Monthly Archives: June 2015


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先日、事務所で、双子の片割れアリア(10歳)がKIANをひっぱだいた。勉強しているところを邪魔をされ腹を立てたらしい。KIANはアリアにスパンクされたと、丁度通りかかったアリアの母親(Mae)に訴えた。Maeはけんかしちゃだめよと軽くたしなめただけだったが、アリアは、一言、”I have reason” とつぶやいた。 ちなみにMaeは海外出稼ぎの募集に応募するために、たまたま我が家に逗留しているのだが、元彼のボボイ(ジェーンの弟)は口もきかず、顔も合わせないようにしている。詳しい事情はわからないが、ジェーンはボボイとMaeの間にできた子供を4人とも預かり、双子はマニラ、下の男の子二人は農場に住まわせ面倒を見ている。なんのことはない、ジェーンと私が4人の子供の面倒を見ていることになる。ジェーンの私への言い訳は、双子はKIANの遊び相手になって面倒見てもらえるから、農場にいる二人の男の子は、将来、農場のCare Taker(管理人)として役に立つから、住まわしてやりたいというものだ。 したがって、私のアリアのつぶやきに対する反応は、”You have reason to spank Kian,but you have no […]

マミーの怒りが爆発した2015年6月14日


5月26日はキアンの姉のアテ・キムの19回目の誕生日だった。昨年は、18歳の誕生日(デブー、女としてのデビュー、あるいは成人式)ということもあってルートン・マカオで誕生会を執り行ったが、今回は、家で質素に済ませた。 昨年の18歳の誕生日と、ヤヤの作ったケーキで誕生日の予行演習をするKIANとキム。 この日の夕方、2階のダイニングに見知らぬ若者が座っていた。不審な顔をすると、向こうは親しげに話かけてきた。キムの友人だというが、そのアクセントから韓国人であることがわかった。そういえば、2~3度、家にやってきたことがある、マプア工科大学のキムの友人であることを思い出した。 内輪のささやかな誕生会ながらも意外ともりあがっている 彼は、キムの誕生祝に駆けつけたのだ。特につきあっているわけでもなさそうだが、思い出したようにたずねてくるのだ。キムに気があるのは明らかだが、フィリピーノのアタックに比べて実に遠慮深い。ジェーンも女子を口説こうと思ったら、彼のようにまずは家族と仲良くなるのが、先決だと、まんざらでもないようだ。 恒例のHappy Birthday to youの歌のあとは、KIANはキムと一緒にロウソクを吹き消す キムには、なにやらハングル文字で書かれたケーキ、それに大きな誕生日プレゼントを持って来ていた。そのプレゼントを開けてみると、大きなリモコン式のヘリコプターだった。これは、どう見てもきKIAN用で、まさに、将を射んとせば、馬を射よ、の諺を地で行っている。スペインの文化を引き継ぐフィリピンでは、家の外でギターを奏でたり、まさに女心をくすぐる作戦に出るところだが、中国文化の影響を受ける日本そして韓国は、ちょっと異なるアプローチをとる。 誕生ケーキにはKIANの名前もしっかりと書かれている。ヘリコプターはダイニングテーブルいっぱいの大きなものだ ヘリコプターについては、コンド街の中ではちょっともてあそぶので、広い農場で存分遊んでもらうことにして、KIANには当分お預けとなった。パーティは、夜中まで続いたようだが、翌朝、KIANは彼を探していた。ヘリコプターの効果は絶大だったようだが、キムの心の琴線に響いたかどうかは、定かではない。

アテ・キムの19回目の誕生日 2015年6月7日



年をとると自然に記憶力が落ちて、物忘れが頻発する。その対処法として、普段、持ち歩く現金、ATMカード、パスポート、携帯、カメラなどなど、すべてポシェットに入れて、これ一つさえあれば生活に困らないようにしている。しかも、それぞれの持ち物は入れ場所が決まっていて、どこかへ置き忘れたなどということがおきないシステムを守っている。さらにまた私が使っているポシェットはPACSAFEというブランドで、ファスナーには留め具がついていて他人が簡単に開ける事ができない、すなわち、スリも手が出せないようなっている優れものだ。バンドの止め具にも別途のフックがついていて、例えは止め具がはずれてもも腰から離れないようになっている。だから、ここ数年、物がなくなったり、置き忘れるということは一切ない(ただし充電中の携帯やカメラを置き忘れることはままあるが)。   パパ・カーネルにガンのおもちゃを買ってもらって、ガンマンを気取っているKIANはもう赤ちゃんとはいえない正真正銘のガキだ それが、最近、日本行きのチケットを購入するのにアテ・キムにパスポート番号を聞かれ、ポシェットを開けてパスポートは出そうとしたら、あるべき場所にパスポートがないのだ。周囲は、どこかへ置き忘れたのか、と聞くが、そこに無ければもはや手の届くところにはないということになる。私にとっては、こんなことは10年に一度あるかないかのことなので、パニックに陥ってしまった。パスポート番号は、コピーを持っていたので、事なきを得たが、パスポートがないとなると、チケットの予約をしても、日本に行くこともできない。だから、再発行や、ビザのリ・スタンプなど、ややこしい仕事が待っていると思うと憂鬱になった。 そこで、どこに忘れたのか、必死に記憶を呼び起こした。普段、パスポートを提出するのは大使館、それに銀行だ。早速、大使館と先日訪問したチャイナ・バンクにメールを入れた。しかし、両方とも「ない」とつれない返事が戻って来た。さらに日誌を見ると、先週、メトロバンクからちょっとまとまったお金を下ろしたので、パスポートを窓口に提出したことを思い出した。早速、出かけていって、調べてもらったが、30分探してもでてこない。そのときの担当者に電話で聞いてもらうと、たしかにパスポートは私にもどして、しかも私がポシェットにしまったのを覚えていると、もっともらしいことを言う。仕方がないので、再度探して欲しいと頼んで銀行を出た。 毎晩、私の部屋で時間を過ごすKIANは夜食に味噌汁にご飯、あるいは塩ラーメンなどをたらふく食べる ところで、ちょっと前に、私の日本行きを、ママ・ジェーンがKIANに告げたところ、KIANが涙ぐんで、私のところにとんできた。そして、日本へ行くなとしがみついて、なんと、私に噛みつ付いてきたのだ。顔を起こして噛みつかれないようにしたものの、攻撃は執拗に続けられ、周囲もびっくりした。そして、その後、私の顔を見るたびに、日本へ行くなと説得を試みている。私としては、日本の家族や兄弟の集まりに参加するのだが、周囲も、KIANがかわいそうだから、日本行きをやめるよう説得を始めた。しかし、いったん交わした約束をそう簡単に反故にするわけにもいかない。そこで、日本に行くのはKIANのお土産を買いに行くのだから、と日本に行くことがKIANにもメリットがあるのだと、フィリピン流説得術を使って納得させようと試みていた。 そんな矢先に、パスポートの紛失事件が起こった。ママ・ジェーンがKIANを問い詰めると、KIANは、「ダダ(私)が日本へ行けないようにパスポートを隠した、しかし、隠し場所は教えない」というニュアンスの話をしたそうで、ジェーンはKIANが100%犯人であると確信した。しかし、パスポートは、ポシェットの一番奥にしまってあるし、そう簡単にわかるはずがない、しかも5歳の子供にそんな知恵があろうはずはないと、私は半信半疑だった。きっとKIANは周囲が大騒ぎをするので、大人をからかっているのだろう。しかし、いずれにせよ、知らぬ間にこんな知恵がついたものだとびっくりした。 毎週、月水金は英語の家庭教師、火木は公文、土曜はピアノ、そして日曜は空手とお稽古事に忙しいKIAN、この日は双子の片割れのアレクサに英語のレッスンを受けていた。アレクサはピアノや空手でもKIANのレッスンの相棒で、ベストフレンドだ その後、スマートフォンのスケジュールを見ていたら、一昨日、マカティ・スクエアのWestern Union(銀行口座無しで海外送金ができるジャパ行きさん御用達の送金システム)で退職者からの送金を受け取った記録が載っていた。これに間違いないと、早速、行って聞いてみたら、あっという間に引き出しからパスポートを出してくれた。これで一件落着だが、KIANには内緒にしておいて、パスポートはどこにあるかと聞くと、相変わらず、おもちゃ箱にしまってあるなどと嘘をついている。

パスポートがなくなった 2015年6月6日