第34回PRA創立記念パーティー挙行 2019年7月14日


7月5日、PRAのパーティーと言えば、物心ついた頃から欠かさず参加しているキアンが首を長くして待っていたPRA創立記念パーティがついに挙行された。会場はいつものPICC(Philippine International Convention Center)なので、迷うこともない。

4時半に家を出発すると宣言したにもかかわらず、いつものことながらクッキーのミルクの準備やジェーンのお化粧にてまどって、結局5時半に出発の運びとなった。この時間はラッシュアワーで6時から始まるパーティーに間に合うどころの話ではない。

そこで議論になったのがどの道を通れば渋滞に巻き込まれないかだ。ママ・ジェーンはビトクルス・マラテを通って最短距離を主張、運転役のアランはブエンディ通りの正攻法、私はスカイウエイを通って空港経由の大回りを主張した。

いつも彼らの意見を入れて苦い目を見ている私は、この際、特権を発揮してスカイウエイ経由をごり押しした。途中さほどの渋滞は無いものの何しろ3倍近い距離なので、さすがに遠いと、二人がぶーたれること仕切り。しかし、到着してみるとまだ6時5分で、ほとんど開始時間に到着することができた。私の得意振りに彼らはしかとしていた。

入り口ではPRAのきれいどころが民族衣装で出迎えていれた。写真はビザの預託金の取り扱いで世話になっているマイマイさんだ。
受付で名前を告げると色々聞かれて入力して確認をされる。間違いだらけだがこの登録をすまさないと記念品のブランケットがもらえないので仕方が無い。
登録を独力で無事に済ませたキアンもママ・ジェーンの指示の記念品にありついた。
最近のPRAパーティはなかなか盛況で会場を招待客が埋め尽くしている。おかげでPRAの職員は会場外のテーブルで食事をとるはめになっていた。
クッキーも、最近はパパ・カーネルがキアンにくれたアイパッドを独り占めにして退屈しのぎにYou Tubeを楽しんでいる。
キアンがカレル(BOC銀行支店長の息子でキアンのクラスメート)は来るのかとしきりに聞いていたが、まさか来るはずは無いと思っていたカレルがママ・ケイト支店長(右)とあらわれたのだ。しかもキアンとおそろいのPRAユニフォームを着ている。ちなみに私もこのユニフォームで出席したのだが。
もと大使館勤務などの退職者はコーティシープログラムで1500ドルの預託金でSRRVが取れるとあって、最近はその手の教養人が多い。私の隣はもとスイス大使館勤務、その向こうのインド人夫妻は元ADB職員だそうで、なぜか私に日本語で話しかけてきた。
最近は外部からエンターティナーを呼ばないで職員がパーフォーマンスを見せてくれる。顔なじみのPRAスタッフが熱唱している。
次は民族衣装を身にまとって民族舞踏を披露するスタッフ、この後、スタッフのミッシェルさんにバンブーダンスに参加してくれないこか頼まれたが、ワインをたっぷり飲んでいた私は、ひっくり返っても困るので遠慮しておいた。
恒例のGMのカラオケタイム。GMはこれが楽しみでPRAのGMにおさまっているのではないかとさえ思える
PRAのきれいどころの盗み撮り、ジェラルディンさん(右)は相変わらず美しい。
この日の発見は、男女のトイレの真ん中に、その他の性といったトイレがあったことだ。元々車椅子用のトイレだったのだろうが、女・男それにハーフの絵があり、小さく車椅子の絵が書いてある。さすが国際会議が頻繁に開かれるPICCならではのことだ。10年ほど前にとあるモールのトイレで女装した男性と思しき人が男と女のトイレの前でどちらに入るべきかと逡巡しているのを見て、第3のトイレが必要だと思ったが、まさにそれが実現されていたのだ。
ママ・ジェーン(中央前)とケイト支店長(左後ろ)は営業に余念がなく、息子達の席に一時も座らなかった。パパ・カーネルを迎えて、GMをはじめ多くの人たちが挨拶にやってきていたそうだが、何しろパパ・カーネルはこのPICCがあるパサイシティの警察署長というVIPなのだ。中央後ろの赤い服はマーケッター組合の副会長、その左隣はPRAの営業部長代理だ。
この日の圧巻はフィリップPRA元財務部長との出会いだ。今日からPRAに復帰したということで、かつでビザ発行部門の部長、財務部門の部長と重要ポストを歴任したVIPだ。当方とは家族付き合いの親しさでキアンのニノンでもある。彼がいてくれれば、すべての難問を解決してもらえるはずと大いに期待される。

Leave a comment

Your email address will not be published. Required fields are marked *