うか、どれだけの「いいね」をもらえるかが判断基準となる。いわば、インスタ栄えすることが重要なのだ。したがって、写真を撮る時は自分が描いたシナリオに沿って演技することになるが、その演技に周囲の人まで参加させるのが実にうっとうしい。でもフィリピン人はそれに喜々として参加しているようだ。どうせ演技ならば、このブログの表紙写真(キアンのダイビングの瞬間)のようなのを載せてほしいと思う。 ただ一つ役に立っているのが、彼女の動向を知る鍵となっていることだ。何でも自慢したいから、どこへ行ったとか、彼氏がどうとか最大限もらさず載せており、一体何を考え、行動しているかが手に取るようにわかる。よくも、こんな状況でこんなものをアップするかと感心するくらいに、浮気の証拠写真まで載せてくれている。 要は自慢話の競いあいで、負けたと思うとさらに競い合う、全ての行動の動機がFace Bookであって、行動の満足度もFace Bookが判断基準なのだ。自我というものがそこには存在しないわけだが、Face […]

FACE BOOKの功罪 2019年3月24日



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最近巷を歩いているとやたら中国人の姿が目立つ。マカティのはずれ、わが家の近傍のマルーガイ通りの新築高層コンドミニアム街を車で通ると若い中国人でごった返している。一説には数百万人の中国人が流入しているといわれているが、たしかに退職ビザ(SRRV)を発行しているフィリピン退職庁(PRA)には相変わらず中国人の申請者でごった返している。しかし、その数百倍もの中国人が9a(ツーリストビザ)で入国して、その多くが違法に就労しているというのだ。 先日、同じくマルーガイ通りにある事務所ビルで276人の中国人が9g(ワークビザ)やAEP(就労許可)をとらずにオンライカジノのコールセンターで働いているのが発覚して、摘発・収監された。現在、不法就労者の摘発が活発で、9gやAEPの発行も厳格に行なうという措置が取られている。それであおりを食っているのがSRRV保持者で、就労のためAEPを取ることが難しくなっているのだ(それに対してPRAはSRRV 保持者はAEPが免除されるという施策をとろうとはしているが)。 これに対して、中国から多額の融資を引き出してインフラ整備を推進するドテルテ大統領は、「中国人にも働かせてやれ、中国人を本国送還すると中国もお返しにOFWを本国送還される」と中国人に対して寛容な姿勢でいる。そのため相変わらずの就職難にあえぐフィリピン人はドテルテ大統領に対して、「中国人がフィリピン人の仕事を奪っている」と批判する。しかし、コールセンターは中国人向けのサービスで中国語が流暢でなければならず、その批判は必ずしも当たっているとは思えないが。 そんな折にこの「LRTタホ事件」が起きた。ちなみにLRTはMRTと同じく高架鉄道のことでメトロマニラを一周する路線(山手線、一部つながっていないが)と東西を横断する路線(中央線)があって庶民の重要な足となっている。これらの路線の南北、東への延長と地下鉄が建設ないし計画されており地獄の渋滞の解決の切り札と期待されている。 一方タホとは豆腐のことで絹ごし豆腐に糖蜜と粒上のゼリー(サゴ)を混ぜて10~20ペソ、街中いたるところで売っていて、庶民の重要な通勤途上の腹ごしらえになっている。 LRTでは、テロ対策として液体の車両への持込を禁止している。駅に入場する前に廃棄ないし飲み終わらなければならない。そんな警官の指示に対して激高した中国人女性(23才、デザイン学校在学中)が、その警官にタホを投げつけたのだ。 女性はその場で逮捕され、侮辱罪として起訴、国外追放の処置が取られることになったが、この中国人女性の態度に批判が巻き起こった。そもそもフィリピン人は外ではたいへんやさしくて礼儀正しいのだが、日ごろ、中国人の態度が燗に障っていたフィリピン人が、中国人の排斥運動にもつながりかねないほど炎上してしまったのだ。私自身はじめは、LRTの措置に炎上したのか、中国人の勇気ある行動に拍手喝采したのかと思ったが、フィリピン人の反応は逆だった。 PRAの担当にこの話をしたら、件の中国人女性は同伴者として退職ビザを取得しているというのだ。早速、退職ビザは没収されるのかと聞いたら、ノーコメントだった。さらにカーネルにも報告が入っていて、重要事件としてアルバヤルデ国家警察長官にレポートを上げているという。彼女は多分国外追放になるだろうとのこと、フィリピンでは人前での侮辱は国外追放にもなりかねない重罪なのだ。 件のタホを投げつけられた警察官は、その場で激高することもなく冷静に対処したということで、アルバヤルデ長官から栄誉賞を与えられた。たかがこんなことでと思うかも知れないが、こんな状況で冷静でいることができたということはフィリピン人としては栄誉賞にも匹敵する名誉なのだ。 この事件以来、中国人の公共の場での不謹慎な態度が気になり始めた。マカティの入管事務所で順番を待っていたら、5~6人の中国人が大声で語り合っている。さすがにセキュリティガードが注意して収まったが、我々が注意したら返ってどやされるかもしれない。PRAでも、5~6人の中国人が、待合室の真ん中で大声で話し合っていて、その脇をすり抜けるフィリピン人同士が目と目で合図をしていた。とにかく中国人の声はでかいのだ。 PRAのあるバレロ通りはマカティのオフィス・コンドミニアム街の中心だが、そこを歩いていたら、中国人のカップルが赤信号で道を渡った。フィリピン人の歩行者は、信号などお構い無しで自己責任でなんでもありだ。この中国人もフィリピンの習慣に従ったつもりだったのだろうが、その反対側で男が大声で注意した。思わず振り返って顔を見たが、中国人の不謹慎な態度に業を煮やしたフィリピン人と思いきや、ひょっとすると中国人ではないかという気がした。とにかく、外でフィリピン人が他人に怒鳴るようなことはありえないのだ。 退職ビザの申請者に中国系のマレーシア人がいた。まだ40歳程度の若い人だが、海外での中国人(中国本土)の態度は目に余るものがある。だから、彼は自分は中国人とは言わず、マレーシア人と言っているそうだ。 さらに何を隠そう、ママ・ジェーンとパパ・カーネル(ヤンさん)はその名のごとく中国人のハーフだ。したがってキアンもハーフなのだが、彼らも中国人は礼儀知らずだからきらいだと明言する。ちなみに中国系のフィリピン人は周囲にごまんといるが、彼らはあくまでもフィリピン人なのだ。 話は変るが、カーネルが空港やモール・オブ・エイシア、さらにカジノがあるパサイ市警察署長となった。ランク上は横滑りなのだが、パサイ警察署が汚職や麻薬にまみれた最悪な状況にあるということで、パサイ警察署のNo.1とNo.2が更迭されて、上部組織にあたる首都圏警察のNO3.のカーネル・ヤンがアルバヤルデ長官の肝いりで送り込まれたのだ。ここで手柄を上げればドテルテ大統領の目にもとまってゼネラルへの出世は固いと思うが、その反対もありうる正念場だ。因みの彼の顔を見れるのは週に一回程度と、一日24時間、週7日の過酷な勤務が続いている。

LRTタホ事件が炎上、比中国際問題に発展か? 2019年3月17日


いよいよクリスマスシーズンに突入して、街はせわしなくなってきた。キアンの聖体式のお祝いを兼ねて週末に天天火鍋で食事を取り、その向かいのアヤラ・トライアングルの電飾ショーを見物に行くという予定を楽しみにしていた。当日、ママ・ジェーンとパパ・カーネルは朝から出かけていて、夕方になってやっと連絡があって、6時に天天火鍋で待ち合わせる、渋滞で、迎えに戻ってくる時間がないと言うのだ。ちょっと、癪にさわったが、キアンとクッキー、それにヤヤ二人を連れて外へ出たはものの、コンドの入り口にはタクシー待ちの人が並び、グラブにアクセスしても周囲に全く空車が走っていない。 土足でレストランのテーブルにのせて歩行訓練とは行儀が悪いが、こうやって見るとクッキーもかなりの重量級だが、もっともキアンは、はるかに重量級だったが しばらくして、ジェーンからもグラブが全くつかまらないので、近所の新装の韓国料理店ソールに場所を変更すると連絡があった。そこなら、歩いて10分ほどだ。キアンの案内で到着してみるとまだ改装中で営業しておらず、歩いてその辺のレストランを探す羽目になった。幸い、5分ほどのところに大型の食べ放題の炭火焼レストラン(Charaptor、ジュピターのTong Yang/東陽のような店)があったので、そこでカーネルを待つことにした。しばらくして、レストランから呼び出され、これから車に乗って、天天火鍋に向かうという。ジェーンは、ソールがまだやっていないことについて、キアンを聞こえよがしに責めていたが、どうもソールが開店しているとう情報はキアンだけによるもので、確かめてもいなかったらしい。 メインはアラヤトライアングルの電飾ショーなので食事はバーベキューと味噌汁であっさり済ませた 最近は、舌なめずりをしながら何でも興味を示すクッキー この渋滞のさなか、再度マカティを横切って天天火鍋まで行ったのでは、いつ夕食にありつけるか見当がつかないので、結局、炭火焼で食事をとることにした。一人490ペソで食べ放題と言っても、皆、ダイエット中で大食いは敵だ。したがってアラカルトからバーベキューセットと味噌汁を選んだので大人5人+子供二人、ビール3本で1500ペソで済んだ。しかし、年末のせいかこんな中心街からのはずれのレストランでも、かなりの客でにぎわっていた。 CHARAptorという店の名前は恐竜の名前をもじったものらしいこの時間ほとんどの客は奥の部屋にいるが、もう少し立つと外の席も一杯になるのだろう そのまま帰るものと思っていたが、食後、予定通り、アヤラ・トライアングルに向かった。マカティの中心街を横断する3本の大通り(アヤラ・アベニュー、マカテイアベニュー、それとパセオデロハス)に囲まれた三角地帯の中は、証券取引所とアヤラの本社ビルがあるだけで、残りは広大な緑地なっている。いずれにせよ、年末の夜の楽しみは苦痛が伴うのは止むをえないこととあきらめて、向かうことにした。 途中、マカティ中央警察署や消防所の前を通ったが、ご他聞にもれず電飾が施されている。ちなみに、カーネルにここの署長になるという話があるらしい。そうなったら、マカティでは向かうところ敵無しだ アヤラ・アベニューの中央分離帯には隙間なく電飾が施されている クリスマスが近づくと、そこに電飾で飾って、音楽に合わせて点灯するという一大電飾ショーが繰り広げられるのだ。ここ、2~3年、ご無沙汰していたが、カーネルに車の番をしてもらって、いざ出陣となった。メインの目的はクッキーがクリスマスの飾り付けに殊の外興味を示すので是非見せてやりたいという親心だ。 電飾ショーが始まる頃には、トライ・アングルは人であふれかえっていた 30分毎にショーがあるようで、丁度8時前だったので、しばらくしてショーが始まった。キアンとクッキーが喜んだのは言うまでもないが、一方、ヤヤ二人が交代でクッキーを抱いていて、かなり疲れた模様だった。その後、さらにシャングリラ・ホテルに向かったのだが、これが、ビールを三杯飲んでちょっと酔っていた私には苦痛だった。 一体何事が起ころうとしているのか理解に苦しむクッキー […]

アヤラ・トライアングルの電飾ショー見物 2017年12月10日



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7歳を迎えたKIANは、幼児の域も脱し、もはや子供であり、甘やかしてばかりはいられない。特にクッキーの誕生でクヤ(お兄さん)として、他人を思いやり、責任を自覚して、わがままをコントロールできなければならない。これは当然のことであろうが、ここのところ、マミー(ママ・ジェーン)のKIANへの風当たりが強い。時には、私が甘やかすから、いつまでたってもKIANは無責任で、親の言うことも聞かず、反抗的であると、私が攻撃の矢面に立たされる。 一方、KIANの私への思いは、なみなみならぬものを感じるのだが、私を甘く見て、私の言いつけや小言には一向に耳を貸さない。しかし、マミーの声がかかると一目散で飛んでいって、やけにしおらしくて、素直な態度を示す。私には、良い子を演じているように見えるが、これが、果たしてKIANの本心なのか、7歳にして身につけた処世術なのか、KIAN自身もわかっていないのではないか。 KIANもいよいよ7歳の誕生日を迎え、クヤと呼ばれるようになった 外で、食事をするとき、私がビールを注文すると、KIANは、「今日は許す」と、耳打ちする。先日、息子の日本からのお土産の缶ビールを家で飲んでいたら、すかさず、マミーがKIANに小言を言ったらしい。KIANは私に何気なく近づいて、缶ビールを盗んで逃げて、誇らしげに台所にいるマミーに持って行き、マミーの歓心をかった。そのあと、一階の事務所に行こうとしたら、KIANが一緒に下りるというので、私が、「You are my enemy(お前は敵だ)」と言ったら、KIANの顔が凍りついた。マミーの歓心を買うための行動が、思わぬ結果を招いたことに気がついたのだ。そして彼のとった行動が、私の太ももに抱きつくことだったのだ。口に出すと台所のマミーの耳に入って、ややこしいことになるし、彼としてはその場をおさめるのに100点満点の行動をとったのだ。 マミーは一家の司令塔として、すべてを自分の思い通りにしようとする。さしあたりの目標がKIANを意のままにすることだ。一方、KIANは私を頼りにしてか、なかなか意のままに行動しないと苦言を呈する(田舎のおばあさんの話によると、KIANの態度はマミーの子供の頃と瓜二つだそうで、血は争えないということなのだが)。そのため、KIANは、日に一度くらいはマミーの罵声を浴びて、私に助けてくれと涙目をむけるのだが、私には一体なんで怒られているか、理解に苦しむような些細なことで怒られているのだ。たとえば、3回呼ばれて現れないと、それだけで罵声を浴びせられる。始から「KIAN Come here」と罵声で呼ぶこともしばしばだ。だから、KIANが私の部屋にいてもマミーの呼び声がしないか、KIANはいつもそわそわしている。 クッキーも6ヶ月、笑ったり話に反応したりかわいらしくなってきた KIAN はピアノや公文のレッスンのための私との外出は喜んで行く。家を出れば、彼は自由で、おまけにアイスクリームを買ってもらえるからだ。家に帰ると即座に「マミーはいるか」と私に聞く。いない場合は、うれしそうに「Good」と言って、リラックスする。マミーさえいなければ、家でも彼は自由だ。パソコンや私のタブレットで好きなだけゲームを楽しめるし、彼をとがめたり、叱ったりする人間はいない。ヤヤや従姉妹のアレクサは「マミーが言った」と言って、シャワーを浴びるようなどと言いつけたりするが、その時だけは素直に従っているようだ。だからマミーとの外出を拒否することもママあり、このことがマミーの印象を悪くしているようだ。 相変わらず偏食の著しいKIANは気に入らない食べ物は食べない。また、お腹がすいていないと、当たり前だがやはいり食べない。そんな時、マミーは強制的に食べさせようとする。そこでKIANが編み出した作戦は、私やアレクサに残りを食べさせることだ。食べるということは人間の本能だから、それを強制してさおさすることはできないはずだ。ほっておいても食べたければ食べるし、お腹が一杯ということは脳が食べるなと言う指令を出しているのだから自分の意思ではどうにもならない。偏食も時間をかけて矯正していくしかない。だから、マミーがKIANを泣かせること(いじめと私に映る)に耐えられない私は、血糖値が上がることを気にしながら残りをたいらげてやる。 私と外出してセブンイレブンでアイスクリームを食べるのがKIANの至福のときだ。永久歯の前歯も、もう一本生えてきた […]

KIANのしつけ、共依存症と家族の絆 2017年5月1日


私の部屋には、エアコン、TVそしてケーブルTVの3個のリモコンと置時計がある。この4つは部屋で快適に過ごすには必須アイテムだが、いつからか電池を収納する部分の蓋がない。だから、ややもすると電池が緩んだり抜け落ちたりしてリモコンが機能しないことがある。時計が一旦止まると、時間を合わすのが容易ではない。さらに、電池がその辺に落ちていればいいが、そうでないと電池を探しに事務所かサリサリまで行かなければならない。なんとも不便で致し方ない。 リモコンは文化的な生活には必須だ  私の部屋は、KIANや居候のアリアそれにメイドも出入り自由だ。ここ数年の間に、どういうわけか全部裏蓋がなくなってしまった。落ちたり外れたりしたら拾ってつければいいし、そうでなくてもヤヤが部屋を掃除するとき、見つかるだろうと思うのだが、結局、回収不能になってしまうのだ。もちろん、誰に聞いても知らないの一点張りだ。 そのリモコンのことごとくが裏蓋がなくなっている  大分前に、ゲストハウスのオーナーが泊まったとき、置手紙で、ゲストハウスのケーブルのリモコンの裏蓋が取れそうだから、無くさないように対処しておいてほしい、注意された。こんなことに気がつくなんて、細かい人だなと思ったが、この方もさぞかし家では裏蓋がなくて不自由しているのに違いないと察した。 さらに管理を任されている高級コンドミニアム、ワンサルセドプレイスに最近マレーシア大使館の職員が入居した。その際に指摘されたのは、TVのリモコンに裏蓋がついていないということだった。どうも、フィリピンにおいてはリモコンの裏蓋がなくなるというのは普遍的な現象らしい。気候風土がなせる業か、あるいは風俗習慣なのか、とにかく裏蓋がなくなるのだ。 究極の対処法がなんと裏蓋を開けられなくするという逆療法だ  こんな些細な話でジェーンを問い詰めても仕方が無いので、最近、事務所と寝室のエアコンを取り替えたので、この際、普遍的な解決策を探った。それは、リモートの蓋をはずせなくしてしまうというものだ。といって電池交換は必要なので、絆創膏でぐるぐる巻きにして簡単に外れないようにした。電池を換えるのは自分だけだろうから、これで一件落着、子供達やメイドを責めたてるようなはめに陥ることもないだろう。  

リモートの裏蓋がない 2017年3月12日



KIANの育ての親ともいえるヤヤ・チュー以来、5人目のメイド(ヤヤ・リザ)がやってきた(ちなみに我が家では親しみをこめてヤヤもメイドもひっくるめてヤヤ・....と呼んでいる)。それまでのメイドはことごとく蒸発しまっていたのだ。 KIANが生まれたころはメイドとヤヤ(子守)ということで二人の使用人がいたが(ちなみにKIANが生まれて以来、5人ほどヤヤないしメイドが入れ替わったが長続きはしなかった)、その後、やって来たヤヤ・チューは、子守、炊事、洗濯、掃除と、一人4役をこなしたスーパー・メイドだった。ママ・ジェーンは給与を倍にするから、2倍働けと持ちかけたらしいが、昼間はKIANとずーっと一緒で、いつの間にか、炊事、そして洗濯と掃除をこなし、早朝未明から夜更けまで休む間もなく働いていた。二人の子持ちなので赤ん坊の扱いがなれていて、料理もそこそここなし、我が家にはなくてはならない存在となった。2011年の4月から、2014年3月までKIANが1歳から4歳まで、幼児期を世話してもらったことになる。 ヤヤ・チューはKIANの育ての親とも言える 毎週、土曜日、KIANとヤヤ・チューを連れてサイカ・レストランでランチをとるのが私の日課で、私にとっても心休まる楽しみだった。そんなヤヤ・チューがKIANが4歳の誕生日を迎えるころ、突如として姿を消した。なにか家庭にややこしい事情があり、夫以外の男の子を宿し、夫から姿を消すために行方をくらましたらしい(いつそんな時間があったのか不思議だったが)。ヤヤ・チューはKIANをわが子以上に可愛がっており、KIANも実の母のように慕っていた。しかし、意外にもKIANはヤヤ・チューがいなくなってから、ほとんどヤヤ・チューのことを口にすることはなかった。 KIANの横にいつも張り付いてKIANの面倒を見ていたヤヤ・チュー。この日は我が家でシャブシャブパーティだ そして次にやってきたのが、まだ二十歳そこそこのヤヤ・ドナだ。アテ・キムやビアンカと年が近いだけに、3人姉妹のように仲がよかった。土曜のサイカでの食事はもちろん、タガイタイやプールなどアウティングにも家族の一員として連れ歩いた。しかし、メイドとしての腕は今一で、KIANは、もはや手がかからなくなっていたが、炊事、洗濯、掃除をまともにこなすことができず、アティ・キムやビアンカのお荷物になっていた。ちょっとモダンな女でもあるので、近所の男どもからちょっかいがあって、夜な夜な外出するようになって、ママ・ジェーンの不評を買うようにもなっていった。 年齢が近いアティ・キム(右)、ビアンカ(中央)、そしてヤヤ・ドナ(左)は友達同士のようだった そんな彼女も、ある日突然姿をくらました。ヤヤ・ドナは元々、ママ・ジェーンの親友のところで働いており、暗い過去があるそうなので、ことさら気を使っていた。農場にいるときなどは、幸福感にしたって、涙さえ流していたものを、裏切られたママ・ジェーンの怒りはひとしおだった。その後、侘びが入ったそうだが取り合わなかったそうで、私にもヤヤ・ドナから連絡があったが、シカとするよう、お達しがあってほっておいた。家出した直接の原因は、アティ・キムとの口論だそうだが、ヤヤ・ドナとしては呼びもどされるに違いないという公算があったらしい。ヤヤ・ドナは、一年も、持たなかったが、KIANとしては特別の感慨はなかったようで、すぐに忘れてしまったようだ。 ヤヤ・ドナは農場に帰ったときも、農場に住み込んで手伝ってくれていた しばらく、アティ・キムとビアンカがメイド役をしていたが、二人とも学校に通っていたので、家の仕事が滞り気味だった。そこでやってきたのがヤヤ・オ-ディだった。28歳独身のいかにもメイドらしいい雰囲気だった。しかし、このヤヤ・オーディができもので、料理は抜群で皆をうならせるほど、洗濯、掃除もそつなくこなした。しかし、半年もしないうちに「10年近く働いた前の雇用主が戻ってきてくれと切願された」と辞職を申し入れてきた。その後、しばらくしてKIANの一言で、一旦戻ってきたが、数ヵ月後、やはり消えてしまった。関連ブログ「ヤヤ(子守)が帰って来た」参照。 ヤヤ・オーディは写真が大嫌いで、City of Dreamに行くときも顔を隠してしまった ある日、ヤヤ・オーディが私にさよならを言いに来た。それをママ・ジェーンに告げると、そんな話は聞いていないという。しかし、ママ・ジェーンの話によると、ママ・ジェーンの攻撃に恐れをなして、逃げ出したのだと、せせら笑っていた。詳しい話を聞くと、ヤヤ・ドナはビアンカをそそのかして、一緒に元の雇用者のところで働こうと画策しており、それをママ・ジェーンが嗅ぎ付けて、懲らしめようとしていたらしい。メイドとしては抜群のパーフォーマンスを示して、頭の良い子だった。しかし、頭が良いととなると、ずるがしこいこともするようだ。そのころ、ビアンカも大学を中退させられたので、将来に不安を持っていたらしく、誘いに乗りかけたらしい。 知らぬ間に撮ったヤヤ・オーディの唯一の写真(中央)この写真を見てKIANがヤヤはなぜ僕に怒っているのかと質問してきた […]

メイドが消えてしまった 2016年7月14日


7月1日(金)、第31回目の創立記念パーティがフィリピン・インターナショナル・コンベンション・センター(PICC)で執り行われた。午後4時スタートということで、3時半に家を出る予定だった。しかし、いつものことで、出がけにもたもたして、出発は4時を回ってしまった。ママ・ジェーンは、どうせ始まるのは5時だと、意に介さない。ちなみにPRAは朝の9時半にははやばやと事務所が閉まるとの話だった。 駐車場には大型の特製ジープニーが3台駐車していた。たまにはマカティ市内も走っているが、冷房つきの豪華ジープニーだ。きっと観光用に使われているのだろう 4時半近くになって、会場に到着したものの、周囲は人の気配がない。しかし、中に入ると、顔なじみのPRAスタッフが出迎えていたので一安心。先日、PRAの事務所でKIANに執拗に頬へのキスを迫った財務の女性スタッフが、KIANの手をつかんで離さない。KIANは迷惑そうに愛想笑いを浮かべていたが、どうも、KIANの好みのタイプではないようだ。問題は、ママ・ジェーンは一歩進むたびに「写真、写真」と叫んで、なかなか会場に近づくことができないことだ。妊娠、5ヶ月を迎えた彼女も安定期に入って、いよいよ本領発揮といったところだ。生まれてくる子は女の子だそうだがニックネームは「クッキー」と決まっていて、この10月末ごろにはKIANもお兄さんになることになる。そうなるとKIANは「クヤ・キアン」と呼ばれることになる。 この界隈は、マルコス時代にマニラ湾の埋立地に建設された大型の施設が並んでいる。後方にはソフィテル(フィリピンプラザ)ホテルが控えている 日本の京都でガイドをしている方が、「最近はフィリピンの観光客が多いが、ガイドの話を全く聞かないで、写真撮影に明け暮れているのであきれる」という話をしていた。さらにまた、このガイドさんが話していた観光客のフィリピン人とは、偶然にも私の知り合いのフィリピン人で、私が京都観光を薦め、さらにバスツアーが良いとアドバイスしたものだった。こんな話をとなりに座っていた退職者の奥さん(日本人)に話をしていたら、なんとそのガイドさんがこのパーティ会場に来ていて、私に挨拶に来たのだ。このガイドさんはフィリピンが好きで、定期的に尋ねて、私のところに立ち寄るのだが、そのガイドさんがらみの偶然の話をしていたら、そのガイドさん本人が偶然にも現れるという偶然のダブルとなった。 国の威信をかけて建設されたこれらの建造物はその広大な内部空間に圧倒される この写真撮影はパーティの開始から終了まで延々と続いて、一体、パーティに楽しみに来たのから写真を撮りにきたのか区別がつかないくらいだ。しかもフィリピン人は写真を取られることも大好きで、カメラを向けるとうれしそうにポーズをとる。さらに、写真をとるように催促してくることさえある。 パーティ会場の入り口にはたくさんのPRAスタッフが迎えてくれる。PRA看板娘の彼女はもはやKIANの友達だ GMのスピーチんいよると、1985年、マルコス政権の末期に設立されたPRA(Philippine Retirement Authority)も31年目を向かえ、会員も4000人を越え、世界100ヶ国をこえる国々から退職者も呼び込んでいる。その主たる国々は、中国、台湾、香港、韓国、日本、インド、アメリカ、イギリスなどだが、やはり中華系が圧倒している。これは、華僑という現象が退職ビザを使って脈々と続いているのだろう。ちなみにフィリピンには100万人の純粋な中国人が中国語を話し、中国文化を維持して暮らしており、さらに人口の10%、1000万人が中国の血を引いているというが、KIANもその一人だ。 観光大臣(DOT Secretary)をゲストに向かえ、得意げなポスター ママ・ジェーンの言うとおり、5時近くになってもパーティは始まる気配を見せなかった。それでも人々は、久しぶりに会った人と写真を撮ったりして退屈をすることはなかった。 PRAカバンサッグGMとしっかりカメラに収まったカーネル一家 […]

第31回PRA創立記念パーティ開催 2016年7月2日



先日、卒園式を終え、この日、3月31日はKIANの6回目の誕生日、そして6月からはいよいよ小学校だ。小学校は名門男子校ドン・ボスコに通うことが決まっている。毎週、土曜日、食事をとるマカティ・スクエアの至近距離、いわば、彼のショバで、通学も問題ない。一時は、マカティの北方、ダスマリニャス・ビリッジにある名門校サン・アガスティン・スクールあるいは、ボニファシオのインターナショナル・スクールに奨学生(学費が高すぎてとても払いきれないので)として通う話もあったが、朝夕の通学に運転手付の車が必要とあって断念した(スクールバスも使えるが、あちらこちらから生徒を拾い、朝夕、2~3時間かかるというのでは、とてもKIANにはとても耐え切れない)。 この日は、田舎から遊びに来ている子供達、それにメイド二人も含め、家族勢ぞろいの11名て誕生会を定番の天々火鍋で挙行した。KIANは興奮気味で明日も誕生会をやってほしいと主張していた。 誕生会は、それだけのことだが、我が家の最近の話題を提供する。どっちかといえば小言だが、今のところKIANはやりたい放題のちびっ子ギャングだが、ママ・ジェーンのしつけも厳しくなっており、思いやりが合って礼儀正しい、そして国際人としての常識をわきまえた子供に育ってほしいと願う。フィリピン流は、外国人にはかなり理解しがたいところがあるので、外国人と接したとき、お互いにギャップが大きすぎる。だから、フィリピン流だけがすべてではないということも覚えてほしい。 右上KIANの顔は興奮の極地だ(テーブルの向こう側左端のKIANの顔に注目) フィリピーノの七癖、その1.フィリピーノタイム この日、誕生会のために出かける時間になっても誰も外に出てこない。特にメイドの二人は、一緒に出かけるということさえも知らされておらず、結局、私は外で30分も待たされる羽目になってしまった。これはいつものことで、約束した時間に出かけるのではなく、約束した時間に準備をはじめる、だから遅れるのはあたりまえ、遅れて何が悪い、という発想がある、報連相(ホウレン草)の欠如、そしてフィリピーノ・タイムのダブルパンチだ。ただ、その辺のいい加減さがストレス・フリーの社会のゆえんなのでもあろうが。当方にとっては、逆にストレスが絶えない。 KIANの4人家族、ジェーンのお腹の中にもう一人子供がいる その2.フィリピン流食事法 ご飯にスープや料理のたれをかけて味付けをして、もっぱらご飯をかき込むのがフィリピン流食事法だ。おかずは一切れの魚か肉あるいは野菜で十分だ。それを習ってか、KIANは、ご飯にしょうゆ(キッコーマン)をかけて、手でつまんでたべる(手で食べるのはカマヤンといい、フィリピンでは正統な食べ方)。ママ・ジェーンが塩分のとりすぎと、とがめると、KIANは食事ができなくなってしまう。あるとき私も真似をしてみたら、キッコウマンご飯は確かにいける。 KIANの主食はラーメンと焼きそば。最近までインスタントラーメンを常食にしていたが、これについてもママ・ジェーンからクレームがついた。このようなインスタント食品は添加物の宝庫だから、KIANの健康に良くないと。だから、冷凍の生めんとたれを日本食材店から買い求めて料理した。インスタントラーメンの味になれたKIANはちょっと不満げだが、なかでも豚骨スープは大いに気に入ったらしい。 しょうゆかけご飯かラーメンが用意されると、次に大声で注文するのがWATER with ICE(氷水)で、氷がないとKIANは我慢できない。天々火鍋でKIANが食べるのは、ヌードル、ライス、それにイカボールだけで、一皿ずつを独り占めにする。もちろんWATER with ICEは欠かせない。 左が農場から応援に来たヤヤ・ミッシェル、真ん中が新人のヤヤ・LC その3.メイドの流儀 前のメードがいなくなってしまったために、ホリーウイーク明けに、ビコールの農場にいたメイドと見習いを連れてきた。メイドが変わるたびにイラッとすることがいくつかあるが、今回も例外ではなかった。 […]

KIAN、6回目の誕生日とフィリピーノの無くて七癖 2016年4月6日


2月25日(木)はエドサ革命記念日で祝日だ。エドサ革命とは30年前(1986年)、1965年以来21年間続いたマルコス大統領の独裁政権を打倒した、ピープルズ・パワー革命とも呼ばれる政変の記念日だ。この政変は、上院議員だったベニグノ・アキノ(通称ニノイ・アキノ、マニラ国際空港は彼の名をとってNinoy Akino International Airport(NAIA)と呼ばれる)が1983年、死を覚悟して帰国し、飛行機からおりるタラップで射殺されるという事件に端を発している。そして夫の遺志をついで大統領選に立候補したコーリー・アキノに対しマルコスが当選とされた選挙を不正として、ラモス(コーリー・アキノの次の大統領)などの将校がキャンプ・アギナルドに立てこもり、それを民衆が取り囲んで守り、マルコスを国外においやった無血革命だった。 首都圏、マカティのアヤラとパセオデロハ大通りの交差点にあるニノイ・アキノの像 首都圏のバイパス、エドサ通りのキャンプ・アギナルドに隣接した広場に置かれたピープルズ・パワー・モニュメント、左端の像が英雄ニノイ・アキノだ この記念日に現大統領のノイノイ・アキノ(コーリー・アキノ元大統領の息子)が演説で強調したのが、マルコス独裁政権の批判だ。 コーリー・アキノのあと、ラモス元大統領は名宰相と呼ばれたが、その後の大統領、エストラーダ(現マニラ市長)、そしてアロヨ(服役中)は汚職にまみれ腐敗した政権だった。それを嘆き悲しんだコーリー・アキノが亡くなったのが2009年で、その葬式は国葬を上回る国民葬で、全国民がフィリピン最後の英雄との別れを惜しんだ。そのブームにあやかって、翌年の2010年の大統領選挙では息子のノイノイ・アキノが圧勝した。そして6年がたった今、マルコスの実の息子、ボンボン・マルコスが副大統領に立候補して、しかも現在支持率一位で、アキノ現大統領が危機感を募らせているのだ。 マニラ大聖堂からマニラ・メモリアル・パークまでの21km、8時間の行進に、沿道は20~30万の人々で埋めつくされた。 コーリーアキノの娘、人気女優のクリス・アキノが母を語る姿はテレビを独占した エドサ革命から30年、国民の半分以上は、この政変後に生まれた。また、選挙権を持っている18歳以上の国民の半数近くがこの事件の記憶はないだろう。一方、マルコス時代は、古き良き時代、フィリピンの黄金期という認識も出てきている。これは、エストラーダ、アロヨと続いた腐敗政治、そして現アキノ大統領になっても、これといった変化はないという、国民の率直な感想だろう。マルコスのような力強い指導者を期待している面があり、その証拠に、ダーティハリーの名をほしいままにしているダバオ市長のドテルテ大統領候補も人気が高い。アメリカ大統領の共和党候補のトランプ人気に通じるものある。 ルソン島北部、北イロコス地方のラワグ(Laoag)はマルコスの出身地、そこにはマルコスの像が高々とたっている マルコスの廟には、今でもマルコスの遺体が安置され、参拝することができる マルコス一家の故郷、北イロコス地方およびラワグ市は、今でもマルコス一家の人気は高い。2010年の選挙では、マルコスの妻、イメルダが下院議員、息子のボンボン・マルコスが上院議員、そして娘のアイミーが知事に当選して、まさにこの地方の支配者として君臨した。1990年代、イメルダが亡命先のハワイからフィリピンに戻ってきたとき、人々(特に貧困層)は「Well Come […]

エドサ革命とマルコスの復権 2016年2月28日