Daily Archives: July 31, 2017


日本に行くことが決まって一番の悩みはいかにキアンの了解を取ることだった。ほとんど毎日、出迎えと塾や習い事に連れて行って、週、二回外で食事を取ることがキアンにとって無上の喜びだ。それが一週間無しとなると、キアンがどんな反応を示すか、想像が出来なかった。話をしてみると、キアンの関心事は私がフィリピンに帰ってくるのか、ということで、そうであれば行ってもいいと、なかなか分別がついてきたようだ。かつては、ほんの2~3日の留守でも大泣きしてしまったのとは大違いだ。その代わりに出発の前日の土曜は、10時からはじまるピアノのレッスン以降、夜まで私と外で一緒にすごすことを許され、さらに一緒に寝ることにまでなった。 一直線で上に向かう飛行機雲、キアンもこのようにまっすぐ伸びて欲しいものだ ピアノのレッスンの後は、お気に入りの樹海でランチ、注文はお決まりのエビフライ定食。そしてロックウエルの銀行で用を足した後、ドリーム・プレイに向かった。キアンにとっては最高の遊び場だが、二人で1700ぺソ近いお金は日本の水族館やスカイツリーと一緒だ。ドリームプレイで夕方まで過ごし、再び、マカティスクエアの樹海で夕食、さすがにことの時は焼肉定食を注文した。 ドリームプレイでご機嫌のキアン 何も知らないクッキーは口をとがらすしぐさをするようになった 出発は午後なので、午前中はキアンと過ごした。その時、なにも思ったのかキアンが文書をしたため、一週間後には戻ってくるとの確約書を渡された。キアンにとってはこのまま私がいなくなるのではないかという不安が払拭できないらしい。 キアンの書いた確約書、上の日付は私が書いた帰国までのカレンダー   皆で空港まで送ってくれたが、キアンはいつまでも窓から私を見送っていた。この後、離陸まで数十回のメールのやり取りがあった 私にとっては一週間という時はあっという間に過ぎてしまったが、キアンにとっては長かったらしくて、私の部屋でテレビを見たり、私の席のとなりで食事を取ったり、常に私の存在を感じながらすごしていたそうだ。 家に帰ってくると、クッキーがお座りができるようになっていた  

キアンとの契約 2017年7月31日 


最近、羽田発のマニラ直行便がフィリピン航空が2便、全日空が一便、飛んでいるのでかねてから試してみたいと思っていた。全日空はターミナル3を使うので、マカティからは10分そこそこでいける。それに羽田空港には自宅から京浜急行一本でいけるのですこぶるアクセスが良い。全日空なら往復の時間帯もすこぶる良い。ちなみに行きの便は、マニラ発1440、羽田着が2000、帰りの便は、羽田発0945、マニラ着が1330で文句なしだ。 羽田に到着して、早速京浜急行の乗り場に行くと、なんと羽田空港発新逗子行き急行が乗り換え無しで金沢文庫の手前、能見台まで乗り換え無しでいけるではないか。しかも一時間もかからず、日曜のせいかがらがらで座っていける。こうなったら、今後帰国する時は羽田しかないと心に誓った。能見台について帰りの時刻表を見ると、始発の直行が6時26分で9時45分発にはゆうゆう、しかもそれ以降10分おきに出ている。ターミナル3はマカティから15分程度だし、にわかに、日本が近くなった気がしてきた。 京急、能見台駅の時刻表、羽田へのアクセスは抜群だ  兄弟会は千葉の我孫子(常磐線)の長兄の家に行かなければならない。これがまたいくつも電車を乗り換えなければならないので、一苦労する。息子の嫁さんの情報では横浜で京急から東海道に乗り換えれば上野まで直行でいけるというが、東海道線は東京どまりで上野までは行かないはずだ。そこで、電車に乗ってから路線図をよく見てみると、なんと、湘南新宿ラインのように上野東京ラインというものができていて、品川から我孫子まで乗り換え無しでいけるのだ(まるで異業種の連係プレーのような雰囲気だ)。そうなると、帰りは我孫子で上野東京ラインに乗って品川まで行って、そこで京急に乗り換えれば、あとは一本だ(上大岡で普通に乗り換える必要があるが)。これまた、長兄の家が近くなったものだと関心しきりだ。 マニラ首都圏にはLRT、MRT、LRT2、それにPNRの4本しか走っていないが、東京には上記のほかに地下鉄が網の目のように走っている。同じ1000万人の大都会といえど数十年の時の差を感じる いよいよマニラへの帰還の日を迎えた。始発の6時26分にのれば、一直線で羽田にいけるのでなんとも気楽だ。帰りは待ち時間があるのでつぶさに40年ぶりの羽田空港を観察するつもりだ。  京急羽田駅からの上りのエスカレーターに感心 まるで膜を張ったような天井は一体どうやって支えているのだろうか 出発ロビーから上に行ってみると日本橋や江戸の街並みを再現して観光日本をアピールしている 朝が早いので人通りは少ないが、外国人観光客は興味深々だろう 本屋さんでは我が「金無し、コネなし、フィリピン暮らし」発見 映画を見ている間にマニラに到着。最新鋭のターミナル3がなぜかみすぼらしく感じる。空港スカイウエイが完成したせいか、定額制のクーポンタクシー、空港専用のイエロータクシーのほか、格安のバス(20ペソ)や普通のメータータクシーなど、街に向かう交通手段にはかなりの選択肢がある。その成果、ターミナル1やターミナル3で活躍する空港職員によりタクシーの呼び込みは姿を消していた。親切そうな彼らの後をついていくとマカティまで2000ペソなどというとんでもない価格を吹っかけてくるの、決して相手にしないことだ。 退職ビザを持っていると右端のDiplomatのブースが使えて並ばずに入国審査ができる 多くのイエロータクシーも客待ちしている 一般のタクシーも客待ちを許されているが、マカティまで150ペソ程度で行ける […]

40年ぶりの羽田空港とターミナル3 2017年7月31日



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日本へ帰るとなるとお土産がかかせない。フィリピンからのお土産はドライ・マンゴ位しか思いつかないが、2年前の帰郷の時にブームとなっていたバージン・ココナッツ・オイルが嫁さんたちに大いにうけたので今回もそれで行くことにした。しかし、液体であるだけに重いのが欠点だ。1リットル入りを4本、500ccを7本、兄弟が多いのでかなりの本数になってしまったが、カバンが持ち上げられないくらいの重さ(約19kg)で預け入れ荷物の上限ぎりぎりだった。(ちなみに預け入れ荷物は一個当たり20kgまで、2個まで預けることができる) 最近キアンが凝っている和食レストラン「樹海」と併設されている日本・韓国食材店の在庫をほとんだ買い占めてしまった さらに兄弟会や古希の祝いでは、この4月に改訂3版が発行された拙著「金無し、コネなし、フィリピン暮らし」を配ることにした。実を言うとマニラで事務所を訪れる方々が、少なからず、分けて欲しいと希望されるので、事前に20冊購入してもらい、持って帰ろうと思っていたのだ。しかし、20冊を目の前にして、その重さに驚いて、兄弟や息子に配ってしまおうと思い立ったのだ。 アマゾンなどのインターネットショッピングで購入したがその重量にびっくり 家に戻って、女房がお酒が届いていると話していた。そういえば、親しくしているフィリピン子育てママがお酒を送ると話していた。桐の箱を開けてみてびっくりしたのが、祝古希 和民 xx家一同 とラベルに印刷してあったのだ。初めはワタミ(和民)ブランドのお酒かと思ってみたが、どうもギフト用の特注品らしい。しかも、誕生当日(昭和22年1月11日)の読売新聞のコピーがついているという凝りようだ。このママさんは、情報通で名が通っているが、これまた、感激の一品だ。 焼酎は血糖値を下げるというので、よくオンザロックで飲むのだが、もったいなくてちょっと封を切る気にはなれない 昭和22年1月11日といえば、戦後間もないころだが、掲載されている記事の見出しは現在のものと大差がないようだ 次に、三男の嫁さんの実家からいただいたのが名前入りの壁掛け時計だ。かずたみがかづたみとなっているが、わざとそうしたらしい。たしかにかずたみよりしゃれている。これを壁にかけて、次は77を目指そうかなどという気になってくる。 これも特注の壁掛け時計、喜寿の祝いまで使い続けるつもりだ 息子達のギフトはカメラだった。防水、耐ショック、防塵のヘビーデューティの携帯デジカメだ。現在、使用中のカシオのカメラと同じタイプだが、いよいよ限界に近づいてきたので、物色中だったのを知ってプレゼントしてくれたようだ。私にとってはカメラは商売道具で、常に持ち歩いて、フィリピンの情景を撮影するのが仕事の一部だ。今までのカシオのカメラに比べて高性能だけに、ちょっと使い勝手が複雑で、少々重いのが難点だが、現状ではこのカメラがベストチョイスだろう。大型の一眼レフは使わないのかと聞かれたが、常に持ち歩くためにはポシェットに入らなければ無理だ。このカメラの作品が「金無し、コネなし、フィリピン暮らし」の改訂4版に掲載される日が果たしてくるかどうかだ。 オリンパスの同タイプ、Stylus TG-4 Toughと競い合ったがニコン COOLPIX AW130に軍配があがった 10年近く使い続けたカシオ、キアンが赤ちゃんの頃、床に何度も落としてこんな姿になってしまった。このカメラの後継機種がないのが残念だ […]

古希の祝いとフィリピンのおみやげ 2017年7月31日