KIANの成長記録


ママ・ジェーンが外出していると、もっぱら私の部屋で時間を過ごすキアンだが、最近テレビでアニメをやっているのをみていて、一つ目のキャラが出ていた。しばらく、見つめているうちに疑問がわいてきた。「なぜ人間はあるいは動物は目が二つあるのか、何故一つや三つではいけないのか」しばらく考えて一つではだめで二つなければならないのかわかった。三つではいけないのかは答えがでなかったが、早速キアンに同じ質問をしてみた。 久しぶりに一家で外出してご機嫌のクッキー、カメラを向けるとお決まりのすまし顔をして首を傾げる、ママ・ジェーンと一緒の髪飾りがユニークだ キアンは、なるほどという顔をして、早速回答して来た。「一つだと、それがだめになると目が見えなくなるが、二つあればもう一つの目で見ることができる」まあまあの回答だが正解ではない。しかし、質問の意図を解釈してそれなりの回答を出したことについて評価できる。これはきっと幼稚園のときに大量に買い与えた百科事典を日ごろ読んでいるせいに違いない。 大きく口を開けるのもクッキーの決まり顔だ それで片目をつぶらして、私の指を顔の前に立てて、つかんでみろと指示をした。キアンはつかむことができない。今度は、両目を開けてつかんでみろといったら、こともなくつかむことができた。要は目が二つあることで物体の距離ないし位置を把握できる、すなわち立体視ができるのだ。それだけでは一つ目小僧がいない説明にはならない。立体視が出来ないと何故この世に存在できないのか。答えは簡単で獲物を捕まえることができなくて飢えて死んでしまうので、目が二つある動物だけが生き延びているのだ。だから魚から昆虫まで世の中の動物といえるものはすべからく二つ目なのだ。 指付がかわいらしいが、なにか指すときに人差し指を使うのは本能のようだ しかし、ここで収穫だったのはキアンはもはや幼児ではなくて立派な少年に成長していることだった。先日、ヤヤが血相を変えて、タガログ語で私とキアンに何か訴えていた。誰か外にいて車がどうのこうのと言っているので来て欲しいという。そこで二人で降りていったらセキュリティガードがタガログ語で黄色いFJクルーザーが違法に駐車してどうのこうのと言っている。するとキアンが英語で、「その車のプレート番号は何だ」、ガードが番号を答えると、「それは車の前後についているのか、この家のFJクルーザーはまだプレート番号がないからそれは違う、誰か他所のものだ」と、堂々とよどみなく対応した。ヤヤと私は顔を見合わせて感心した。まさに大人顔負けの少年だ。この話をママ・ジェーンに話をしたら喜んで飛び上がらんばかりで、キアンも得意満面でその場の会話を早口で繰り返していた。 泣いたり笑ったりする表情は万国共通だがこれも本能なのだろう、しかし動物は何故泣き笑いしないのだろうか そして数日後、車の中で現在私のドライバーをやっているアランおじさんに同じ質問をした。しかし、彼からは何の答えも返ってこなかった。それでさらに矢継ぎ早に質問をしてみた。動物は何故耳が二つあるのか、何故水面は水平なのか、何故海には満潮と干潮があるのか、何故海には波があるのか、などなど、全く答えは返ってこなかった。ハイスクールで教わらなかったのかと問い詰めたが、学校では先生の話は全くうわの空で聞いていなかったというのが答えだった。フィリピーノは計算に弱いのは定評があるが、理科や社会も弱いようだ。しかし、子作りだけは上手で3人の妻との間で6人の子供をもうけているのがしゃくにさわる。キアンは子作りはそこそこでも算数や理科に強い大人に育って欲しいと願う。ところで三つ目人間が存在しないのは未来が見えるので、皆失望して自殺してしまったのではないだろうか。 昨日、NHKの「ダーウィンが来た」という番組で六つの目をもつ世界一美しい蜘蛛(孔雀蜘蛛)が登場していた。この六つ目のおかげで視界が360度あるというのだが、六つの目で360度の物体の形や遠近を把握するという、脳の機能はいかほどのものなのか想像がつかない。しかもからだそのものの大きさが4mm程度というのだから脳の分子数は知れたものだろう。二つの目でさえややこしいのに世の中には想像を絶する世界があるものだ。ちなみにこの蜘蛛の美しさはメスを獲得するためのもので、求愛に失敗するとメスに食われてしまうのだそうだ。

動物は何故目が二つあるのか 2018年8月5日


ブログへの登場はしばらくなりを潜めているが、相変わらずいつも私と行動をともにしているキアンだ。そのキアンに大いなる試練がやってきた。 今年は新学期が7月から始まったが、キアンもいよいよ3年生だ  先日、親しくしている札幌の退職者の誘いがあり、冬の北海道家族旅行が現実化しつつある。はじめはキアンと二人だけの日本行きのはずだったが、パパ・ママに加えてクッキーまでが付き添うことになって、総勢5人の大旅行となってしまった。パパカーネルの長期休暇取得とキアンの学校休みの都合で、年末クリスマスをはさんで一週間の旅程を組んだ。年末はさぞ航空チケットが高いだろうと検索してみるとエクスペディアでマニラー札幌、往復5万円/人・程度で買えることがわかった。格安とまでは行かないが年末にしてはオンの字だ。しかし、9月10日から運行されるはずのPALの直行便は見当たらず、乗り換え時間を含んで14時間とはいかにも辛い。しかし、2日がかりでゆっくりいけば、乗り換え時間を利用して、韓国、台湾、あるいは東京も見物できるという息子のアドバイスで、結局東京経由で行くことにした。それでも同じ5万円少々だから返って得な気がした。日本に行ったことがないカーネルのたっての願いで往復は早足で東京見物も組み入れることになった。ママ・ジェーンの念願のママ・のぶ子さんとの夕食会も実現するかもしれない。 7月6日PRAの創立記念パーティ、18歳未満お断りのはずだったが、PRAのユニフォームに身を包んだキアンは当然のごとく参加した  一方の私の肺炎での入院をきっかけに家族全員の肺のレントゲン検査を行った折、キアンが結核に感染しているという疑いがあって、予防のために薬を3ヶ月飲むように医者からアドバイスされていた。しかし、キアンは錠剤を飲み込むことが出来ず、液体の薬にしたが、それも血液を飲んでいるようで気持ちが悪いとどうしても薬が飲めないでいる。一見、まったく健康で、そんな心配はないと思うのだが、医者は執拗に繰り返して、鉾をおさめない。そんな心配を抱え続けるのもいやなので、「このままでは、日本の入管に入国を許可されないから、なんとしてでも薬を飲んで憂いを取り去ろう」という提案をした。キアンもそれには納得しているようだった。 7月20日札幌の客の農場視察に同行してレガスピ空港に降り立ったキアン、客先接待係の面目躍如といったところだ 金曜の夜、遅く帰ってきたママジェーンとパパカーネルの特訓が始まった。私は、寝てしまっていたので、その様子を聞いたのは翌日、ピアノにキアンを連れて行ったときのことだった。早朝寝起きに携帯を見ると「キアンの罰として私との食事、パソコンを禁止する」というメッセージがママ・ジェーンから入っていたので、キアンは薬を飲むことができなかったのだと予測された。10時過ぎキアンを起こしてピアノ練習に行く準備をさせると腫れ目のキアンはなんとなく元気がない。夕べはこっぴどく叱られて泣き寝入りしたらしい。 農場からの帰還の飛行機の中でくつろぐキアン。私と一緒にいるときがキアンの最もくつろげる瞬間だ。出発前、ジェーンが同行すると言ったら、キアンのがっかりした様子に笑ってしまった  すったもんだの挙句に果てに結局キアンとのランチの許可が下りて恒例の樹海での食事となった。キアンに夕べのことを聞くと、やはり錠剤を飲み込むことができず、パパ・カーネルに壁に向かって立っていろ命じられたとのこと。また、「ママが怖い(I’m scared of mommy)」としみじみつぶやいていた。同席したジェーンの兄、アランもあまりにキアンが可哀想なので止めに入って、ようやくキアンへの折檻が収まったとのこと。キアンは、私にしがみついて甘えていたが、自分が愛され守られているという実感を感じようとしていたのに違いない。 7月22日デュシットホテル、パントリーのビュッフェに招待されて、大盛りの料理におどけるキアン、食べ放題のアイスクリームも無常の喜びだ  問題は、キアンが大きめの錠剤をどうしても飲み込めない、という単純なものだ。これは物理的に飲み込めないのであって、単なる物理現象であり、子供の責任ではない。だったら飲めるように工夫してやるのが親の責任であろう。それをあたかも悪さをした子供を叱るように折檻するというのは全くの見当違いだ。マット運動や鉄棒ができないからといって先生が子供を張ったおしたり壁に立たせたりするだろうか。何故出来ないのか、できるようにするにはどうしたらよいのか教えるのが先生の役割だ。その辺は、日本的発想かも知れないから、ジェーンに兄としてじっくり話して欲しいとアランに頼んだら、横で聞いていたキアンが「僕はわかる、I understand」とすかさず口を挟んできた。彼の側に立っている人がいると言うことを認識して心がめげてしまわないよう祈るばかりだ。 […]

薬が飲めないからといって何故折檻されなければならないのか 2018年8月5日



いよいよクリスマスシーズンに突入して、街はせわしなくなってきた。キアンの聖体式のお祝いを兼ねて週末に天天火鍋で食事を取り、その向かいのアヤラ・トライアングルの電飾ショーを見物に行くという予定を楽しみにしていた。当日、ママ・ジェーンとパパ・カーネルは朝から出かけていて、夕方になってやっと連絡があって、6時に天天火鍋で待ち合わせる、渋滞で、迎えに戻ってくる時間がないと言うのだ。ちょっと、癪にさわったが、キアンとクッキー、それにヤヤ二人を連れて外へ出たはものの、コンドの入り口にはタクシー待ちの人が並び、グラブにアクセスしても周囲に全く空車が走っていない。 土足でレストランのテーブルにのせて歩行訓練とは行儀が悪いが、こうやって見るとクッキーもかなりの重量級だが、もっともキアンは、はるかに重量級だったが しばらくして、ジェーンからもグラブが全くつかまらないので、近所の新装の韓国料理店ソールに場所を変更すると連絡があった。そこなら、歩いて10分ほどだ。キアンの案内で到着してみるとまだ改装中で営業しておらず、歩いてその辺のレストランを探す羽目になった。幸い、5分ほどのところに大型の食べ放題の炭火焼レストラン(Charaptor、ジュピターのTong Yang/東陽のような店)があったので、そこでカーネルを待つことにした。しばらくして、レストランから呼び出され、これから車に乗って、天天火鍋に向かうという。ジェーンは、ソールがまだやっていないことについて、キアンを聞こえよがしに責めていたが、どうもソールが開店しているとう情報はキアンだけによるもので、確かめてもいなかったらしい。 メインはアラヤトライアングルの電飾ショーなので食事はバーベキューと味噌汁であっさり済ませた 最近は、舌なめずりをしながら何でも興味を示すクッキー この渋滞のさなか、再度マカティを横切って天天火鍋まで行ったのでは、いつ夕食にありつけるか見当がつかないので、結局、炭火焼で食事をとることにした。一人490ペソで食べ放題と言っても、皆、ダイエット中で大食いは敵だ。したがってアラカルトからバーベキューセットと味噌汁を選んだので大人5人+子供二人、ビール3本で1500ペソで済んだ。しかし、年末のせいかこんな中心街からのはずれのレストランでも、かなりの客でにぎわっていた。 CHARAptorという店の名前は恐竜の名前をもじったものらしいこの時間ほとんどの客は奥の部屋にいるが、もう少し立つと外の席も一杯になるのだろう そのまま帰るものと思っていたが、食後、予定通り、アヤラ・トライアングルに向かった。マカティの中心街を横断する3本の大通り(アヤラ・アベニュー、マカテイアベニュー、それとパセオデロハス)に囲まれた三角地帯の中は、証券取引所とアヤラの本社ビルがあるだけで、残りは広大な緑地なっている。いずれにせよ、年末の夜の楽しみは苦痛が伴うのは止むをえないこととあきらめて、向かうことにした。 途中、マカティ中央警察署や消防所の前を通ったが、ご他聞にもれず電飾が施されている。ちなみに、カーネルにここの署長になるという話があるらしい。そうなったら、マカティでは向かうところ敵無しだ アヤラ・アベニューの中央分離帯には隙間なく電飾が施されている クリスマスが近づくと、そこに電飾で飾って、音楽に合わせて点灯するという一大電飾ショーが繰り広げられるのだ。ここ、2~3年、ご無沙汰していたが、カーネルに車の番をしてもらって、いざ出陣となった。メインの目的はクッキーがクリスマスの飾り付けに殊の外興味を示すので是非見せてやりたいという親心だ。 電飾ショーが始まる頃には、トライ・アングルは人であふれかえっていた 30分毎にショーがあるようで、丁度8時前だったので、しばらくしてショーが始まった。キアンとクッキーが喜んだのは言うまでもないが、一方、ヤヤ二人が交代でクッキーを抱いていて、かなり疲れた模様だった。その後、さらにシャングリラ・ホテルに向かったのだが、これが、ビールを三杯飲んでちょっと酔っていた私には苦痛だった。 一体何事が起ころうとしているのか理解に苦しむクッキー […]

アヤラ・トライアングルの電飾ショー見物 2017年12月10日


最近、皆が大声で会話するようになって、うるさくて仕方が無い。タガログ語かビコラノ語で話しているので何をしゃべっているのか皆目検討もつかないが、原因は新しく雇ったメイドが、耳が遠くて、後ろから声をかけると知らん顔をしているくらいなのだ。おまけに英語を全く理解しないので、色々指示をしても(したつもりでも)、同じことを繰り返す。つい、私も大声を出してしまいそうになるが、メイドが緊張して怖がるといけないので、下手なタガログを駆使してやさしく話すように務めているが、効果は薄い。したがって、ヤヤかジェーン経由で伝えてもらっている。一方、メイドは歩きながら鼻歌を大きな声で歌っているので、これまたうるさくてたまらない。 私自身が難聴になってもおかしくない年なのだが、話し声がうるさいと思うくらいだから、絶対に難聴ではないと思っていた。しかし、私が、難聴ではないかと周囲が疑うのには訳がある。それは、遠くから大声で声をかけられても、何を言われているのか聞き取れないのだ。しかし、大きな声だけはうるさいくらいに聞こえるので、そもそも遠くから話しかけるのは礼儀知らずだ、近くまで来て、きちんと話をしろと文句をいう。挙句の果てにはキアンまで一階の事務所で執務をしていると階段の上から、声をかけてくる。キアンは流暢な英語を話すが、これは発音が良すぎるためか、やはり意味がよく把握できない。 こんな無邪気なクッキーに対しても周囲は、何故かがなり散らしているように聞こえるが、クッキーは負けずに大声で泣き叫ぶ また、ママ・ジェーンから、少しややこしい話をされると意味がつかめず、ついしかめ面になる。ジェーンはしかめ面をするなと文句を言うが、私は、わけのわからないことを言わないで、順序だてて話をしろと言い返す。ジェーンは、耳垢を掃除しろとか、補聴器をつけろとか譲らない。私自身、彼らの言うことが理解し難くなっているのは、まぎれもない事実だ。音は、うるさいくらいに聞こえるのだから、補聴器をつけて音量をあげても何の役にも立たないはずだと主張するのだが、補聴器=年寄り、というイメージがあってそう簡単には譲れないところでもある。 さらにテレビを見ていると、ドラマなどの会話が聞き取れない。音を大きくすると聞きやすくなるが、うるさくてたまらない。一方、アナウンサーの話は良く聞き取れるで、さすがと思う一方、聞き取れないのは役者の発音が悪いのだと相手のせいにしたくなる。息子に聞いたら「俺もわからん」というので安心したが、どうも慰めらしい。 話は少しずれるが、一昨日の早朝六時前、キアンが私の部屋にやってきて、今日は、コミュニオン(Communion)だから一緒に学校に来て欲しいと起こしにきた。キアンは代表に選ばれて、神へのスピーチ役をおおせつかっており、数日前から長文の暗記に躍起だった。たしかに良くまあ、暗記したのものだと思う反面、何でたかが7x8=56とか8x9=72とかが暗記できないのかと、いやみを言ったくらいだ。 バロンタガログで、おめかししてコミュニオンにのぞむキアン このコミュニオンが一体何なのか聞いても、これまた理解できない。調べてみるとカソリックの7つのサクラメント(秘跡、Sacrament:洗礼、堅信、聖体、告解、終油、叙階、婚姻の7つ)の一つで、先日の堅信に続く、第3弾、聖体だそうなのだが、これは難聴というよりカソリックの知識不足により理解できないのだろう。この日は両親をともなって、牧師から与えられたウエハース状の物(ホスチア)を食べるのだが、これは、体の中でイエス・キリストの実体に変化するそうで、だから聖体と呼ぶらしい。そういえば、教会では、信者が列になって牧師からこのウエハースを口に入れてもらっているのをよく目にする。キアンは、両親がこのウエハースを不潔に感じて口に入れようとしなかったら、キアンが両親を叱ったそうだ。さらに牧師とすれ違うとき、思わず二人はアピアー(手のひら同士をぶつける仕草)をしたそうで、牧師のキアンに対する友情とも言うべき思いが計り知れるところだ。キアンのCONFESSION-堅信式に参加 2017年11月14日 私自身は、いつ始まるかわからない儀式は割愛してPRAに向かったので、キアンの晴れ姿は目撃できなかった。それに、儀式は撮影禁止なので、いずれにしろ、ブログで紹介することもできなかった。 ようやく歯が生え始めて歯茎が痒いのかしきりに舌なめずりをするクッキー、この年頃、キアンはすでに7本の歯が生えていた。比べてみるとキアンのほうがはるかにお兄さんだった。 こんな矢先、NHKの「ためしてガッテン」で難聴をとりあげていた。 1.難聴とは加齢にともなう耳の機能の低下により(耳の中の音を感じ取る毛のようなものが血流の不足により壊死する現象)、選択的に音が聞き取れなくなるもので、子音が聞こえなくなったりして、音は聞こえても会話として聞き取ることができなくなる。逆に大きな音が耳のなかで響いてうるさいと感じることもある。 2.例え初期の難聴になったとしても、脳が聞こえない音を補完するので、会話は不自由なくできる。そのため多くの人が難聴であることを認識できないままでいる。一方、不意に横から声をかけられると意味が把握できないことがあるが、それは脳がとっさの状況に対応できず補完作用が働かないためだ。 3.難聴が進むと、周囲の会話に交わることができなくなって、人との付き合いが億劫となり、生活が消極的になる。さらに会話による脳への刺激が減ると、脳の一部が壊死して、認知症にも罹患しやすくなる。 4.現在の補聴器は、ただ音量を上げるのではなくて、ひとりひとりの症状にあわせて、聞こえにくい音のみを増幅するので会話として理解しやすくなる。一方、この調整が適切でないと、かえってうるさく聞こえるだけで何の役にもたたない。 […]

難聴の話題 2017年12月7日



29日(水)の午後からPRA主催のイントラムロスの見物ツアーに参加した。PRAのデズリーさんが責任者で、PRAの事務所で、5人の参加者を割り当てられ、キアンも一緒に是非参加して欲しいとの要請だった。ブログで募集すると3組、6人の参加申し込みがあった。合計、8人となったが、幸い全員参加の予約がとれた。 そして当日、私自身は、キアンを3時に学校でピックアップして、現地で合流するつもりだったが、集合時間の午後1時前にデズリーさんから電話があって、まだ誰も来ないと催促された。集合は一時で、出発は2時だから、それまでには来るからと返事をした。その後、さらに1時半、1時50分に電話があって、あと4人現れないと連絡があり、一体どこにいるのかと聞かれるが、当方としては、答えようもない。結局、出発までに全員そろったようだが、時間など気にしないはずのフィリピーノがなんともせわしなかった。 フォートサンチャゴをバックにキアンの雄姿 平日にもかかわらずそこそこの観光客が訪問している、後方にはマニラ・カタデラルを臨む 3時にキアンをピックアップして、息子の運転する車で、向かったが、昼間から渋滞で、なんとか4時にフォート・サンチャゴに到着して無事に合流することができた。黒と赤のはでなシャツを支給されて、すぐに、それとわかるグループを見つけ、おなじみの退職者の面々に再会した。ちなみに息子は、この日の夜中に日本に帰る予定で参加することはできなかった。 先日行われてアジア・サミットの皆さんの歓迎の名残り フォートサンチャゴのランドマークのゲートをバックにポーズ 10人ほどのPRAスタッフが同行したが、4~5人のスタッフが、私が参加を申し込んだ高齢の退職者がウンチを漏らしているのではないか、パンツを買おうと思うが、と必死の形相で訴えてくる。確かにお尻の部分がぬれているが、面識が無いので、私としても聞きづらい。同行していた知り合いにそれとなく聞いてもらうように頼んだが、その後、反応が無いので杞憂だったらしい。 マニラ・カテデラル(大聖堂)はクリスチャンの総本山で、かのコーリー・アキノ元大統領の葬儀には数万人の人々がここで別れを告げた 大聖堂の中を黒と赤のシャツのPRA退職者一行はかなり目立つ それから、マニラ・カテデラル(カソリックの総本山)、ここは私自身初めて中に入った。次は、サン・アガスティン・チャーチ(世界遺産)とカーサマニラ(スペイン時代の富裕層の住宅)、ここはイントラムロスの目玉で、何度も来た事がある。以前、キアンを連れてきたことがあるのだが、キアンはしっかり憶えていた。すでに暗くなり始めていて、この後は、食事に向かうという。予定表には、このほかに2~3箇所訪問するはずだったのだが、どうも時間的都合で省略したらしい。 さすが、世界遺産のサン・アガスティン・チャーチの中は荘厳だ カーサ・マニラの中庭を臨む 外は、早くも夕暮れ時となっている 食事は、てっきりカーサ・マニラの中にあるBarbara’sレストランでとるものと思っていたのだが、どうも違うらしい。Barbara’sレストランのスペイン風の内装はすばらしくて、カルチュラル・ダンスを見ながらここで食事をとることを兼ねてからねらっていた。このツアーに参加した最大の理由でもあったのだが、しばらくバスに乗ってILUSTRADという観光レストランに入った。 […]

PRA主催、イントラムロス・ツアーに参加 2017年11月30日


我が家にはパパ・カーネルとアテ・キムが愛用していた2台の中古マウンテン・バイクがあるが、しばらく使わないうちにパンクやら錆やらで見捨てられていた。それに目をつけたのがキアンで、学校にバイクで行くと言い始めた。中古とはいえ高級なバイクなので、パンクを直して油をさせば十分使える。しかし、いくらサドルを下げたとしても、足が地面に届かなければ未熟者のキアンには危険と私は異を唱えた。また、学校まではたったの1kmとは言え、あの渋滞のパソンタモ通りを7歳の子供がバイクで走るにはあまりにも無謀だ。 それでも、ダダ(私)と一緒にコンドミニアムの敷地の中を走って回れるとママ・ジェーンが主張するので修理代を払ってやった。確かに学校から帰ってくるとタブレットあるいはパソコンのゲームに夢中で一歩も外へ出ないキアンにはアウト・ドアで遊ぶことも必要だ。以前、乗っていたバイクは、すでに小さすぎるし、どういうわけか田舎の農場においてあって使えない。 パパ・カーネルの本格的マウンテンバイク(右)に、ひけをとらないキアンのバイク(左)、奇しくもブランド名は同じGIANTだ。下にあるのがスクーターでキアンのバランス習得に役にたった キアンは、最初は補助輪付きのバイクに乗っていたが、その補助輪がこわれてしばらくバイクから遠ざかっていた。その間、スクーターに乗って遊んでいるうちにバランスをおぼえて、こわれた補助輪をはずしたら、またたくまに乗ることができた。約一年前のことだが、だからキアンはバイク乗りには自信がある。 大工のウベットにパンクを直してもらって、サドルを下げたが、案の定、キアンは足が地面に届かず、しかもハンドルの位置が遠すぎてどうしようもない。こうなったら新しいバイクを買ってやるしかないが、中国製の安物が、せいぜい3~4千ペソで買える。しかし、安物は一年も使えばこわれてしまうし、将来、妹のクッキーやリオ(息子の子供)もお下がりを使わせることを想定すると、ちょっと奮発して良いものを買い与えた方がよい。思い起こせば、息子達がキアンの年頃、長男から順に自転車を買い与え、次男、3男は、順にお下がりを使ったものだ。 一歳を過ぎて、いよいよキアンのお下がりの三輪車を使い始めたクッキー ちなみに5年前に買って農場においてある私のバイクは15,000ペソだったが、子供用なら一万ペソも出せばよいものが買えるという算段をした。 マウンテンバイク購入 2012年9月17日 パサイ市のカーティマール・マーケットにはバイク専門店が10軒ほど固まっている。キアンを連れて出かけて行ったが、子供用のバイクといえば3~4千ペソのものしか見当たらない。しかも変速ギアなしで、キアンは変速ギア付きのものが欲しいと主張する。同行した息子が店の中に良さそうな子供用バイクを見つけたが、価格は11000ペソとちょっと予算オーバーだ。しかし、現金なら9900ペソだそうで予算内で、サイズも丁度良くて、7段の変速ギア付で申し分無い。サドル調整の特殊な工具もつけて丁度一万ペソでおさまった。 7段ギアを備えた本格的なマウンテンバイクだ SHIMANO製7段変速ギアが、いかつい ギアチェンジのレバーにはSHIMANOの名前が得意そうに刻まれている 詳しく見ると、変速ギアなどは高級品であるSIMANOを使っており、アメリカブランドの台湾製とのこと(店の人によるとSHIMANOがバイク部品市場を席巻しているとのこと)。これなら10年以上使えが、直になれるだろう。これで、少しでもパソコンゲームから遠ざかってくれることを期待するのだが、休みには農場に持っていって私とバイクの遠乗りを楽しむことも可能だろう。農場の周辺はマヨン火山の麓であるため適度な勾配があるサイクリングコースには事欠かないし、昔取った杵柄で私の運動にもなる。 しばらくバイク乗りを遠ざかっていたせいか、キアンはおっかなびっくりだ […]

キアンの自転車(バイク)を買いました 2017年11月27日



11月13日(月)午後一から”Confession”があるから参加してほしいとママジェーンから懇願された。一体、”Confession”とは何なのか聞いても、クリスチャンの儀式というだけで納得のいく答えはかえってこない。辞書で引いてみると”懺悔・告白”という意味だそうだが、一体何をやるのか、クリスチャンでもない私が出席して何の意味があるのか、とにかく客との打ち合わせとぶつかるので出席できないと断った。 しかし、この日、東アジアサミットでアジア・オセアニアの首脳、しかもアメリカのトランプ大統領まで訪比するとあって、首都圏は厳重警戒態勢にあって、パパ・カーネルは朝の4時から出勤して子供の”Confession”どころではない。しかし、この儀式には両親が付き添うのが原則で、キアンが可哀想、父親代わりに出席して欲しいと懇願された。 どうせサミットの3連休でやることもないし、ブログのネタにでもなるだろうと、出席を前向きに考えると約束したが、件の客とコンタクトがとれない。最悪、客が来てから、時間をずらしてもらおうと覚悟を決めた。それでも午前中、連絡を待っていたら、私がタバコを吸いに数分間外に出た瞬間を狙いすましたように固定電話に連絡があった。また電話をするということなので、待つこと2時間、電話を待ち続けたが、昼前に突然やってきた。約束は午後一時だったので、もっけの幸いと、ほっとした。 一時ごろ、ドンボスコ・スクールに行くと、立派な会場が用意されており、2時近くになって人もそろい式がはじまった。一クラス、約30人の生徒が両親に付き添われて、神妙に順番を待つ。そして一人づつ、両親に付き添われて牧師とひそやかになにか話をして、神に祈り、さらに儀式を行う。まさにキアンが赤ん坊の頃におこなったBaptismal(洗礼式)を髣髴とさせ、洗礼式第2弾といった雰囲気だ。 式場に入る前に整列する生徒たち(中央がキアン) 両親に付き添われて順番を待つ生徒たち あとで調べてみると、”Confession”とは、堅信ないし信仰告白と訳され、幼児洗礼を受けた者が自分自身で信仰を言い表すことのできる年齢に達した後に会衆の前で信仰を言い表す儀式だそうだ。これは、キリスト教の7つのサクラメント(秘跡、Sacrament:洗礼、堅信、聖体、告解、終油、叙階、婚姻)の一つで洗礼とともにクリスチャンとして生きていくための重要な儀式の一つとされる。我々日本人にとっては洗礼と婚姻くらいしか知らないが、この堅信も子を持つクリスチャンの親にとっては一大イベントのようだ。 いよいよキアンの順番がやってくると牧師の反応があきらかに異なり、にこやかにキアンに語りかけている。一連の儀式が終わってママ・ジェーンが戻ってくると、得意そうに、牧師が、キアンのことを”My Friend”と親しげに呼んだそうだ。私は、ここぞとばかり、「これぞ、キアンの偉大なタレント(才能)で、大人も虜にする魅力を持っている、だから、ありきたりの子供を扱うようにやたら叱り付けて、そのタレントをそぎ落とさないように」と、ママ・ジェーンに説教した。ちなみに、キアンを取り上げた産科医も数多く取り上げて赤ちゃんの中でもキアンが最もお気に入りの子供だそうだ。そうすると、ママ・ジェーンはこともなげに「それは私のDNA」で、一方、かなりやんちゃで乱暴(マタパン)な妹のクッキーは「私のもう一つのDNA」だとのたまう。たしかにその通りなのだが、キアンが算数に弱いのも彼女のDNAなのだと心の中でつぶやいた 牧師の前で両親とともに挨拶 キアンは牧師に対して信仰について告白する(言うべきことは紙に書いて渡されてある) そして神への祈りを捧げる その後、一連のそれらしき儀式が行われるが、それぞれ宗教的に意味があるそうだ 生徒、30人分の儀式が終わるのは一体何時になるかわからない。退屈したので、私は帰って相撲でも見ることにして学校を後にした。そして夕方は、キアンが無事に堅信式を終えたということで、お祝いの食事会となった。この日は、たまたま、田舎から、おばあちゃん、ママ・ジェーンの長兄ダシン、その娘のバネッサらが来ていたので、息子とその嫁を含めて総勢11人の食事会となった。洗礼式の時は、ルートン・マカオの中華レストランを借り切ってお祝いをしたが、緊縮財政のおり、大分小規模になった。キアンのバブティスマル 2010年10月15日 […]

キアンのCONFESSION-堅信式に参加 2017年11月14日


公文をやめて一ヶ月経過して、キアン(というか私)の算数との取り組みに難儀している。とにもかくにもキアンが勉強嫌いで、机に向かわないのだ。アイスクリームの褒美やらでなだめすかしたり、問題集の回答にどれだけ時間がかかったか測定して競わすなどの工夫をしたり、なんとか興味を持てるようにしている。まずは、教科書に添って足し算と引き算の一桁と二桁の計算の復習、一桁の掛け算(九九)と二桁の掛け算へと駒を進めるのだが、弱点は繰り下がりのある引き算と九九の暗記だ(例えば23-5は十の位から一を借りて(10-5)+3=5+3=8として、(20-10)+8=18となるが、この10を借りてくるというメカニズムがなかなか身についておらず、ちょっと油断すると、逆に5から3を引いて、答えが22になったしまう)。そして相変わらず、一桁の足し算と引き算では左手の指がもごもごと動く。それが癖なのかどうかわからないが、文句を言うと私に手を握って指を動かないようにしてくれと頼んでくる。 学校の教科書に取り組むキアンだが、その根気は5分と持たない 掛け算は指では計算できないので記憶していないとお手上げで、繰り返しでなんとか6の掛け算まで記憶した。そうなると、7、8、9だが、これは7x7以上だけをおぼえさせて7x6以下は覚えなくて良いと、かなり負担を減らしてやった。7x6以下は数字を反対にして6x7とすればよいのであって、私自身7x6=?聞かれてもとっさに答えられず、頭の中で6x7に返還して答えを探しているのだ。そうこうしているうちに今度はキアンは4の掛け算を忘れてしまっている。日本式の九九を歌うように繰り返しておぼえるのがよいと思うのだが、いまさら数字を日本語で教えるのはあまりにもめんどうだ。一方、学校ではすでに割り算の勉強を開始しているのに、公文に通って2年半、ほっておいても数字に強い子になるものと信じていたのが大失敗だった。このままでは、極普通の数字に弱いフィリピン人となってしまうと危機感がつのる。 パソコンが使えないとやることがないとぐずるので、マカティスクエアの中古本屋で本を買って与えたら、喜んで読んでいた ママ・ジェーンのペナルティとしてパソコンを終日禁止されて「子供向け何でも質問百科」を買ってやった。私にはちょっと読みこなせない内容だが、すらすらと読んでいる。テレビでアメリカ製の漫画を見ていても100%理解できるそうで、英語のヒアリングと読解力ではすでに私を凌駕している。英語にはこれほどの能力を示すのに、何故数字には弱いのか、謎は深まるばかりだ 教科書では、一桁の足し算や引き算(指を使わないでの暗算)、さらに九九もママならないうちに二桁、三桁の計算に進んで行っている。日本のように九九を生徒全員で合唱するような教育はしていないのだろうか。2年ほど前、キアンが公文に通い始めた頃、公文の宿題を農場に持っていって従兄弟たちと競わせたら、いとこ達の指が一斉に動き始めたことにびくりしたことがある。彼らはすでに小学校の高学年だったのだが、かれらの四則演算の計算原理は未だに指折りなのだ。アフリカの原住民は、両手両足の指の数の合計の20までしか数えられないと、昔、聞いたことがあるが、まさにそれに近い世界だ。この指折りを克服しなければ、九九以降の算数は闇の世界に違いない。 10月末、街はハロウインでにぎわったが、どういうわけか、私が住んでいるコンドミニアムではパーティは見送られた ちなみにフィリピン人に九九をやらせても、間違いなくすらすらと言える人は少数派であろう。プラス・マイナスは指で出来ても掛け算となると指の数が足りない。九九で壁にぶつかったフィリピン人は一生、数字にはそっぽを向く人生とならざるをえないが、最近は計算機があるので、なんとか生き延びることができているのだろう。息子の話によると田舎のマーケットに買い物に行って、一キロ35ペソの米を10kg買ってそれがいくらになるか同行したフィリピーノが計算できなかったので愕然としたことがあるそうだ。なんと35x10=350の計算ができなかったのだが、これはフィリピンでは必ずしも特別なことではない。 アラバンのオハナ・コンドミニアムにキアンを同行させたが、ソレイア以来のプール遊びを満喫していた DMCIが開発するコンドミニアムは中央にゆったりしたプールを配置したリゾート風で人気が高い プールサイドの集会場ではハロウインパーティの真っ最中だった キアンの集中力は5分ともたず、1ページの計算をこなすと休憩と言ってテレビを5分見る。そんなことの繰り返しだが、30分もたつとブレーキがかかってしまう。勉強に飽きて全くやる気を失ってしまうのだ。そこで考え出したのが、パソコン・ゲーム券だ。一時間勉強するとパソコン・ゲーム券が与えられて、パソコンで2時間、遊ぶ権利が与えられる。これでママ・ジェーンのその時の気分でパソコンを禁止されるのではなく、自分自身の努力でパソコンで遊ぶ権利を獲得することができるという仕組みだ。 歯が少し生え始めたクッキーは食欲旺盛でバーベキューにもかじりつく このパソコンゲーム券に対する期待は大きくて、学校から帰るなりゲーム券は準備できているか、早く、算数の勉強をしようと催促してくるくらいだった。今までは、ママ・ジェーンの鶴の一声で決定していたものが、自分の力で獲得できるとなると、自主性の高揚に大いに役立ちそうだ。私としても、今までのやる気のない生徒を相手にするよりもはるかにやりがいがあるというものだ。ママ・ジェーンとしてもパソコンを許可する明確な判断基準ができて、しかも子供の学力が向上に寄与するとなると、まさに一石二鳥、三鳥の優れものだ。 クッキーはどういうわけか従姉妹のアティ・バネサが嫌いで、近づくと顔をたたいたり髪を引っ張っていじめる […]

キアンのパソコン・ゲーム券の効用 2017年11月7日



約2年ぶりにボニファシオのキザニアをキアンのお供をして訪問した。この日は月曜でたまたま学校が休みなので、どこかに連れて行ってほしいというキアンのたっての願いで、ボニファシオのマインドミュージアムに行ったのだが、月曜は休館日で閉館。しかたがないのでキザニアに行ったのだが、それが正解だった。前回は、幼稚園の遠足でつきそったのだが、新規開館直後だったので、平日とはいえ、幼稚園や小学校の団体客で大混雑、一時間待ちの行列が当たり前で、楽しむどころの話ではなかった。5歳だったキアンも7歳になって、キザニアの社会生活体験実習にいたく興味を示し、かつ待ち無しなので、おおいに満喫できて、10時から午後4時の閉館まで、一日が瞬く間に過ぎてしまった。味をしめたキアンの願いで、それからしばらく、毎週、キザニアに通うはめになってしまった。 キザニア(KIDZANIA)訪問 2015年10月4日 この日、真っ先にチャレンジしたのが、前回、一時間待ちで涙の呑んだ消防訓練だ。 消防訓練は人気なので、順番待ちがあるが、一番で待っている間も、瞬く間に周囲の子供達と友達になってしまった 消防とはなんぞや、何が大事なのか抗議をうける。左に立っている子は智恵遅れの子供のようだが、係の人たちは親切に対応している 講習を終えていざ消防車に乗って出陣だ 放水はキアンにとっては単なる水遊び、得意とするところだ 赤いランプで燃え盛るビルに放水する 小さな街を走る消防車、救急車もある   次はアイスクリーム工場での体験学習、キアンの狙いはアイスクリームの試食だ。 記念撮影にポーズは欠かさない 説明を真面目な顔をして聞き入るキアン これが楽しみだったキアン   […]

久しぶりにキザニア訪問 2017年10月15日


先日、ママ・ジェーンが、キアンの成績が急降下して、現状のクラスを維持するのが難しい、下位のクラスに編入されるかもしれない。そうなると、成績の悪い子ばかりのクラスで、キアンの将来が危ぶまれると危機感を露にしていた。そして取った処置が、当面、パスコン・携帯ゲームの禁止だ。私にも決して携帯を貸し与えないようにと懇願してきた。私としては、携帯よりも一体何故キアンの成績が悪くなったのか、現状を把握して、適切な指導を行わなければならないと思うのだが。一方、ママ・ジェーンは公文をやめて算数など多教科をこなす家庭教師を雇うべきと主張していた。 8月某日、Intramuralsの集まりに駆り出された。Intramuralsとは何度聞いてもよく意味がわからなかったが、要は生徒の家族が集まって行う年中行事のようだ パソコンゲームを禁止されたキアンは、私の部屋に来て、やることがないからトランプゲームをやろうと言い出した。数年前、ゲームは、遊びながら子供の思考、計算能力を育てると、碁、将棋、トランプなどを奨励したのだが、今一乗ってこず、忘れ去られてしまっていた。碁や将棋をこなすには程遠かったが、トランプは、お互いの手から一枚のカードを出して、大きさを競うという単純な遊びにキアンは興味を示していた。久しぶりにそれをやろうというのだ。そこで私は、2枚づつ出して、そのトータルで勝ち負けを決める、あるいは一枚づつ出してその差を計算できたらキアンの勝ちとするルールを追加した。以前は、公文を思い出すからいやだと言っていたが、今回は計算に自信があるのか、OKとなった。 ダンスの代表に指名されてうれしそうなキアン そこで、発見したのが、キアンは一桁の足し算や引き算が暗算ですらすらとこなすことができず、もごもごと指を動かして考えていることだった。公文では3桁の足し算や引き算をやっていて、それなりにこなしていたはずなのだが。この状況は何なのか、この3年近い公文での苦悶は一体なんだったのかと、愕然とした。一方、学校の宿題を見てくれと頼まれたが、なんと二桁と一桁の掛け算ではないか。公文で引き算に明け暮れているうちに学校では九x九(ただし1から5まで)が始まっていて、二桁にまで突入していたのだ。私は、一桁の掛け算は出来るものと仮定して、二桁と一桁のの掛け算の仕組みを教科書に添って教えたが、キアンはわかっているのかわからないのか、謎だった。それでもあとで、キアンは、ママ・ジェーンにダダ(私)の教え方はわかりやすくて、Very Goodとお世辞を言っていたらしい。 入場行進では旗持ちを任された それで、気がついたのは、足し算と引き算は公文でいやというほどやっていたので、学校でもそこそこの成績を維持していたものの、掛け算に到って、しっちゃかめっちゃかになってしまったらしい。そこで、成績の急降下がおきたのではないかと推測された。やはり、学校の進捗にあわせてキアンを鍛えないと、いずれ算数嫌いになって、数字から逃げまわる人生になってしまうことは必定と思われる。両親の感想はは、小学校のときに算数の授業についていくことができず、授業中、わかったような顔をしながら授業が終わるまで我慢しているのが辛かったと、いうもので、そんな思いをキアンには味あわせたくないという。多分、フィリピンの国民の大多数がこんなものなのだろう。それでも学校をちゃんと卒業しているのは、フィリピン人特有の有事への対応力なのだろう(要はカンニング)。   小学生全員が集まって自慢の衣装と踊りを競う そこでキアンのコメントも手伝って白羽の矢が当てられたのが私だ。例え、公文を続けても、学校で劣等生では致し方ないので、即刻公文を退学させることにした。これにはキアンは大賛成で、私としては週二回、学校の出迎えと公文でのアテンドがなくなるのはかなり楽になる。そうなれば、出迎えは水曜のピアノのレッスンだけになる。ピアノの方は、かなりの成果が出ているので全員、継続に異議はない。 10月1日はFamily Dayとやらで、やはり親が参加する催し物だ、この日は2年生だけだった ドンボスコの算数の教科書は440ページもあって、2年生は二桁ないし3桁の数字の概念から始まって、その足し算と引き算、さらに現在、一桁の掛け算(5まで)と簡単な二桁x一桁まで進んでいる。そしてさらに割り算、分数までカバーしている。非常に懇切丁寧な教科書で、これに添って進めるだけで、自然に理解を深めることが出来そうだ。しかし、大多数の子供達は、この辺で暗礁に乗り上げて、数字から一生目を背けることになることは容易に想像される。この2年生で習う四則演算が今後のキアンの生涯を決める正念場となりそうだ。 いならぶ屋台になんとラーメンのちょうちんがあったが、ただの飾りつけらしい […]

キアン、ついに公文をギブアップ 2017年10月13日