Daily Archives: May 17, 2007


2007年5月14日(月)は、統一選挙のため休み。この連休はマニラに働きに来ている多くの人が故郷へ向かった。選挙の資格を得るためには6ヶ月以上その地に滞在し、かつ届け出ていることが必要で、特に住民登録という制度のないフィリピンでは故郷で投票する人が圧倒的に多い。それでも、投票率は75%と、日本に比べはるかに高率になっている。私も選挙連休に便乗して一ヶ月ぶりにビコールの我が家に帰り、選挙戦を見物してきた。 トライシクルやパジャックも総動員しての選挙戦 まさに統一選挙で、大統領を除くほとんどの分野で選挙が行われた。立候補者数は全部で16,180人。内訳は上院議員、12人、下院議員、275人、知事、81人、州議770人、市長、118人、市議、1322人、町長、1510人、町議12,092人という、政治に関わるほとんど全部の人たちがこの選挙で選ばれる。   歌や踊りでショーさながらの演説会(会場の外ではスクリーンで見せている) フィリピンの選挙はイメージ戦の様相が強く、いかに皆の気を引くか、やさしい父さんのイメージや悪を懲らしめる正義の味方、あるいは端的に美貌を強調する、いわば人気投票的要素が大きい。そのためポスターも女性候補なら美貌を強調するものが目立つ。人の迷惑も顧みず、主要道路を全面的にふさいでやっている立会演説会も演説というよりもまさにショーそのものだ。どこかの国でも最近は同じような傾向にあるようだが。 美人市長候補、現役下院議員の娘でもある フィリピンで選挙に勝つにはとてつもない金がかかるといわれている。ちなみに下院議員なら1億円程度、これはフィリピンでは大金だ。色々スポンサーがつくそうだが、勝てばそれに見合う見返りというものがあるのだろう。負ければ全くのパーだから、まるで博打だ。清き1票は500ペソ(1000円)程度で買えるともいわれている。当選に10万票ほど必要と言われているので、丸々必要数の票を買うとして1億円ほどで当選できることになる。 メインストリートには選挙ポスターが百花総覧 選挙の前日から酒が買えなくなる。また選挙当日は一切のレストランではお酒を出すことが禁止される。これは選挙に熱を上げる人たちが興奮して暴力沙汰を起こすことを防ぐためと言われている。これは私にとっては死活問題だが、私の行きつけの日本食店は冷蔵庫のストックを出してくれたので難を逃れることができた。  

雑記帳 統一選挙


2006年11月30日フィリピンのビコール地方を襲った超大型台風レミンはアルバイ県を中心に死者行方不明1000人を超えるという未曾有の被害をもたらした。アルバイ県のタバコ市にある私の農場に日本人退職者3名を案内しようと、この日、マニラ空港に向かったわれわれは、フライトキャンセルのため2日間マニラで足止めを食らった。3日目にレガスピ空港に降りたわれわれは、町中のほとんどの電柱と樹木がなぎたおされ、道路のいたるところが土砂に覆われるという惨状を目の当たりにした。レガスピ空港から約30kmのタバコへの国道は、途中、1kmほどが土石流に埋もれ、通行不能ということで、その日はレガスピに足止めされることになった。 農場に向う国道は土砂に埋もれて、歩くしかない 翌日、同行したフィリピーノに、先行してタバコの農場に様子を見に行ってもらい、今後の行動を決定することにした。午後になって戻ってきたフィリピーノは顔面蒼白で、農場が壊滅的被害を受け、家の屋根も吹き飛ばされ、とても泊まれる状況に無いという報告を受けた。さらに、川沿いのバラックは家ごと海に流され、数多くの人々が学校、教会あるいは被害を免れた知人の家に非難し、食べるものも無く悲惨な状況にあえいでいるということだった。 送電塔もお辞儀をしてしまった 同行した退職者3名のうち一名は是非状況を視察したいということになり、翌日、くだんのフィリピーノと3名でモータバイクの後ろに分乗し、冒険旅行に出かけた。途中、土石流に埋もれた道を1kmくらい歩き、思わぬピクニックをすることになった。また、土石流で埋もれた家を掘り起こす作業が行われており、多くに人が生き埋めになったそうだ。さらに山に生える木々はなぎ倒されるか、枝葉を落としており、普段は見えないはずの家や景色が見え、一種異様な景観だった。 土砂に埋もれた家、周囲の木々はすべてなぎ倒されていた 私の農場につくと、ほとんどのすべての樹木は倒れ、屋根の半分は吹き飛ばされ、家の中のものはすべてびしょぬれで、足の踏み場も無いほどで、生まれて初めて災害というものを目の前にすることになった。幸い、屋根の骨組みは無事で、金と時間さえかければ修復可能と判断し一安心した。 屋根は辛うじて骨組みを残していた しかし、政府の支援も中々届かないという状況で、周囲の惨状に目をつぶっているわけに行かず、個人的に支援活動に乗り出すことにした。フィリピンに在住する知り合いの退職者を中心にメールあるいは携帯で呼びかけ、合計、317,072ペソの義援金を集めることができた。これら資金により、2006年12月30日より2007年1月2日にかけて、タバコ市の特に被害の激しかったバランガイを中心に支援活動を実施した。 支援物資の袋詰め作業 支援物資の調達、配布は私とフィリピン人の友人で直接やった。義援金を関連する政府機関あるいは団体に預けると、それが被災者に届くかどうか、はなはだ疑わしいと考えたからだ。テント200枚、50kg袋入りの米を75袋、かんずめ2000個、乾ラーメン2000個、T-シャーツ800枚、その他古着を、私の自宅で約1300個の袋に詰めかえた。この作業は近所のボランティ、約30人の協力を得て行われた。事前にバランガイキャップテンより被災者のリストを受け取り、被災者の名前入りのクーポンと引き換えに被災者一人一人に食料入りの袋を手渡した。テントについては、別途バランガイごとに家あるいは家の屋根がなくなった被災者をリストアップし、直接手渡した。 支援物資の配布 今回、タバコ市内のスコーターエリア(貧しい人々が政府の土地を不法に占拠して居住している地区)に初めて足を踏み入れたが、その規模あるいは多数の住民に驚いた。普段は木々に隠れあまり目することもなかったスコーターだが、こんな田舎でもこんなに多くの人が貧しさにあえいでいるのかと、認識を新たにした。たった1千個そこそこの食料袋を配ったとしても、ほんの一部の人が正月の食料にありついただけかと思うと、焼け石に水の感をぬぐえない。 川沿いのスコーター スコーターは、ほとんど全部川沿いに広がっているが、これは河川敷が政府の土地であることに起因するそうだ。そして、今回の台風による大量の水、あるいは土砂で川沿いの貧しい住民達が壊滅的被害を受けてしまったのだ。一方、比較的高いところに住んでいる富裕な人たちは痛くも痒くもなかった様子だが、いまだに道路に倒れたままになっている電柱のおかげで、電気が復旧するのは半年後になると嘆いていた。 […]

雑記帳 ビコール地方を襲った台風レミンの被害



フィリピンの街を歩いていて横丁を覗くと、まさにうじゃうじゃと表現されるほど子供が遊んでいる。一方、日本では団地でも子供の姿を見るのはまれだ。なぜこんなに子供がいるのだろう。経済的には決して楽でないはずの人たちが、まるで見境もなく子作りに励んでいるようだ。 フィリピン人の子供を愛する様は尋常ではない。行儀が悪いからと、他人の子供を叱ったりすると、親に怒られる。子供だから何でも許されるのだ。フィリピンはまさに子供天国だ。女性の夢は子供を持つことで、子供たちに囲まれて、たとえその日食べるものがなくとも、幸せなのだ。一方、男性はひたすら女性を口説き、ものにしようとしている。その結果次々と子供ができるのだ。 子供ができると男性も観念して結婚するようだ(逃げてしまう男性も多いようだが)。したがって、子供を育てるのは女性の仕事だ。男に逃げられても、旦那が失業中でも、女性はたくましく子供を育てる。それが生きがいであり、使命なのだ。そして、フィリピン中いたるところに子供があふれることになる。しかし、彼らは親にとても愛されて幸せなのだ。フィリピンには、実の親による子殺しなど決してない。人間として本来のものが強く機能している気がする。 甥や姪に囲まれて幸せそうな私の相棒 フィリピン政府では、この子沢山の傾向を是正しようと必死だ。これは世界的傾向だが、堕胎が法律で禁止され、避妊でさえも嫌う傾向にあるフィリピン人に対しては無駄な抵抗とも思える。なにしろ子は宝、神からの授けものという意識が脈々と生きているのだ。その場合、フィリピンの将来はどうなってしまうのだろうか。 一方、日本では、団塊の世代が60歳を迎えつつあり、国民の老齢化は深刻な問題となっている。国民の大多数が老人になってしまったら、誰がこの老人を支えるのだろうか。いくら技術や機械があっても、それを使うのは人間だ。その人間がいなくなったら国は滅ぶ。 人口が増えるというのは国にとって大変な負担かもしれないが、人口が減っていくあるいは老齢化していくという現象に比べたらはるかにましだ。いつか日本の老人がフィリピンの若者に介護というだけでなく、経済的にも支えられる時が来るのではないかという気がする。

雑記帳 子沢山はフィリピンにとってマイナスか?