Monthly Archives: May 2011


先日、訪問中の子供達を招待して天々火鍋で食事を取った。その後、私は客とカラオケに出かけたのだが、皆が帰るとき事件は起こった。コンドミニアムの近くまでやってきて、運転をしていたボボイが、強引に角を曲がって、向こうから来た車とすれ違えなくなってしまった。姉のジェーンは狭い道を向こうから車がやってくるのに、なぜ突っ込んでいったのかと、ボボイを責めた。そこで謝ってしまえばいいのに、ボボイはいつものように、なんかかやと言い訳を言った。そこでジェーンが切れてしまい、ボボイにぼこぼこにパンチをくれてやったのだ。 (KIANは何かほしいものがあると、それを指差して手に入るまでねだる。私を見ると指差すが、これは抱っこのおねだりだ)  後から、ジェーンはそのときの様子をパクヤオ選手のようにパンチを浴びせたと、笑って話して聞かせてくれた。メイドのレンは、それを見ていて恐ろしがって泣いていたそうだ。今まで現場は見たことはないが、ジェーンがボボイに張りピンタを30分くらい浴びせ続けたとか、そんな話を何度か聞いたことがある。相手はボボイに限らず、他の甥や姪にたいしても、たまにあるそうだ。普段はあんなに兄弟、甥や姪を思いやっているのに、なぜ時たま鬼のように怒るのか理解に苦しむ。悪さをしても言い訳をして謝らないと頭に血が上って、怒りをコントロールできなくなるらしい。 (KIANは私の部屋で遊ぶのが大好きだ。普段は親の部屋にいるから、ここには色々と目新しいものがあって、KIANには宝物のように思えるのだろう。私の孫の手を振り回して部屋中を歩き回っている。)    先日NHKで「虐待の連鎖」という番組をやっていた。芥川賞を受賞した有名なシングル・マザーの作家が、息子を虐待してしまうためにカウンセリングを受けていた。彼女は息子が意にかなわないことをすると、怒りをコントロールできなくなり、8時間も殴り続けるという。しかも、それが子供への虐待ということを認識できないでいるそうだ。カウンセラーは彼女から、小さいころ両親に虐待を受けていたことを聞き出した。本人は虐待と思うわず、自分が悪いことをしたからと殴られるのあって、良い子でいようと気をつけたという。そしてまた、その両親も親から虐待を受けていたことが明らかにされていく。親から子へ、そして子からそのまた子へと虐待が引き継がれていくのだという。 (家の中を自由に歩き回ることができるようになったKIANは台所のキャビネットからお気に入りの容器を探し出して、意気揚々と部屋に引き上げていく)   一方、ジェーンはどうなのか。以前良く話していたのは、母親に箒や棒で尻を散々殴られたことだ。もちろん何か悪さをしたためだが、彼女は泣かないで必死に歯を食いしばって耐えたと、笑いながら話していた。現在。彼女の母親思いには頭が下がるようで、決して母親を恨むようなことはない(ちなみにジェーンの母親は旦那と死に別れてからは、女手一つで4人の子供を育てた苦労人だ)。しかしながら、ジェーンは、この虐待ともいえる行為をしっかり受け継いでいるようだ。しかし件の子供達はジェーンの怒りを虐待と受け止めず、少しもうらむこともなく、心から慕っている。どこから虐待で、どこからがしつけなのかの判断は難しいところだろうが、親はえてして自分の感情をコントロールできずに、子供に暴力を振るうのを、しつけと称して言い逃れをしているような気がする。 (家中を歩き回って疲れたのかおもちゃの車に乗ってヤヤに汗を拭いてもらっているKIAN。興味は乗ることだけにはとどまらず、車をひっくり返して構造を研究している。)    人は多かれ少なかれ、虐待の連鎖のような親の負の遺産を背負って生きているのではないだろうか。その遺産が人格一部をを形成しているのだろう。切れ安い人の親はきっと切れやすかったのだろう。仲の良いやさしい夫婦の子供はやはり優しい。子供の人格を形成する上でいかに家庭環境が重要であるかだ。たとえ夫婦の一方に虐待の連鎖の気(ケ)があったとしても、一方の親が子供を暴力から守るだろう。NHKの番組の場合は両親とも虐待の連鎖を背負っていたのが悲劇だったようだ。そして彼女自身はシングル・マザーなので歯止めをかける身内がいない。NHKはこの虐待を止めるには彼女自身が虐待を受けていたこと、そして自分が子供に対して虐待をしていることを認識することが重要だと説く。   (気に入ったものを手にすると得意げに差し出すKIAN。これを受け取るとすぐに返してよこせとせがむ。それを無視して取り上げると、大騒ぎになってしまう)   しかし、親から受け継いだ遺伝子をそう易々と変えることができるのだろうか。もちろん、否である。だから子育ては夫婦の役目なのであって、劣性の遺伝子(虐待)は優性遺伝子により封じ込められなければならないのだ。しかし、究極の核家族であるシングル・マザーという状況そのものが虐待という遺伝子を封じ込めることができず、それが猛威を奮って、子供が犠牲となっているのだ。きっと、この子も将来、親の負の遺伝子を受け継いで、いじめや虐待を行うことになってしまうのだろう。 (DVDのスイッチを自分で入れて曲にあわせて踊りだすKIAN) […]

虐待の連鎖 2011年5月26日


 先日、ラスベガスで世界戦を制し、フィリピンに凱旋したばかりのパクヤオ選手だが、今、フィリピンで最大の関心事である人口抑制法案に対して、宗教界と ともに下院議員として反対の立場を表明している。これに対し、かつて大統領選にも出馬し(ラモス大統領の対抗馬)、毒舌家で有名なミリアム・サンチャゴ上 院議員が、妻のジンキーがピルを使っていたのを槍玉に挙げて、パクヤオを「偽善者」と決めつけ、口を出すなと決めつけた。   これに対して怒ったのが英雄パクヤオの名実ともに生みの親であるマミー・ジョニシアだ。サンチャゴ女史に対して「マラスワ!」と叫んで、「バストス=下 劣」に似たおかしなタガログ語で応酬したのだ。毒舌家とはいえ、UP出身のエリート弁護士のサンチャゴ女史は「他の対戦相手を探す」と言って攻撃をかわし た。毒舌家が毒舌に負けたと、ジョニシア・ママには巷の拍手が沸き起こった。今、この一方は毒舌家のエリート、一方は巷の英雄の母親とタイプの違う二人が お茶の間の人気者となっている。  しかし、おさまらないのがバクラ(おかま)たちだ。マミー・ジョニシアはついでに、バクラが女性ホルモンを摂取するためにピルを使っているのを「ピルを 使っておっぱいを大きくするのをやめろ」といって馬鹿にしたのだ。今度は「人口抑制法案=ピルの解禁」の批准を目指してバクラがデモ行進をして、巷の喝采 を浴びた。 一方、パクヤオは世界チャンピオンとしての活動に忙しい。この日のオークションでは、今回、パクヤオが使用した黄色いグラブが50万ペソという高値で競い落とされた。ちなみに黄色はアキノ大統領の母親時代からのシンボル・カラーだ。  

世界チャンピオン・パクヤオの場外戦 2011年5月25日



 KIANのパパであるカーネル(大佐)ヤンさんの娘キンバリー(キム、15歳)がバギオに近いヌエベ・ビスカヤから夏休みを利用してやってきた。彼女のことは、いずれ詳しく紹介するが、今朝、大変貴重な情報を彼女がもたらしてくれた。     正月以来のことなので、私が掲載したブログを彼女に見せてやった。内容は分からなくても写真を見るだけでも楽しいだろうというわけだ。彼女が席を開けたの で、ちょっとパソコンをのぞいてみると、私が書いたはずのブログが英語になっているのだ。これは異なこと奇怪な、というわけで、聞いてみると、右上の Translateというボタンを押すだけで英語にでもタガログ語でもなんにでも翻訳されて現れるというのだ。    翻訳ソフトがあるというのは知ってはいた。しかし、それを使って作成したであろうPRAのパンフレットを見ても、なんとも使い物になるレベルには程遠かっ た。とてもとても恥ずかしくて人前に出せるものではない。だから、翻訳ソフトが実用に供するには後10年はかかると思っていた。     確かに、私のHPやブログの英訳を見ると、「人気者」や「苦節」などの漢字はそのままで、翻訳の精度については50点はあげられない。しかし、今まで写真 を見るしかないフィリピン人が、50%、場合によっては80%程度の 内容を理解できるとしたら、これは革命的なことだ。私のホームページやブログで退職者に多くの情報を発信しているが、私の同僚のフィリピーノは私がどんな 情報を発信しているか知るすべがないのだ。 […]

日本語判ホームページが英語版に大変身 2011年5月23日


 1週間のホリーウイークの休暇を終えて4月26日マニラに戻った。また、仕事だと思うと憂鬱になるが、マニラに降り立つころはすっかり仕事モードになっていた。  この日は朝の便を使ったが、朝の光を横から浴びるマヨンは表面の凹凸がくっきり見えて、荒々しい溶岩の流れる南斜面がはっきりと見て取れた。  レガスピには、従来タクシーは全く営業されていなかったのだが、空港で真新しいタクシーを見つけた。たとえゆっくりでも地方都市も確実に近代化が進んでいるようだ。かつでは空港からバス乗り場までトライシクルで行くしかなかったが、当たり前ながらタクシーという手が使えるようになったのだ。  空港の控え室に入ると、そこでなんと、元PRA副長官、私のボスだったマルセロさんに遭遇した。金属資源の会議に出席したそうで、ちなみにマルセロさんはビコール地方、カマリネス・ノース県で、金鉱山を経営している。 飛行機の中でKIANは椅子をかじったりして、やんちゃ振りを発揮している。写真右下はフィリピンの映画俳優KC、ではなくて、私の息子、恵之(KC)だ。  飛行機が到着するころはすっかり寝込んでパパに抱かれるKIAN。子供は寝たいときにすべてを忘れて寝れるのがうらやましい。

ビコールからの帰還 2011年5月21日



最近、ママ・ジェーンのKIANに対する小言が絶えない。近所の子供達には恐怖の存在で、いとこ達をたたいたり、物を投げたり、やんちゃ振りが度が過ぎているというのだ。私にとっては明るくて笑顔を絶やさず、とてもいい子に見えるのだが、私の前だけではいつもいい子だとジェーンは言い張るのだ。  私に言わせれば、ただ黙ってボーっとしている赤ちゃんなんで将来が危ぶまれるだけだ。子供はやんちゃな方がいい。その証拠に、私がKIANを抱いて外に出るとご近所のヤヤ(子守)からKIAN、KIANの合唱がわきあがるほどの人気者なのだ。危険なこと以外は、やりたいようにやらせておけばいいと思う。そうすればら、KIANはのびのび奔放に育って、将来を嘱望される若者に育つだろう。少々乱暴なのは母親の血だからしかたがない。   なまじやりたいことをやらせないと、せっかく伸びようとする芽を摘み取ってしまうことになり、ろくな結果にはならない。おいおいとしつけというものも必要だろうが、大人の感覚で子供のやりたいことを規制するのは、大人のエゴというものだ。 この日はおなじみの退職者の招待で、リトル東京のお好み焼き屋、神楽で食事を取った。夜の日本風の風景にご機嫌のKIANだ。近くの日本食材店の「ちょっとストップ」では商品をつかんで離さないので、退職者がお金を払ってくれたが、それを車の中で袋にかじりついているKIANの顔が愉快だ。KIANがこんなにおでこだとは気がつかなかった。 さらに今度は、やはり親しい退職者の方の招待で、グロリエッタの中華料理店で食事を取った。一丁前に席について、うれしそうなKIAN。この方はKIAN が生まれる前に、2万ペソもするベビー・カーをプレゼントしてくれたのだが、この日、初めてKIANと対面し、高価なカメラで盛んに写真を撮っていた。 4月、5月はフィリピンでは夏休みだが、この休みを利用して、ジェーンのいとこ達が遊びに来た。総勢11名の団体で、私の息子も含めて12名の客が家に滞在することになった。    いとこのアラインに抱きつかれて、嫌がるKIAN。KIANは女の子が嫌いなのだ。   ハイスクール(13歳~16歳)の子が4人いるが、彼らはもっぱらパソコンでFace Bookにいそしむ。これがよほど面白いと見えて、明け方までパソコンにかじりついていたそうだ。息子も影響されテ、日本へ帰ってからFace Bookをはじめて、この子達とコミュニケーションを図っているそうだ。  KIANの歩行もだいぶ年季が入って来て、5m位はよちよちと酔っ払いのように歩くことができるようになっている。この日は表の道路をたくさんのお連れを伴って王子様のように歩いていた。 この日は、全員でモール・オブ・エイシアに花火見物だ。毎週、金曜と土曜はここで花火大会がある。子供達に一目見せてやろうと、ジェーンの計らいで出かけていった。KIANを含めて12人の子供と、大人4人、しめて16人が、モンテーロにのったのだが、3列シートで7人乗りに倍以上の16人のまさにすし詰めだ。この日、初めて見る花火にKIANの感動は想像以上のものだったそうだ。  […]

KIANの日常生活 2011年5月21日


5月19日、パスコのホームページへのアクセスがついに50万回に達した。開設したのが2005年の初頭だから、苦節6年目にしての節目達成だ。当然のこ とながら、100万アクセスの大台を目指すことになるが、今の調子ならあと2年位で達成できるかもしれない。以前から100万アクセスに到達したら引退し ようと思っていたが、ちょっと早すぎるかもしれない。  ち なみに10万アクセスに到達したのが2008年4月でHPの開設から3年かかった。20万が2009年5月で約1年、そして30万が2010年3月で 10ヶ月、40万が2010年11月で8ヶ月、そして50万が2011年5月で6ヶ月と、着実にアクセス回数が伸びている。   2008年からアクセスが急に伸びたのは、ブログの開始によるところが大だと思う。ブログは特にHPの内容に関わりなく、日ごろ経験したことを自由に掲載 できる。しかも写真のアップロードもHPに比べればはるかに簡単だ。ブログに直接アクセスすることもできるが、更新情報をHPのトップに載せているので、 そこから入る方が多く、HPのアクセス数にカウントされるという算段だ。    そもそもこのブログは、オンライン英会 話の事業を開始した折、日本のパートナーにリクエストされたのが始まりだった。そしてその気軽さにはまって、この3年間に400件以上のブログをアップ ロードするにいたった。「金なし...」発刊以降の話題なので、その続編ともいえる。HPは頻繁にアップデートしないと飽きられてしまう。だから月10件 のブログをアップロードすることを私自身のノルマと課している。ブログにアクセスしてもらいながら、肝心の本文も見てもらう、ということで読者とのコミュ […]

パスコホームページが50万回アクセスを達成 2011年5月20日



今年は4月18日の週がホリーウイーク(聖週間)で、21日(木)~24日(日)が4連休となり、その休みを利用して約1週間、ビコール、タバコの農場 に滞在した。今回は息子も一緒で、久しぶりにのんびりすることができた。その間、Good Fridayの行列に参加したり、KIANの誕生会、そしてカラモアン探訪など、盛りだくさんだった。  行きの飛行機からは久しぶりにマヨンがきれいに顔を出していた。地上からは雲に隠れて見えなくてもこのように雲の上に顔を出していることもある。以下農場を散歩した際に撮った風景写真だ。 日本ではなかなか見られない黄色い大輪のハイビスカス(ゴマメラ)とサボテンの一種。 闘鶏とアヒルの赤ちゃん、外に出すとアイスにやられてしまうのでしばらくはケージに入れて育てている。 バナナは1年中たわわになっている。まだ食べるには早すぎて、なかなか食する機会がない。 カラチュチの花が見ごろでたくさん咲いている。お猿さんは子供達の友達だが、犬とはやはり中が悪く、大人の背丈ほどの高いところに小屋がおいてある。  家を建ててから8年になるが、周囲に植えた果樹は実をつけ始めている。7~8mに育ったアボカドの木はたくさんの実をつけ、数ヵ月後が楽しみだ。  5匹いた子豚はKIANの誕生会に供されて、3匹になっている。ジャックフルーツ(ランカ)は家の周りに10本くらい植えてあって、大きな実をつけている。   水芭蕉のような花の芯には蜂の一種が蜜を吸いにとまっている。  タガイタイでパイナップルの苗を100本買って植えたが、実をつけ始めている。 草刈はダニー(農夫)の重要な日課で、草刈機で雑草を一網打尽にする。三角の屋根は闘鶏の個室だ。 テ ラピアノ養魚場にはもともと農夫が住んでいた小屋を残してある。養魚場にはアヒルが泳いでいて、いつもテラピアノえさを横取りしている。この池にすんでい […]

農場散策 2011年5月19日


先日、息子がフィリピンを訪問した折、カジノで遊びたいと誘われ、4日ほど連続してカジノめぐりをした。初日はエドサ通りとロハスボリバードの角にある ヘリテージホテルに行った。ここは、向かいにあるEDSA International Entertainment Cmplex(通称エドコン、8軒のゴーゴークラブが一つのビルに収容されている)とともに日本人におなじみの遊び場だ。ヘリテージホテルに泊まって、カ ジノで一稼ぎしてエドコンで遊ぶといった按配だ。   私は賭け事は絶対に勝たないという信念があるので、カジノに行くことはめったにない。しかし、この日は息子がスポンサーになるというので、付き合ってやっ た。ねらいは、かけ方が簡単なルーレットだ。バカラ、ブラックジャック、ポーカーなどのテーブルはたくさんあるのだが、どういうわけかルーレットは2台し かない    ルーレットは、最低賭金が台で異なっているが、2分の一の確立の赤黒、奇数偶数などは、200~500ペ ソと高く、3分の一の確立の縦の列や1~12などの数字のグループにかけるのは100~200ペソ、上限も3000~6000ペソに設定されている。その 他、1つ、2つ、4つ、あるいは6つの数字に賭けるのは10~30ペソと低く、上限もない。めったに入ることはないからそうなっているのだろうが。     […]

フィリピンでカジノめぐり 2011年5月18日



今年の正月にKIANが農場にやって来たときはまだ9ヶ月でほとんど家の中にいた。今回は1歳と1ヶ月になっていたので、自ずと行動範囲も広がって、農場の動物などにいたく興味を示していた。まずはじめが、駐車場の片隅にあるサルの小屋だ。子供達が近づくとサルは歯をむき出して威嚇するが、私がKIAN を連れて近づくと平静そのもので、手足に触っても平気だ。どうも子供達はいつもサルを驚かしているらしい。 ジェーンの姪の年長組みはすでにハイスクールだ。いつも3人寄り添って楽しそうにおしゃべりしているが、なかなかおませな事を話しているらしい。 KIANの誕生会のチーズロールを巻くのに、息子が参加したところ、ビコール語なのでほとんど分からないが、時折、バージンとかボーイフレンドとか、女の子の名前が出てきたりして、話の内容を察することができたそうだ。13、14、15ともなってくれば自ずと興味はそっちへ向くのは万国共通だ。一方、年少組みが盛んにKIANをあやしている。写真をクリックして拡大して見ると分かるが、KIANが舌を出してアッカンベーをしている。  KIANは水浴びが大好きだ。石鹸を頭につけて洗っても、平気の平左でうれしそうな顔さえしている。 ママのジェーンが夕方、日がかげってからKIANを農場へ連れて行った。牛の子供や、テラピア、アヒルや鶏などとの初対面にいつもの好奇心を示していた。  この日は全員でタバコの町に出かけた。子供達が13人、親達も入れると総勢20人になるので、車とトライシクルに分乗して出かけざるをえいない。そこで、トライシクルと車の運転席に座ってご機嫌のKIANだ。  マヨン火山が雲の上から顔を出したので、KIANを外に連れ出して、記念撮影。とてもよい表情をしてくれた。その後、KIANは1歳を過ぎたので、ロラ (おばあさん)に髪を切ってもらうことになった(フィリピンでは1歳になるまで髪を切ってはいけないという迷信がある)。ところがはさみを向けられて KIANは恐怖のまなざしでロラを見つめ、決して髪を切らそうとしない。 総勢12名のいとこ達にい囲まれてうれしそうなKIAN。まるで王子様だ。 水遊びが大好きというので、組み立てプールを買ってやったがちょっと大きすぎた。また、転んでおぼれるといけないので、水の深さは、ほんの数センチにした。それでもKIANはとてもうれしそうにはしゃいでいた。来年は水を一杯にいれてエンジョイしているだろう。 1歳と3週間になるが、まだ歩けないKIANの秘密兵器が、この長めのタオルだ。これならKIANは最小限のサポートで歩行練習ができる。それにサポート役は腰を曲げる必要がないので腰が痛くならないで済む。KIANがアイスの周りをよたよたと歩き回ったり、KIANが近づいて触っても忠犬アイスは知らぬ顔を決め込んでいる。 翌日、マヨンの雲が晴れたので再びKIANを外に連れ出して、記念撮影を試みたが、KIANは具合が悪いと見えて機嫌が悪い。

KIANの農場初体験 2011年5月18日


 しばらく前に納豆に関する話題をブログに乗せたら、セブにお住まいの新留さんが、その作り方を連絡してくれた。今回は新留さんの秘法を紹介したい。実は私も1990年代の終わりにフィリピンに駐在した折、納豆作りに挑戦したことがあるので、その経験も含めてみた。 1. 大豆を一晩、水に漬け置きする。大豆はマーケットで入手可能。45ペソ/kg位でお米よりちょっと高め。マニラならデビソリアで安く売っている。   2. きれいに洗って、鍋でボイルする。圧力鍋を使えば、約500gの豆を30分くらい。普通の鍋なら4時間くらい。   3. ゆでた大豆の水を切って、大き目のタッパーウエアに移す。容器は熱湯でよく消毒しておく。そうしないと納豆菌が雑菌に負けて醗酵してくれない。 4. 納豆菌をふりかけ良く攪拌する。タッパーウエアに敷き詰めた大豆は3層以上にならないようにする。これらの作業は大豆が熱いうちに済ます。   5.  大き目の発泡スチロールの箱に大豆の入ったタッパーウエアを収納する(箱はスーパーに売っている)。中にはペットボトルに熱いお湯をいれて、温度を40 度~50度に保つ。これには温度計が不可欠。ふたにさして外から見えるようにしておくと良い。温度が下がってきたら、ペットボトルの湯を代える。   6. 約24時間で納豆菌が繁殖して、大豆が白くにごる。温度管理が大切というか、できることはそれしかない。    7. このネバネバがでたら成功の証。 […]

納豆の作り方 2011年5月15日